2016-01-01から1年間の記事一覧
このタイトルを最初に思い浮かべたのは、実は、この十何回かにわたってチュニジア~イタリアの旅録をお届けしてきたのだけれど、ま、文章が下手なのは毎度のこととして、今回は特にこの記録が読まれてないことがわかったからであった。で、その理由を考えた…
やっとというか、漸くというか、どうにか最終回です。年内に何とか終わらせようと思っていたのですが、何とかカタはつきそう、、しかし、年とともにマンネリ化し体力は落ちて、旅そのものが面白くなくなっていることは承知しています。そんな旅にここまでつ…
残すは2日となって、その日午後2時半からのヴァチカン美術館までは特に予定は決めていなかった。なので、朝もかなりゆっくりしてしまって、7時予定の朝食に起こされるのかと思っていたが、どうもそのまま寝かせてくれていたようで、その朝の目覚めは8時、何…
Napoli ~ Roma間が特急Frecciarossa号で19.9€だったことは何回か前にお伝えしていたと思うが、正直言って初めて乗るイタリアの新幹線がこれほどにも快適で速いものだとは、その価格からは想像もしていないことだった。220kmを1時間10分なのだから平均時速2…
ポンペイPompeiについては、説明は不要かと思う。世界史の中では大きな出来事だったから教科書にも載っているのではないか?、なのでヴェスヴィオス火山の噴火がいつ起ったのかだけをあらためて記しておくに留めたい。というのもその日付はかなり重要だと思う…
当初の予定では、その日はairbnbで予約してあったナポリNapoli泊で、ナポリまでだったらアマルフィから乗り継ぎがうまくいけば4時間くらいで着けそうだったが、ちょうどその中間にポンペイ Pompeiという知らない人はいないくらい有名な世界遺産があったので…
アマルフィ海岸のことを知ったのもそれほど古い話ではなかった。この旅のきっかけもそうだったが、わたしはもともとはそれほどイタリアには関心がなかった。世の女性がイタリア、イタリアといってるのを不思議に思っていたくらいだったから、実はローマもナ…
もちろん、あるきっかけで今回のチャニジア~イタリア旅を思いつく以前に、チュニジアのドゥガもスースもエル・ジェムも、イタリアのセリヌンテ、アグリジェント、パエストゥムについても詳しく知っていたわけではなかった。が、古代ギリシャに関する本を読…
この日の予定は27番神峯寺の山登り、それからバスで26番下の不動岩まで行って、金剛頂寺も、そして最後の24番最御崎寺もちょっとした山の上にあったから、ま、途中バスを使うとはいえそんなに楽なコースでもなかった。6時からの朝食で、6:45には出発できた…
チュニジア・イタリア紀行を終わらせてから行くつもりだったお遍路・最終回は、その前に取得していた夜行バスのticketと帰りのjet starの予定変更が有料だったので、当初の予定通り11/16~11/19に決行し、ついにというか、ようやくというか、なんとか第一回…
さて、シラクサである。このシラクサという街は、おそらく前8世紀にはじまったギリシア人によるシチリア植民の中でも、ナクソスと並んで最も古い街、つまり最初につくられた都市ではないかという点と、その後変遷が、いわゆるシラクサ史がそのままシチリア史…
シチリアは本当に見どころの多いところで、魅力的なところをいくつかカットせざるを得なかった。もっとも悩んだのが、タオルミーナ、カターニャをどうするかであった。当初は、どちらかに一泊、いや、実際はタオルミーナになかなか良さそうな宿をairbnbでみ…
ホストのK君には、8時ころお暇すると伝えてはあった。起きてないかもしれないとのことだったので、そんなことは構わない、ただインスタントでいいからコーヒー一杯飲めたら、と余計なことをいってしまった。すると、あとで豆を挽いて入れておくので、温める…
セリヌンテSelinunteは最初はシラクサ、アグリジェントともにギリシャの植民都市(正確にはギリシャの植民都市メガラ・ヒュプレアによってつくられた副次都市とのこと)だったが、その後カルタゴの支配下になる。ちょうどセリヌンテとアグリジェントの中間あ…
塩野七海さんの‘ハンニバル戦記’の中にこんなことが書かれている箇所があった。‘マルサラからチュニスまでは、現代の船旅なら8時間で着ける距離である。2200年昔でも、順風に恵まれさえすれば、一昼夜の航海で充分だった’。おー、そうだったのか !、とさすが…
考えていたのは宿泊場所だった。スースまでは確実に行ける、なら、スース泊が一番よかったのだが、別案の可能性も探っていたのだ。それはエルジェムまでいけないか?というもので、もしその日のうちに行けたら、次の日もっと楽にならないか?、というのもそれ…
残りが二日になって、当初ここだけはいってみたいと思っていたところをいくつかカットしなければならなくなっていた。プランニングしていたときに、チュニジアで是非見たいと思っていたところとして、カルタゴ・ローマの遺蹟に限れば(チュニス以外では)あと…
近代チュニジアがフランスの保護領だったことも知らずに現地入りしたわたしは、英語が通ぜず、しかし住民の98%はアラブ系でアラビア語が現地語であっただけでなく、そのほとんどがフランス語を話すことにたじろいだ、というか、フランス語はメルシーくらいし…
遺跡巡りをメインテーマとした今回の旅は、そのほとんどが紀元前に栄えたカルタゴ、ギリシャ、ローマの遺跡巡りということだった。時代でいえば、紀元前5世紀ころフェニキア人とギリシャ人が地中海沿岸に植民都市を建設して覇を競っていたころから、そのフ…
前回のブログで予告した旅の、旅模様をつづっていきますという予告です。おかげさまで、今回もいろいろあったチュニジア~イタリアの旅をなんとか無事に終え、数日前に帰ってきました。相当に疲れた旅だったのですが、その疲れもようやく抜けつつあるといっ…
当初9月はほとんど予約が入っていなかったのだけれど、結果としては8月に次ぐ来客があって、さすがに7~9月は旅行シーズンであることを再確認させてもらった。それとわりと長めに滞在してくれた方が多かったことも、ホストとしてはうれしい限りである。だか…
キュニコス派のまとめなんていうタイトルにしてしまったが、果たしてまとめられるどうか?、で、その前に総括的な話を少々、何回か前にわたしはこのギリシャ哲学者列伝をたいへん面白く読んでいる(歴史や哲学を学んでいるのでなく)と書いたが、その辺の話から…
今回は‘ギリシャ哲学者列伝(中)’と山川偉也氏の‘哲学者ディオゲネス’を参考にしてわたしのディオゲネスを語れるところまで、、 7,<ディオゲネスは両替商ヒケシアスの子で、シノペの人。さて、ディオクレスの伝えるところによると、彼の父親は市の公金を扱う…
ディオゲネスに入る前に、この関連の記事を書いていて、タイミングよく遭遇した文章があったので、それらをまた少し引用したい。前回と前々回‘ソクラテスの弟子’というタイトルをつけたのだけれど、そのあとでたまたま読んでいた塩野七海さんのローマ関連本…
わたしは、いわゆるキュニコス派の始祖が、てっきりディオゲネスかと思っていたのだけれど、実はソクラテスの弟子のうち最も重要と思われている四人のうちの一人アンティステネスがその人であったことをやはりこのギリシャ哲学者列伝で知ることとなった。そ…
いや、8月がこんなにも旅行者が多く、いってみればこの仕事の書き入れ時であるということは、やはりやってみなければわからないことであった。なるほど8月が世界的に夏休みシーズンで(南半球は違うか)少なくともこの月の宿泊者、韓国、中国、香港、そして東…
前回の続きで、今回の記事もすべて‘ギリシャ哲学者列伝’からの引用、いってみれば無断転載(パクリ?)ということになるが、それでも人口に膾炙している話ではないので、多少は大目に見ていただきたいと思っている。さて、その本によるとソクラテスの弟子につい…
わたしは大仰ないいかたが好きである。というか、ついついそんないい方をしてしまうのである。大げさに(大げさな?)表現をする奴に大モノはいない。それがわかったうえで、今回は何をいおうとしているのか?、そろそろわたしも晩年に近いからその準備というか…
オリンピック酣<タケナワ?>である。なので、この表題の記事は今書くしかないかもしれない。ただ、このタイトルで一文を書こうと思ったのは(それで少し調べてみたのは)、オリンピックが行われているからではなかった。実際、ニュース等で見聞してはいるが(日…
本来は独歩亭HPに記すべきこの記事をここに先に書くのは、そのHPだと修正とか途中保存ができないので、それなら逆に、つまりここに先に書いてその記事をそちらにコピペするほうが書きやすいかもしれないと思ったからである。ま、ここでも読んでくれる人がい…