独歩の独り世界・旅世界

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『 hasta Nicaragua ニカラグアまで 』1,2024の旅概略

昨夜からの寒さは一体何だったんだろう?都内は雪だったようだ、千葉も朝方白いものが舞っていたし、3月にしては10℃に届かない真冬並みの寒さに、つくづく帰ってくるのが早すぎたと重ね着して震えていたのであった。そう、ちょうど一週間前の2月末日いつもの…

『独歩爺最後の旅』ネパール篇 3,カカニ Kakaniは最後のご褒美だったのか?(この旅録の最終回)

この旅の終わりが近づいてきました、ま、無事に帰ったのだからブログも書けたのだけれど、やはりいろいろあった旅だったなぁと改めて思う、で、いろいろあったけどやはり振り返ってみると楽しかったなぁ、という想いしかない。そうやってまた一年生かされた(…

『独歩爺最後の旅』ネパール篇 2,ポカラPokharaで緊急入院

このつまらないブログもあと2回で終わりになります。ようやくゴールは見えてきました、それも悲惨なゴールが ! まぁ、おおよそ想像はつくことと思いますが、自分ひとり楽しんできたバチがあたった?しかし実際は楽しんでばかりいたわけでないことは、ほとんど…

『独歩爺最後の旅』ネパール篇 1,オーランガバード~デリー~カトマンズへ

またまた言い訳から始まる世界一周最後の旅<ネパール篇>というのも我ながら呆れるというか恥ずかしさいっぱいである。その言い訳というのは例によって気力・体力・視力(&資力)の衰えに始まるボヤキである。正月元旦早々に飲み過ぎて自宅の階段で転倒し家族や…

『独歩爺最後の旅』インド篇 その 4,オーランガバード Aurangabad エローラ Ellora、アジャンタ Ajanta 石窟群

ブログで新年のご挨拶というのもおかしい気がするし、ほとんど読者のいないブログなので余計に違和感を感じるが、まずはともかく2024年最初のブログ、謹賀新年、本年もよろしく ! 良いお年をお迎えください ! ! というメッセージをまずはお伝えしてと思って…

『独歩爺最後の旅』インド篇 その 3, Mumbai 再び、Vile Parle; Locomo Hostel

前回の最後は、Puneに降り立つことができなかった・・だったが、これも負の連鎖の後遺症のようなもの、失敗の延長であったのだ。どういうことかというと、ま、想像はつくと思うが、要は寝過ごして、気が付いた時はすでにMumbaiらしい大都会をバスは疾駆してい…

『独歩爺最後の旅』インド篇 その 2, ゴア 2, Beach他、Old Goa再び

はっきり言って、Beachには無縁の男だった。どういうことか?もう黄昏れ迫る爺さんだから恥も外聞もなくわたしの(生涯の)コンプレックスを晒してしまうと、人によってはどうでもいいことと思われるかもしれないが、普通の人にできてわたしができなかったこと…

『独歩爺最後の旅』インド篇 その 2, ゴア Goa 1, Panajiまで

わたしが乗るはずだった飛行機より1時間45分早く14:45に無事Goaに着いたまではよかったのだが、そのあともなにがなんだかわからないごたごたは続くのだった。それはルワンダがそうだったように、事前に調べてもいなかったし(そもそも最初から予定していた目…

『独歩爺最後の旅』インド篇 その1,ムンバイ Mumbai (Bombay) 2/25~2/28

いよいよ!というか、やっと!というか、漸くインドまで来た。今年(2023年)もあと一ヶ月になってしまった。何とかこのtabirokuを年内には終わらせたいと思っているのだが、なかなかその目処が立たないできた。時間は確かにあったのだけれどこれは集中力、ある…

『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ルワンダ> その3,ルワンダ (におけるわたし) の悲劇

ルワンダの悲劇ではありません(もちろんGenocideは悲劇でした、それは30年前の話です、今は見事に復興したアフリカの希望の星になってます)、以下はルワンダにおいてわたしが遭遇した悲劇の話となります。 このつかみどころのない街Kigaliは当初より情報が不…

『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ルワンダ> その2, Kigali 街ブラとGenocide Memorial (虐殺記念館)他

Kigaliはちょっと変わった街だったように思う。当初3日間くらいの予定だったがアクシデントがあって(たぶん次回詳述することになると思うが)都合一週間近く滞在したか?しかし結局この街のいわゆる中心といわれるところがどこだったのか、詳しく歩いたわけで…

『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ルワンダ> その1, ウガンダの奇跡、ルワンダの衝撃

少々大げさに、奇跡が起こったと表現してしまったが、実際わたしの生涯で、あるいはわたしの旅でこんな経験をしたことがなかったのだから、あり得ないこと ! 奇跡的なこと ! に思えたのだったが、それで一件落着したわけではなかった。二台のバスはその先30…

『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ウガンダ> その4, 2/16~17 Kampalaでグダグタ、2/18 ルワンダ Rwanda へ

今年2023年1~2月はまだほとんどのところでコロナ禍は明けていなかったのだと思う。この後3月にインドに入るが、そこまでの約2ヶ月、グアテマラ~トルコ~アフリカと旅していて、少なくとも日本人の旅行者、いやアジア人ヨーロッパ人も含めた旅行者らしき人…

『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ウガンダ> その3,カンパラ Kampala

ウガンダの首都はカンパラである。首都にふさわしいというか、流石に大都会、その極みはその混雑具合、その密着ぶりとでもいおうか、わたしはJinjaから乗り合いのワゴン車で着いた時、そのタクシー(前に言っているがウガンダでは乗り合いワゴン車をタクシー…

『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ウガンダ> その2, Jinja ヴィクトリア湖Lake Victoria、スピーク記念碑公園Speke Memorial Park

ますます記憶が遠くなる・・、、いや、毎日特にすることもなくグダグダ過ごしているだけだから、その気になってパッパッと記録の整理をしてしまえばいいものだが、ま、そのへんがなんというか根っからのぐうたら人間だからか、なかなかその気になれないのが欠…

数々の御礼をまとめて“ありがとう ! ”

変なタイトルだと思うが、たまたまお礼を言いたくなる、あるいは言わなければと思わせる事象・対象が重なったので、しかも言いたい相手の存在が誰だかわからなかったりするので、一部を除いて対象不明の方にここにお礼を言わせていただきます。 1,たま&ほっ…

『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ウガンダ> その1,ウガンダ国境 ~ ジンジャ Jinja へ

Kisumuのマタツパークは、そのあとに知ることになるアフリカにおける乗合ワゴン車のターミナルらしさの一つの典型のようなところだった。前回カオス的と書いたが、以前グアテマラのブログでも触れたことがあるが、ま、いわゆる発展途上国の乗り物のターミナ…

『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ケニア> その3,キスムKisumからウガンダへ

当初行ってみたかったマリという国は、アフリカ諸地域の中でもダントツに見どころの多い国だったのだが、そこへの入国ができなくなって急遽変更した東アフリカは、ナイロビは面白かったし居心地も悪くなかったのだけれど、その他の見どころはにわかに手に入…

『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ケニア> その2,タンザニア国境の村ナマンガ Namanga

また日にちがあいてしまった。それでなくとも物覚えが極端に悪くなっているのに、どんどん記憶が遠ざかっていく。いや、忙しさ(とか暑かったこと、no aircon主義なので)を理由にできるが、それよりも気力(やる気・書く気)の衰えだと思う。いや、なにより歳の…

『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ケニア> その1,ナイロビの衝撃

今回の旅で最も期待度の高かったところはアフリカであった。というか唯一の未訪地、そう、わたしはあまり興味を感じなかったオセアニア(と南極)以外の大陸はほとんど訪れていたが、アフリカは地中海沿岸地帯の国々(エジプト、チュニジア、モロッコ、西サハラ…

『独歩爺最後の旅』トルコ編 5, 最悪のイスタンブール Istanbul 3日間 

当初の予定では、トルコ滞在は2023/02/03~2/13の10日間の予定であった、その内訳はイスタンブールが2/3~2/6か7で、そのあと今回行ったサフランボル、スイノブ方面が4~5日で2/11か12に戻って2/13にナイロビに飛ぶ予定で航空券を手配していた。それが去年の…

『独歩爺最後の旅』トルコ編 4,スイノプ Sinop

何十年かぶりでトルコを訪れて驚いたことの一つは国中に張り巡らされているらしい高速道路の充実ぶりだった。今やどこの国でも道路のインフラ整備は最重点・最優先課題らしく(経済の発展には必須)、いわゆる先進国だけでなく世界中で建設ラッシュのようであ…

『独歩爺最後の旅』トルコ編 3,サフランボル Safranbolu

前回トルコ編 1,を書いた時、思ってもみなかったことが起こった。久しくお目にかかったことがない☆<はてなスター?>というものが送られてきたのだ。この仕組みとか、その意味合いとかはよくわかっていなかったのだが、ともかくどなたかが読んでくれて送ってく…

『独歩爺最後の旅』トルコ編 2,イスタンブールへ

わたしが旅人生といえるかもしれない生き方をしてきて50年が過ぎ、その間7~80ヶ国くらいは訪れたんではないかと思っているが、その中で気に入ってる国をあげてみてと言われれば10ヶ国くらいはリストアップできるかもしれない。その一つにトルコは入っている…

『独歩爺最後の旅』トルコ編 1,世界一周券の解説

2023年1月にスタートした『独歩爺最後の旅』はグアテマラ編を何編か一か月前に書き終えて、そのまま頓挫してしまった。なかなか気力がついてこないのである。何度も同じことを宣わっている呆け気味の後期高齢者にとって、最早このブログもどうでもよくなって…

『独歩爺最後の旅』グアテマラ その 8 サン ミゲル アカタン San Miguel Acatan

さて、サン ミゲル アカタンである。いったいこの街は?それはどこに位置していたのか?なぜここが今回わたしの目的地となったのか?そのへんが今回のテーマとなる。まずこの地グアテマラの22県の中での位置関係で説明すると、メキシコと国境を接するグアテマラ…

『独歩爺最後の旅』グアテマラ その 7 サンタ エウラリア Santa Eulalia

何度も同じことを繰り返す老いぼれで恐縮だが、これまでに7,8回の来訪でグアテマラ国内はかなり広範囲に回ったつもりでいた。で今回は、行けてなかった2ヶ所は何としてでも行ってみるつもりだったがその一ヶ所はすでに記したEsquiprasであった。もう一ヶ所は…

『独歩爺最後の旅』グアテマラ その6 パナハチェル Panajachel

Guatemalaに来た時は、AntiguaとこのSan Pedroは必ず寄っていたところであったが、もう一ヶ所San Pedroの対岸の街(というか、普通はサンペドロを指すときにパナハチェルの対岸の街と称されることが多いのだが)Atitlan湖岸最大の街パナハチェルがあって最も多…

『独歩爺最後の旅』グアテマラ その5 サンペドロ San Pedro

田代さんのところもコロナ禍の影響を相当被ったはずだが、宿代は値上げされてなかった(どうでもいい話だが、わたしのguesthouseも値上げはしなかった)。が、シャトル代金は25%くらい上がっていたのではないか?1月18日の朝支払いを済ませてシャトルのピックア…

『独歩爺最後の旅』グアテマラ その4 アンティグア Antigua

常宿に戻れた安堵というか、ともかく懐かしき再会を果たし、一仕事終えたようなすがすがしさがあった。勝手知ったる我が家のようなものでほんとに落ち着ける場であった。ここでやらなければならないことはいくつかあったが、もっとも必要に迫られていたこと…