独歩の独り世界・旅世界

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お遍路 最終回 その2,27番→24番最御崎寺にて(初遍路)結願

  この日の予定は27番神峯寺の山登り、それからバスで26番下の不動岩まで行って、金剛頂寺も、そして最後の24番最御崎寺もちょっとした山の上にあったから、ま、途中バスを使うとはいえそんなに楽なコースでもなかった。6時からの朝食で、6:45には出発できたこと、多少とはいえ荷の半分ほどを宿においていけたのは、せめてもの幸いというところであった。低山でそれほどきつい登りではないにしても400mの標高差、4kmの道のりは1時間では無理そうだった。前回少し触れたが、お遍路道は今ではマイカー並びに団体さん用の大型バス、マイクロバス用の道でもあったから、しばらくは舗装された道を行く。それでも朝の早い時間だったから、少なくとも登りに関しては歩きお遍路さんともマイカー・団体さんとも会わずに寺までいけた。途中、40分くらいいったあたりから歩きお遍路用の登山道があって、多少距離は短縮され、その道を30分ほど登ると駐車場に着いたが、本堂はもう少し上のようだった。納経所のあるところまで来ると、寺を掃き清めているおばさん(大黒さん?)に丁寧に迎えられて、さらに高いところにあった本堂まで登る。たぶんその日の初参拝者かと思っていたら、その本堂を写生している絵描きさんがいて、たぶんその人がささげた灯明がすでに灯っていた。さらに少し離れたところにあった大師堂を参拝しているころにはぼちぼちとマイカー遍路さん、ツアー遍路さんが登ってくるのが上から見えた。大師堂の参拝で一応巡拝は終わらせてよかったのだけれど、その時神峯神社400mという看板が目に入ってしまった。少し迷ったが400mという距離感がよくわからないまま、そちらに歩きだしていた。また少し登って10~15分かかったか、そこも参拝して写真を撮って時計を見ると、もう8時半に近かった。いや、大失敗だった。実際は神峯神社を詣でてる余裕なんて全くなかったのだ、、大急ぎで戻って納経所でご朱印をいたたくともう8:40。バスは確か9:40頃だったから1時間で下れるのか、という問題だった。ま、あとは下るばかりの4kmだったから不可能ではないと思っていた。しかしのんびり下ってはいられない、それこそ前日の轍をまた踏むがごとくの急ぎ足で、休まず必死で降りて宿着9:30、荷物をとってバス停着が9:35だった。が、こういう時はバスは来ないのである。少なくともバス停で12~3分バスを待つことになった。そこから乗車したのはわたし一人だった。途中土佐くろしお鉄道の終着駅奈半利駅から外人のお遍路さんが二人乗ってきた。その二人がどこまで行くのか興味があったが、席が離れていたので話すことはなかった。そして不動岩のある新村不動というところでわたしが降りたとき、その二人はまだ乗っていたのだった。

宿を出たところ、右に津波避難所、左奥にこれから向かう神峯山Img_4976_640x480

土佐くろしお鉄道の高架線の下を行く(唐の浜の駅はすぐ左手)
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途中から歩き遍路用の山道あり;3枚Img_4978_640x480Img_4981_640x480Img_4984_640x480

山門まで(宿;海辺から)1時間15分Img_4986_640x480

さらに5分、ようやくのことで境内に、お掃除中の大黒さん?Img_4987_640x480Img_4989_640x480奥左手の建物が納経所、本堂へはその先の石段を登る

Img_4991_640x480本堂Img_4994_640x480少し離れたところに大師堂Img_4995_640x480さらに400m(少し登って)神峯神社

民宿の裏が地場産品直売所になっていたが、なんとその前の広場が大型バスで来た団体さんがワゴン車・タクシーへ乗り換える場所になっていた。大型バスは上まではいけないようだった。奥の高い峰が神峯山Img_4997_640x480

そのすぐそばにバス停、その前が土佐湾Img_4998_480x640Img_5003_640x480

 それが10時半ころだったが、このときも二十数キロ、歩5時間を楽させてもらうことになった。そしてこの不動岩という番外霊場が、ここも参詣者の姿なく、思いのほかよかったのである。波切不動尊を祀るという寺社は立派に作られていたが、人の気配はなく、その背後に土佐湾を望む景勝の岩場、その一角に御大師様修行の場だったという窟があった。もちろんそこでも灯明と線香はささげた。そこに15分、降車時に親切なバスの運転手さんが教えてくれた金剛頂寺へ登る道が、ちょうどその向かいにあって、ほとんど人の通らないような山道の登りについた。一登りすると丘の上というか、崖の上(?あるいは山の上、100mほどの登り)にでて、そこにも無人の廃れた神社があった。名もない神社を一応詣でて、もう金剛頂寺も近いのかと思わせてくれたが、それはとんだ見当違いで、まさかそこから30分も、まったくどっちへ行けばいいのかったくわからない道を歩むことになる。というのも、ま、山の中の道で時々民家もあり、決して登ってはいなかったが、人通りも車の通行も皆無、おまけに道しるべは何もなかったし、一本道でもなかったからだ。これが逆打ちの怖さなのである。つまりところどころの四辻や二股にでたとき、道の太さや感じもすべて同じとき、地図にはそんな細かいところまで出てなかったからお手上げなのであった。で、間違えて個人の家に入ってしまったり、人の来るのを待ったり、車がくるたびに聞いたりしながらようやくのことで26番金剛頂寺に着く2~3ヶ所、確かに不動岩方向を示す歩き遍路のマークは見たが、それは逆打ちには役に立たないものだった。金剛頂寺の100mくらい手前に来てようやく金剛頂寺を示す案内板がでてきたが、これからも不動岩から金剛頂寺に向かうお遍路さんは苦労することになると思う。参拝を終えて納経所で住職だったか、係の男性なのかわからなかったが、そのことをいってみたが笑っているばかりだった。

番外霊場不動岩;6枚Img_5004_640x480無人の社殿Img_5005_640x480Img_5007_640x480Img_5008_640x480

Img_5009_480x640Img_5010_640x480お大師様修行の窟といわれているところ

26番大日寺への道;3枚Img_5014_640x480海岸からの登りImg_5015_640x480一登りすると鳥居があった、廃れた神社のようだった、、Img_5017_640x480ここにも順打ちお遍路さんのための標識があったが、逆打ちにはわかりにくい。わたしは直進したが、民家に入ってしまった。

ようやく到着して、石段を登ったが、そこは大師堂だった、つまりここは表門ではなかった。26番大日寺;5枚Img_5018_640x480Img_5019_640x480正面が本堂Img_5021_640x480本堂の後大師堂を詣でるImg_5022_640x480Img_5023_480x640逆打ちなので、順序が逆になって山門から辞し、本来の参道を下る

 12時少し前に26番を辞す。そこからは山道の下りだったが、いわば表参道だから、迷うことなく、それでも海辺の国道まで1.2kmに25分もかかってしまった。しかしそこからは、単調ながらも平たんな国道わきの歩道を行く。わたしの前を同方向に向かう、どう見ても地元の人ではないが、しかし遍路装束でもないおっさんが歩いていた。歩きはしっかりしていたのでなかなか追いつかない、が、交差点を渡ったところで、そのおっさんは地元の人に道を聞いているのをやり過ごして、先にいったとき、遍路装束の順打ちの若いお遍路さんがやってきたので、挨拶してこの先の道を確認したところ、この先25番津照寺手前の橋が工事中で、自分は工事関係者が誰もいなかったから渡ってきてしまったが、一応通行止めになっていたことを教えてくれた。そこへ件のおっさんが顔を出して、同じ話を地元のおばさんから聞いたらしく、さて、どうしたもんかといってきた。どうやら私服のお遍路さんのようであった。その若いお遍路さんには礼をいって別れ、そこからはそのハンチングを被った、よく見るとわたしより年配の非常に上品な紳士だったのだが、そのおっさんと、ま、月並みな話をしながら津照寺までいく。その時聞いた話ではこの方は札幌の人で、なかなか四国にまで来られないのだが、同窓会かなんかで金沢に来たついでに四国に寄り道したということ、そんな感じで何回か私服で巡拝されているとのことだった。そして今回はわたしと同じ高知から打ってきたらしく、前に24番は打っているから今回はこの25番津照寺が打ち止めになるということだった。通行止めだった橋は、この時も人はいなかったから通行止めの柵を乗り越えて渡り、するともう津照寺は目の前で、それでも26番からは思ったより時間がかかって13時着だった。ここはなかなか変わっているというか面白い寺で、本堂は長い階段を登った小高い山の上にあった。この寺は地元では津寺といわれていたらしく、つまり港の寺?なんとこの山の上の本堂が灯台の役目を果たしていたとか?海上安全の守護仏として地元の人たちの厚い信仰を集めたお寺、というような話を件の紳士からご教授賜った。一緒に参拝し札幌の紳士とは、またどこかで会いましょうといって、そこで別れた。わたしはその寺の隣にあった遍路の駅というところで、おむすびを二つ購入して昼食休憩とし、13:40に室戸岬に向かって歩きだした。

室戸の海岸線;2枚Img_5024_640x480金剛頂寺のある行当岬Img_5025_640x480津照寺方面、奥の岬が室戸岬か?

25番津照寺;4枚Img_5026_640x480Img_5027_640x480Img_5028_480x640Img_5030_640x480本堂

本堂からの眺め;4枚
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 そこから室戸岬最御崎寺までは6.5kmだったから、うまくいけば15時くらいの到着を目標としたが、いずれにしろその日中に24番を打ち終えられるのはほぼ確実になっていた。そしてその道は国道55号線の海沿いの道だったから平坦な、しかしほとんどは一本内側に入った旧道?をいったから海を眺めながらの道ではなかった。が、その道沿いには昔ながらの風情ある建物が残っていたりして、長くは感じられたが今回は足の痛みもなく、最後だと思うと休まずにスカイライン下まで1時間歩き続けた。このスカイラインというのは、ま、新しい道であるのは明らかであったが、つづら折りで一気に標高165mの高台にある(これは金剛頂寺と同じ高さだったことを後から知る)最御崎寺ま自動車で(専用道ではなかったから、もちろん道路わきを歩けた)、さすがにそこにとりつく前に一息入れた。で、そこから最御崎寺までは1.5km165mの登りだったが、やはり30分かかってしまい15:15の最御崎寺着となった。その登りの途中、雲行きが怪しくなってきたこと、それでも辿ってきた津照寺方面の眺めが素晴らしかったこと、そしてそこを下ってきたお遍路さんがいて、なんとそれが朝のバスで乗り合わせた外国人女性二人組だったことなど、ま、印象的な最後となったのであった。最御崎寺の参拝を済ませ、ご朱印をいただくときに思わず、‘ここで結願<ケチガン>なんです’といってしまった。その答えは、‘この前もそんな人がいましたよ’、とそっけないものだったが、ま、室戸岬とはそういう意味では23番からの距離を思うとき、やはり特異な(あるいは特別な)位置・地理にあったことを改めて実感する。ありがたいことに、ちょうどそのころになってポツリポツリと来たので、お寺に隣接している室戸岬最御崎寺遍路センターに逃げ込んだ。

24番までの道;4枚Img_5035_640x480室津港(津照寺のそば)Img_5036_640x480大きいほう?の室津港Img_5037_640x480旧道をいく、風情のある家並みImg_5039_640x480スカイラインからの津照寺方面、向こうに見える岬が行当岬、そこから歩いてきている

24番最御崎寺;5枚Img_5044_640x480山門Img_5042_640x480多宝塔


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本堂Img_5046_640x480正面が本堂、左が大師堂Img_5041_640x480鐘楼



 前回少し触れたことだが、ここの宿の評判はよかった。通された部屋も、この価格でこんないい部屋に、と思わすだけのものがあったし、風呂も食事も評価Aを与えることに躊躇いはなかった(もちろんそれらを加味してのことだが、それでいて値段が前日よりも安かったのだ)。で、ここでも受け付けてくれた女性に余計なことをいってしまった。‘ケチガンしたんです’と、、今から思えばいってもしようがないこといってしまったと恥ずかしく思うのだが、ま、誰かに‘やったぜ’とか‘やっと終わりました’といわずにいられなかったのだ。まだまだ修行が足りない証しである。しかし、その夜の酒はうまかったこと - それは料理もよかったからだが - は確かであった。

隣接する室戸岬最御崎寺遍路センターImg_5048_640x480

しばらくすると雨は気にならないほどになったので、灯台までいってみた(10分)Img_5050_640x480

 次日の天気予報は幸運の内だと感謝していた。で、夜半には確かに大雨になっていた。が、朝出かけるときにはやんでいたのである。雨支度は不要になり、6時半からの朝食をいただいて7時には山を降り始めた。山門を出たところで振り返って写真を一枚撮っていたら、ちょうど下から登ってきたお遍路さんに‘撮りましょうか’と声をかけられた。こういう場合ほとんど断ってきたので反射的に、‘いや、いいです’と答えてしまったが、いや、もしかしたらこれが最後になるかもしれないと思って、すぐにお願いしてしまった。これも結願記念という想いもあってのことだった。20分で国道まで下り、バスの時間まで40分、御蔵洞と室戸青年大師像を詣でる。青年大師像の基壇の御堂では、若い僧による護摩行が執り行われていた。現役の元気な僧を目の当たりにするのは初めてのことだった。雨どころか朝日が立ち登ったところだったので、彼らの真言が通じたかのようだった。そんなのを見学してて、またまたバスの時間が迫っていること知り慌ててバス停に向かう。と、そこに先ほど写真を撮ってくれたお遍路さんがもう下ってきていてバス待ちしていた。で、少し話ができた、というのも彼はわたしと逆に行くバスを待っていたから、そのわずかな間のことだった。彼は宮城の人でやはり区切りうち(一国打ち?)で、しかも公共交通機関利用でお遍路していること、今回はここ24番から40番観自在寺までを予定していること、高知からここまで前日に来たようなことをいっていた。わたしより少し若かったか?それでもリタイア組と思われた。そして昨晩はバス停近くの民宿に泊まったことを話してくれた。それでわたしは最御崎寺遍路センターに泊ったというと、思いもかけない返事が返ってきたのだ。彼は最初遍路センターに宿泊する予定で一か月前に予約を入れたら、団体予約が入っていて、その日は無理だと断られ、仕方なく民宿を予約したとのことだった。わたしは正直に、昨晩団体さんの宿泊はなく全部で10人ほどの客しかいなかったこと、もしかしたらその団体さんはその後にキャンセルになったのではないかと告げた。ま、そうとしか考えられなかったからだが、そうなると予約もタイミング次第ということになる、現にわたしは4日くらい前の予約だったからだ。反対行きのバスが先に来たので彼とはそこで別れ、わたしはしばらくたってからやってきた甲浦行のバス(調時間が違った)に乗った。しかしこのバスもちょっと異常であった。ま、順打ちのお遍路さんが多いから、このバスにお遍路さんが乗ることは稀であったとしても、どうやらわたしが初乗客だったのである。で、そこから甲浦までは約40km50分の道のりだったが、なんとその間に野根というところから少年が一人乗ったきりで、だからその間の乗客は二人しかいなかったのだ(もしかしたら乗客0なんて日もあるかもしれないとさえ思った)。よくまぁ、こんな路線が廃れてないでいることに感心したのだけれど、もしそれが企業の負担?企業努力を強いられてのことだったとすると、大丈夫なのかなぁ、と心配になってくるのである。うーん、どうも四国お遍路はブームのようでもあるのだが、同時に過疎化も進む四国にあって、その内実はそうとういびつな形の、つまり宿も、交通機関も、また地元住民にとっても恩恵の被らない偏りのある発展(プーム)であったならば、お遍路の形も変ったものになっていくかもしれないと考えざるを得なかったのである、、<とりあえず了>

朝、山門をでて、振り返って写真を取り直す、、Img_5052_640x480

有名なるお大師様修行の場御蔵洞;2枚Img_5054_640x480Img_5055_640x480

雨予報がうそのよう、、;2枚Img_5056_640x480Img_5067_640x480

室戸青年大師像;4枚Img_5058_640x480Img_5059_640x480Img_5062_480x640Img_5064_640x480

護摩行の行われていたお堂(名称不明);2枚Img_5066_640x480
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あまり発展の期待できない最果ての駅、阿佐海岸鉄道甲浦駅とその周辺;4枚、しかし、この上なく美しいところだった、、
Img_5069_640x480Img_5074_640x480Img_5070_640x480駅そばの神社Img_5071_640x480駅手前の高架線

この写真は、甲浦駅から二駅JR?海部駅、右が乗ってきた阿佐海岸鉄道ワンマンカー、左が乗り換えたJR徳島行きワンマンカーImg_5076_640x480