独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』インド篇 その 4,オーランガバード Aurangabad エローラ Ellora、アジャンタ Ajanta 石窟群

ブログで新年のご挨拶というのもおかしい気がするし、ほとんど読者のいないブログなので余計に違和感を感じるが、まずはともかく2024年最初のブログ、謹賀新年、本年もよろしく ! 良いお年をお迎えください ! ! というメッセージをまずはお伝えしてと思って書き始めてみたものの、今年においては、そんなご挨拶そのものが、虚しく響くというか、悲しさをもって迎えられれしまう新年も珍しい気がしてくるのはわたしばかりではないと思う。

元旦の地震に見舞われた被災地の方々は何と申し上げてよいかわからない、謹んでお見舞い申しあげます、ということしかいえない己の無力感を禁じえません。

 

すでに新年も5日が経ってしまって、それでなくとも今年一年の先行きどころか、こんなどうでもよいブログの先行きも見えなくなってきて、何とかカッコだけでもつけたいと思っているのだけれど、いろいろあって誠に心もとなく、まずはこれまで何度かはてな☆をお送りいただいた方々(特にKatupitiさん)にはお詫びしなければならない状態になってます。なのでせめてオーランガバドのエローラ、アジャンタ遺跡巡りだけでも残せたらと思っている次第、かなり概略になりますが、申し訳ありません、よろしくです。

 

Aurangabad着は2023/3/9  Mumbaiからは45分のフライトで午前8時半には、地方都市といっても世界的な遺跡の街として有名なオーランガバドに着いていたと思う。そこではまず空港ビル前の駐車場付近でのTukTukとの交渉から始まる。ここでの宿は何か月も前にairbnbで予約してあって、ここの宿はかなり期待が持てていた。というのは実はGoaの先発隊だった友人が、その後Aurangabadにいくとのことでこの宿を紹介して、わたしより先に数日滞在して高評価の連絡をもらっていたのだ。しかしこの時、その住所がはっきりせずに、よってTukTukとの交渉もなかなか決まらずにいたところに、その交渉をまわりで見ていたタクシードライバーが、その場所なら知っているから俺が連れて行くといってくれて200Rpで話がついたのだ。半信半疑だったがまともなドライバーで正確にその場に届けてくれたのだった。そこではわたしの到着を待つスーパーホストのRachnaのお嬢さんMinnieが待っててくれて、母Rachnaは仕事で帰宅が午後になる、彼女がこの街についていろいろ案内してくれるとのことで、家の中のこと、わたしの部屋のことについていろいろ説明してくれたのだった。後にRachna、そしてご主人のShekherさん(この方はこの地方の観光行政のお偉いさんだった、日本にも仕事で行ったことがあるといっていた)にも会うのだが、皆親切にしてくれ、ここオーランガバドの滞在は素晴らしいものになったのであった。その日の午後Rachnaが帰ってきて、近くのお勧めレストランやバスターミナル(ここではbus standといっていた)への道を彼女の運転するバイクで案内してくれたのだった。もちろんその後にいくエローラ、アジャンタへのいき方、パンフレット類も揃っていて旅のサポートは完璧だったし、さらに素晴らしかったのは、ここは一泊2000円くらいだったと思うが、朝食付きだったのである。わたしはインドのairbnbのピンとキリ(Goa Panaji)を経験することになったのだった。その日は早速街ブラし、バス スタンドまでいってみた。バス スタンドはRachnaにはバイクで連れてってもらって結構遠く感じられたが、裏道を行くことによってショートカットできることを知り、大通りを通っていくと3~40分はかかるところ、車の通れない裏道を行くことによって10分くらいでバス スタンドまで行けることがわかった。そしてストリートフードも何軒かみつけ、近くの雑貨屋兼食料品店のような商店もすぐに馴染みになる。だいたいの環境は初日でわかったのであったが、いかんともしがたかったのはその暑さと、ここでもビールを売っている店が初日には見つけられなかったことであった。

 

二日目には早速エローラにいってみた。8時頃朝食をいただいて8時半頃Rachna邸を出、バススタンドでエローラ行のバスを聞いて乗り込む、何とか座れてバスは9時ころ出発、10時にはエローラに着いていた。途中のデカン高原の景色は素晴らしく、またダウラターバドDaulatabadという砦も見事で、帰りに寄れたら寄ろうと思った。バス代はエローラまで45Rp、エローラ入場料、600Rpだった。

エローラへの途上 バスの車窓より

Daulatabadの要塞 ↑ ↓

 

エローラ石窟入り口付近 ↑ ↓ 2枚

 

正面向かって右側 仏教石窟群 ↑ ↓

たぶん第2窟 ↑ ↓ 2枚

第4窟 ?

第5窟 ?

第1窟から中央を振り返る

第10窟 ↑ ↓ 3枚

第12窟 ↑ ↓ ここまでが仏教石窟群 

ヒンズー教石窟群 (13~15窟のどこか) 

エローラ最大の寺院 第16窟 カイラーサナータヒンズー教寺院 ↑ ↓ 数枚

本殿内のシヴァ神 ↑ ↓ 

女神パールヴァティー ?

ヒンズー教石窟だが何窟だったか記録なし ↑↓

以下数枚はヒンズー教石窟群最後の第29石窟だったはず ↑↓

ヒンズー教石窟群全景 この先左手1kmのところにジャイナ教石窟群があったがパスする

ジャイナ教石窟群はパスしたが、2時間半くらい歩きまわって疲れ切ってエローラ石窟群を振り返る、ここから出口に向かう(正面が第16窟)

エローラ、アジャンタ石窟群は聞きしに勝るというか、見たものでないとわからない迫力があって圧倒される。まさに世界遺産にふさわしい、インドでも第一級の世界遺産であり、最大の観光名所といって差し支えあるまい、遺跡ファンとしては今まで訪れてなかったのが恥ずかしいくらい価値のあるものと思えた。ともかく感動させられる遺跡であることは間違いなしで、故に炎天下にもかかわらず多くの観光客が訪れていたのだ。凄いものを造った人たちがいたものだと感心させられ、インドの(歴史の偉大さの)凄さを見せつけられた思いだった。こういうものは個々も素晴らしいのだが、全体的にそのスケール感と共にとらえていただけたらと思う。

<とりあえずわたしは写真を載せるだけで解説はできないことをお断りしておきます(アジャンタも)。エローラ(5世紀~11世紀?)は仏教石窟が多かったが、ヒンドゥ教、ジャイナ教の石窟もあった。これは併存していたのか、あるいは時代と共に修行者が変わっていったのか?アジャンタ遺跡(紀元前2,3世紀~6世紀ころ?)も、専門的なことはわたしはわかってなかったが、それでもその芸術性、技術力の素晴らしさには驚嘆させられっぱなしだった>

ただエローラもアジャンタもそうだったけど、結構広くで炎天下の見学は結構きつくて、驚きの連続であったが、体力勝負でもあった。エローラでは有料のカートも利用でき一回使ったが、10時~12時半まで29窟巡って、もっとも遠くにあったジャイナ教の石窟群5ヶ所は飛ばすことにした。暑さと疲れで降参だった。

遺跡を後にし帰りのバスの乗り場がよくわからず、そしてバスはなかなか来なかった。やっと来たバスは途中でトラブルが生じてエンストしてしまい、さらに次のバスを待つことになったが、そのへんはどうしようもないというか、インドらしいということか?次のバスで行きに見たダウラターバードDaulatabadの砦でバスを降り、その砦の要塞に登ろうとしたが二つの理由でやめにした。一は入場料が高かったこと、二は暑すぎてその要塞に登っていく気力をなくしたこと、そしてのその街で少しぶらぶらして次のオーランガバト行のバスを待った。オーランガバドbus standには15時ころ帰着、そのバス スタンドの隣がシッダルータ公園(Siddarth Garden and Zoo)になっていて、休むにはもってこいだったので20Rpかかったが払って入園(これはわたし的にはかなり珍しい)、木陰で休憩しながら昼食(パンとバナナとコーラ)。戻ってシャワー、Rachnaがお茶をご馳走してくれ少し話。夜はRachnaお勧めのレストランにいってみたが、わたしには高級店(200Rp越え)だった。

途中下車してDaulatabad Fortにいこうとしたが、入場料が高かったのと
暑つさと疲れで気力・体力的に断念する

市民の憩いの場シッダールタ公園 ↑↓

 

次の日はアジャンタ Ajantaへ、7時ごろ出かけたいと前の日に話したら、何と朝食をお弁当として用意してくれていたのだ。いかにホスピタリティに富んだホストだったかよくわかるのである(わたしにはそこまではできない)。7時にでて7:10にbus standに、 バスは7:15にでた。何とか座れたのは2時間半の道のりを思うと幸運だった(165Rp)。二つの大きな街を通り過ぎデカンの高原をいったバスは、前方遥かに下界を見渡せた辺りから下り続けて渓谷沿いのアジャンタのバス スタンドに着いた。お土産屋や飲食店の建ち並ぶちょっとした街(センター)のようになっているところで入場料として15Rp取られ、そこからはバスを乗り換えて入場券売り場の建物の立つアジャンタの入り口まで25Rp、入場料は同じく600Rp、入場するといきなり石窟回廊の造られているワグハー川段丘までの急登な石段が出現(そこを担いで登る駕籠かきがいた)、これがまずきつそうだったので階段下で会場の作業員らに混じって朝食をとる。そして体力整えて10時半出発、最初の第一窟辺りから段丘越しに全体が見渡せて眺め最高、そして石窟が延々前方に続いていたのである。ここも暑かったが、気持ちの良いところでもあった。ここは第1から28窟までが公開されているようで、手前から順番に見ていって、最後までいったら同じ道を戻ってくるような感じであった(帰り道は下段の川沿いの道もあり)。たぶんエローラにもいたかもしれないが、ここでわたしは多くの日本人、アジア人を目にすることになった(それまでこの旅ではわたしはほとんど日本人と遭遇していなかったのだ。そのころはだいぶコロナ解禁になってきたのと学校が春休みになっていたからか?)。約3時間の滞在(見学)で疲れてしまったので、きた道を戻り、オーランガバードへのバスはいったん国道へ出て通りのバス停で待つ、オーランガバード着は16:15、Rachna邸には16時半に帰り着く。その日は3月11日の土曜日で、Mumbaiの政府機関にお勤めのご主人が戻る日で、夜にお会いして挨拶することができた。

 

アジャンタへの道(オーランガバドから約100km)の車窓から ↑↓ 数枚

 

公共交通機関のバスの場合まずこのバスパーク辺りで降ろされる

前のバスパーク辺りからアジャンタ遺跡入り口まで専用のバスが
専用道路を走って運んでくれる;25Rp

突きあたりが入場券売り場;600Rp

アジャンタ遺跡入り口オフィス脇で朝食を食す

最初の石段が難所 駕籠かきも待機していた ↑ ↓

石段を登りきるとアジャンタ石窟群の全貌が見えてくる ↑↓

第1窟 アジャンタを有名にした素晴らしい壁画が数多く残されている最重要窟 ↑↓

壁画の数々 ↑ ↓ 数枚

天井画のある第2窟 ↑↓ 数枚

何窟だったか不明 ↑ ↓

ワグハー渓谷の感じがつかめるところ、どんなところに石窟が築かれたかがわかる

何窟だったか不明 ↑ ↓

<上のチャイティヤが9窟で下が10窟か?>

<17窟だったか?>

 

<以下は19窟、最も完璧な形のチャイティヤ窟(ストゥーパを祀るために造られた部屋?塔院?建築様式?写真にあるような部屋)>

 

<以下は涅槃像を含む26窟及びその周辺、この辺りで行き止まりとなる>

以上未確定、未確認の石窟多々あれど、先にいったように個々の石窟がどうのこうのより、全体としてこの古代遺跡の凄さ、素晴らしさがわかっていただけたらと思う。写真の写りも説明も不完全な点はご容赦ください。

 

同じ道を戻ってゲートへ、約3時間の見学で疲れてしまった。この写真は石段手前の
回廊から撮っているので入り口の建物とバス乗り場が見えている。

予備日も入れてRachna邸は5泊の予定でいたから、12日、13日は特に予定なく、12日日曜はShekher氏の日曜日の日課になっている朝の運動に付き合う、というか、出かけた先はSonari Mahalというところで、運動公園があったり考古学博物館のあるところだった。そこの一帯が自然環境の良い運動公園のようになっていて、日曜の朝多くの市民が集まってそれぞれがジョギングしたりクリケットをしたりしてスポーツに汗を流すところのようであった。わたしはそこで所在なくブラブラしていたのであるが、実はその先にAulangabad 石窟群があったことを知らず、午後Aurangabad石窟群にいってみたいと頼んだら、それがその朝いったところだったことを知って申し訳ないことをしてしまったことに気づく、午後いったときはそこで降ろしてもらって(そこからは自分で帰るといってあった)その石窟を見学してから、そこから30分くらいのところにあったBibi-ka-Maqbara ビビ・カ・マクバラという偽タジ・マハールのような霊廟があるというので歩いていってみた。そこはインド人の憩いの場のようにところだったようで、おりしも日曜だったのですごい人、もともとお金を払ってでも見てみようとは思ってなかったので、外から写真だけ撮って戻ることにした。が、すでにそこから歩いて帰るには遠くに来過ぎていたので、少しその場から遠ざかってからTukTukを探す、Bibi-ka-Maqbaraの人込みでTuktukを探したときは最高250Rpとまで言われた料金は100→50まで下がったのであった。バス スタンドで降り、バス タンド周辺の屋台でストリートフードを仕入れ、ビールを買えるところを聞いて、この日はビール付きの食事を味わうことができたのだった。夜はデリーで学生生活を送っているMinnieも戻っていてチャイとお菓子を御馳走になった。

 

Sonari Mahal 入口

Sonari Mahal (考古学博物館?)

街ブラしてて見つけたヒンズーテンプル

夕方送ってもらったAurangabad cavesは朝ご主人に連れてきてもらったところだった。
よく見ると石窟が見えていた。

Aurangabad石窟群 5枚 ↑

実際はそこの石窟よりもそこからの眺めに期待していた。Aurangabadの街が一望にできたが、それより偽タジマハールのBibi-ka-Maqbaraが見えるかもしれないという期待もあった。望遠で3枚撮る

Aurangabad石窟群から実際のBibi-ka-Maqbaraまで歩いていく

最終日は、もうだいぶ行動半径も広がっていたので、あちこち歩き回って何か土産になりそうなものを探していた。わたしはサンダルを探していたのだが、大通り(ミル・コーナー・ロード)を行ったり来たりして、何軒かストリートショップの覗いてみたりしたが、これといったものを見つけられなかった。午後Rachnaが戻つたときに聞いてみると、まだ行ったことのなかったエリア(ティラックロード、Paitan Gate 付近)に何軒か靴屋があることを教えてくれ、再び出かけてみた。そこは街の中心、ショッピングゾーンとでも呼べそうな通りで、庶民的な店が多く並んでいた。その一軒で、ま、デザイン・価格とも納得のゆくものを見つけ、まず土産を買うことはないのだが、実用的な自分の買い物という形で珍しく大枚をはたく(かなり大げさな言い方をしてしまったが、日本円で1000円くらい、旅をしていると1000円以上は大金となる)。帰りに夕食のネタとビールを仕入れて帰るのだった。そんなんでAurangabadは少々暑いところ、物価も少々高いところという印象が残ったが、素晴らしいairbの宿とホストに恵まれ、エローラ・アジャンタというとてつもない遺跡を見学することができた感動を胸にしまい、わたしにとってインド最後の地Aurangabadも無事終了の運びとなったのだった。

3/13の朝食、ここの朝食はいつも美味しかった。

街の真ん中で(Rachna邸からすぐ近くの大通り)牛を飼っている人がいて、
インドらしくてつい写真に撮ってしまった ↑↓

Paithan gate付近の靴屋でサンダルを見つける

Paithan gate付近 2枚 ↑↓