独歩の独り世界・旅世界

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チュニジア・イタリア紀行 6,セリヌンテ Selinunte

  セリヌンテSelinunteは最初はシラクサ、アグリジェントともにギリシャの植民都市(正確にはギリシャの植民都市メガラ・ヒュプレアによってつくられた副次都市とのこと)だったが、その後カルタゴ支配下になる。ちょうどセリヌンテとアグリジェントの中間あたりを境として、シチリアの西半分がカルタゴの傘下になったのは紀元前4世紀?(正しくは前5世紀末)まだローマとカルタゴとの火ぶたが切られる前であった。だから未だに地中海海岸沿いに、はかなくもかつての威容を誇る神殿群を残すセリヌンテはギリシャ植民都市の遺跡であった。

  その朝わたしは、5時に起きて5時半に出かけた。もちろん早出することは言ってあった。街灯はついているが人っ子一人通らぬヴィットリオ・エマヌエーレ通りをいった。いや、いくら多少近いからといって路地裏の細い道は避けた。もちろんヴィットリオ・エマヌエーレ通りだって無人地帯に変わらなかったが、街灯の照明が明るいだけでも気分は違った。駅まで速足だったからか20分で着いたが、その間一人にも出会わなかった。少し早すぎてバス停にも人はおらず、しばらく待たなければならなかった。駅構内にあったマクドナルドが開いていたと思うが、なぜかその時寄らず、だからコーヒーも朝食もとらず6:20頃にやってきたバスに乗った。バスはまだ明けやらぬパレルモの街をいって、すぐに高速道に乗る。その時の乗客は10人くらいだったか?郊外に出るころには白み始めて、パレルモ近郊の山野と海が車窓を楽しいものにしてくれた。途中トラバニへの分岐を過ぎ、パレルモから1時間くらい走ったあたりで高速を降りる。そこからは15分くらいでカステルヴェトラーノに着いた。ちょっとした街だったが、たぶん目抜き通りと思われる通りの交差点のところで停まって、セリヌンィテにいくにはここで乗り換えとドライバーが教えてくれ、そこで下車した。そのときわたしの他にもう一組、同年齢くらいの夫婦がいて、その二人もセリフヌンテにいくらしく、乗り換えるバスのバス停を確認していたが、ドライバーのいうイタリア語を彼らもわたしもよく理解できなかった。で、バスを降りてわたしは、そのご夫妻にセリヌンテですかと聞くと、そうだとのことで一緒にそのバス停を探した。が、それらしきバス停がなかったのである(道路の左側にバス停はあったが、右側-イタリアは右側からの乗車-になく、結局はバス停なるものは右側にはなかった思う、ということはその反対側あたりにバスは止まるということだったのか?)。そこから50m範囲を一緒に探し回るもみつけられず、今度は別れてさらに遠くまで行ってみた、、その時もしかしたら、そのバスは駅から出ている可能性に気付き、なら駅まで行けばいいのかもしれないと思って駅を探すことにした。同年輩のご夫婦はどこにいってしまったかわからなかった。で、まず駅というイタリア語を調べて - stazione といったか? - その単語を使って人に聞いて、やっとその方向がわかり、そちらに向かって歩きだした。が、それまでのもたつきが致命傷となったようだった、駅に向かう途中でSelinunteと表示されたバスとすれ違ったのだ。あ、あのバスだと思って、すぐに追いかけてみたが追いつかなかった。いやはや、とんだことになってしまったと思った。大失敗をやらかしてしまったのはすぐにわかった、バスの便は非常に少ないと聞いていたからだ。次のバスは1時間後?あるいは2時間後か?そのバスが来た方向に歩いていくと駅はすぐだった。知ってれば、パレルモからのバスを降りたところから5分もかからないところにあった。もしイタリア語がわかればすぐに見つけられたと思うが、それでもちょっとわかりずらいところにあったのである。

  人っ子一人いない駅前には商店も何もなく、駅舎にも誰も人はいなかった。バス停があってそこに表示されていた時刻表を見る。どうやらすれ違ったのは7:50発のバスのようだった。次は10:30、ついでなのでその後を記しておくと、13:35、14:25となっていた。2時間半後 ! !、いや、これも今回の旅の中では最大級の失敗であった。どうする?、何もないこんなところでただ2時間半待つのか!?(さすがにガイドブックにはこの街の情報は載ってなかった、つまり他に見どころは何もなかったということだ)、わたしにはそれはできなかった。かといってタクシーなんかもってのほか、では?、そう歩くしかなさそうだった。しかしガイドブックにその街が載ってなかっただけでなく、セリヌンテの情報もわずかで、その辺の地理が全く分からなかった。まず、歩くといっても、どのくらいの距離があるのか?そもそもセリヌンテの方向がどっちなのかさえわかってなかった。しかし、歩くと決める。旅というのはここから始まるのだ、と言い聞かせて、、で、向かったのは、まずセリヌンテ行きのバスが走っていった方向であった。たぶんメインストリートと思われるその道を行くと道は二股に別れた。これはどっちだ?、と、その二股に別れたところに役所のような建物があった。こういう時は物おじせず、誰か英語を話せるものはいないかと、その建物に入ってそこにいた人に聞いてみる。何を聞いたかというと、セリヌンテにいきたいがバスを逃してしまった。歩いていけるかどうかわからないが道を教えてくれ、といったのだ。わたしのいっていることが通じたのか、たまたまそこに市街地図が貼ってあったので、それを見ながら説明してくれた。それで街の様子、セリヌンテの方向がわかったが、道は相当入り組んでいて、果たして言われたとおりに行けるかどうか自信はまったく持てなかった。しばらく行くと街の中心、といっても小さな公園があって教会があって、砦の跡が残るようなところへ出た。そこにも案内板があって、今一度セリヌンテの方向を確かめることができた。どうやらそこまでは、正しく来ているようだった。いびつな形のその公園からは道が不規則な方向に延びていたが、よくみるとドライバーのための標識があって、そこにセリヌンテ、アグリジェントと書かれているのを見つける。その道を行けば間違いなさそうだった。一方通行のその細い道をしばらく行くと、少し大きな通りに出て、そこにもセリヌンテ、アグリジェントと書かれた標識があった。これでもう間違いはなさそうだった。あとはたぶん交差点の都度標識はでてくるだろうと、なおも歩き続ける。30分くらいで市街を抜けた。が、ヒッチをやるにはまだ早そうだった。それはもう少し行くと、アグリジェント、マルサラを結ぶ高速、あるいは幹道が走っていそうだったからだ。つまりその時点では、まだそれを利用する車の方が多いであろうから、止まってくれる率は低くなるであろうと思ってのことで、そこを越えてからヒッチをやろうと思っていたのだ。しかし、その理想的なヒッチ地点までは結局1時間も歩くことになった。後から分かったことだけれど、そこはカステルヴェトラーノ~セリヌンテの中間あたりで、結局半分を歩いてしまったようだった。で、ここならと始めたヒッチに対して、反応はまったく冷たいものだった。車の通行量は結構あったのにもかかわらず、まったく無視され続けた。ま、そんなものと知っていた(だいぶ昔のブログに書いたが、つまり経験はあった)から気長に待つ。だから30分でやっと一台が止まってまってくれたのは、幸運なほうだったかもしれない。まだ若い(30歳前後くらいの)イタリアのオネェちゃんだった。少し英語を話した。で、どこに住んでるのか聞いたが、もう覚えていない。が、ともかく通じないながらもずっとおしゃべりしているうちにセリヌンテに着いてしまった。止まってくれたところから10分の距離だった。お礼の品を持ってなかったので、独歩亭の名刺をわたし、日本で宿をやってるから是非遊びに来るようにいって、何回もgrazie mille ! を繰り返して別れた。9:40分着は、乗り遅れたバスの到着より1時間10分遅れ、次のバスより1時間半早い到着だった。

この写真を見て、カステルヴェトラーノの駅には何人か人がいたのを思い出した。あとは駅前の時刻表と駅の写真Img_3952_640x480Img_3953_480x640Img_3995_640x480

途中の公園前にあった、この街のカテドラル?
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 が、結果的にいえば、次のバスで来たとしても、帰りの時間は変わらなかったのである。おそらくここに、その日バスでアクセスしようとしたのは、わたしと先の欧米人のご夫婦二人、計3人だけだったのではないかと思われたが(いや、もう一人いた、後述)それでもけっこうな入場者がいたのは、ほとんどは観光バス、ないしツアーバスで来ている欧米の観光客だった。それでもその後にイタリア各所で遭遇した観光客の数からすれば、やはりその数は一番少なかったのではないかと思われた。ま、アクセスが悪いということは、それだけ入場者が少ないこと、そしてその分静かさがあって、印象をよくするという効果があったようである。ticket officeでも並ばずにticketが買え6ユーロ払って入場した。ここはとても広いエリアに遺跡が分布していて、アップダウンのある遺跡間を有料のカートが何台か行き来していた。一応額を聞いてやめにしたが、たしか12ユーロといったか?で、心配になって地図はないかと聞いたら、入場料を払ったのだからタダでくれてもよさそうな簡単なものが0.2ユーロだったので買ってしまった。しかし、この時もガイドブックを持っていて、遺跡内の簡略地図が載っていたのでそれで十分だった。が、最初は本の地図を見ただけでは距離感がつかめてなかったが、実際に歩きだすと、結構歩きでのある遺跡であることはすぐにわかった。大きく分けて2ヶ所の遺跡群があって、入り口からすぐのところにあった東神殿群と、そこから1~2km離れた海辺近くのアクロポリスとに分かれていた。その広いエリアを約2時間半かけて、その多くは暑さと疲れで休んでいた方が長かったくらいだが観て回った。それでもそれで全部ではなく、まだ奥があったのだが、疲れてしまったのと少し飽きてきたので、もう十分として帰ることにしたのだった。しかし、海を背景としたこの遺跡は何とも言えぬ風情を感じさせるものがあった。ま、絵になるというか、何回か前に予告に掲載した写真がここの遺跡だったのだ。ほとんど解説はできないから、ここでもいやというほど写真を載せさせてもらって、それで感じをつかんでいただくしかないのだが、わたしにとってはチュニジアのDouggaと並んで、来た甲斐あったと思わせてくれた遺跡であった。どちらもアプローチに苦労したという共通項があったが、先にも言ったようなに、大変だった分よく映ってしまうのとアプローチが悪いところほど来場者が少なくて、それが好印象につながっているという意味で、この2ヶ所が今回の旅の双璧となったのであった。

東神殿群:7枚

Img_3956_640x480入り口を入ったあたりからE神殿

E神殿;4枚Img_3993_640x480Img_3957_640x480Img_3959_640x480Img_3960_640x480

G神殿;2枚、上のE神殿の隣にF神殿があって、その隣に並んで、つまり三つの神殿が整然と建てられていて、そのうちの最大規模の神殿113m×54mがこのG神殿だったようだ。が、今は瓦礫の山と化していた、、Img_3961_640x480Img_3963_640x480

東神殿群から南東、海の方角を眺めるとアクロポリスがある
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アクロポリス手前の案内板Img_3966_640x480

逆にアクロポリスから東神殿群を眺めるImg_3967_640x480

アクロポリス;5枚 復元された列柱はC神殿Img_3968_640x480Img_3971_640x480Img_3977_640x480Img_3975_640x480Img_3972_640x480

カルタゴ人の住居跡;2枚Img_3982_640x480_2Img_3983_640x480


北門(もしかしたら正門?)付近;3枚Img_3985_640x480
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アクロポリスは城壁で囲われていた、そのつくりの堅牢さは未来永劫崩れそうにないImg_3991_480x640_2Img_3984_640x480外壁の一部

遺跡に咲く花、この花は数多く見られたImg_3992_640x480_2Img_3970_640x480_2アクロポリスから見て西側の浜辺、ここにカルタゴ艦隊は接岸していたのだろうか?


 この遺跡を後にしたのがちょうど12時ころで、来るときバスを逃していたので、バス停がわからなかった。そんな情報を聞きたくて、入り口前ににぎやかに土産物屋が並んでいたので、その一軒で絵葉書を買いがてらバス停の場所を聞く。やはりバスは入り口前までは来ておらず、少しいった先のレストラン前と教えてくれた。うろうろしながらそこに着いたのは12:10頃だった。次のバスは13:55とあった。なんと1時間45分先であった。その前は11:15だったから、7:50のバスに乗れていれば、それに乗れたとは思うが、その後が2時間40分後、まさに朝の往路の時間差と同じということだった。最初そのバス停のベンチで待とうとしたが、あまりに脳のない話と思い、前のレストランでビールでも飲んで待つことにした。朝から何も食べていなかったが、遺跡内で休んでいるときに、物売りが来て一斉に集まってきた人たちが買うものを見ていたら、パンにgelatoを挟んだものをみんなが買っていくので、わたしもそれを一つ頼んだ。暑いところだったのでそのアイスクリームパンはなかなかうまかった(3ユーロで少し高かったが)。それでそれほど空腹でなかったので、そこではビールだけにした。そのビールも疲れていたし、喉が乾いていたからすぐに飲み干してしまった。しかし、まだ1時間半もあると思いながら、ふと見ると一つ先のテーブルに、朝のご夫妻がいるではないか、あー、彼らもバス待ちしているのか?ということは彼らも朝のバスには乗れなかったのか?と思って聞いてみると、彼らはバスで来たといったのだ。本当かどうか?いや、それなら前のバスには乗れたはず?ま、その辺は定かでなく、逆にあなたはどうしたのかと聞かれたので、わたしはヒッチできたことを告げた。で、その話は終わりにして、どこから来たのかという話になって、彼らはカナダ人のリタイア組で、毎年一ヶ月、パレルモにアパートを借りて住んでるような話をしていた。で、パレルモまでご一緒することになったが、わたしの英語力ではそれほど話ははずまなかった。それでも一つだけ貴重な情報をもらった。ここの遺跡はなかなかいいね、いった遺跡談義をしていたら、パレルモに一ヶ月滞在しているだけあって、サジェスタSagestaもいいよ、といわれてしまったのだ。そこはわたしも狙っていたところで、時間的にここかどちらかしかいけなくて、今回は諦めたところだった。そうか、やはり‥、シチリアはもう一度来るしかないか、と想いを新たにすることになった。1時間半の待ち時間がそれほど長く感じられなかったのも彼らのおかげだった。

バス停前のレストランImg_3994_640x480Img_3981_640x480遺跡内で食べたアイスクリームパン

 やっとのことで来たバスに乗車したとき、もう一人旅行者がいた。ちょっとダサい格好のドイツ人女性、というのもそのバスを降りるときにドライバーにダンケといったのが聞こえたからだ。その彼女は乗車の時にそのドライバーにアグリジェントにいくバスのバス停で降してくれといっていたようで、ちょうどわたしがヒッチをやっていた少し先、つまりそれは確かにアグリジェントとマルサラ間を結ぶ幹道より市街地寄りのところだったと思うが、そこで彼女は降りていったのだ。それは、彼女はこの後アグリジェントにいくつもりで、そういうバスがあるということをわたしに教えてくれた。そのルートは事前に調べたが、わからなかったので、わたしはパレルモから往復するしかなかったのだが、知ってればそのルートの方が正解だったと思う。さすがドイツ人、と感心したのだった。カステルヴェトラーノには14:15着(帰りのバスで時間を計ってみて、ヒッチポイントはちょうど中間くらいであったことわかった)。そこは駅でなく、朝みつけた(反対側には何もなかった)バス停で、そこにパレルモ行きのバスは停まるとドライバーが教えてくれた。またパレルモ行きのバスは15:30ということをカナダのご夫妻が教えてくれたのだった。ということは、ここでも1時間以上の待ち時間があった。ならば、ここなら軽い食事ができるところがあるかもしれないと思って早速歩きだす。が、結構大きな街だったが、土曜の午後、商店・食べ物屋はほとんど閉まっていたのだ。大通りから外れるともう何もなかったから、大通りを一方に10分、そして逆方向に10分くらい辿ってみたが、可能性のありそうな店はスーパーが一軒きりだった。そこでお腹の足しになりそうなパンと飲み物を仕入れ、その店の前にあった公園で、ま、質素な昼食となった。15:30のバスは、パレルモ初日にタクシーに乗り込んだボリテアーマ広場に停車したので、そこでご夫妻に挨拶してバスを降りた。16:45になっていた。

 その時間ならまだ少しパレルモを見て回れると思ったからだった。初日は荷物があったからタクシーを使ってしまったが、その時荷はほとんどなかったのだから、今度はそこから歩いてみようと、、初日の朝の無人の広場が嘘みたいに、土曜の午後のその界隈は人出でにぎわっていた。またそこから歩いたルートのどこも、観光客よりもむしろ地元の人が大勢週末を楽しんでいるといった感じで賑わいを見せていた。わたしが歩いたポイントを以下に記しておく。ま、ガイドブックを頼りにしてだが、ボリテアーマ広場~マッシモ劇場~シチリア考古学博物館~サン・ドメニコ教会~ヴッチリア市場~マリーナ広場~フォロ・イタリコ~海辺の公園~中央駅、、すべて中には入らず外観の写真だけ収めて、といった感じで歩き通した。もちろん休みながら、である、それでもパレルモ中央駅着が19時頃だったので、2時間は歩き続けて疲れも極限に達していた。駅からは飯屋を探しながらバッラロの市場辺りをうろついてみた。が、わたし向きの適当な店は見つけられなかった。もちろんレストランはあった、が、わたしは1時間くらい前に通ったヴッチリア市場Mercato della Vucciria付近にあった魚介類を食べさせてくれそうな、それでいて気易く入れそうな店を探していたのだった(あったかも知れない、ただ見つけられなかっただけかも?)。それがわたしにとっての適当な店であったのだが、仕方なく食べ物屋は諦め、結局カテドラル近辺のヴィットリオ・エマヌエーレ通りをうろうろしてstreet food という看板を出していたお店でコロッケパンとビールをtake outした。このコロッケcrochettaはイタリア語だったけどコロッケはもともとフランス語croquetteからきていたので、すぐにそれとわかり注文してみたのだった。ボリュームたっぶりで、量的にはそれで十分、味的には少し魚類の味がしてなかなかいけたが、願わくは日本のウースターソースをかけてほしいところであった。それでも、大びんのビールと合わせて5ユーロの夕食としては満足のいくものだった。が、パレルモで新鮮な魚介類を食べ損なったことは少し心残りとなった、、<この項 了>

Img_3996_640x480ポリテアーマ劇場とその前の広場Img_3997_640x480マッシモ劇場

Img_3998_480x640この面白い建物はいわゆるタバッキ?

Img_4001_480x640マッシモ劇場からVia Maquedaマクエダ通り方面Img_4002_480x640上と同じあたりからシチリア考古学博物館への通り


Img_4003_640x480シチリア州立考古学博物館は閉館間近だったので入らなかった

Img_4004_640x480_2博物館前の広場Img_4005_640x480広場左手のサン・イグナシオ・アッロリヴェッラ教会

少しいくとサン・ドメニコ教会とP.za DomenicoImg_4006_640x480

Img_4010_640x480マリーナ?

フェリーチェ門Porta Felce;2枚
Img_4011_640x480Img_4012_640x480ここがヴィットリオ・エマヌエーレ通りの基点だったかもしれない

Img_4015_640x480フォロ・イタリコForo Italico

海辺の公園;2枚
Img_4017_640x480パレルモ港方面

Img_4018_640x480ソルントSolunto方面