2019-01-01から1年間の記事一覧
はてな運営サイトから、一か月以上更新が途絶えてますというお知らせをもらってからも、すでに5日が経ってしまった。ブログを書くこと自体に興味がなくなって久しく、たぶん断筆宣言(?)というか、もう更新はしないかも、いや、もう書けません、ネタもなけれ…
最後の記事からすでに1ヶ月半が経ってしまったようです。しばらくお休みしていると時々、一か月以上更新されていないようです、といったようになコメントをはてなからいただくので戸惑ってしまいます。大きなお世話ではないか、と言いたくなるところ、ネタも…
ネタがないのでつまらない話を書くことになります。しかし、この記事はぜひとも書いておきたいと思ったので、何をいまさらと笑われるのを承知で、25年も遅れて出会った二人の著者(一人は作家、いや学者か?、もう一人は学者、いや宗教家か?)のことを書きます…
前回お知らせしたように、今、旅館業法上の簡易宿所の営業許可申請をしています。いや、当初はいまさらと思っていたのですが、というのも直接的な動機としては民泊法に180日制限というのがあって、前年度は2ヶ月近く休業を余儀なくされたことに対する虚しさ…
本日72回目の誕生日を迎えました。何にもめでたくないのですが、一つの節目なので一か月振りに(いや、それ以上か?)昔ならペンをとる、あるいは筆をとるといったところ、今はなんと表現すればいいのかしら?ま、久しぶりにブログを認める気になったというとこ…
もうネタも尽きて、今年(2019)の旅録を終えたら半ば休筆(何カッコつけてんだ?)を唱えていたが、そうこれだけは続けていこうかと思っている。これこそ誰も見てくれてる人はいないだろうけど、わたしにとっては旅録と同じく宿録なのである。単なる帳簿のような…
今年の2月からの中南米5週間の旅を何回かに分けて記してきましたが、また、最初からこの旅録はいろいろな障害に見舞われて、一時は書き続ける気力も失せてしまったことなどいろいろありましたが、ようやく最終回までこぎつけました。ま、いつもながら中身は…
たぶん知っている人は知っているだろうが、あまり知られていないドミニカ移民の破綻についてここで少し触れておこうと思う。といってわたしはそういった問題の専門家でもないし、すでに60年前の話である。わたしもずいぶん昔に聞いていたのだが、その顛末は…
その朝はたぶん6時ころからmailのチェックを始めたと思う、まずサンチャゴのホストからの返事はなかった。日本のairbからの返事は入ってた、すごいと思った、いや、ほんとに日本からのサポートは強力かつ確かであったのだ、感心してしまった。そのときは担当…
以前から何回かコメントしておりましたが、今回ようやく引っ越しが終わりましたのでお知らせします。 ま、いろいろあって10年近くも馴染んだここを移転するにはそれなりに躊躇いもあったのですが、結局同じタイトルを使えるということで、ココログのベーシッ…
ずいぶんここまでが長かったけれどやっとサント・ドミンゴまで来たか!?といった感じです、あと2~3回でこの旅録も終局を迎えます。最初の概要?でいってたかもしれませんが、なぜドミニカ共和国だったのか?についてもう一度確認しておくと(最初に言ってたこと…
3月7日にアレキパを発つのであるが、昔だったら夜行バスかなんかでリマに戻ったと思うが、今や料金的にはLCCを使うとむしろ安いくらいだったから、日にちの余裕もなかったのでLimaに滞在していた時、ネットでArequipa~Limaのticektを80ドルくらいで購入して…
Colca Valley ここは桃源郷かと思う、遠くの山は方向がはっきりしなかったのでCoropuna 6613mと書いたが、もしかしたらAmpato 6310mの可能性もある?? 朝3時に迎えが来るというので2時半に目覚ましをかけ、2時50分からフロントで待機していた。3:10に来たバス…
もしかしたらわたしがアレキパ行きを決めた直接のきっかけはイキトスにあったかもしれなかった。イキトスで日帰りのAmazon Tourに出かけたとき、リマから来たという家族連れのお父さんとボートの中でちょっと話してて、ま、月並みな会話の中で、この後どこへ…
何回か経緯を書いているので重複になるが、以下の記事は今年の2月~3月の中南米の旅録の続きである。前回イキトス~リマを書いたのが一か月前で、そのときボリュームオーバーかなんかで身動きが取れない状態になってブログそのものがダウン、自分の力ではリ…
我ながらこんなどうしようもない、どうでもいい記事を書いてて恥ずかしさでいっぱいなのだけれど、もう生き様そのものがどうしようもなくなってるので、諦めと開き直りであとは野となれ山となれ、わたしの生気も尽きてきている、このブログもそろそろ、今回…
結局高知は3泊となった。当初は最終の2日が高知泊の予定でairbの宿に予約を入れてあったが、6月15日の宿は直前まで(16,17日の予定が変更になったので)決められずにいて、最終的に最も無難、最も経済的だった高知のBHに落ち着くことになった。つまり高知市周…
<<こんな言い訳は通用しないかもしれないが、3月以来の不具合の余波がまだ尾を引いていて、記事を書いてても途中で消えてしまう目に何度かあって、前にいったかもしれないが、わたしはもう一か所別のところにブログを開設して、とりあえず今までのブログをコ…
特にその方法、廻り方、順番に決まりがあるわけではないということを最初に聞いていたので、わたしは元来の性格から、かなり自由に、ある意味いい加減な廻り方でこれまできていたのだけれど、それは今回のお遍路にもいえて、一応逆順で打ってはいたが、歩い…
他人の偉業に畏れをなしていても何も始まらないから、それはそれワレはということで、ともかく今回の遍路模様を記していきたいと思う。しかしながら前回申し上げたような、お遍路効果によるプラス連鎖は結果として、あるいは後半になって表れてくるのだけれ…
ちょうど一週間くらい前に四国から戻ったのだけれど、戻ったその日に図書館からのmailが入っていて、予約した本が入ってますので取りに来てくださいとあった。で、次の日に出かけて、時間もなかったのでその本だけ受け取って戻って、お遍路のまとめを終えて…
今、6月上旬が終わろうとしてます、こんなことにもなろうかと5月中にそれまで泊まられた方々の記録をここにメモ程度に記していたのが正解でした。ここのところ正直言ってもう昨日のことも想いだせないほどのボケ状態で、こういう報告の継続が危ぶまれるほど…
半世紀前のアマゾン流域は(それはべらぼうなく広い領域なので、一様ではなかったとしても)よく知られているように未だ文明に接触したことのない部族は確かに住んでいたし、ほとんどは未開の地であった。それでも水運・水路を利用した交通・交易は発達してお…
あまり期待はしてなかったことだが、今回はコロンビア人が皆とても親切なのにちょっと驚いていた。それこそ50年前のコロンビアは、あまりいい思い出がなくむしろ怖い印象すらあったのだが、近年経済の成長に伴って人心が落ちついてきて穏やかになっているよ…
結局ボゴタは半日しか時間がなかった。しかし今回ボゴタは特に目的地ではなかったし、ボゴタの街は前回来た時に中心部だけは一応歩き回っていたから、もし到着の遅れがなかったら今一度出かけたかもしれないが、もうどうでもよくなっていた。それでも中心部…
この日(2月24日)わたしはグアテ市Aurora国際空港からコロンビアのボゴタまで飛ぶ予定でいた。このticketは日本で手配済みだった。この旅の計画の最初の段階では帰国便のサントドミンゴ→成田だけが決まっており、まだ南米まで行くつもりではなくグアテマラか…
サンペドロは今更なのだけれど、わたしがグアテマラにきた(戻った)時はAntiguaとSan Pedroは必ず寄ることにしていたので、ま、必訪の地、もちろん風光明媚で、かつ物価が安かったりするのでわたしにとってのリゾート地?いや、ここは何度も書いているが、来る…
Barillas ~ Huehuetenango間のバスはだいたい1時間に一本くらい、日に5~6本はあったはずだ(その間に乗り合いのワゴン車も走っているからこの間はグアテマラの辺境とは思えぬほど交通機関が発達しているのだけれど、それについては数年前に通ったときの記事…
以下の記事はコピーです。完全に手抜き、正直にいうとご存知の方もいるかもしれないが、わたしが某所に書いた記事をそのままコピーさせてもらった。自分が書いたものを勝手にコピペしてしまうのは、少々心が痛むが、けっこう黙認されているようなので今回だ…
その日(2月15日 5日目)メキシコ・べ二トフアレス国際空港を朝の7時半に飛び立った先は、インディヘナ(先住民)が多かったり、サパティスタの本部があったりする美しい街サンクリストバルデラスカサスSan Cristbal de Las Casas(通称サンクリ)があるメキシコの…