独歩の独り世界・旅世界

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チュニジア・イタリア紀行 7,アグリジェント Agrigento

  ホストのK君には、8時ころお暇すると伝えてはあった。起きてないかもしれないとのことだったので、そんなことは構わない、ただインスタントでいいからコーヒー一杯飲めたら、と余計なことをいってしまった。すると、あとで豆を挽いて入れておくので、温めるだけにしておきますから、飲んでいってくださいとうれしいことをいってくれたのである。で、次の朝は例によって早く目覚めてしまったので、持て余した時間を前日に買った絵ハガキ書きにあて、一息ついてではコーヒーでもいたたこうかと階下のキッチンにいってみたが、コーヒーはできてなかったのだった。そういうことか、となんとなく納得して、もういてもしょうがないなと早めに出かけようとしたときに、彼は起きてきたのだ。それで何かいうのかと思ったら、何もいわないから、わたしもただお世話になりましたといって、そこを辞した。わたしに問題があったのかもしれないが、わたしとしても2回もいってることと実際が違ったので、???と思わざるを得ず、少々後味の悪いものを感じた。それとこの宿はこの先大丈夫か、と心配にもなった。

 なので駅には8時ころには着いていた。この朝は裏の路地からパッラロの市場を通る近道をいったが、その時間はすでに市場は活況を呈していて、特に新鮮な魚介の豊富さを目にし、ま、昨日はもう夜だったからだろうけど、この辺にこの魚介を食べさせてくれる店があってもよさそうなものを、と改めて悔しい想いで、そこを通り過ぎた(前回も言ったがみつけられなかっただけだったのかも知れないが)。で、少し早かったので、駅構内のマックでコーヒーを、とその時は入ってみた。が、ここでも英語が通じず、応対がひどかったので、気分を損ねて出てしまった。あとは、汽車に乗り込んで発車を待つしかなかった。その日は日曜で出発のころには行楽客で席はほとんど埋まっていた。その列車はシチリアのど真ん中の高原を縫っていくらしく、1時間くらい走った山間の駅Roccapalumba-Aliaというところで、ほとんどは下車していった。皆、ハイキングまたは登山の格好だった。ガラガラになった列車はそこから高原を下ってアグリジェントには定刻10:50に到着した。このアグリジェントの駅は、ずいぶん奇妙なところに立地しているのに、まず少し驚く、、いってみれば、崖というか山の中腹?、つまり右側は、いわゆる神殿の谷と呼ばれる歴史的考古学地区がずっと下方に続き、いわゆる市街が左手斜面に開けているといった地勢の上(つまり山の斜面といったところ)に築かれていたからだ。なので長い階段を登って駅前にでたとき、駅前の道は下るか登るしかないという極めて珍しいところに駅はあったのだった。で、わたしは今日のホストAnnaおばさんからいわれた道、Via Enpedocleという鉄道際の、しかし一段高いところの道を少し戻る方向に歩きだした。その間も左手は視界が開け、海上はるか遠くまで見渡せるその眺望は、ま、今までにこんな風景眺めたことがあったかな、と思わせるくらい素晴らしいものがあった。そして、今日の宿泊先は、さらに高い位置から(マンションの4F)前に遮るものが何もなく、一日中、ベッドからもその眺めを満喫できる部屋であったということは、着いてみなければわからないことであった。<なお、その時は全く気付いてなかったが、どこかで聞いたことがある名称だなと思った、そのEnpedocleという通り名は、ギリシャの哲学者エンペドクレスEnpedoclesからきているらしいこと、つまりピュタゴラスの弟子Enpedoclesは、このアグリジェント、その昔アクラガスと呼ばれたこの街の出だったことを(といっても紀元前5世紀の人だが)帰ってから知った>

朝、このバッラロ市場Mercato Ballaroを通って駅へ;3枚Img_4020_640x480Img_4021_640x480Img_4022_640x480

パレルモ駅;アグリジェント往きは2番線から8:41発だった
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途中の車窓からImg_4027_640x480

アグリジェント駅(この写真は夕方寄ったときに写したもの)Img_4073_640x480

駅を出て、線路際の一段高い道を行く、駅の下もビル群だったことをこの写真を見て思い出すImg_4032_640x480

真下に鉄道の線路、左方向が駅、向こうに海が見えている
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 こういっては失礼ながら、airbnbでイタリアの宿を検索していて、このアグリジェントでみつけたAnnaおばさんの部屋は、その掲載写真から、また、価格から、それほど期待はしていなかった。ま、駅から20分ほどあったし、掲載されていた写真の部屋は少しみすぼらしい感じがしたからこの値段なのか?と思ったが、しかし、わたしにとっては部屋はどうでもよくて、安いのがありがたかったので予約したのだった。ところがである、こういう期待外れというものはそうそうあるものではない、先にいったように、市街のもっとも内側に建つ(だから遮るものはないのだ)高層高級マンションで、部屋が5~6室あって、その調度はお金のかかったものばかり、それでこの眺めである。いわゆるホテルだったら間違いなく5つ星である。まず、思ったのはこんな立派なところに2500円ほどで泊めてもらっていいのか?ということだった。が、そのときの気持ち・驚き・感嘆をうまく伝えることができなかった。わたしはイタリア語を、彼女は英語ができなかったからである。それでここでもgoogle翻訳機にお手伝いしてもらうことになった。が、そのもどかしさ !、それでも一生懸命お互いに気持ちを伝えようとすることで、細かいことはともかくとして、自ずからお互いの気持ちは察せられるようになったのである。どうやら感謝の気持ちと驚きと素晴らしすぎるという感嘆は伝わったようだった。1時間くらい、そんなやり取りでわたしの予定を伝え、もし朝食を作ってくれるなら、代金を払うからお願いしたいと聞いてみた。もちろんそれも翻訳機を通してだったが、了解してくれ、何時ころと聞かれたので7時にお願いした。それから荷物の片づけをして12時ころ街へ出た。そのまま遺跡にいくので、戻るのは夕方、もしくは夜になるかもしれないことも翻訳機を使って伝えた。

マンションのわたしが宿泊した部屋からの眺め;2枚(この方向に遺跡がある、下の写真)Img_4034_640x480Img_4035_640x480少し西方向の遠景

夕方一旦帰ってきたときに、遺跡を狙って同じ部屋から撮ったもの;2枚
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 その街の明るさ(遮るものがないから)は気持ちを昂揚させた。先にいったようにこの街に平坦地といったところはまずなくて、マンションをでて少し登るとP.za L Pillandelloという広場があって教会があって、その辺から少し下り気味の道が続いていた。それがこの街のmain street アテネ通りVia Ateneaだった。といっても狭い通りで人通りも車の通行もほとんどなかった。それでもメインストリートとあって両側はずっと商店が続いて、15分くらい歩いろがP.za Moro、駅から5分くらい登ったところにあるこの街の中心的広場にでた。その周りには大きな建物、公共施設、郵便局、ホテル?、映画館などがあったように記憶している。日曜日だったので、その朝書いた絵ハガキを出そうと思ったが、やはり郵便局は閉まっていた。その先がバスターミナルのようだった。例によってバススタンドが10くらいあったので、一つ一つ行き先をチェックしてみたが、わたしが知りたい情報はまったく見つけられなかった。わたしが探していたのは、次の日もしバスがあればということで、シラクサまで行きたかったのだけれど、直通はないのはわかっていたから、乗り継いでいけるところ、例えばジェラGelaかラグーザRagsaあたりにでられないか、あるいは内陸経由でカルタニセッタCaltanissetta、エンナEnna、 カターニャCataniaといったあたりに行くバスはないかと探していたのだ。が、いずれもバス停の表示にその地名を見出せなかった。やはり無理なのかと諦めかけたとき、ターミナルに隣接するビルの1Fの一室が、バス会社のオフィスだったことを知る。そのオフィス前には、ローマまでいくら ! 、といった看板が出ていたから結構大きなバス会社のようだった。そこで上記の名前を出して聞いてみた。さすがにバス会社だけあって英語が通じて、その中で一つだけバスがあるというではないか!?、それは朝6:45発のバス(もしかしたらそれがローマ行きだったかも?)がEnnaを通るとのことだった。そんなに早いの?そのバス一本しかないの?と重ねて聞くも、それ一本とのこと、エンナからカターニャ行きのバスはあるのか?とさらに聞いてみると、それはあるという返事だった。即断はしなかった、カルタニセッタ経由でカターニャにでる汽車があることは事前に調べてあったからだ。6:45は早すぎたし、朝食を頼んでしまってもいた。で、神殿の谷(遺跡)に降りるバスのticketもそこで買えたので、その往復を買って、そのターミナル始発のバス(バスNo.1,2,3のどれも遺跡の入り口を通る)に乗った。

この広場がP.za L Pirandelloでこの建物がPalazzo Municipaleだと思うImg_4036_640x480

その隣に建つSan Domenico教会Img_4037_640x480右の道がVia Atenea

バス停の表示で、これだけが重要そうだった、つまりCastelvetrano,Trapani方面へ行くバスがやはりあったのだImg_4039_640x480


 その昔アクラガスと呼ばれていたというアグリジェントはギリシャの植民都市ゲラ(ジェラ)が建設した副次都市とのことで、前6世紀には地球上に存在していた街だった。だからここはギリシャの遺跡といっていいかと思う。その後大きく発展し、BC406年にカルタゴに滅ぼされるまで2世紀あまり、その美しさと芸術家・哲学者の輩出する文化度の高い街として名を馳せた。後のシチリアの支配をめぐってローマとカルタゴが戦ったポエニ戦役後にはローマの属州になっていくのだが、支配者は変わっても、その歴史は連綿と続いてシラクサパレルモメッシーナなどと並ぶシチリアでは古代から続く超有名歴史都市として今日に至っている。今ではこのアーモンドの花咲く美しい古代都市に魅せられて、世界中からの観光客が押し寄せている。で、わたしもその一人となったのだったが、しかし、わたしからするとその印象は、その観光客の多さが故に、また前日にセリヌンテを訪れていたが故に、セリヌンテに軍配を上げたくなったのであった。なお、世界で最も美しい街‘the finest city of mortals’とギリシャの詩人ピンダロス<前5世紀>が讃えたこの街のアーモンドフェス(the blossoming almond tree festival)は毎年2月開かす、

 遺跡入り口までバスで10分ほど?13:15頃についてticketを買う前に近くにあったカフェテリアで食事をとることにした。並んでいるものを指すだけだから面倒はなく、すべておいしそうだったがパスタを注文、それとビールで10.5ユーロ、パスタといってもいわゆるマカロニの方で、実はこれはあまりうまくなかったのだった。やはり店を選ぶべきだった、イタリアならどこで食べてもうまいだろう、というのは間違いであったことを知る。さて、それから遺跡巡りが始まった。ここの入場料は10ユーロ、先にとても明るい街といったが、そのころになると暑いところという印象に変わっていた。いや、10月だというのに、その強い陽射しに照らされて広い遺跡を巡るのは、相当な消耗することだった。つまりだんだん好奇心より疲労感が上回ってきたということだった。暑さのほかに、もう一つの理由、それが人の多さだった。先に世界中から観光客が押し寄せていると書いたが、正直いってここに来るまでは、このアグリジェントがそれほど有名で、これほどの観光客が押し寄せているところとは思っていなかったのだ。が、やはり世界遺産ブランドの凄さか?、観光バスでやってきた、それこそ世界中からの観光客を目の当たりにしたのだった。ご多聞にもれず日本人の団体さんも、であった。すでにおわかりいただけていると思うが、わたしはこういうところはダメなのである。遺跡は一人ぽつねんと佇むところ、そういう遺跡を良しとし、求めているのである。ま、それでもかなり頑張って復元し、かつての大都市の面影を髣髴させるまでになっていたこと、何よりわたしが注目したのは、その少し高台に築かれた古代都市の立地、海までの距離、その海の眺め、そして当時は築かれてなかった見上げるような山上都市、現代の市街地像が何より印象深いものとして残ったのであった。おおよそ2時間で、遺跡巡りを切り上げたというか、疲れてしまって、もういいや、となったのであった。入ろうと思えば同じticketで入れた博物館も面倒くさくなってパス、そのままバスに乗ってバスターミナルまではいかず鉄道駅で下車した。で、汽車の時間をチェックしてみたのだった。

<グリジェントの神殿群>

ディオスクリ神殿;2枚Img_4040_640x480Img_4043_640x480

Kolymbetra;BC480のヒメラの戦いで敗れたカルタゴの囚人に掘らせた水溜め?
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ジュピター神殿;3枚Img_4045_640x480この人柱像はレプリカで本物は考古学博物館に展示されているとのことImg_4044_640x480Img_4047_640x480

ヘラクレス神殿Img_4049_640x480

しっかり復元されているコンコルディア神殿;3枚Img_4050_640x480Img_4052_640x480Img_4067_640x480

ヘラ神殿;5枚Img_4061_640x480Img_4065_640x480
Img_4054_640x480Img_4057_640x480遠くに海が見えている
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Img_4062_640x480これはよくわからなかった(訳せなかった)

ネクロポリス(墓);2枚Img_4071_640x480Img_4072_640x480

全景;2枚Img_4059_640x480Img_4058_640x480(撮っている場所がヘラ神殿で、向こうに見えているコンコルディア神殿が、全体の真ん中辺なので、その広さがわかるかと思う)

遺跡から現在の市街地を望むImg_4066_640x480


 駅の時刻表を見る限り、カルタニセッタもカターニャも朝は一本、6:14発の列車しかなく、そのあとは12;54で、それだとEnnaにもいけそうだったが、いずれにしても6:14は早すぎたし12:54は遅すぎると思った。なら6:45のバスの方がいい、そう結論付けて、駅のBarでコーヒーをもらって一休みしてからバスターミナルへ歩いていった。そのバス会社はSais社といって、シチリア南東部の大手であったのか、その後のエンナ→カターニャも同社のバスで乗り継ぐことになったが、そのときはアグリジェント→エンナのticket 8.2ユーロを求めただけだった。まだ日は高く、少し街ブラしながらAnna宅に戻ることにした。が、何回も言うようにここは山上の都市だったから、登るか下るしかなく、ならば最初に登ってしまおうと少し高いところまで行ったが、はっきりした地図もなく道も迷路のようになってて、どこがてっぺんだか、今どこを歩いているのかもはっきりしなくなったので、そのまま下る道を行くといつの間にかアテネ通りに出たのだった。そこからは迷うこともなくAnna宅に帰着、18時になっていた。ものすごく贅沢なつくりのバスルームでシャワー浴びてから、大急ぎでiPadを操作してAnnaにmailを送った。というのもgoogle翻訳のもどかしさから、ならそれまでやり取りしていたairbnb経由のmailの方がすぐに確実に翻訳変換できて、ずっと楽ではないかと思ったからだった。それで同じ屋根の下にいながらmailでやり取りして、その日の経過報告と明日の朝食がいらなくなった事情、そして明日は6時には出る予定なので、たぶん挨拶ができないだろうとmailで伝えた。その了解をもらってから、これから食事にもう一度出かけると断って再び外出した。すでに暗くなっていた街路をまたアテネ通りに向かう。P.za L Pirandelloの前あたりに開いてるお店を目にしていたからだ。が、食べ物屋さんかと思ったお店は入ってみるとスィーツの店で、夕食になりそうなものはなかったので他を探す。ちょっと洒落たレストランがあったが、お客がおらず高そうだったのでそこもパスしてしまった。いずれにしろこの辺りは観光客は皆無で、地元の人しか入ってないところばかり、ま、その分敷居は高くはなかったのだけれど、それでもレストランとなるとやはり気楽には入りづらいのであった。で、さらにアテネ通りをいくと、今度はアイスクリームショップのような若い人向けの店があって、それこそ気楽に入りやすそうだった。で、覗いてみると何でもありそうで、しかもtake outもできそうだった。ありがたいことにほかに客はいなかったので、恐る恐るといった感じで、一番わかりやすいものがあるか聞いてみた。つまり、ピザがtake outできるかと聞いてみたのだった。そこはピザの専門店ではなかったと思うが、親切なオヤジさんは少し英語がわかってくれたようで、ピザの生地を出してきて、どの大きさか?と聞くから、小さめのを指すと、今度は中身はと聞いてくる。と、もうこちらはどう答えていいのかわからなくなってしまうのだった。すると、オヤジさんは目の前のショーケースを指してそこから選べというようなことをいってくる。見るとそのショーケースの中には、ピザに入れる具材が10種類くらい?いや、20種類も並んでいたか?、、見た目でわかるものもあればわからないものもあった。で、それを見ても何を選んでいいのかわからなくて、もうわかりやすいものだけ、ほんとは魚介を入れたがったが、野菜ばかり頼んでしまった。そう、トマト、ナス、パプリカ、マッシュルーム‥、、しかしその場でその野菜をクレープ状の生地に挟んで焼いてくれたそのピザは(それをピザといっていいのか、他に名前があるのか知らない、というのもピザというより、むしろクレープに近かったからだが)もちろんビールとともにtake out しての部屋食だったが、今まで食べたことのない美味しさだったのである。それで3.5ユーロ+ビールの大瓶が2.5ユーロ、こういう時は安眠できるのであった。