独歩の独り世界・旅世界

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アジアの旅

『独歩爺最後の旅』ネパール篇 3,カカニ Kakaniは最後のご褒美だったのか?(この旅録の最終回)

この旅の終わりが近づいてきました、ま、無事に帰ったのだからブログも書けたのだけれど、やはりいろいろあった旅だったなぁと改めて思う、で、いろいろあったけどやはり振り返ってみると楽しかったなぁ、という想いしかない。そうやってまた一年生かされた(…

『独歩爺最後の旅』ネパール篇 2,ポカラPokharaで緊急入院

このつまらないブログもあと2回で終わりになります。ようやくゴールは見えてきました、それも悲惨なゴールが ! まぁ、おおよそ想像はつくことと思いますが、自分ひとり楽しんできたバチがあたった?しかし実際は楽しんでばかりいたわけでないことは、ほとんど…

『独歩爺最後の旅』ネパール篇 1,オーランガバード~デリー~カトマンズへ

またまた言い訳から始まる世界一周最後の旅<ネパール篇>というのも我ながら呆れるというか恥ずかしさいっぱいである。その言い訳というのは例によって気力・体力・視力(&資力)の衰えに始まるボヤキである。正月元旦早々に飲み過ぎて自宅の階段で転倒し家族や…

『独歩爺最後の旅』インド篇 その 4,オーランガバード Aurangabad エローラ Ellora、アジャンタ Ajanta 石窟群

ブログで新年のご挨拶というのもおかしい気がするし、ほとんど読者のいないブログなので余計に違和感を感じるが、まずはともかく2024年最初のブログ、謹賀新年、本年もよろしく ! 良いお年をお迎えください ! ! というメッセージをまずはお伝えしてと思って…

『独歩爺最後の旅』インド篇 その 3, Mumbai 再び、Vile Parle; Locomo Hostel

前回の最後は、Puneに降り立つことができなかった・・だったが、これも負の連鎖の後遺症のようなもの、失敗の延長であったのだ。どういうことかというと、ま、想像はつくと思うが、要は寝過ごして、気が付いた時はすでにMumbaiらしい大都会をバスは疾駆してい…

『独歩爺最後の旅』インド篇 その 2, ゴア 2, Beach他、Old Goa再び

はっきり言って、Beachには無縁の男だった。どういうことか?もう黄昏れ迫る爺さんだから恥も外聞もなくわたしの(生涯の)コンプレックスを晒してしまうと、人によってはどうでもいいことと思われるかもしれないが、普通の人にできてわたしができなかったこと…

『独歩爺最後の旅』インド篇 その 2, ゴア Goa 1, Panajiまで

わたしが乗るはずだった飛行機より1時間45分早く14:45に無事Goaに着いたまではよかったのだが、そのあともなにがなんだかわからないごたごたは続くのだった。それはルワンダがそうだったように、事前に調べてもいなかったし(そもそも最初から予定していた目…

『独歩爺最後の旅』インド篇 その1,ムンバイ Mumbai (Bombay) 2/25~2/28

いよいよ!というか、やっと!というか、漸くインドまで来た。今年(2023年)もあと一ヶ月になってしまった。何とかこのtabirokuを年内には終わらせたいと思っているのだが、なかなかその目処が立たないできた。時間は確かにあったのだけれどこれは集中力、ある…

マカオ Macau

去年までだったら、ツアーの旅なんかはたぶん書き記さなかったと思うが、実際は愚奥(=ま、愚妻といった意味だが微妙に違うので愚奥とする)を連れて旅行会社のツアーに何回か出かけたことはあった。が、すでに今年でブログの終了を宣言しているし、できれば70…

一年半ぶりのタイ 最終回 アユタヤ Ayutthaya

そこが日本人街のど真ん中ということを知らずにそのホテルに決めた理由がもう一つあった。ちょうどその辺りがBTSシーロム線とバンコクの地下鉄MRTが交差しているところで、BTS/Sala Daeng駅とMRT/Si Lom駅がその乗換駅になっていたのだ。何故そのことにこだ…

一年半ぶりのタイ 3,泰緬鉄道に乗る、、

このタイreportはできれば年内に仕上げようと思っていたのだが、諸事情あって大幅に遅れてしまった。したがって今回の‘泰緬鉄道に乗る’が、本年の最後になって、(年明けに)もう一回で終わりになると思う、、遅れた理由の一つは、前々回に言及しているが図書…

一年半ぶりのタイ 2,スリーパゴダパスthree pagodas passとサンクラブリSangkhlaburi

カンチャナブリの近くは自然環境に恵まれ、国立公園が結構あって、多くの滝や洞窟、エレファントライドやカヌー、キャンプ、トレッキング、トラを飼いならして一緒に写真が撮れるタイガーテンプルといった見どころが数多く、クウェー川鉄橋とあわせて多くの…

カンチャナブリ2 あるいはセレンディピティserendipity 2

前回のタイ・カンチャナブリの続きを書くつもりでいた。タイトルは‘スリーパゴダパスThree Pagoda PassとサンクラブリSangkhlaburi’と決まっていた。それはそのまま旅の続きであった。しかし、なぜかすんなり筆が進まなかったのである。なにかが引っかかっ…

一年半ぶり?のタイ その1,カンチャナブリKanchanaburi

今朝ほどタイからのお客さん3人がチェックアウトしました。今年彼らで何組目だったか、ともかくタイからのお客さんは増えています。もっともタイから来られるお客さんは、タイの中でも上流階級、上層部、お金持ちに限られてますから、誰でもが来られる状況に…

インドネシアの旅 第五章 バリ島 その2,ジンバランJimbaran~帰国、まとめ

最終日は、夜の9時頃まで、どこかで時間を潰す必要があった。もちろんウブドに夕方までいてそれから空港に向かっても間に合ったのだけれど、ウブドは2泊したし、できればいってみたいところが二ヶ所ほどあったので、11時ころのバスで(これが一便だった)Kura …

インドネシアの旅 第五章 バリ島 その1,クタ Kuta ~ ウブド Ubud

今年2月の旅模様をだらだらと書いてきて、ようやくあと2回くらいで終わりそうなのですが、実はもうどうでもよくなってきていて、ほとんど気乗りしない状態が続いています。ひとつには今回の旅録はあまり閲覧がなく、たぶん面白くない、かつ馴染みのない地名…

インドネシアの旅 第四章 イリアンジャヤ その4,ジウィカJiwika 他

いずれにしろニューギニア島イリアンジャヤはかなり突然の形の訪問だったから(下調べをしておらず)どこへいったらいいか、どこに泊まるかといった情報はガイドブックか藤原さんのアドバイスに頼るしかなかった。バリエム渓谷トレッキングから戻って、お礼と…

インドネシアの旅 第四章 ニューギニア島イリアンジャヤ その3 バリエム渓谷キリセKilise

夜半、大雨が降っていたのを熟睡しながらも聞いていた。けっこう高度があったから寒さを心配したが、毛布もあったし、もっていたシュラフカバーも役に立った。こんなところで快適な睡眠をえられることなど期待していなかったが、思っていた以上に近代的な設…

インドネシアの旅 第四章 ニューギニア島イリアンジャヤ その2,バリエム渓谷トレッキングSeima

二日目の朝、ガイドのジョナス氏が8時に迎えに来てくれることになっていた。6時には起きて、いつでも出かけられる準備は整えて、朝食を摂りに食堂にいった。いや、このときは思わず、そうだったのかとつくづく感心してしまった。ようやくこのホテルの価値が…

インドネシアの旅 第四章 ニューギニア島イリアン・ジャヤ その1,ワメナ Wamena

かってイリヤンジャと称されていたニューギニア島の西半分は、今ではパプア州と西パプア州の二つの行政域に分かれ、イリヤンジャヤの時代からずっと中心都市であったジャヤプラJayapuraが今のパプア州の州都となっている。とはいってもニューギニア島そのも…

インドネシアの旅 第三章 スラウェシ島 その3 Tana Toraja 二日目&amp;amp;三日目マカッサルエアポートへ

初日は主にランテパオの南方面をめぐっていたが、二日目は北側を行くことにしていた。それでも、このランテパオ周辺の見所をすべて回れるわけではなかったが、やはり主だったところだけでも一日ではきつかったように思う。ここを二泊にしたのは正解のようだ…

インドネシアの旅 第三章 スラウェシ島 その2 Tana Toraja 初日

スラウェシに行ってみたいと思ったのは、やはりTana Torajaのちょっと変わった埋葬形態の写真を見たからだった。岩壁を穿って、そこへ棺を安置し埋葬する、しかもそれが可能なのは身分の高い人、高い人ほど高いところに埋葬される?何の地位もない人の亡骸は…

インドネシアの旅 第三章 スラウェシ島 その1,マカッサル Makassar

昔はセレベス島という名で知られていたスラウェシ島も、ほんとのところ今回の旅の前は、それがどこに位置していたかなんてはっきり記憶してなかった。そんな感じだったから、スラウェシ最大の街マカッサルといわれても最初はピンと来なかったし、ましてやそ…

インドネシアの旅 第二章 フローレス島 その4,マウメレMaumere ~ Pelni LineでスラウエシSulawesiへ

その夜(1/30)はマレーシアから来たらしいモスレムの女の子が二人泊まっていた。挨拶しただけで話はしなかったのだが、次の朝同時刻に起きてきたので、もしかしたら?と思ったが、案の定同じバスに乗り合わせることになった。が、その過程は少し違っていた。こ…

インドネシアの旅 第二章フローレス島 その3,バジャワ Bajawa

バジャワも大きい街だと聞いていたから、てっきりバスターミナルに着くのかと思っていたら、まだ山の上、街の手前の三差路といったところで、ここがバジャワだといってバスから降ろされた。えっ?こんなとこ?と思いながら降りると、そこはちゃんとしたもので…

インドネシアの旅 第二章フローレス島 その2, Liang Bua リアンブア洞窟(Liangはたぶん洞窟という意味?)とホモ・フロレシエンシス

Liang Bua洞窟の写真を最初にもってきた、中から撮ったもので左下の人間の大きさから洞窟の大きさがわかると思う、、 序章で述べたようにこの旅のそもそものきっかけを作ってくれたのが、このLiang Bua(タイトルのようにリアンブア洞窟というと洞窟が重なっ…

インドネシアの旅 第二章 フローレス島 その1,ラブハンバジョーへ空路で、そしてルテンRutengへ、

結局ヌサトゥンガラ列島を西から陸路と航路で踏破という当初の目論見はフローレス島目前にして天候不順という自然の障害に脆くも挫折してしまったのであった。それだけでなく、次のフローレス島~スラウェシ島への海路にてフローレス海横断という計画も頓挫…

インドネシアの旅 第一章ヌサトゥンガラ緒島 その5, マタラム~スンバワ島 BimaそしてSapeへ

そんなに彼を拘束してしまってはと思って、13時半頃別れの挨拶を告げた、Imadeくんにもそうしたようにわたしのできることは、そしていえたことは独歩亭の名刺を渡して、日本に来たら面倒みるという、彼らにとってはもしかしたらありがたくもなんともない言葉…

インドネシアの旅 第一章ヌサトゥンガラ緒島 その4,ロンボク島マタラムMataram

そのとき(船上で)わたしはレンバルからの足とマタラムの宿のことが非常に気にかかっていた。が、たまたまキャビンの座席に隣り合わせたImadeくんと、彼は英語を少し解したので、ま、例によってお互いの簡単な自己紹介とこれからのことを話しているうちに、…

インドネシアの旅 第一章 その3,ウォレス線とアルフレッドウォレスAlfred Russel Wollaceについて

今回は旅の話から少し脱線して、ウォレス線とその発見者の19世紀の巨人、アルフレッド・ ウォレスAlfred Russel Wollaceについて一章を割きました、、正直いうとこの人については今回の旅がなかったら、その存在を知ることはなかったと思います。恥ずかしな…