独歩の独り世界・旅世界

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チュニジア・イタリア紀行 15,ローマ 2日目 ヴァチカン他

 残すは2日となって、その日午後2時半からのヴァチカン美術館では特に予定は決めていなかった。なので、朝もかなりゆっくりしてしまって、7時予定の朝食に起こされるのかと思っていたが、どうもそのまま寝かせてくれていたようで、その朝の目覚めは8時、何と10時間も寝てしまって、この旅で最も遅い起床となった。寝坊してしまって、7時に起きられなかったことを詫びようとドアを開けたら、トレイに載った朝食が用意されていてびっくり、そのときFabioおじさんの姿は見えなかったので(たぶんトイレだったか?)挨拶抜きで、感謝しながら朝食をいただいた。ほんとにこんなもてなしは初めてで、Patriziaの気遣いには完全に脱帽であった。日本人のomotenashi顔負け、今回はairbnbのホストからゲストになって、まぁ、その意味では視察も兼ねた旅でもあったが、わたしはここまではできない、Patriziaには完敗、感服させられっぱなしであった。確かPatriziaはairbnbのホストとしても年季が入っていて、2012年からのキャリアで、もちろんスーパーホストでもあったのだ(その意味では完敗・脱帽はここだけだったが)。

 朝食とかmailのチェックをして9時過ぎ朝食礼と夜になるけどそんなに遅くはならないつもりであることをFabio氏に告げて駅に向かった。Lido線は20~30分に一本くらいだったか9時半ころの電車に乗れた。乗換駅ピラミダで空港行きの電車をチェック、ここから空港行きの電車に乗り換えられるはずだったから、その下調べであった。しかし、その乗り換えはよくわからなかったので駅員に聞いてみると、いったん駅から出て、少し戻る方向にいくと駅があって、そこからその電車に乗れるとのことだった。特に急いでいたわけでなかったから、そこまで行ってみると、そこはイタリア国鉄のオスティエンセ(Roma Ostiense)という駅だった。大きな駅でホームもたくさんあって、空港行きはだいたい30分に一本くらいあることがわかった。そこからまたピラミデに戻って地下鉄でふた駅、その日もまずコロッセオにいってみた。というのも昨日諦めたコロッセオフォロ・ロマーノと共通券のはずだったから、それで入れるのに行かない手はないかと思ったからだった。で、その時は前日ほどの混雑はなく、Roma Pass所持者のlineに並んだら5分くらいで入れた。しかし、中に入ると、ま、人気の場所の一つとあってか、それはそれはご多聞にもれず各国からのツーリストがひしめいていたのだった。なので、普通なら上から下まで、そしてぐるっと一周すればで、最低でも一時間はかかるところ、30分で抜け出して次に向かう、前回いったが、チュニジアEl Djemのコロッセオを見ていたので、あまり感動がなかったからであった。

朝、Ostia Anticaの駅前歩道橋からOstia Anticaの街を撮るImg_4746_640x480

イタリア国鉄Ostience駅Img_4748_640x480

Colosseo;3枚Img_4753_640x480Img_4754_640x480Img_4757_640x480

Colosseo上階からの眺め;2枚Img_4755_640x480コンスタンティヌス凱旋門Img_4756_640x480フォロ・ロマーノ方面

   次に向かったのは地下鉄でひと駅、チルコ・マッシモChirco Massimoというところで、近にカラカラ浴場があった。も名前聞いたカラカラ浴場も、それほど興味を持っていたわけでなく、わたしはむしろその先から延びるアッピア街道を見てみたかったので、その手前にあったカラカラ浴場もついでに寄ってみた、といった感じだった。だからカラカラ浴場も30分くらいで切り上げる。それでも初めての観光客の少ない史跡だったので、印象は悪くなかった。すでに無料入場は使い切っていたので、半額3€だった。目的のアッピア街道へは、そこの前のバス停から118番のバスで行けると書かれたガイドブックのコピーを持っていた。バス停はすぐ見つかるも、ほんとにイタリアのバスは来ないのである。しばらく待ってると観光客を大勢乗せた118番がやってきてそれに乗車、が、今度はどこで降りたらいいのかわからないのであった。少し走ると城門を通って城壁を抜け、狭い道になったが、どうやらそれがアッピア街道のようだった。最初に大勢のツーリストが降りたところでは降りなかった。そして、ま、どこでもよかったのだけれど次にツーリストが何人か降りたところで便乗?下車した。そしてその狭い道の写真を撮ってから、ここはいったいどこなのか調べてみた。いくつかの看板で、どうやらそこがサン・カッリストのカタゴンペというところのようだった。すでにアッピア街道に入ったあたりからローマの喧騒はどこへやら、で、周りは田園地帯というか自然が残されている環境のいいところだった。とりあえずその入り口までいってみる。わたしは初めて聞く場所だったが、やはりここもローマの史跡の一つだったらしく、けっこう大勢のツーリストが押し寄せていたのだった。もとよりキリスト教墓所に興味はなく、せっかく来たけれど中には入らなかった。が、また同じバスで戻るのも能のない話で、たまたまその田園地帯を行くサイクリングロード?が設えていたので、その道をきた方向に戻る形で歩きだした。そ1kmくらいで終わってバス通りの狭いアッピア街道にでる。どうやらそこが最初に多くのツーリストが降りたところだったようで、そこに公園事務所があって、レンタサイクルの案内がでていた。その前あたりにあった教会がクオヴァディス教会らしかったが中には入らなかった。わたしはアッピア街道の写真が撮れただけで満足だったが、ちょうどそのときやって来たバスを見送ってしまった。もう少しこの道を歩いて、できれば先ほど通過した門(サンセバスティーノ門といった)までいって、その写真も撮りたいと思ったからだった。で、その狭いバス通りをいくと鉄道が走ってて、その下がトンネルになってて、そこをくぐると昔の道標のようなものが残っているところがあった。そこからサン・セバスティアーノ門はすぐだった。城壁と門の写真が撮れたので、そこから一番近そうな駅を探した。鉄道が通っていたので、近くに駅があるなら歩いてしまおう、と思ったからだったが、いずれも距離があったのでそこからはバスに乗るしかなさそうだった。が、しかしここで失敗をする。バス停は近くにあってそこで待っていると、すぐにバスは来たのだ、が、それは218番で、そのバスがどこへ行くのかわからず乗らなかったのだ。この後の予定が決まってなければ、たぶん乗ったのだけれど、その時すでに12時半を回っており、ヴァチカンの14:30が気になって、この時ばかりは確実な118番で行こうとそれも見送ってしまったのだった。118番のバスはそれから15分ほど待つことになったが、あとから218番バスは地下鉄サンジョヴァンニSan Giovanni駅行きだったこと、そこからは地下鉄A線一本でヴァチカンの下車駅オッタヴィアーノOttavianoまで行けこと、そしたら、たぶん3~40分は早くオッタヴィアーノに着けていたことを知るのであった。なので、118番でコロッセオ、地下鉄B線でTerminiにでてA線乗り換えてのルートでオッタヴィアーノに着いたときは13時半ころになっていた。

  • カラカラ浴場;4枚
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  • アッピア街道、サン・カッリストのカタゴンペバス停付近;2枚Img_4768_640x480Img_4770_640x480
  • サン・カッリストのカタゴンペ入り口付近;2枚
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  • サイクリングロード;2枚Img_4772_640x480Img_4774_640x480

    クオ・ヴァディス教会付近;2枚Img_4775_640x480Img_4776_640x480

    サン・セバスティーナ門とその近くにあった道標Img_4777_640x480Img_4780_640x480Img_4782_640x480アウレリアウス城壁(3世紀)


     ま、それでも余裕は余裕であったのだけれど、そこからは簡単であろうと思っていた駅→ヴァチカンがよくわからなかったのである。そのときはガイドブックも地図も持ってなかったが(Roma Passについていた地図と、日本でコピーしてきたものはあった)駅からの案内くらいあるだろうと思っていた。たまたま、それを見つけられなかったのかもしれないが、地上にでたとき、どっちの方向いけばいいのかがわからなかった。そして大きな建物だから見えるだろうと思っていたが、それらしき建造物は視界に入らなかったのだ。しかし、なんかここまで来て聞くのが恥ずかしくて、この時もカンを頼りに当てずっぼに歩きだす。で、その道が正しかったかどうかも、今もってあやふやなのだけれど、知っていれば5分で行けるところ15分くらいかかったと思う。どうやらそれらしい人混みをようやく見つけられた、といった感じで、そこに着いたときにすでに疲れていた。だからもしサン・セバスティアーノ門で218番のバスに乗っていれば、どこかでランチを食べる時間は十分にあったのだけれど、またその時は、そのつもりでいたのだけれど、すでにその時間が無くなっていたのだった。もちろんticket購入のために長蛇の列に並ぶ必要はなかったけれど、入り口の前あたりにある階段が、まるでスペイン広場の階段みたいにツーリストがたむろしていてそこで少し休んでから、2時少し過ぎたころにon line ticketの受付にいってみた。それにしてもすごい人で、どこがどうなってて、どうすればいいのかわからないまま、係りの人に言われるままに人の流れに乗るといった感じで、いつの間にか受付が終わって、オーディオガイドの貸出場所で日本語のオーディオガイドを借りるところまでは、なんとか行けた。しかし、そこからははっきり言ってどこをどう回ったのかよく覚えていないのである。まず、オーディオガイドを借りた後、どっちへ行けばいいのか皆目わからず、あっち行ったりこっちへいったりうろうろする。どこもすごい人なのである。そのとき館内の案内も、回り方の案内も確かにもらってはいた。しかし、それを見てもよくわからなかった。で、この時もあてずっぼになった。そして展示物の番号を見てオーディオガイドでその説明を受けるという形で回りだすと、もう後戻りできなくなって順序通りに進むしかなくなった。それにしても結論としては、ここはわたしにとっては猫に小判であったのだ。いや、それはそれは世界最高の美術品、コレクションの数々だったと思う。しかし、これでもか、これでもか、があまり好きでないのである。もう印象がばらけてしまって、結局何を見たのか?、何残っ人混みに流されて終わった、その最たる場所がシスティー礼拝堂だ思う。確かに今の世の中、全世界はキリスト教の価値観が優っているから、世界中からのヴァチカン詣では止まらない、もちろんそれは観光にもリンクしているから、どのガイドブックもヴァチカン美術館を持ち上げており、そこを見ずしてローマに非ずの観があるが、わたしは、その時やっと気づいたのだった。ほんとかなぁ?ま、相当数の人々にとっては最高の価値も、わたしのような凡人には、ただの混みすぎの場所でしかなかったことを ! ! 、疲れただけでしかなかった、と ! !、つまり他の場所と同じく、人が大勢いると(ここの場合はいすぎ)まず、疲れてしまって、どうでもよくなってくるというのは、ここも例外でなかったということだった。それでも後戻りできないから、たぶん2時間半ほどはうろうろしていたと思う。そして、もういいや ! と思ってやっとそこを抜けだしたのだった。それは遅ればせながらわたしも、単なる乗せられた観光客に過ぎなかったことを悟らされ、そこから抜けだしたという意味でもあった。

    ヴァチカン博物館入り口付近;2枚Img_4784_640x480Img_4783_640x480この階段で少し休む

    ヴァチカン博物館内部;17枚、詳細略Img_4785_640x480Img_4787_480x640Img_4788_640x480Img_4789_640x480Img_4791_640x480Img_4792_480x640Img_4793_640x480Img_4797_640x480Img_4799_640x480Img_4803_640x480Img_4805_640x480Img_4806_640x480Img_4807_640x480Img_4811_640x480Img_4812_480x640
    Img_4813_640x480Img_4815_480x640Img_4816_480x640出口に向かう有名な螺旋階段


     疲れ切って、どこかで休みたく壁沿いにサンピエトロ大聖堂方向に歩いていた。サン・ピエトロ広場には、また行列ができていた。サンピエトロ大聖堂、そしてクーポラへ登る人たちのようだった。もちろんパス、どうでもよくなっていた。それよりベンチを探していたが、なかなか休めるところがなかった。もちろん周辺にはカフェやレストランはあったが、その広場内に腰かけてゆっくり休める場がなかったのであった。仕方なくサンタンジェロ城への広い道を歩きながらどうするか思案していた。その時はまだ夕方5時ころで帰るには早すぎだったが、もう歩くには疲れすぎていた。バスに乗ろう、しかしどこへ?、そのとき持っていたコピーにトラステヴェレTrastevereというところがあったことを思い出していた。そこは夕方から地元民が繰り出すローマの下町といったような解説があったようにも記憶していた。そしてそこにいくには、確か今いるところの近くからミニバスが出ているはずだった。そのバスは115番ということは覚えていたが、そのバス乗り場がどこかはわかっておらず、それを探した。が、たぶんその近くまで行ったと思うが結局見つけられず(あとから、それは地下にあったらしいことを知る)、とあるバス停で休んでいると、そこに64番のバスが来たのでもうそれに乗ってしまった。このバスがどこを通るのかもわかってなかったが、ヴェネチア広場とTerminiにいくことだけは確かだったからだ。バスはすぐに橋を渡って、対岸の細い道をいった。そのうち見覚えのあるヴェネチア広場まで来てトラムが見えたので、そこで降りてトラムに乗り換えた。これもうろ覚えだったが、そのトラムがトラステヴェレまでいっているはずだったからだ。で、確かにそれはまたテヴェレ川を渡ったから、トラステヴェレに入ったのはわかった。しかし、どこで降りていいのかがまたわからず、大きな建物の前の停留所で降りた。たぶんその建物は文部省Min.d.Pubblica Istruzioneだったと思う。そははっきりしていたし、ま明るからは気の向く歩き始めた。まず、テヴェレ川を確認し、それから河岸を少し歩いてから中の方へ行く細い道に入った。そろそろ夜の帳が降りて、レストランもぼちぼち開き始めていた。わたしは、わたしでも入れそうな店はないかとうろうろする。だんだん観光客も増え始めて、ここも地元民の街ではなく観光客相手のレストラン街だということがだんだんわかってくる。路上に張り出したオープンレストランは、すでに大勢の客で賑わっていた。とうていわたし向きの店ではなく、そんな(わたしが入れそうな)店がないのもわかってきた。しかし、細く迷路のような路地をそぞろ歩くのは楽しくもあった。が、1時間くらいトラステヴェレの裏道を歩いていて、わたしは完全に迷子になっていたようだった。今いる場所がわからないだけでなく、どっちへ行けばどこにでるかもわからなくなっていた。ただ、このエリア自体はそれほど広いわけではなかったから、そのうちどこかわかりやすいところにでるだろうと歩き続けた。が、最後に行き着いたところでわたしは恐ろしくなってしまったのである。川のそばにでて、そこに交通パトロールの警察官がいたので、この辺にバス停はないかと聞いてみると、近くの橋を指して、あの橋を渡ったところにあると教えてくれたのだった。その橋に見覚えがあった。それは数時間前にサンピエドロ広場近くのバス停から64番のバスに乗ったとき最初に渡った橋だった。わたしが恐ろしく思ったのは、そんなところまで歩いてきてしまったことではなく、わたしがこの辺にでるだろうと予想していた場所とは180度違うところにでてしまったことだった。つまり、わたしは南に向かって歩いていたつもりだったのが、出たところが真逆の北側だったのだ。いや、ここまでカンが、方向感覚が衰えている自分に恐ろしくなったということだった。ま、疲れもあったからだと思うが、帰った方がよさそうだった。で、教えられたバス停からまた64番のバスでTerminiまでいって、地下鉄、そしてLido線でOstia Anticaに戻る。20時半になっていた。そこのレストランという手もあったが、昨日の店に行くことにする。その日は、何種かのピザと次の朝の朝食用にパステル(タルト)、そしてビールを買って、Fabio氏の家に戻った。明日の予定をmailでPatriziaに知らせる。まず、その朝の朝食の礼と明日は朝食の用意はいらないこと、そして8時半ころ一応チェックアウトするが、荷物のバック一つを、夕方7時ころまで預かってもらいたいことをおじさんにお願いしてほしいと頼んだ。で、明日は夕方7時ころに戻る予定であること、その時に会えればいいが、会えなかったときは挨拶とお礼ができないことを了解してほしいということもmailに添えておいた。そして、シャワーを浴びてtake out のピザで夕食とした。それからパッキングや何件かmail送付で、その夜の消灯は24時近くになった。いずれにしろ、その日はわたしの下調べ不足とはいえ、結果としては疲れ多く実りのい少ない一日になってしまったのだった、、

    サン・ピエトロ広場;3枚Img_4817_640x480ここも長蛇の列だったImg_4818_640x480Img_4821_640x480

    サンタンジェロ城とテヴェレ川Img_4823_640x480

    トラステヴェレ;3枚Img_4824_640x480ここでトラムを降りる、たぶん迎えの建物が文部省?Img_4826_640x480テヴェレ川、ポルテーゼPorta Portese門付近
    Img_4828_640x480トラステヴェレの中心辺り?、すでにこの頃どこを歩いているかわかっておらず、、