独歩の独り世界・旅世界

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チュニジア・イタリア紀行 < 予告 >

 前回のブログで予告した旅の、旅模様をつづっていきますという予告です。おかげさまで、今回もいろいろあったチュニジア~イタリアの旅をなんとか無事に終え、数日前に帰ってきました。相当に疲れた旅だったのですが、その疲れもようやく抜けつつあるといったところです。しかし、これも年のせいでしょうか、疲れが取れにくくなっているのと、今回は特に時差ボケがひどく、すでに帰国して4日目ですが、今日も数時間の眠りで目が覚めてしまい、まだ夜の明けやらぬうちから、このブログに取り掛かっているという次第、で、昼ころからの転寝で調整しているといった状態が続いています。なので、まだ旅の整理(これは長期の旅に出ると必ずやっている振り返り)には何も手を付けておらず、早いとこそれを終わらせて、実際はまだ数日先からになると思いますが、あえて、この予告をしておくことによって早く旅の記録にとりかかりたいと思っている、といったところ、というのもそれを書き終えないとわたしの旅は終わらないからです。ということで、今回は一応旅のきっかけと概要をお伝えしておくことにしました。

 今回は旅の発想(きっかけ)もけっこう面白いところから始まった。前回述べた、1)予約が全然入っていなかったこと、2)スーパーホストになったこと、3)自分の都合で自由に休みを設定できることがわかったこと、、といったことは、その前にすでにこの旅の発想があったからこその2次的な言い訳にすぎないということは、誰もが気付いていることだと思います。では、その最初のきっかけとは‥??、、これもすでに何回か述べていることだけれど、わたしの場合の旅のきっかけは、たいてい格安ticketを見つけることから始まるのです。つまり最初にいきたいところありき、ではないのです。どこでそんなに安いticketを見つけるの?とよく聞かれるのですが、今回はある知人に頼まれて、その人が探してほしいといっていたエリア(ヨーロッパだったのですが)のticketを探してて、たまたま掘り出し物を見つけることになったのでした。が、これがミイラとりがミイラに?、つまり当の本人は他のツアー会社で、しかもリーズナブルなticketを探し出したので、結局わたしの情報は役に立つことはなかったのです。が、それにしても安いticketだったので、これは使わない手はない、ならわたしが行くか、というのことになったとうのがきっかけといえばきっかけで、で、それなら、どこへ?、ということになったのでした。

 ご存知の方も多いと思いますが、今は例えばヨーロッパなら一律どこへでも??万円、という世界です。だから、ほとんどどこへでも行きたいところがあればその金額で行けてしまいます。それは単純往復でもかまわないし、オープンジョーも可能、で、わたしが選択したルートはチュニスinのローマoutでした。ま、それが4万円、諸経費入れて4.5万なら、誰もが食指を動かすのではないかと思うのですが、それが意外と知られてないのです。つまりロンドンでもパリでもバルセロナでも(ヨーロッパ圏内なら)どこでもその時はその価格だったのです(そう、そういうticketはいつでも出てるわけではない、だからタマタマなのです。安旅のコツはまさにタイミングなのです)。しかしこのticketの場合チュニジアに行けたことがミソだった。前から狙っていたチュニス(チュニジア)in、ローマoutのルートが可能だったからです。で、早速わたしは、そのticketを購入する前に大まかなルートを構想し、最初に調べたのがチュニスパレルモ(シチリア)間のフェリー情報でした。今は世界中のフェリー情報はネットで検索できます。そこで週2便のフェリーを見つけたことで、わたしのチャニジア~イタリア旅のプランは完成した、つまり日の目を見ることになったのでした。このフェリーが重要だった、つまり今回の旅のkeyはここにあったといっても過言ではなかったのです。

 前から狙っていたこのルートのことを概略お伝えしておきます(前回記した宿泊先を陸路で結んだもの)。もう、わかる人には説明はいらないと思いますが、一言でいうとギリシャ・ローマの遺跡です。歴史の舞台となった地中海世界カルタゴの本拠地、そしてシチリア、いやはや遺跡ハンター(追っかけ)にとってはこれほど魅力的なルートは、世界中どこを探したって見つけようがない、そこをギリギリ(もう少し日にちがほしいところだったが)17日間かけて回った話と写真を(ま、話も写真も素人だということを前提の上で)次回からお伝えしていけたらと思ってます。乞うご期待といいたいところですが、ま、あまり期待せずに ! といっておきます、、

Img_3964_640x480この遺跡がどこだか、この写真だけでわかる人は少ないと思う。わたしが最も行ってみたかったところの一つ、最も行きにくいところにあったので、それだけ強く印象に残っている、この遺跡については何回目かの記事で、もう一度この写真を載せるので明らかになると思う。