独歩の独り世界・旅世界

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2009-01-01から1年間の記事一覧

スリランカ 3)36年にして初めて‥

直前のブログにも書いたことだが、この遠征は結果的にある意味成功だったと言える、すでに帰国して4ヶ月が経ちその間報告会も開き、報告書の準備も見通しがいまひとつ立たないものの少しづつだが進められている、何よりの成果は報告会・報告書に発表するに…

年の瀬

今年後半の落ち込みは特に12月著しく、このブログを見ても今日が最初で最後になりそう、いまだに立ち直りの気配なくプログを書く気になかなかなれない、細かい理由は多々あり一々わかっているのだが、大きく捉えると今年前半のスリランカに向けた高揚・は…

スリランカ 2)36年振り、そして36年にして初めて‥

やはり、われわれの組織名を公表するわけにはいかないと思うが(推測はつくと思うが)これは個人行動ではなかった、そこが組織力の強み、この遠征(企画・プロジェクト)は実にそのときから36年たった今日まで優秀な後輩たちによって引き継がれてきた、その…

山レポート 11)10000円の空中散歩

空中散歩といえば、すぐ思いつくのは軽飛行機・ヘリコプター・グライダー・飛行船・熱気球・ハンググライダー・パラグライダーといったところか、どれもが魅力的で2,3を除いてほとんど経験がないので、一度は挑戦したいと思っているがやはり若くないと無理…

スリランカ 1) 36年振り、そして36年にして初めて‥

36年前、わたしはまだ大学生だった、その頃一年先輩O氏のすばらしい企画に魅せられて仲間7人とともにスリランカへ渡った、まさに渡るという表現がぴったりだった、もちろんインドのボンベイ(当時)までは飛行機で飛んだ、そこから何日かかったのだろう、まず…

100回記念は ‥

このブロクとやらに取り付いてから1年半、100回目を迎えた、ここは華々しくわたしの旅暦 3)として30余年前のいわゆる新婚旅行のネタかあるいは本年8月のタイ・スリランカ・カンボジアの旅でも書きたいところだが、今そんな気分にならない、大変に落…

山(&旅)の記録 21)1991年~2000年

1991年 43歳? この年ほとんど山らしい山に登っていない、休みが取れなかったからか?仕事が忙しかったのか?夏休みに家族を連れて車で新潟・富山・福井に4泊5日で出かけているくらい‥ 1992年 2月14日~15日 秩父・両神山 8月10日~13…

わたしの旅暦 2)

1990年の旅は12月19日から始まる、例えば今年もちょっと調べてみたのだけれど毎年年末年始は航空券が異常に高くなるのだけれど12月の20日頃までは逆に比較的安い航空券がでている、その境目あたりを狙って旅のスケジュールを立てた節がある、ひ…

わたしの旅暦 1)

前に(このブログの最初のほうで)書いた記憶があるのだが、今度のスリランカ・タイ・カンボジアの旅を記す前に今までの旅をもう一度振返っておこうと思う、というのは今までに数多く長旅をしてきたのだけれど、もうあらためて詳しく書き連ねることが難しく…

セレンディピティ serendipity

どうやらセレンディピティという言葉を知らなかったのはわたしくらいかもしれない、遅ればせながらこの本‘偶然からモノを見つけ出す能力 ‐ セレンディピティの活かし方’〔角川oneテーマ21 澤泉 重一著 2002年 新書〕を見つけてはじめて知った言葉だ、…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 書き終えて

それでなくとも記憶力の弱いわたしが10年も前の旅を綴ろうとしたのがそもそもの間違いだったかもしれない、それでももとよりプロの書き手でないわたしだから、読み手を意識して読まれる・おもしろい作品を書こうなどという大それた意図は最初から持ち合わ…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 33) 帰国

LAの地下鉄は6時が始発だった、その地下鉄には飛行場で働く人やその近くで働くいわゆるブルーカラーでいっぱいだった、その多くは黒人とメキシカンで英語とスペイン語が交じり合っている、当然というか朝早くからの肉体労働者が多いせいか女性は少ない、途…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 32)最悪の国境越え

よく憶えていないがこの日の朝食はカップヌードルを食べている、どこで買って食べたのだろう、それから歩いて国境のバス停へ(バス停で食べたのかもしれない)、さてそこでバス情報を聞く、その場からLA行きのバスもあったが、国境を渡ってから乗れば3ドル安…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 31) ティファナ

しかし問題はまだ残されていた、あくる朝早く目は覚めたもののトゥーラ遺跡の開門時間は9時、シティに戻るバスは8時40分のに乗らないと間にあわない、ともかく教えられたとおり遺跡までバスに乗っていってみることにした、遺跡の周辺は民家が立ち並んで…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 30) トゥーラ Tula

メキシコシティ行きのフライトは13時50分発だったから、午前中スーパーで土産物をあさった、特に捜したものはサルサソースの缶詰、少々重くなるけどこれはなかなか日本では手に入りにくいから良いお土産になるのではないかと思って大量に買い込んだ、つ…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 29) プラヤデルカルメン(Playa Del Carmen)

明日1月17日が実質的な帰り道の始まりである、残された一日ビーチはあまりうれしくないのだが何しろ気候が快適で気持のよいところではある、バスに乗って暇つぶしに出かける、向かった先はプラヤデルカルメンそしてトゥルム、ちょうどカンクンから手ごろ…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 28) カンクン

キューバの土産はなんといってもゲバラのTシャツが良い、いまだ衰えないゲバラ人気はどこの土産物屋でも大量に置かれていることからもわかる、昨日ハバナのオールドタウンを歩き回って土産物を物色、Tシャツととあるところでシガーを手に入れていた、この日…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 27) ハバナ

翌朝海風を受けて海岸線を散歩していたら、女性だけのデモの大群に遭遇した、どうやらそれがエリアン君を取り戻せっていうデモだったらしい、その時わたしはよくわかってなかったのだがちょっと気になったので、街角でその日の新聞を買った、それにはエリア…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 26) バラデロ(Varadero)

サンタクララを17時に発ったバスは、すぐに漆黒の闇に包まれ明かりというものがまったくない荒野をすれ違う車もなくどこへどちらの方向に向かっているのか定かでないような状態で走り続けていた、もちろん途中街らしきものもない、石油発掘現場の炎か工場…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 25) サンタクララ 2

サンタクララの町にゲバラの廟があることは知っていたし、それがここを訪れた目的のひとつであったのだが、なぜゲバラの廟がここに設けられたのかは知らなかった、それはここがキューバ革命の躍進の発端となった地であったからである、今からちょうど50年…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 24)キューバ サンタクララ(Santa Clara)

この日も町までは結局タクシーを使ってしまった、それくらい郊外にホテルはあったということだ、少々の距離なら歩いているはずだから、そして午前中はまた街をうろついたり絵葉書かって日本に送ったりして時間をつぶす、バスターミナルには出発の2時間前に…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 23) ハバナ 2

最近、世界をよく歩いている知人とある発展途上国の話になって、その国ではバスに乗るのは必死、まさにわれ先の生存競争のようなもんだという話しを聞かされた、確かにバスは、その国を見る指標としては格好の対象物といえるかもしれない、どのくらいバス網…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 22) キューバ・ハバナ

1月9日 この日初めてこのペンションのオーナーに会う、思ったよりずっと気さくで穏やかな人だった、メキシコ在20年カンクン8年の好人物・紳士であった、そのオーナーに一週間荷物を預かってくれるよう頼む、しっかり1日20ペソ取られたが、むしろ安心料として…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 21) カンクン(Cancun)

とりあえずメキシコの端っこカンクンまで来て余すところ後約2週間(1月20日LA発)、ここからの選択肢はいくつかあった、①カンクンから南下しベリーズ経由でグァテマラに入る②キューバへ飛ぶ、その場合はカンクン~メヒコ~ティファナも飛行機を利用するし…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 20)チチェン・イツァ-(ChichenItza)

いやー1ケ月こちらのほう手がつけられなかった、実際間にあわないかもしれない、できれば大きな旅の区切りは次の大きな旅に出る前につけておかなければならないのに、やはり次の旅の準備に追われて1ヶ月の空白を作ってしまった、次の旅来月からのスリラン…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 19)メリダ(Merida)

急がないと書ききれなくなってきた、時間は7月一杯、それまでもいろいろ忙しそうなので少し飛ばさないと(飛ばすの意味は、スピードを上げることと、面倒な説明・描写を省くの両方の意味あり、特に遺跡の説明は省くつもり)‥ 強烈な日差しを右側から受けて目…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 18) ボナンパック遺跡

ジャングルの朝は3時半ころから鶏のコケコッコー合戦で始まった、あちらで鳴けばこちらからそしてまた別の場所から、それはそれはけたたましい、がそんな朝をどこかで迎えた記憶があった、そう、アマゾンのジャングルの村でのこと、まぁアマゾンもラカンド…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 17) ラカンドンの村

今手元に‘最後のマヤ民族〈新潮選書〉’という本がある、1980年発行当時はまだお若かったと思われる若林美智子さんという方が書かれた本である、わたしより10歳も年配の方だが1975年から2年間、わたしがこれから書こうとしている村を含めたこのラ…

アメリカ・メキシコ・キューバの旅 16)2000年1月1日

昔(10年前)の話は、思い出すのに時間がかかる、だから書き始めたらほんとは一気に(ノリのようなもの、その世界に浸りながら)書き上げたほうがよさそうなのだけど、なかなかそうはいかない、1ヶ月も空いてしまうと、すぐにその世界・時代・ムードに戻…

山レポート 10) 高尾山

あの有名な高尾山である、標高600m位?が歩いた・登った記憶はない、もしかしたらだいぶ昔ケーブルカーで登り少々歩き回ったことがあるかもしれないが、まったく思い出せない、そしてこの方ここを歩いてみようと思ったこともなかったのだが‥ 連休後半の…