独歩の独り世界・旅世界

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2015-01-01から1年間の記事一覧

四国を歩く(区切り打ち)第3弾 最終回、85番→83番へ逆打ち、、

今回の予定は当初9日間であったが、やむなく帰省日を二日ほど早めざるを得なくなって、したがって予定・日程もずいぶんと変更せざるを得ない状況になり、それでもイレギュラーな区切り打ちだったから、いつ・どこで・どう打ち止めしようとそれは任意、自由、…

四国を歩く(区切りうち)第3弾 5,81番82番の山登りと86番、、

えびすや旅館の女将さんは、今もまだ現役の美人で通りそうだが、昔はさぞ、といった面影を残しており、何年か前にNHKのテレビで紹介されたという当時の写真に、それは証明されていた。張り切りお母さんといった風で、彼女も朝5:50より早く朝食ができているこ…

お遍路報告中断のお詫びと東南アジアの旅の概略

基本的に国内国外を問わず一つの旅に出たあとは、一応ブログという形で報告をして、自分なりにその旅のケリをつけてから、さて、次は?となって新しい旅を模索し続けてきたのだけれど、今回初めて(それは最後となるのであるが)前の旅 - 三回目の遍路区切り打…

四国を歩く(区切りうち) 第3弾 4,四日目 76番~80番、&えびすや旅館

この日の行程も悩ましかった。その前日、すでに一部鉄道を利用してしまったが、この日の76番から80番までは、ある意味すべてJR沿線沿いあって、もっといえば比較的駅に近いところにあるお寺ばかりだったからである。だから当初は逆に全区間鉄道利用でいこう…

四国を歩く(区切りうち)第3弾 3, 71番~75番、善通寺宿坊に泊る、、

この朝、わたしは少し微妙な心境にあった。というのも、他の3人はすでに68番69番を打ち終えていて、その日は70番に向って歩きだすばかりであった。ところがわたしはその70番も前回打っていて、今回はここから71番に最短の駅まで電車で行こうとしていたからで…

四国を歩く(区切りうち)第3弾 2, 66番雲辺寺、67番大興寺、、

ともかく最初から、この女将さんは感じがよかった。疲れたお遍路をいたわってくれる優しさを自然に備えている慈悲深さは大師様信心の賜物か、と思わせるものがあった。それを知り慕うお遍路さんが、四国お遍路の行程の中でも特に行き着くのが難しいこの場所…

四国を歩く(区切り打ち)第3弾 1,松山~65番三角寺~民宿岡田

今回の出発は11月11日だった。今回も成田→松山はJetstarを使ったが、それは今までで一番低価格3990円というセール価格を見つけたから、その日にしたのだけれど(日にちや時間帯によって価格は異なる)これは変更不可の料金で、実際はそれに座席指定料(座席の希…

四国お遍路 第2弾 最終回,68番、69番、70番で打ち止め

駅からも札所からもけっこう離れていたので、このビジネスホテルにお遍路さんは泊まっていなかった。7時の朝食にレストランに下りたとき、そこにはビジネスマンというより作業員風の男性が何人かいて、わたしと同じモーニングセットを食べながら新聞を読んで…

四国お遍路 第2弾 7,山登り、60番横峰寺へ、、

60番横峰寺までは、小松の宿からだと11km、山登りだから4時間?、ちょうど通り道になっている61番香園寺までは20分、そこから3時間半はかかるといわれていた。なので、往復一日をみて、上には何もないとのことだったのでオカアサン(おばあさんともいいにくか…

四国お遍路 第2弾 6,56番~59番、電車、64番~62番、、

さて、この時点で残り三日(10月8日の帰りの航空券を持っていたので)、この先どこまで行けるか?、今回の第2回お遍路をどう収束させるか?、といったことを改めて検討する時機にあった。それはもちろん、次の第3回目のお遍路を念頭に置いた上での収束を意味して…

四国お遍路 第2弾 5,40番→54番、55番、、

出発前、まだ自宅でプランニングをしていた段階で、個々の列車・バスの時刻までは把握できなかったが、持っていたガイドブック(へんろ道保存協力会編の地図)等の情報でこの辺までの想定はできていて、ほぼその通りにきていた。予定・想定で少しズレが生じた…

四国お遍路 第2弾 4,足摺岬はバスで、37番~39番、、

もうひとつの土佐の難所は足摺岬だった。その朝、6時からの勤行と法話のあと朝食をいただいてから、今一度本堂と大師堂を参拝し、勤行と法話をしてくださった住職自らが筆を取ってくれ、ご朱印をいただいて出発しようとしたとき、すでに昨日の仲間の姿はなか…

四国お遍路 第2弾 3,二日目 35番清瀧寺、36番青龍寺<ドラゴンバス>

この日の予定は以下のように考えていた。行程から35番清瀧寺<キヨタキジ>はホテルから3km、もちろん歩きで参拝を含めて往復2時間、そのあとの36番青龍寺<セイリュウジ>が、そのホテルから見るとちょうど35番の逆方向だったから、宿に荷物を預けて往復するの…

四国お遍路 第2弾 2,初日31番~34番、、

10月2日が今回の遍路行の初日であったが、その前に9月30日の成田でのちょっとした出来事に触れておきたい。この飛行機は低料金が故のくぐらなければならない関門がいくつかあった。そのひとつは荷物制限である。最低価格の場合荷物は機内持ち込み手荷物のみ…

四国お遍路 第2弾 1,概略

わたしは新聞を読まないしテレビもほとんど見ないので、マスコミ・メディア情報にうとく、世間のことをほとんど知らないのだけれど、どうやら今(ある本によると)平成期になってから?あるいは今世紀に入ったあたりから、お遍路はずっとブームの中にあるらしい…

改めてグアテマラの魅力を探る 3, グアテマラの現在?

前回続きを予告してから早3週間、このタイトルで書き始めたときの動機(狙っていたこと)を忘れかけていて、続きが書けるのか危ぶまれてきています。で、少しそのあたりのことを思い返していて気づいたことがあったので、それをまず‥、それは今回わたしが言い…

四国八十八ヶ所 お遍路初体験 8,最終回、お接待に感謝 ! 感謝 !

思えば今回初めての四国、お遍路初体験はお接待に始まり、お接待で終わったといえるかもしれない。四国には悪い人がいないのではないかと錯覚させるくらい、どうしてこうも皆人がよいのだろうと思わずにはいられなかった。しかし、四国のほんの一端に過ぎな…

四国八十八ヶ所 お遍路初体験 7,43番明石寺、42番仏木寺、41番龍光寺を打つ、、

今まで書いてきたように、当初は歩き通すつもりでいたから、途中の交通機関に関しての情報は一切持ってなかった。もちろん重いパソコンなんかもってのほか、スマホも持ってないから、いざ公共交通機関を使って、となったとき、まずバスが走っているのかどう…

四国八十八ヶ所 お遍路初体験 6,鴇田峠を越えて内子町大瀬まで、、

(予めお断りしておきますが、今回の内容は面白くないと思います。お寺巡りもなく写真も少なく、ただ移動で歩き疲れた話しかでてきません。あくまで記録ということであしからず、です‥) に44番の大寶寺から次の43番明石寺までは67~68kmと書かれていたので、…

四国八十八ヶ所 お遍路初体験 5,45番岩屋寺、44番大寶寺を巡る、、

癒しの宿‘八丁坂’の女将さんは、タクシードライバーO氏が説明してくれた通り、何年か前まで45番岩屋寺近くにある国民宿舎古岩屋荘を切り盛りされていた方で、女将さん自らそのあたりを詳しく話してくれたのだけれど(よく覚えていないので)わたしの理解したと…

四国八十八ヶ所 お遍路初体験 4,三坂峠を越えて久万高原へ、、

その日の夕食で顔を合わせたのは、わたしを入れて全部で5人だった。100人以上収容できそうな大広間の片隅で、見ず知らずの男性5人はひとつのテーブルで黙々と箸を進める。だれも口を開かない。わたしもなかなかいける料理に、二本目の缶ビール500mlを飲みな…

四国八十八ヶ所 お遍路初体験 3, 50番→46番まで歩く、、

午前中の、とても親切で人の良いタクシードライバーO氏の指導で多くのことを学んでいた。装束については事前に案内書等を手引きにして一通りお遍路さんらしい格好は整えていた。菅笠、白衣、金剛杖、輪袈裟(そのほかの納経、巡拝用品をそろえるとけっこうな…

四国八十八ヶ所 お遍路初体験 2,松山から歩きだす、、

わたしは偶々<タマタマ>という言葉が好きである。ずいぶん前からこの言葉は意識してきた。言ってみれば偶然ということだが、その含意の力点は‘意図せず’にあって、全面に我意をださずに他意と我意がうまく一致する状態、とでも言えばいいのだろうか?そんな時…

四国八十八ヶ所 お遍路初体験 1,きっかけ

これから何回かにわたって、初のお遍路体験についての記録を残します。まず、最初に言ってしまいますが、はじめてのお遍路体験は無謀?にも歩きで廻ろうと試みて、早くも5日目で挫折してしまいました。なのでその5日間の記録です。しかし例によって、その言…

改めてグアテマラの魅力を探る 2,インディヘナの村

もう、お気づきのことと思いますが、この純粋インデイへナの割合が高い、あるいはインディヘナ人口が多いということは、我々旅行者にとって決定的な意味をもっていたのです。わたしも最初はそんなことを知らず中南米を歩いていたのですが、実は(もしかしたら…

改めてグアテマラの魅力を探る  1,インディヘナ Indigena

今まであまりにも散漫に(いい加減に)、ただ自分の体験を記すことを目的として迷走してきたが、どうもそれはその語りが雑で稚拙すぎ、ほとんど他人に顧られることがなかった(そもそも当初はその志もなかったのだが)。これは根っこの部分がまさにそうした性格…

Barcelona 4泊6日 その3, 最終日はモンセラットMontserratへ、、

しかし、この選択はどうであったか、いまひとつ自信がない。モンセラットは前回いってなかったから、ずっと気になっていたところだった。もっとも前回のときはそんなところがあることすら知らなかったのだから、いってないのが当然だが、そのあと帰ってから…

Barcelona 4泊6日 その2,車上遊覧で休息を、、

ヨーロッパ4泊6日ということは、これもいわゆる弾丸旅といえたかもしれない。何せ実質は中3日しか行動日がなかったのだから、昔のわたしだったら決してこんな旅はしなかったと思う。しかし、人生の黄昏、もしかしたらもうそんなに旅には出られなくなるだろう…

Barcelona 4泊6日 その1,シエスタと、スリと、、

出発したのは6月25日で帰国は6月30日だった。この旅の経緯についてはすでに述べたので、経過報告だけにとどめたい。前回述べたようにこのツアー(エアホ)料金はきわめて安かった。ちょっと考えられないくらい、つまり普通の個人旅行でticketとホテルを別々に…

カタルーニャ(Catalunya)賛歌 Homage to Catalonia

ご存知の方も多いと思うが‘カタルーニャ(英語読みはカタロニア)賛歌’はオーウェルのスペイン戦争体験記である。わたしが今回参考にした資料のひとつなのだが、この本は45年前大学の語学の授業で読まされた記憶があって、オーウェルの名前とそのタイトル名だ…