独歩の独り世界・旅世界

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‘ギリシャ哲学者列伝’より 2-1 ソクラテスの弟子 アリスティッポス

 前回の続きで、今回の記事もすべて‘ギリシャ哲学者列伝’からの引用、いってみれば無断転載(パクリ?)ということになるが、それでも人口に膾炙している話ではないので、多少は大目に見ていただきたいと思っている。さて、その本によるとソクラテスの弟子についてはこのように記されていた(ただこの底本には問題ありと訳者の注があった)。

< 彼の後継者で‘ソクラテスの徒’と呼ばれている人たちのうちで最も重要なのは、プラトン、クセノポン、アンティステネスであるが、かの‘十人衆’といわれている人たちのうちで最も著名なのは、アイスキネス、パイドン、エウクレイデス、アリスティッボスの四人である。 >

 このなかでわたしが知っていたのは、もちろんプラトンだけだったが、一応十人衆といわれるからにはあと3人の名がほしいところである。が、その記述はなかった。では、このギリシャ哲学者列伝(上)(中)(下)の中に上記7人の記述はあるのかというと全部でてくる。そのほかに直弟子と思われる人として、クリトン、シモン、他数名いたが、記述の長さからすると、あるいはこのクリトン、シモンが十人衆に入るのかもしれなかった。で、それらに一通り目を通してみて面白いと思った人が一人、そしてプラトン以外にわたしが勝手に重要と思えた人が一人いた。今回はその二人に焦点を当ててみたいと思う。まず面白いと思った人、その人がアリスティッポスであった。

 我々素人にとってはアリスティッポスという名は全くなじみのないものであった。が、この本のなかでこの著者がソクラテスの弟子上記7人(プラス2人?)のうち、プラトンは別格として、最もページを割いていたのがこの人であったから、あるいはその道の人にはその名は知られていたのかもしれなかった。そんなこと知らずに読んでみて、なるほどこの人は面白いと知るのである。本来ならばきちんとこの人の来歴を、ま、この本から引用しなければならないところ、そこまでの必要性を感じてないので、わたしが重要と思った箇所、面白い人だと感心した箇所だけ、前回のクサンティッペに倣って抜粋して、お茶を濁していきたい。

1,彼はまた、場所にも時にも人にも自分を適応させることを知っていて、どんな環境にあっても、それに合わせて自分の役を演ずることのできた人であった。だから彼は、ディオニュシオスのところにおいても、他の人たちよりもずっと評判がよかったのであるが、それは彼がどんな事態に遭遇しても、これにいつもよく対処したからである。すなわち彼は、現にあるものからの快楽を享受し、現にないものの楽しみを苦労して追い求めることはしなかったのである。ディオゲネスが彼を‘王の犬’と呼んだのもそれゆえのことである。

 素晴らしい才覚と処世術の持ち主のようであった。さすがに哲学者らしく生きた?その柔軟に生きるコツ(それがまさに哲学?)を心得ていたとでもいったらいいのか、そして実践した人だったのだろう、けっこう敵も多かったようだ。なお、最後のディオゲネス云々が、きわめて面白かったので、その辺のところはあとで補足するつもりである。

2,‘君だけにできることだよ、立派な着物でも襤褸でも、どちらを身に着けても平気でおられるのは。’とプラトン(またはストラトン?)がいったとか?

3,あるとき、ディオゲネスが野菜を洗っていると、そのそばを彼が通りかかったので、ディオゲネスは彼をからかってこう言った。‘もし君がこんなもので食事をすることを知っていたら、独裁者たちの宮廷でぺこぺこすることはなかったろうにね’。すると彼は、‘君の方だって、もし人々と交際するすべを知っていたなら、野菜なんか洗わずにすんだろうにね’とやり返した。

 実はこのエピソードがわたしにとって一番面白かったのだけれど、それは1,でも登場するディオゲネスと知りあいだった可能性が、この二つから読み取れたことにあった。同時代人で、お互いがお互いを知っていたとなると極めて興味深いのである。その辺のことも後から補足するつもりだ。

4,哲学から何を得たかと訊ねられたとき、‘誰とでも臆することなく交際できるということだと’彼は答えた。また、哲学者にはどんな長所があるかと訊ねられたとき‘法律がすべて廃止されるようなことがあっても、我々は今と同じような生き方をするだろうということだ’と彼は答えた。

いずれもなるほど、と思わせる答弁、、

5,ディオニュシオスから、哲学者たちの方は金持ちの門をたたくのに、金持ちたちはもはや哲学者たちの門を訪ねようとしないのはどうしたわけかと訊ねられたとき、‘哲学者の方は自分に必要なものを存じておりますが、金持ちはそれを知らないからです’と彼は答えた。

6,ある日娼家に入ったとき、同行した若者の一人が顔を赤らめていると、‘危険なのは、入ることではなくて、出てくることができなくなることだ’と彼は言った。

7,無教養なものであるより乞食のほうがましだと彼は言った。なぜなら乞食に欠けているのはお金だけれど、無教養なものには人間性が欠けているからだ、と。

8,彼はあるときコリントスへ向かって船旅をしていて、嵐に襲われたので大変狼狽した。すると相客の一人が、‘我々凡人でも平気でいるのに、あなた方哲学者がびくびくなさるとはね’と言ったので、これに答えて彼は、‘君とぼくとでは助かろうとしている命が同じでないからね’と言った。

9,あるひとが息子を弟子入りさせるために彼のところへ連れてきたら、彼は500ドラグマを請求した。そこでその人が、‘それだけ出せば奴隷が一人買えますよ’というと、‘ではそうなさい。そうすればあなたは奴隷を二人持てるでしょうね’と彼は応じた。

10,彼は、自分が弟子たちからお金をとるのは、自分でそれを使うためではなく、お金は何のために使うべきかを彼らに知らせるためだと言っていた。

11,ある日、ディオニュシオスの執事のシモスが大理石を敷きつめた豪華な邸宅を案内して見せていたとき、彼は咳払いして、痰をその男の顔に吐きかけた。それでこの男が憤慨すると、‘他にもっと適当な場所がなかったものですから’と彼は言った。

12,ソクラテスはどんな死に方をしたかと訊ねられたとき、‘ぼくだってあんなふうでありたいと願うようにだ’と彼は答えた。

これこそ味わい深い答えだと思う、、

 エピソードはまだまた数多く記されていたが、わたしが面白いと思ったのは以上です。この人の当意即妙振りはなるほどなかなかのもので、先にいったよう人に和すことがうまく、生き上手な面がでて、なかなかしたたかに生きたことがうかがわれる。‘よく生きる’というソクラテスの教えを受け継ぎ、忠実に?実践した、まさしくソクラテスの弟子として面目躍如たるものをわたしはこの人に見るのである。

  さて、ここに登場した人物についてわたしの知るところを少し補足しておくと、ディオニュシオスという人は当時のギリシャ者植民地シチリア/シラクサの僭主(二代目?)、いってみれば王様の地位にあった人で、プラトンはじめ多くの食客を招いて一時羽振りのよかった人?、この時代の歴史の記述にはよく見かけるのであるが詳しくは知らない。その時期のプラトンはじめ多くの哲学者が彼の食卓(サロン?)をにぎわしたのではないかと想像するが、たぶんアリスティッボスもその一人であったことが、1,3,5,11から見てとれる。次に1,と3,で名前がでてきたディオゲネスのことを少々、、

 またまた勿体つけた言い方になってしまうが、わたしが今回取り上げている‘ギリシャ哲学者列伝’という本を探し回った最初のきっかけが、実はこのディオゲネスという人のことが知りたかったからであった。この人は‘犬のディオゲネス’と呼ばれていた人で、名前だけは昔から知っていた。しかしくわしい伝記や学説等何一つ知らないまま、ただずっと気にはなっている存在であった。今回なんかのきっかけでこの本を知り、その中にディオゲネスの名を見つけたから、急遽Amazonで取り寄せたのであったが、この一文を書きだしたのも、最終的にはこの人のことを書きたかったからでもあった。それは次回か、そのあとに書くことになるかと思うが、今回記したアリスティッボスもどことなくディオゲネスに似ているところがあって、だからこそ紹介したくなったということでもあった。で、その二人が(事実かどうか確かめようもないが)この本によると出会っていたということにまず驚かされたのである<1,3,>。ディオゲネスソクラテスの直弟子ではなく、孫弟子になるのだけれど(だからたぶん直接の出会いはなかったはず)、そういう意味ではどちらもソクラテスを受け継いでいるように思う。そして今回のエピソードで面白かったのが、1,の犬のディオゲネスが、アリスティッボスに対して‘王の犬’と蔑称している点、そして3,の両雄相まみれて、お互いがお互いに減らず口をたたいている点、この面白さはわかる人にはわかると思う。まるで趙州と臨済の出会いのようである、って、これもわかる人にしかわからない話であるが‥、、