独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

チュニジア・イタリア紀行 14, ローマ Roma 初日 フォロ・ロマーノ、カビトリーニ美術館

  Napoli ~ Roma間が特急Frecciarossa号で19.9€だったことは何回か前にお伝えしていたと思うが、正直言って初めて乗るイタリアの新幹線がこれほどにも快適で速いものだとは、その価格からは想像もしていないことだった。220kmを1時間10分なのだから平均時速200km?、乗車後しばらくして気づいた車速を表すテレビモニターには、確かに何度も300km/h超えを記録していたから、日本の新幹線とはいい勝負なのかもしれなかった(テツオタでないのでこういう話題には疎い)。それにしては、である。日本のJRはいまだ早割制度は導入しておらず(JR高速バスは確か早割があった)、が故に、高すぎる日本の新幹線には乗ったことがなかったのだけれど、220km1時間10分、座席指定で19.9€(当時のレートでは2400円くらい?)ならわたしでも乗れ、大いに利用価値ありと思ったものだった。というのも距離が違うので単純比較できないが、例えば東京~名古屋間366kmは乗車券と特急券で11000円くらい、だいたい同距離の東京~掛川229kmでも8000円くらいするのである。3倍以上の開き、それこそ単純にいうと日本の1/3である。他の物価はそれほど変わらないことを思えば、この早割制度は貧乏旅行者にとってはありがたく、だからイタリアのレッドアロー号に乗れたのであった(イタリアの特急もいくつかの種類があって、わたしが乗ったナポリ発ミラノ行きFrecciarossa 9520はその中でも最速車、日本でいえばのぞみクラスのようであった。また、早割が利用できない場合の普通の価格は日本とあまり変わらないようだった)。

 その朝、出発前にPatriziaからmailが入っていて、ローマTermini駅からOstia Antica(その夜の宿Patriziaの住まいがあったところ)までの行きかたを知らせてくれ、駅まで迎えに行くから何時頃到着か知らせてくれとのことだったので、では7時半にお願いしたいと返信を入れてから、朝の7時半にSalvator Rosaのマンションを辞した。その日は日曜でもあったし、ま、まだ朝が早かったから、ご夫婦とは顔はあわさず、鍵を所定のところにおいて挨拶抜きの退出となった。ナポリ駅までは、すでに通いなれたルートであったが、その朝は1€のticketを求めての乗車であった。Campania Arte Card は3日券だったから、その日は使えなかったからだが、たぶん32€のもとは十分とっていたように思えた。おそらくパエストゥム遺跡とポンペイ・エルコラーノ遺跡、そして国立考古学美術館の3ヶ所だけでも、すでにその額を越えていたと思うから、そうすると3日間の交通費、パエストゥムサレルノアマルフィ(ラヴェッロ往復も)~ソレント~ナポリ、そしてナポリポンペイの往復+ナポリ市内のすべての交通機関利用分がそれで賄われたということになる。大雑把にいって同額くらいはお得となったのではないか?だから、その3日間にわたしが使ったのは飲食費に50€くらいだけだったのである。

 ナポリ駅には8時前に着いてしまったから、1時間ほどの余裕があってどこかで朝食をとることも可能だったが、ま、コーヒースタンドでコーヒー一杯飲めればと思って、少し駅前をうろつく。が、適当なスタンドが見つけられずに、結局駅構内に一軒見つけたが注文の仕方を間違えてun caffeといったら小さなカップのエクスプレッソがでてきて、後悔することになる。イタリアではわたしの飲みたいコーヒーはcaffe americanといわなければならなかったのである。いや、何度かそんな経験をしていたから、すでに承知はしていたのだけど、ついうっかりであった。そんなんでぶらぶらしながら列車の入線を待っていたが、それは8:45ころだった。ある意味ガラガラのすいてる列車で発車時に隣席に相客は来なかったが、わたしはナポリ~ローマ間はノンストップだということを知らなかったから、早い話ローマまで相席はなかったのであった。9時発予定が10分遅れの出発となったが、そのノンストップの特急は1時間でローマ着、即ち平均時速220kmで走って定刻10:10にローマに着いたのであった。

Frecciarossa(レッドアロー号)9520便;2枚Img_4634_640x480Img_4633_640x480

車窓;3枚と車速モニターImg_4636_640x480Img_4649_640x480Img_4647_640x480Img_4651_640x480


 最後街ローマの話となる。ローマには10/16日の10:10に着いて、18日の20時ころの列車でフィウミチーノ空港に向かったのだから2日と10時間の滞在となった。宿泊先は、ローマ市内で気に入った宿、しかも手頃の価格の宿が見つけられなくて(余談だが、ローマで人気のairbnbの宿は、向こう1年位先まで予約済みであった)、わたしは郊外にとても良さそうな、しかも決して高くないairbnbの宿を見つけていた。それが美貌才女Patriziaの家であったが、その所在地はOstia Anticaというところで、それがまたわたしがそこを選んだ理由でもあった。それについてはおいおい語っていくとして、当初ローマの予定は以下であった。まず、16日は半日ローマ見学に費やせそうであったが、Patriziaの家まで行って荷物を置いてくるとなると、2~3時間くらいロスすることになるので、その日は荷物を駅に預けて回ることにしていた。そして次の17日が本格的なローマ見物、特に40年前に来た時訪れてなかったヴァチカン博物館をこの時on lineで予約してあった。そして最終日はせっかくの、そのためのOstia Anticaでもあったのだから、その遺跡に半日、あと見逃しててどうしても行っておいた方がよさそうなところを残りの半日で、と考えていた。いずれにしろ、事前に調べて、とうてい3日で、これでもか、これでもかといわんばかりのローマの見どころを全部回れるなんては思ってもいなかった。ま、そういう意味では、ローマについて事前に図書館でガイドブックを借りて調べたのは完全に失敗であったのだ。正直言うとその時点で圧倒されてしまって、わたしが最も嫌った、最もつまらない、ま、いわゆる団体さんが回るやり方を、そのガイドプックを見ていて知らぬ間に刷り込まれてしまったのだ。愚かな旅行者に成り下がってしまったわたしのローマは結局散々な目に合うことになるのである。が、その究極の原因はわたしにあったのではなく、なんといってもおそらく世界一ではないかと思われる、そのツーリストの多さにあったのだけれど‥、、

 そう、確かに40年前にこのローマにも寄っていた。が、何日いて、どこに泊まって、どこを見たのか全く覚えていないのである。ツレにはその記憶はあるのかもしれないが、わたしは皆無といって等しい。おぼろげながら貧乏新婚旅だったから、金のかからないトレビの泉とかスペイン広場はいったような気がする。ともかくすべて外からの見学だけだったのではなかったか?それでもローマにいったような気になっていたと思う。そして、その後もう一度ローマにいってみたいと思ったことはなかったのであった。だから今回のローマも最初はどうでもよかった、というか、そもそもの目的地ではなかった。その意味ではナポリまでで当初目的とした旅は終わっていたし、それなりに満足していた。で、欲張ったというか、帰り便の関係でローマは寄らざるを得ず、それなら昔の記憶が全く残ってなかったから、初めての街のつもりで一通りは見ておこうと滞在も2泊にしたのだった。だからといって、ローマでどうしても行ってみたいとか、見ておこうといったものがあったわけでなく、あれもこれもといったガイドブックに流されてしまったことが、ま、悲惨の原因だったと後から気づくことになったが、ともかくその日は、まず荷物を預けることから始まった。

 Roma Terminiに定刻で到着して、荷物預かりの場所は事前に調べてあったからすぐにそこまではいけた(ちなみに近年テロの影響でロッカーはことごとく廃止されているのだとか?)。が、まずそこからわたしは目を疑うことになる、何?この人だかりは?どこが受付でどうやって預けるんだ??、その方法を知るまでに事情を知らない田舎者(わたしのこと)は、うろうろまごまごして数分かかったが、いわゆる整理券をとって、その番号の呼び出しがあって実際に荷を預けるまで30分以上待つことになったのだ。人だかりは所在なくそれを待つ群衆だった。それこそその顔ぶれたるや、おそらく世界中の人種が集まっていたかと思う。そしてその群衆(ツーリスト)はその後ローマのどこへいってもわたしの視界から消えることはなかったのであった。それでもその待ち時間の間に、隣接していたインフォメーション(?トラベルエージェンシーだったかもしれない)で、ローマカードRoma Pass3日券を入手した。ただ、ま、どこでも都会はあんなものかもしれないが、そのインフォメーションには複数の男女が勤めていたが、その態度の横柄さ?言葉が十分でない東洋の老人に対するあからさまな蔑視?あるいは軽視に腹立たしさを覚え、荷物預け待ちの混雑と合わせて、極めてローマの第一印象を悪くさせた。ようやく荷物から解放されてその場を脱出できた時はすでに11時を回っていて、早速そのRoma Passを使って地下鉄で二つ目の駅コロッセオColosseoに向かった。

Roma Termini駅Img_4653_640x480

 Roma Pass 72hours(3日券)はナポリのCampania Artecardより高くて38.5€だった。このカードも最初の2ヶ所(博物館とか史跡)が無料になって3ヶ所目からはだいたい50%discountつまり半額になる(すべてが半額になるのかは不明)、そして交通機関はすべて利用可、というもので、ま、使える範囲・効能?はナポリカードと同じようなものであったが、果たして6.5ユーロも高かったし、交通機関そのものが結構安かったから、元を取ったかどうか?あるいはほんとにお得なカードだったかは、きちんと詳細をチェックしたわけでないから何ともいえない。実感としてはナポリカードほどのお得感はなかったというのが正直なところ、ま、それでも乗り物に乗るときにいちいちticketを購入する手間を考えれば、その点は十分に便利だったことは確かであった。たとえ間違えて乗ってしまっても、あるいはどこへ行くかわからくても乗ってしまうことができるという面でも、旅行者には使い勝手がいいもので、少なくともわたしはけっこう交通機関を利用しているから(ローマの郊外といえたOstia Anticaも有効範囲だった)決してマイナスになったわけではなかった。で、その最初の利用がTermini ~ Colosseo だったのだけれど、コロッセオを下車して地上に出た瞬間、あ、これはダメだ、と思ってしまったのであった。何なんだ、この人だかり、人混み、行列、どこがどうなっているのか、どこから入るのか、どこに並べばいいのか、と躊躇いながらもうろついたが、すぐに諦めた。というかこの行列に並ぶ気がしなかったのだ。前日のポンペイもそうだったが、いかに重要な遺跡・史跡もどうでもよくなってしまうのだ。それに確かこのコロッセオは40年前に見ていたはず?だし、チュニジアでは合計2~30人しかツーリストがいなかったEl Djemの立派コロッセオを十分に見ているではないか、というのがその理由でここをパスしてフォロ・ロマーノにいくことにしたのだった。が、もう容易に想像がつくと思うが、そこも同じであった。ま、行列はコロッセオほどではなかったが、それでも15分ほど並んで(それでもRoma Pass所有者は別ラインで、まだましだったのであるが)入場できた。しかし入れば入ったで、どこも人!人!人!(この場合の人とは言うまでもなくturist・観光客)、わたしはすでに1時間ほどで疲れ切ってしまって、バラティーノの丘からフォロ・ロマーノそして遠くに見渡せるローマの街を眺めながら呟いていた、‘なんなんだローマってとこは?!、この観光客の多さは!’と、、それはその後どこへ行っても変わることはなかったのだけれど、もしかしたらローマは世界で最も観光客の多いところではないか、とその時思ったのだった。ま、それだけの歴史を持っていたし、その史跡の多さたるやローマの右にでるものなかったから、世界で最も集客力のある観光地であることは周知のことであったのかもしれないが、それにしてもこれほどとは !、という驚きでもあったのだった。

コロッセオ、地下鉄出口付近Img_4655_640x480

コロッセオ前広場とコンスタンティヌス凱旋門;2枚Img_4657_640x480Img_4659_640x480Img_4660_640x480

ティトゥス凱旋門;3枚とその付近Img_4661_640x480
Img_4662_480x640Img_4663_640x480Img_4664_640x480

ロムルス(建国神話に出てくるローマの始祖)の小屋?Img_4665_640x480

ラティーノ博物館脇のスタディImg_4681_640x480

ラティーノの丘から、フォロロマーノの眺め;7枚Img_4670_640x480カピトリーニの丘方面;2枚Img_4672_640x480Img_4675_640x480Img_4676_640x480Img_4677_640x480Img_4679_640x480フォロ・ロマーノ;4枚Img_4678_640x480コロッセオ方面

フォロ・ロマーノ;10枚
 Img_4687_640x480

Img_4688_480x640Img_4692_480x640ロムルス神殿;2枚Img_4690_640x480

Img_4691_480x640アントニウスとファウスティーナの神殿Img_4693_640x480マクセンティウスのバジリカImg_4695_480x640カストルポルックスの神殿Img_4698_640x480Img_4701_640x480セヴェルスの凱旋門Img_4699_640x480後がタブラリウム(市庁舎)?

 実際、その後どこへ行ってもその状態に変わりなく、はや、わたしはローマに愛想をつかしそうになっていた。それでも当初ローマカードを使っていってみようと思っていた2件目のカビトリーニ美術館に、バラティーノの丘~フォロ・ロマーノを3時間かけて回った後にいってみた。いずれも一ヶ所に固まっていたからだが、つまりこの辺一帯が古代ローマの中心で最も重要なエリアでもあったから、初日の半日は最初からこの辺一帯だけに絞ってのことだった。で、Via deli Fori Imperialiからヴィットリオ・エマヌエル2世記堂前の広場を回りに歩き続けて坂を上ってカビトリーに美術館へ。もちろんこの名だたる美術館の展示物は、素晴らしいというか凄いものだらけだったが、美術館見学も歩き続けることに変わりはなく、11時半こら休み休え5時間ほど歩き続けで、その時点では感動よりも疲れの方が上回ってしまっていた。で、その日のローマ見物はそこで終わりとし、少し早すぎたがOstia Anticaまで行ってしまうことにした。Ostia AnticaまではTerminiから地下鉄で三つめのピラミデPiramide駅で、Lido線に乗り換えて一本ということだったから、まずTermini駅かColosseo駅にいけばよかったのでカビトリーニの丘から降りてヴェネチア広場から出ているというTermini駅までいくバスを探す。時間的にはColosseo駅まで歩いたほうが早かったかもしれないが、そこまでの10~15分を歩く気になれなかったのだ。が、そのバス停もわかりずらかった。どのバスもTermini駅までいきそうだったが、そもそもどっち方向へ行くバスに乗ればいいのかさえわかっておらず、しばらくバス停界隈をうろうろする。そしてガイドブック(ローマのガイドブックは持ってきておらず、図書館で借りたときコピーしたものをもってきていた)にでていた40番とか64番のバスを探し、そのバスを追っかけてバス停の場所を探した。超満員(おそらくほとんどが観光客で)ギュウギュウ詰めのバスでTermini駅へ、荷物をとって(ちなみに5時間6€、そのあと1時間ごと0.9€?わたしは6.9€とられたから6時間でおさまったようだった)地下鉄に乗って、ピラミデで乗り換えてOstia Anticaまでは難しくもなんともなく、その無人駅に着いたのはちょうど18時ころだった。約束の時間より1時間半も早かった。例えばその駅前にレストランとかピザ屋かBarでもあればそこで食事でもとりながら待つつもりだった。カフェのような売店も兼ねた店が一軒あって、そこしかなさそうだったので、そこに入ろうとしたら、なんと閉店準備中で18時までといわれてしまった。あとは目の前を大通りが走っていたが商店や家屋が一軒もないところで、仕方なく電話を入れてみた。

フォリ・インペリアーリ付近;2枚とヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂Img_4702_640x480Img_4703_640x480Img_4704_640x480

カピトリーニ美術館への登り坂Img_4705_640x480

カンピドーリオ広場、正面が市庁舎、両脇がカピトリーニ美術館Img_4706_640x480

カピトリーニ美術館;20枚Img_4707_640x480Img_4712_640x480Img_4715_480x640Img_4713_640x480有名なロムルスとレムス双子の兄弟が狼の乳を飲む像‘カピトリーノの雌狼’

Img_4716_640x480
Img_4721_480x640メドゥサImg_4723_640x480Img_4717_480x640Img_4720_480x640マウクス・アウレリウス帝の騎馬像Img_4718_640x480Img_4724_480x640
Img_4725_640x480
建国神話当時のカピトリーノの丘想像図Img_4730_640x480二つの美術館を結ぶ市庁舎下の地下通路
Img_4731_640x480
途中にフォロ・ロマーノを一望できるテラスがある;2枚Img_4733_640x480

Img_4735_640x480
ここから新宮‘マルフォーリオ’Img_4738_480x640カピトリーノのヴィーナス’Img_4736_640x480Img_4737_640x480‘諸皇帝の間’
Img_4740_640x480
‘哲学者の間’

美術館の外から、フォロ・ロマーノと市庁舎Img_4741_640x480Img_4742_480x640


 Patriziaは今回の旅で世話になったイタリア人ホスト5人のうち唯一完璧な英語を話した。また彼女は、ナポリのGiovannaが一番若かったと思うが実際彼女にはあってないから、わたしが直接会って世話になったホストのなかでは一番若く、しかも仕事を持った主婦でもあった。その仕事というのがenvioronmental guide ,envioromental educationとあったから、たぶん環境問題を考えさせるエコツアーを主催してそのガイドをし、学校で環境問題を教えている相当意識の高い女性であるということは彼女のプロフィールを見てわかっていた。なので事前のmailはすべて英語で交わされていた。だから電話も英語が通じるということで躊躇なくかけられた。むしろわたしの英語のほうが完璧でなかったし、美人で意識の高い女性ということで少し緊張気味ではあった。電話に出た彼女は、やはりはっきりと今は忙しいから迎えに行けない、早ければ7時ころには行けるかもしれないので、駅で待っててくれといわれてしまったのだった。これはわたしの都合による申し出であったから、もちろん彼女の言い分を了解し承知したのだけれど、もしこれが逆の立場だったら、つまりわたしのお客さんだったら、わたしはすぐにでも迎えに行ったであろうと思いながら、その何もない駅で、何をするでもなく一時間ほど彼女を待った。ちょうど燃えるような太陽が沈みかけていて、この先は海だから、さぞかしそのsunsetは素晴らしいだろうとその夕陽を眺めながら、、あとから思えば、その時点で二つ先のLido Centroにいってその夕陽を見る時間は十分あったのだった。というか、そのときそれに気づいたから、実は最終日のこの時間に海辺まで行くことになるのだけれど、その話は次回ということで、ま、疲れていたから、その時はちょうどいい休憩時間となったのであった。

Ostia Antica駅(次の日撮ったもの)Img_4747_640x480

 7時にやってきた彼女は、写真よりも美人で、写真より少し歳がいった感じだったが、頭のキレる女性であることはすぐにわかった。そしてそのあと30分ほど、といっても小さな街の狭い範囲であったが、一方通行があったり、回り道したりしてその小さな街を案内してくれた。駅から歩くと5分くらいのところに数軒のお店が並んでいて、そこがその街の中心だったらしく、何軒かのレストランやBar、ピザ屋さん、酒屋兼惣菜屋(ま、何でもある食料品店?)といった店を教えてくれ、そしてOstia Antica遺跡の入り口と、その近くのピザ屋(そこは安くておいしいとか)を回ってくれてから、彼女のおじさんの家へ連れて行ってくれた。本来ならば彼女の家の一室を提供してくれる予定だったのだけれど、急遽修理かなんかで使えなくなったから、そのおじさんの家の一室を貸してくれることになってのことだった。そこは彼女の家よりずっと駅から近く、駅まで10分くらいのところにあって、すでにわたしより高齢のそのおじさんはどうやら一人暮らしのようだったが、相当地位の高かった人と見えて、その家はこれまで泊めていただいたどこよりも立派で、また、日本だったら間違いなく億はすると思われる豪邸だった。加えてその部屋のつくりや調度品、バス・トイレの造作は、ま、五つ星ホテルといったレベルの高さで、Patriziaははっきりと、この部屋もairbnbで出しているけど通常は自分のところの料金では泊まれないといっていた。が、今回は自分のところの事情だから、もちろん差額は頂くようなことはなく、気兼ねなくここを使ってくれとのことだった。そして備え付けられていた冷蔵庫には飲み物なども入っていてどうぞ自由にお飲みくださいといってくれたのだった。ま、ある意味その幸運?贅沢を享受させてもらう、そしてPatriziaとはf明日と明後日の打ち合わせをし、わたしの予定と希望を伝える。彼女は明日の朝食は何時がいいのか聞いてくる、えっ、朝食がつくの?、わざわざわたしのために、近いとはいえ作りに来てくれるの?、もちろんとの返事に大変恐縮してしまうのだった。では、7時にお願いしますといって、それから片付けにかかり、シャワーを浴びて着替えてから、8時ころ先ほど回ってくれた街の中心まで歩いて出かけた。一応食事に出かけると声をかけたが、その時はまだPatriziaはいておじさんと話をしていた。で、夜の静かな田舎町をぶらついて、ま、どこかのレストランとも思ったが、やはりわたしはtake out 派だから酒屋兼惣菜屋に入って、そこの店頭のショーケースに並んでいたうまそうなものを何品か手指しで注文、それとパンと白ワインを注文、しかし安いワインを、といったら、おばさんが探してくれ勧めてくれたのは失敗に終わる。それは甘いワインだったからだ。ともあれ全部合わせても10€、そのときも満足げにそれを持ち帰り部屋食とした。そのときは、もうPatriziaは帰ってしまっていて、それほど英語が得意でないおじさんとの会話は、ま、相手が高齢者で身分の高そうな人だったのでわたしの方が遠慮してしまった。しかし、この日も昼食抜きの行動だったから、take outの夕食をおいしくいただき、ワインを一本開けたので、豪華なベッドで熟睡し十分疲れをとることだできたのだった。

その日の夕食、惣菜は何を買ったのかもう忘れてるImg_4744_640x480