独歩の独り世界・旅世界

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古代オリンピック

 オリンピック酣<タケナワ?>である。なので、この表題の記事は今書くしかないかもしれない。ただ、このタイトルで一文を書こうと思ったのは(それで少し調べてみたのは)、オリンピックが行われているからではなかった。実際、ニュース等で見聞してはいるが(日本人の活躍も聞いているが)オリンピックの番組を見ることは全くない、わたしはテレビをみないからだ。では、なぜ今古代オリンピックをテーマにしたのか、ま、その経過を述べるのが今回の主旨であるが、同時に、それを今公表するのはタイムリーかもしれないと思ったのは偽らざるところではあった。

 唐突に聞こえるかもしれないが、事の発端はソクラテスであった。ソクラテスがどうしたのか?ま、ソクラテスについての説明はもはやいらないであろうと思う。わたしの理解はほぼ一般常識のレベルのものでしかなく、ここでの話はそれ以上ではないからである。ただその結果、少し調べてわかった新たな知見は、この記事の後に書いていこうと思っている。で、実は今回のきっかけとしては、われわれの夫婦仲の悪さが、そもそもの起こりであった。わたしはこれまでことあるごとに一方的にであるが自らの失敗をずっと嘆いてきた。そして今更であったが、わたしの友人たちに悪妻・愚妻を娶った悲劇を愚痴ってきた。そしたら、その中の物知りの一人が、まるでソクラテスだなと揶揄してくれたのだった。

 ソクラテスの妻クサンティッペもやはり(ソクラテスにとって)悪妻だったらしかったことはそれ以前にも聞いて知ってはいた。もともとこの時代の哲学者たちには多少の興味を持っていたから、なおさら実際ソクラテスにあってはどうだったのか調べてみたくなったのである。あのソクラテスもわれと同じ境遇だったのか?と、、しかし、いわゆる学説の解説や紹介、ギリシャ哲学書案内等は数多出ていても、そういったレベルの話を書いてくれてる本がない、いや、あるのだろうが専門家でないので見つけられないでいた。しかし漠然と思っていた興味は、たまたま別の関連で手にした本に、断片であるがかなり詳しく載っていたのを見つける。そこには、どうやらそれは事実だったらしいことが記されていた。それについては次回に少し述べていこうと思っている。

 さて、ではそこからどう古代オリンピックに結び付くのかという話である。上記の本は、この時代の哲学者を解説している本で、こんな本があったのかと、遅ればせながらわたしを喜ばせた(ちょっと知るのが遅すぎた?この本についても次回紹介)。で、それをみてわたしは驚きを隠せなかったのだ。くどいが、わたしは専門家ではないので、通り一遍の知識しかなく、哲学に関しても浅いものだったから、専門家からみれば常識的なことさえ知らないでいた。そこで見出した驚きとは、それぞれの哲学者の紹介に使う年号が、例えばその本の最初に登場するタレスの場合、生年は‘第39回オリンピック大会期の第一年(前624年)、享年は78歳、第58回オリンピック大会期(前548~545年)’という風に書かれていたのである。また、ソクラテスの場合も‘第77回オリンピック大会期第4年(前469年)、享年は70歳で第95回オリンピック大会期の第1年(前399年)’と記されていた。そして、そういう表記は最後まで変わらなかったのである。わたしが古代オリンピックに興味を覚えた瞬間だった。あまりにも古代オリンピックについて知らなさ過ぎた。何も知らなかったし、知らされてなかったと思う(知らなかったのはわたしだけか?)。古代オリンピックっていったいいつから始まって、いつまで続いていたのか、とか‥??

 古代オリンピックを解説している本もそれほど多くはなかった。その中から日本人が書いたものをピックアップして図書館から借りてきた(楠見千鶴子著‘ギリシャ古代オリンピック’)。今それをもとにして、受け売りを記してみたい。もっとも驚いたことは以下のことであった。ギリシャ古代オリンピックが復活(1896年に始まった近代オリンピックは再再開ということになるようだ)したのは紀元前776年、そしてそれが途切れるのが、なんと紀元後ローマ統治の393年、その間1200年続いた歴史があったことをご存知でした?、いや、わたしは知らなかったから素直に驚いたのだけれど、ま、こんなのはいわゆる雑学で片付けられてしまうのかもしれない‥??、、ではそれ以前に行われていたものはどこでどんな形のものだったかについては、神話時代にさかのぼる話で、わたしは要約が苦手なので正確には伝えられないのだが、なんでもオリンピック発祥の地ギリシャオリンピアを治めていたピサ王国の王オイノマオスのひとり娘の婿選びにまつわる話から始まるのだそうだ。この王は自分の得意とする戦車競技で、自分に勝ったものに娘を与えると公募し、すでに12人の若者が挑戦し敗れ、首を切られて殺されてしまっていた。そこへ小アジア・リュディアからやってきたペロプスという若者が現れ(由緒ある出、詳細は省く)、娘のヒッポダメイアが逆に一目ぼれしてしまって共謀して、その王を殺してしまう、そしてこのペロプスが娘と玉座と王国を手に入れるのだが、わたしが合点がいったことの一つは、ペロボネス半島命名の由来がここにあること(その前はモレア、半島の形から桑の葉と呼ばれていたらしい)だった。そして、王となったペロプスが、亡くなった(彼が葬った)王オイノマオスを讃えて、各国の要人・英雄を招いて開催した葬礼競技が、そもそものオリンピックの始まりといわれていることを初めて知るのだった。それは紀元前12世紀のトロイア戦争より数代前の話とのことである。またトロイア戦争を題材としたホメロスイーリアスの中で謳われている英雄アキレスが親友のパトロクロスの死を悼んで催した葬礼競技という説も果たしてオリンピックと関係があるのか?いずれにしろ起源は、紀元前12~13世紀に遡れるらしいことを知るのであった。

 さて、ではその復活古代オリンピックはいったいだれがいつ?という話になる。これはもう歴史時代の話で、きちんと記録が残されているそうだ。紀元前776年、先のピサ王国と常に覇権争いをしてきた隣国エリスの王イフィトスが第一回オリンピック競技会を開催したとのこと、その経緯はそれまでの戦乱と疫病の蔓延で国力が疲弊し、万策尽きてデルフォイの神託を仰いだことに始まるとか、その託宣は以下のものであったとのことである。‘争いことをやめてオリンピックを再興せよ’というものであったらしい。すぐにイフィトス王は、隣国のピサの王、クレオステネスとスパルタの王リュクルゴスと協議し開催を決定したそうであるが、ここで重要な点が、‘いかなる争い事も、競技の開催中はあってはならない’という規約の制定と遵守で、実際それは1200年間守られてきたという事実(若干の逸脱はあったにせよ)はその時代及び1200年という長き年月を思うにつけ信じがたいことのように思えてならない。つけ焼き刃なので十分にこなれた文章になってなく、ラフな表現になってしまったが(詳しくは前記図書を是非お読みください)、そろそろわたしの結論をいいたくなってきた。これもラフないい方になってしまうが、それは‘果たして人類(人間)は進歩してるの?’ということだった、、