独歩の独り世界・旅世界

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‘ギリシャ哲学者列伝’より 最終回<犬のディオゲネス> その1,

 ディオゲネスに入る前に、この関連の記事を書いていて、タイミングよく遭遇した文章があったので、それらをまた少し引用したい。前回と前々回‘ソクラテスの弟子’というタイトルをつけたのだけれど、そのあとでたまたま読んでいた塩野七海さんのローマ関連本の中に、<ソクラテスの弟子たちのことを書いてみたい>という文章にであって少々焦ってしまった(最近ローマ・ギリシャが気になって、20年も前から書き継がれてきた塩野さんの作品を遅ればせながら読み始めてのこと)。ところがよく読んでみると、わたしが取り上げた人物の名はなかったので、ホッとしたというか、わたしの感性がおかしいのか(そもそもわたしは専門家でないので他は知らないのであるが)、いずれにしろとても興味があったのでそのくだりを、勝手に引用させていただこうと思って以下に、、

 <ときに私の胸に、‘ソクラテスとその弟子たち’と題した作品を書いてみたいという想いがわき起こってくる。
 彼ほども魅力的な裏切者は歴史上いないとさえ思う、アルキビアデス。
 寡頭派の先頭に立ってアテネに圧制を敷いた当人でありながら、喜劇作家アリストファーネスに劇中で揶揄されても、笑って観ていたクリティアス。 
  アテネを見捨てて、マケドニアに去ってしまった悲劇作家のアガトン。
 ペルシアの地でしか武将の能力を発揮できなかった、当時のノンフィクション作家ではナンバーワンであったクセノフォン。
 迷走するしか知らないアテネに嫌気がさし、学問の世界にこもるほうを選んだプラトン。>

という具合だった。例の十人衆のうちの残り3人がこのアルキビアデス、アガトン、クリティアスの可能性がでてきた。塩野さんもいってるようにそれぞれが個性派であり、それぞれが一家をなしているから面白いのである。果たして、塩野七海の‘ソクラテスとその弟子たち’は出版されたのか、寡聞にして知らないのだけれど、ぜひ読んでみたいと思っているのである。もしそういうタイトルで本が出ていれば、当然アンティステネスもアリスティッボスも登場していたと思うが、果たしてどのように紹介されたのか甚だ興味深いところである。

 さて、では、ディオゲネスについて、わたしはこの人のことをいつころから知るようになったのか?今となっては定かではないが、ある本の中にディオゲネスについて詳しく解説されていたことを思い出し、改めて目を通してみた感じでは(本の内容は全く別で、タイトルの解説として書かれたもの)、それ読んでということではなく、それよりずっと以前のことだったような気がするということだった。ただ、それまではそういう人がいたということを知っていただけで、ディオゲネスの素性を詳しく知ったのはこの時、この本によってだったかもしれない。で、その本の解説が、今回のわたしの主旨にぴったりだったので、ならばそれを引用させてもらった方が早いか、と思い直し、それをここに紹介して、わたしのディオゲネスのイントロとすることにした。その本のタイトルはスバリ‘犬儒派だもの’というものだった。そして著者は、わたしは実はこの人の隠れたファンで、今ではもっとも信頼している文士(広く作家・評論家を含む)の一人なのだけれど、‘バカにつける薬’や‘封建主義者かく語りき’で、すでに1980年代から頭角を現していた、知る人ぞ知る呉智英であった。彼の本はだいたい読んでいたが、この‘犬儒派だもの’の初版の奥付は2006年になっていたから、今から10年ほど前ということになる。で、その‘はじめに’に、当然こういうタイトルにしたワケ<理由>という意味でいきなりディオゲネスがでてくるのである。そして、それはそのままディオゲネスについての解説になっていたので、わたしの素人解説は急遽やめにして、それを借用することにした、というわけである。なぜならそれは、すでに完成形になっていたからで、しかも彼はプロである、わたしにいわせれば、プロ中のプロであるから、敬意をこめて引用させていただくことにした。

1, <大学者プラトンと同時代のディオゲネスもまた特異な鉄人である。彼は樽の中に住み、奇行と警句で知られていた。アレキサンダー大王が彼のもとを訪れ、お前の望みを述べてみよというと、そこをどいていただくのが望みです。日光浴の邪魔ですから、と答えた。大王は、わたしがアレキサンダーでなかったら、ディオゲネスになりたい、と語ったという。大王は、彼の奇行に半ば本気で憧れていたのだろう。>

 これは有名な話なので、ディオゲネス伝の1,としておく、これでわかるのは、プラトン及びアレキサンダー大王と同時代の人であるということ、プラトンとはかなり接触はあったようであるが(2,等々)、アレキサンダー大王とのエピソードの真偽は不明、創作の可能性もあると思う。ただやはり同時代人なので実際にお互いの存在を認識していた可能性はありうる。また、これと似たような話が中国禅の初期、梁の武帝と達磨との初めての邂逅の時にあったように記憶している。

2,<ディオゲネスは、プラトンの学校の‘習いごと’(ディアトゥリベー)を‘ぬるいこと’(カタトゥリベー)と呼んで嘲笑していた。プラトンが学生たちに、人間は二足歩行する動物であると講義していると聞くと、それなら鶏も人間かと笑った。プラトンが人間は二足歩行する羽のない動物であると修正すると、羽をむしった鶏をもって学校へ行き、これが人間なんだってさ、とからかった。>

 1,も2,ももちろんラェルティネスのディオゲネス伝にでている話である。いくら著名の作家であっても、原典はそんなにあるわけでないから、たぶん呉智英氏といえど引用元は同じと思われる。以下の3,は彼の感想及び解説である。

3,<そのプラトンは、ディオゲネスを指して狂ったソクラテスと評した。狂ったという一語がついているにせよ、プラトンが自分の師であるソクラテスになぞらえたのだから、、ディオゲネスの皮肉や奇行一目置いていたのだろう。
 このディオゲネスとそれに連なる哲人たちは‘犬儒派’と称されている。もちろんこれは明治期につくられた訳語であって、‘キニク’(犬のような)学派を漢字に当てたものであ。‘キニク’は英語では‘シニク’となり‘シニカル(皮肉な)’の語源となった。>

 前回少し注釈したように、シニク=キュニコスである。その訳語の犬儒派に対しての彼の意見はこの後にでてくる。

4,<キニクは学派の中心地キノサルゲスから来たとも言われているし、托鉢僧のような犬儒派の鉄人の生活が犬のように貧しかったからだとも言われている。実際ディオゲネスは、自分を犬になぞらえてもいる。なぜならば、と彼は言う。施しをくれる人にはじゃれつき、くれない人には吠えつき、あやしい奴には噛みつくからだ、と。 
 確かに、人々はディオゲネスに対し、乞食に対するようには施しをしなかったらしい。これについて、彼は言う。人々は乞食に対して同情的である。なぜならば、だれでも乞食になる可能性はあるからだ。しかし、哲学者に対しては同情的でない。なぜならば、だれもが哲学者になる可能性はないからだ。>

  キニク派の由来は前回少し述べているのと、他の謂れもまた列伝にでていることである。

5,<すでに大学者であったプラトンは、‘国家’を著した。哲学者ではなかったが、理想と野望を胸に抱いたアレキサンダーは、大帝国建設を企図した。この二人の対極にあるディオゲネスを、この二人はそれなりのやり方で認めた。プラトンアレキサンダーも、自分がディオゲネスになる可能性があることを知っていたからだろう。>

6,<この二種類の人間類型は、ひょっとすると、洋の東西を問わぬ根源的なものかもしれない。 - 中略 - さらに儒家道家の対立まで遡ることもできるだろう。当然、ディオゲネスは世俗の秩序を無視した道家の側である。それを儒家に分類し、犬の一字を加え‘犬儒派’と訳した、それこそシニカルな言語感覚に私は感心する。>

 問題はこの個所である。前回少し述べたことと呉智英氏の見解が同じだったことをまずうれしく思うのだけれど、<それを儒家に分類し、犬の一字を加え‘犬儒派’と訳した、それこそシニカルな言語感覚にわたしは感心する。>これは全く忘れていたことで、最初に読んだときは別に何とも思わなかった。もちろんそういうとらえ方もできるのかもしけれないが、改めて前回挙げた山川偉也氏の説を読んだ後に接すると、‘シニカルな言語感覚’というとらえ方でいいのか?とちょっと戸惑ってしまった。ともあれそれ以外については、完璧なディオゲネス解説になっていたと思う。わたしごとき素人がこの後何をのたまっても蛇足にもならないと思うのだが、ただ、本来の引用元である‘ギリシャ哲学者列伝’には、まだまだ面白い逸話がたくさんでてくるのである。なので当初は一回で終わらせるつもりだったが、思いがけず長くなってしまったので、もう一回、もちろんそのすべてを載せるのは無理なので、わたしが気になったところ・気に入ったところを抜粋してみることとしたい、ということで今回は呉智英先生、ありがとうございました。