独歩の独り世界・旅世界

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チュニジア・イタリア紀行 11,パエストゥム遺蹟~アマルフィ Amalfi 1分が60分に

 アマルフィ海岸のことを知ったのもそれほど古い話ではなかった。この旅のきっかけもそうだったが、わたしはもともとはそれほどイタリアには関心がなかった。世の女性がイタリア、イタリアといってるのを不思議に思っていたくらいだったから、実はローマもナポリもミラノもフィレンツェもどうでもよかったし、数年前まではアマルフィって聞いても、それどこ?って感じだった。ただローマ、ナポリフィレンツェヴェネチアは確か40年ほど前に一度訪れていて、それでどうでもよかった節はあったが、アマルフィについてはその後イタリアへの感心が薄らいでいったので聞いたことがなかったのであった。ところが今や、世界でももっとも美しい海岸のひとつといわれると、そんなところあったっけ?といった感じで、ともかくいってみないと、ということになったのである。ま、そういうわけで、ここはわたしの目的地ではなかったが、ちょうどいい按配の通り道であった。問題は、通るだけでいいか、せっかくだからstayするかの選択だった。

 それはさておき、パエストゥムPaestum遺跡がその日の午前中だった。わたしは以下のような算段でいた。前日、Sapriで下車してローカル線に乗り換えたのだけれど、そのSapriの手前あたりが州境だったようでBasilicataから、南イタリアの大都市ナポリを抱くカンパニアCampania州に入っていた。このカンパニア州というところは見どころの多いところで、よく知られているところだけでもナポリカプリ島ポンペイの遺跡、そしてアマルフィ海岸もパエストゥムカンパニア州内であった。ガイドブックにも出ていたけれど、それ以前からローマのローマカードとカンパニアのアルテカードのことはネット等を通じて知っていた。なので、カンパニアに入ったらそれを入手するべく(どこでも簡単に手に入るものでもなかったので)Carmenを通じて、パエストゥムの博物館で手に入るかの確認はとってあった。その朝、Carmenは朝食も用意してくれ、それをいただいてから博物館開館時間に合わ8:15にCarmen宅出た。車で送っで荷物は置かって、、

Via Magna Graecia博物館前の通り、左手が遺跡、右に博物館Img_4308_640x480

Museo di Paestum国立考古学博物館Img_4335_640x480

博物館の前あたりから遺跡を写すImg_4307_640x480


 すでに観光バスできた欧米人観光客が到着していたが、個人ではその日のfirst visterだったと思う。遺跡のticketも(たぶん共通券?)この博物館で購入とのことだったので、まずそこへいってCampania Arte Card 3日券というのを購入した。このカードは最初の見どころ2ヶ所(博物館・美術館、王宮とか遺跡も)が無料で3ヶ所目から半額に、そして州内のほとんどの交通機関が無料になるというものだった。ガイドブックのデータはたぶん5年くらい前のものだったと思うが3日券で27€になっていたが、わたしが購入したときは32€になっていた。ま、そのくらいの値上げは考えられる範囲だったし、その他の内容に変わりはなかったので、その価格でも大変お得なカードに思えた。で、当然最初の使用がこの博物館並びに遺跡となったのであった。博物館は英語表記はあってもいちいち見ていくのが面倒だし、わからないことが多かったから有料の場合スルー<through>することの方が多いかったが、そこで購入し、しかも共通券扱いなので無料となったこともあって一通り見て回った。が、認識不足にもほどがあるというもので、おそらくここの博物館はそうとう重要かつ、価値あるところだということは素人目にもわかった。特にこれは本などで見たことがあった、紀元前5世紀のフレスコ画は目を見張らせる躍動感のある素晴らしい作品がいくつも展示されていた。それらを目の当たりにできるというだけでこのPaestum遺跡の価値がわかろうというものである。実際そのあとで見学する遺跡にしても保存状態がよく見ごたえ十分、かつ、何度もいっていることだが、ここはメジャーな(というか人気の)観光地でなかったから、その割に観光客が少なかったのがより印象を良くしたのだった。それらすべて含めて(つまりこの遺跡とCarmenの厚遇も含めて)このPaestumはやはりわたしにとっては今回のイタリア旅の一二に押すところとなったのであった。博物館に1時間、遺跡に1時間かけてCarmenのところに10時半ころ戻った。

博物館;10枚Img_4312_640x480Img_4311_640x480Img_4322_640x480Img_4325_640x480Img_4331_640x480
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Img_4316_640x480これが有名な棺にかかれた飛込みの絵、その他もほとんどは棺に描かれていたもの
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Paestum遺跡;12枚Img_4336_640x480ケレス神殿Tempio di  Ceres;4枚Img_4337_640x480Img_4338_640x480Img_4339_640x480

地下神殿Img_4341_640x480

ネプチューン神殿Tempio di Nettuno;2枚Img_4343_640x480Img_4350_640x480

ネプチューン神殿の隣に建てられていたバシリカBasilicaImg_4349_640x480

ケレス神殿とネプチューン神殿の間に、フォロForo、市場、円形闘技場跡などのこの遺跡の中心となる部分;4枚Img_4342_640x480Img_4353_640x480Img_4356_640x480Img_4363_640x480


 帰り際、博物館のわきのインフォメーションで、ここからサレルノSalernoへのバスの時間と汽車の時間を確認した。バスは11:08に遺跡の角から、汽車は11:19発があると教えてくれた。Carmenにそれをいうと絶対汽車にしなさいとのことだった。11時に出れば間にあうからコーヒーを飲んでいきなさいとイタリアンコーヒーを入れてくれた。ありがたくおいしいコーヒーをいただくと、もうすることもなかったから、十分に礼を言って少し早めだけど送って、とお願いした。で、結局11時には駅に着いてしまったのだけれど、ちょうどそのときバスが来たのだった。このバスはどこ行きかと聞くとサレルノ行きとのこと(つまり、この駅の次のバス停が遺跡の角だったのだ)、カンパニアアルテカードがあったから、バスでも汽車でもどちらでも乗れたので、ちょうどいいタイミングだと思ってCarmenにバスで行くといって、そのバスに乗ってしまった。そしてドライバカードを見せサレルノ怪訝な汽車行くうにというようことをいう。わはてっきりカード勘違い、そんなはずはないと英語強引乗り込んだしまったドライバ何も言わCarmen30分後に理解することになった。まったく自分の浅はかさが嘆くことになるのだが、今回のタイトル1分が60分に、というのはそのことをいっているのである。つまり、もし1分家を出るのが遅かったら、バスは先にいってしまって汽車で行くことになったであろう、そしてもし汽車でいったら、60分早くサレルノに着いていた、ということをいいたかったのである。つまりCarmenもバスドライバーも、思い返せばアグリジェントのホストAnnaも言ってることは同じことだったのだ。要は、イタリアでは同じところにいくのにバスも汽車もあるのなら汽車にしなさい、というのはどうやらイタリア人の常識のようだった。それほどイタリアでは、どこも渋滞が激しいから、バスは渋滞に巻き込まれて時間は読めない、ということだったのだ。それに気づかなかったのはわたしの浅はかさでもあったが、ガイドブックにそんなコメントはなく、逆にPaestum~Salernoはバスもあります、といった記事に目がいってしまったのが失敗の原因ともいえたのだ。こうして汽車だったら11:56にサレルノ着いたのに、そのバスがサレルノに着いたのは、まさしく1時間遅れの12:55の到着だったのであった。

 サレルノは大きな街で交通の要衝、つまり鉄道及び各方面へのバスの発着地で、またアマルフィカプリ島への船が出る港でもあった。港界隈の風景も美しかったし、街中にも見所が何ヶ所かあったが、結局1時間の損失はそういうところに波及してくるのである。街歩きは諦め、まず向かったのはその港から船がでているというアマルフィ行きの桟橋だった。大通りを渡って5分くらい(駅からは10分くらい?)のところにあったticket売り場で次の船の時間を聞くと1時間後くらいにあるとのことだったが、肝心のカンパーニャカードでは乗れないといわれてしまった。仕方なくまた駅まで戻り、アマルフィ方面行きのバス停を探す。が、これがよくわからず、聞いてみたがいってることがよく理解できずで、また駅前をうろついているとバス待ちの人だかりが眼に入って、そこかも知れないと思っていってみた。と、ちょうどそのときAmalfiと書かれたバスがやってきたので、ラッキーとばかりそれに乗り込む、ギリギリで左側の席に座れたのも幸運だった。サレルノからは1時間15分、その間一時も目をそらすことができぬほど、この海岸線は確かに素晴らしかった。もちろん世界中の海岸線を知っているわけでないので、ここは世界一といわれてもほんとかよと思ったりするのだけれど(例えばグアテマラに世界一美しい湖と称するAtitlan湖があって、確かに美しいが、そのレベルならほかでもありそうだ、と思ったことがあった)、ここの場合はそれほど誇張ではないと感じられるほどの美しさといってよかった。いや、このルートは確かに一見の価値あり、来た甲斐ありと思わされた。バカみたいに何枚写真を撮ったか?、いずれにしろこのバスは、右側に座るのと左側に座るのでは雲泥の差、価値が半減するからサレルノアマルフィの場合は左側でなければならない。で、もちろんその路線バスはアルテカードで乗れてアマルフィには15時前に着、この路線があまりにもよかったのでパエストゥムサレルノの一時間の損失は気にならなくなったが、そのあとがいけなかった。

サレルノアマルフィ行きボートの桟橋付近;2枚Img_4371_640x480Img_4369_640x480

サレルノアマルフィ間の車窓から;9枚Img_4379_640x480サレルノ方面3枚(進行後方)Img_4376_640x480Img_4381_640x480_2


進行前方と段々畑
Img_4390_640x480Img_4392_640x480

Maioriか?Img_4396_640x480

たぶんAtarani;2枚Img_4405_640x480Img_4406_640x480

Amalfiの街が見えてくるImg_4408_640x480

 海岸線の美しさとは対照的に、そのあとの1時間でわたしはこの街を呪うことになった。もっとも、その呪う対象は街でもホテルでもなく、わたしがホテル予約に使った某サイトであった。冒頭の問題、ここに宿泊するか、通過するだけにするかは、事前にガイドブックだけでなくいろいろ調べていた。で、どこかの情報で、歩いて山の上まで行く道があって、さらなる美しさを発見するだろう、ってな記事を見てしまったあとでは、ほぼ宿泊する気にさせられ、早速、宿探しをはじめたのだった。が、夏はホテル予約は至難でおまけに価格も高騰するという記事もあわせて読んでいた。で、とりあえずairbnbの宿を探したが、民泊そのものがなかったか、あるいはすでに予約が入ってしまったかで、Amalfiでは見つけられず、少し離れたところにあった空き室もairbnbにしては高すぎた。で、しかたなくホテルサイトで探してみた。すると、それは一ヶ月くらい前だったからか、またすでにオフシーズン価格となっていたからか、それほどびっくりするような値段ではなくまだ空室もあった。たしかシングル60€くらいだったと思う。これなら悪くないと思って、残り一室といったその手のサイトでよくやるプロモーションに煽られて予約してしまったのだった。そして実際そのホテルはとても良心的ないいホテルだったのだが、実はそのサイトはシラクサの宿をとったところと同じだったのだが、この時もその場所を示す地図がひどすぎたのだった。アマルフィは狭い街である。mainストリートは山に向かって一本あるだけ、それも10分も歩くと商店街は終わってしまうようなところだった。ただそのあたりまで細い道の両側はレストラン、ピザ屋、コーヒーショップ、食料品店、酒屋、土産物屋、その他ありとあらゆるショップが連なり、また観光客の多さは半端でなかった。で、ホテルはその緩い坂になっているメインストリートから、脇に入る細い道または階段があって、その細い路地の入口にはそのホテル案内がでているので、それを頼りに入っていくことになる。ただしその細い路地はいったん入るとそれこそアラブのスークのようなもんで迷路に等しくなる。だからメインストリートの路地にでている看板を頼りにそのホテル名を探した。プリントアウトした地図によると、そのホテルは海を背にして山への道の右側、アマルフィのDuomoの裏手辺りを指していたのだ。だから右手に注意しながらその通りを登っていった。10分くらいいくとちょっしとした広場があってそれより上は何もなさそうだったので、いったんDuomo前の広場、そこはレストランがその広場を囲んでいてもの凄い人で溢れているところだったが、そこまで戻る。そしてもう一度、同じ道をたどってみる、が、見つけられず、こういう時は人に聞くしかないと、地元の人らしい人に聞く、と、さっきの広場、そこをスクウェアといっていたが、その近くだと教えてくれた。で、また戻る。正直言うと、そうやって何人に聞いたか、そして何度その道を往復したか、もう3回目頃から呪っていたのだ、‘zokuaku zokuaku’と、この観光客であふれかえっている街が俗悪な街に見えたのだ世界中からきている観光客は(もちろん、日本人も韓国人も中国人もいた)みんな大はしゃぎしているのである。レストランでも通りでも、カップルで、グループで、ご夫婦で、ご家族で浮かれきっていた。その人混みをわたし一人だけ(この時はバックパックが哀れだった、というかそういうところだった)バックパックの爺さんは同じところを行ったり来たりして、ホテルを見つけられずにいたからだ。何人目かの人が、やっと正しいそうなこと、というか、わたしの思い込みを解いてくれた。つまりそのホテルは左側だと教えてくれたのだった。そうだったのかと今度は反対側を探すも、そっちも入ったら迷路、最後に的確に教えてくれたのは、その迷路の先にあったレストランの女の子だった。一回広場<スクェア>の方に戻って、そこにでる手前に階段があるからそれを登っていけばある、ということだった。そうしてようやくそのホテルを見つけることができたのだけれど、そのホテル探しにこれまた1時間もかかってしまっていた。さらに腹が立ったのは、もし正確な地図であったなら、そこはバス停から1分ったバス停見え日は2回も1分60分に、という目にあったということであった(ちゃんとした情報をもってないと時間のロスをする、という教訓 !!??)。

Amalfiの中心Pza Duomoドゥオモ前広場とDuomo;2枚Img_4413_640x480Img_4415_640x480

ホテルの部屋から、下にバスターミナルが見えた
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逆にバスターミナルから、左の白い建物が予約してあったホテルだった
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 感じのいいオヤジさんが出迎えてくれ、名乗る前からわたしのことを承知してくれていたので、このホテルは悪くないと直感できた。元凶はホテル紹介サイトの問題で、今後そのホテルサイトは使わないことを決めていたが、ともあれここでの1時間のロスも大きかった。というのは歩いて山の道をいく、どころではなくなったからだ。アマルフィの街自体は、すでに1時間歩き俗悪さらど海辺アマルフィく高いところからの眺めを楽しみたかった。そんな場所もいくつかあったが、その時間からいけそうなところは一ヶ所しかなかった。ラヴェッロRavelloというところだった(ちなみに時間があれば、バスは乗り放題だったから、その海岸線にある他の街、例えばバスだとMaiori、Minori、Priano、 Positano、近くだと歩きでAtrani 、Castiglioneといった街のどこかへいってみたかった)。ちょうどサレルノからのバスを降りたあたりにラヴェッロ行きのバスが停まっていて、荷物を置くとすぐにそこからバスに乗った。このときは小さなバスだったので、すぐにいっぱいになって、なんとか乗りここんで30分くらい立ったままだったため、車窓を楽しむことはできなかった、が、降りたところはすでに標高350mくらい登っていたので、そこからの眺めは格別だった。その眺めを楽しんでトンネルを歩いて抜けるとそこはラヴェッロの中心Duomo広場で、Duomoを中心としてレストラン、土産物屋が広場を囲んでいて、いい感じのところだった。ここまで来ると、相変わらず観光客は多かったが、あのアマルフィの喧騒、俗悪さはどこへやらで、たいへん清楚なすがすがしさが感じられ、山の上の別世界といった観があった。そこでもらった街案内のパンフレットには、Ravello Concert Society とあって、そこで開催される音楽祭のスケジュールが紹介されていたが、その数6~10月までで50数回、毎月15回前後もコンサートが催されているところ、つまり音楽の街<イタリア語でmusica della citta Ravelloとも書かれていた>でもあったのだ。素晴らしい眺め、澄んだ空気、そしてこの環境、わたしはアマルフィの街にstayを決めたのは結果的に失敗だったと思ったが、このRavelloなら、そして素敵な女性とでも一緒だったら是非stayしたいところ、いやむしろ叶うならそんな女性ともう一度きたいと夢見るほど魅力を感じたのだった。

Ravelloの街;5枚Img_4417_640x480ラヴェッロに着いたときImg_4418_640x480Duomo広場とDuomo;3枚Img_4423_640x480Img_4424_480x640ワーグナーの音楽祭が行われるVilla Rufolo

帰りのバス停から、山陰の位置が変わっている、Minori方面Img_4426_640x480


 約1時間ぶらついて、確かにこの街からアマルフィに下る道、Minoriに下る道は見つけていた(つまり山道)。そう、だから滞在するなら2~3日、アマルフィだけなら通過するだけでいい街だったということがわかって、夕暮れも近くなってきたので、またバスで戻ることにした。アマルフィに着いたときはすでに18時半、あたりはすっかり日が暮れていた。それから食べ物屋探しが始まった。土産物屋は全く興味がなく一軒も立ち寄らなかった。また、何回もいってるようにレストランもパスした。わたしが探していたのは、シラクサにあったようなスーパーもしくは惣菜屋さんのような店、しかしそんな店はどちらも見つからなかったが、いわゆる食料品店のような店はあった。表の方にはワインが並んでいて、酒屋のようでもあったが、奥にいくとそれらしい魚介類があるではないか ! ! 、いわゆるマリネ風の魚介がグラム単位で売っていた。英語だったかスペイン語でだったか、それらを指して生で(というかdirecto 直接)食べられるか聞いてみた。もちろん、というような返事だったので100gほど買ってみた。それが手に入ったので、後はパンとワインがあれば夕食になると思った。ワインはその店で、パンはパン屋さんも数多くあったが調理パン系が多く、パンだけ(solo panま、フランスパンみたいなもの)は何軒か探してなんとか調達、ついでにピザを一切れ(1/8)、それで夕食としては十分で、持ち帰って部屋食とした。トータルで10€の夕食は、その初めて食べる魚貝のマリネはわたしがずっと欲していたものだったので、そのうまさといったらなかった。このときは白ワイン一本が楽勝であいてしまったのであった。

わびしい食事に見えるが、この日の夕食はなかなかよかったのだ、、Img_4427_640x480