独歩の独り世界・旅世界

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‘ギリシャ哲学者列伝’より その1,ソクラテスの妻<クサンティッペ>

 わたしは大仰ないいかたが好きである。というか、ついついそんないい方をしてしまうのである。大げさに(大げさな?)表現をする奴に大モノはいない。それがわかったうえで、今回は何をいおうとしているのか?、そろそろわたしも晩年に近いからその準備というか、人生の締めくくり?、けじめのつけ方?、どういったとしても大仰になってしまうのである、、

 今、わたしは68で、来月には69になる。ということは来年は70である。70まで大過なく過ごせ、好き勝手に生きてこられたことには、ことのほか感謝に堪えない気持ちでいっぱいである。ただ誰に感謝するのかというとなると、同年代のわたしの友人は両親にといっていたが、あるいは家族にとか奥さんに、という人もいるかもしれない。もちろんわたしもそれに異論があるわけではないが、漠然ともっと大きな対象、つまり運命とか幸運の女神?神様・仏様とかに感謝しないとバチが当たるのではないかと、わたしは神社・仏閣では、いつも感謝の意を唱えてきた。だから、ある意味これ以上長生きし、さらに何を望むのか、という想いもあって、そういう場ではその気持ちを述べるだけで、祈願、つまり何かをお願いするといったいわゆる神頼みをしたことはなかった。同時代に生きた人たちの多くは、同じような認識(いい時代に生を受けた有難さ)を共有しているのではないかと思うのだけれど、ほんとにわれわれは恵まれた時代に生きさせてもらい、自由とそこそこの豊かさを享受してきており、わたしは地位も栄誉も財も築きえなかったが、自分なりの人生を送れたことに満足し、心残りなくいつ死んでもいいと思っている。70でそう感じられるなら、ま、幸せなほうかもしれないと思っているのである。だから唐突だけれど、あのソクラテスが70歳にして、あらぬ嫌疑をかけられて訴えられ、毒杯を仰がねばならなくなった時に、それを回避する手段があったにもかかわらず、周りからの説得も聞かずに自らすすんで不当な死刑判決を受け入れた心境は、氏の潔さや信念がそうさせたのであろうが、それだけではなく思う存分好きに生きられたのだから、もうこれ以上はジタバタしないという諦念に達していたからではないか?、そう仮定しても十分に説得力があるように、わたしには思えるのである。こうして無理やりこじつけてしまい、前回の予告のソクラテス云々の続きを今回この後述べていくことになるのだけれど、ただ、それが大仰なものいい、ということなのではない。わたしが大げさにいおうとしたことは、以下である。

 69も70も大して変わらないから、こういう場合キリのいい数字を使わせていただくとして、人生70にして初めて(この先いくつまで生きられるかはわからないし、70で十分ということは先に述べたとおりである)座右の書?となるであろう本を見つけた、ということをいいたかったのである。いってみればこの?をつけた、このいい方が大げさだと思うのである、が、こういう場合の適語は何か思いつかないのである。恥ずかしくも浅学なので、すぐに閃かないのである。で、今までにもそう呼んでも差し支えなさそうな本に少しは巡り合っていた。例えば老子や禅の本は、わたしにとってはやはり生涯の本といえたが、今回巡り巡っていきあたったこの本も、もちろんまだ全部読み終えていないが、ま、この世を去る時まで、のんびりと紐解いていく価値のある本となるであろう、という直感があったのだ。もともと本をよく読むほうではなかったし、読めるほうでもなかった。だから、かなり偏りのある本をほんの少ししか読んできていない。それ故に偏りのある中途半端な生き方しかできなかったといういいかたもできるかもしれない。だから、この本を読みながら少しでもつじつまをあわせていければとも思っているのだ。前置きが長くなってしまったが、前回予告してあった、出会いが遅すぎたその本のタイトルは‘ギリシャ哲学者列伝(上)(中)(下)’というもので、岩波の文庫ながらかなり読みごたえのありそうなものだった。もう、先行きは短いのだから、他のことはもうどうでもよい、そう思ってこの本だけをじっくり味わって、ま、有終の美を飾れればと思っている。ソクラテスのように‥?とはなれなくても、である。世の中に名著は数限りなくあれど、わたしの間尺では、この辺で勝手に満足して終わる?のが、ま、精いっぱいというところであろう‥??、、

 なので、ソクラテスに関する新たな知見(学校では習っていないこと)はすべてこの本からの引用に他ならない。しかしこの本には面白いエピソードが満載であった。それを記す前に、簡単にこの本の解説を、この本の訳者加来彰俊氏の解説から借用しておいたほうがいいかもしれない。この本の著者はディオゲネス・ラエルティオスというローマの人らしく、書かれたのは紀元2世紀末から3世紀初頭ではないかとのこと、つまり紀元200年前後の本らしいのだけれど、著者についてその名前さえ定かではない(いろいろ説がある)ようである。いや、ほとんどすべてはっきりしたことは何もわからないとのことだが、こういう本、つまりギリシャで名の通った哲学者82人の伝記が書かれている(タレスが紀元前7世紀の人?、最後は誰だかまだ少ししか読んでないので不明だが、少なくとも700年間くらいのスパン?)こんな本が、少なくとも伝わっていたことだけでも奇跡のように思えてならなかった。もちろん知らぬはわたしばかりで、すでにヨーロッパでは歴史書哲学書としてではなく、伝記物語、系譜・列伝としてそれこそ2000年の間読み継がれ、受け継がれてきているのである。当時の資料が極めて乏しいことを思えば、だれの目にも貴重な資料となったであろうことは明らかであろう。なので、書かれている内容が、ある人物が唱えた学説でなく、その生涯の生きざま、生活と意見といったような - ま、ほとんどが伝聞形式だが - 面白いエピソード満載で、事実かどうかはともかくとしてすこぶる面白いのである。以上のような解説がきちんと書かれているので、まず、それを一読されたうえで興味がある人にはお勧めだと思う。この加来彰俊氏訳の日本語版が出たのが、上巻が1984年、中巻が1989年、下巻が1994年だったようで、まさに出会いが遅すぎてしまった。哲学の徒、あるいは(わたしのような)ディレッタントにはすでによく知れ渡っているもので、何を今さらといわれてしまいそうだが、ま、いつもながらわたしは出遅れ・後追いなのである。ただ、遅ればせながらであれ、その出会いを喜び、急がずに楽しんでいきたいと思っている。では、その一端を、今回のテーマ‘ソクラテスの悪妻について’、この本に書かれていたことをそのまま転載させていただくことにする。

 もちろんわたしが知らない、あるいは学んでない逸話がわんさか盛られているのだけれど、それをすべて書き写してったらキリがなくなるので、ソクラテスの妻<クサンティッペ>についてのエピソードだけを(多少関係ありそうなことも含めて)抜粋してみる。

1,(誰からとは記されてないが)結婚について、したほうがいいか、しないほうがいいか聞かれて、‘どちらにしても君は後悔するだろう’とソクラテスは答えたそうだが、この話なんかよく聞く話だと思うが、2500年前のソクラテスの時代から情況(事情?)は変わっていないようである。

2,ソクラテスが金持ちたちを食事に招いたとき、クサンティッペがご馳走のないことを恥ずかしがっていると‘心配することはないさ。心得のある人たちなら、これで我慢してくれるだろうし、つまらないひとたちなら、そんな連中のことをわれわれは気にすることはないのだから’といったそうだ。これはまさに我が家にもそんなことがあったので身につまされる話であった。ソクラテスは蓄財する男でなかったから、さぞクサンティッペは家計のやりくりが大変だったであろうと思わせるエピソードである。

3,クサンティッペが(たぶん獄中のソクラテスに)あなたは不当に殺されようとしているのです’といったところ‘それならお前は、ぼくが正当に殺されることを望んでいたのかね’といったそうな、、

4,初めのうちはがみがみと小言をいっていたが、のちには彼に水をぶっかけさえしたクサンティッペに対して、彼はこう応じた。‘ほうら、言っていたではないか。クサンティッペがゴロゴロと鳴りだしたら、雨を降らせるぞ’と。

5,クサンティッペががみがみ言い出したら我慢しておれないとアルキビアデスがいったのに対しては、‘いや、ぼくはもうすっすり慣れっこになっているよ。滑車がガラガラなりつづけているのを聞いているようなものだものね’と彼は答え、‘君だって鵞鳥がガァガァ鳴いているのを我慢しているではないか’というと、アルキビアデスは‘でも、鵞鳥はわたしに卵やひよこを生んでくれます’と応じると、ソクラテスは‘僕にだってクサンティッペは子供を産んでくれるよ’と切り返した。

6,あるときクサンティッペが、広場で彼の上衣までも剥ぎ取ろうとしたとき、(そばにいた)彼の知人たちが、手で防いだらどうかと勧めた。すると彼は‘そうだよね、我々が殴り合っている間、諸君の一人ひとりが“それいけ、ソクラテス ! ”、“それやれ、クサンティッペ ! ”と囃し立ててくれるためにはね’と答えたそうだ。

7,彼はよく、気性の激しい女と一緒に暮らすのは、ちょうど騎手がじゃじゃ馬と暮らすようなものだと言っていた。‘しかし、彼ら騎手たちがこれらの馬を手なずけるなら、他の馬も楽々乗りこなせるように、ぼくもまたそのとおりで、クサンティッペとつき合っていれば、他の人々とはうまくやれるだろう’といったとか、、

 さすがソクラテスと思わせるものもあれば、あのソクラテスが !?、あるいはあのソクラテスでさえ !?、と思わせる、普通なら知らないエピソードに感心したり、また学ばせられたり、ともかく彼の事情(情況?)が、どういうわけかわたしの情況と少し似ているところがあったので、身につまされたり、面白かったり、というわけだった、、

 さて、その先を読んでいて、彼の弟子に、これも全く知らなかった面白い人たちが何人かいて、それも併せて書こう(抜粋)と思ったのだけれど、また例によって長くなってしまったので、続きとして次回にします。その人の名はアリスティッボスといいます、知っていました??