独歩の独り世界・旅世界

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‘ギリシャ哲学者列伝’より 最後の最後、キュニコス派まとめ

 キュニコス派のまとめなんていうタイトルにしてしまったが、果たしてまとめられるどうか?、で、その前に総括的な話を少々、何回か前にわたしはこのギリシャ哲学者列伝をたいへん面白く読んでいる(歴史や哲学を学んでいるのでなく)と書いたが、その辺の話から、、(なお、今回のまとめは、何回か言及している山川偉也著‘哲学者ディオゲネス’及び‘ギリシャ哲学者列伝’の訳者加来彰俊氏の解説、そしてこれも併読していた塩野七海氏の‘ローマ人の物語’からの借用または示唆を受けたものが多いことをお断りしておきます。)

 塩野さんの解説にもあったかと思うが、何より原典の面白さというのは、まだ後世の評価が決定する前の現場が見えるからではないかと思う。ギリシャ列伝の面白さは、その解説の中でも言われているように、そもそも作者が最初から歴史や学説を書こうとしてはおらず、むしろそれぞれの生涯や伝記に焦点を当ていて、事実かどうかはともかくとして、こんなことをした、あるいはこんなふうに言っていた、言われていた、といったいわゆる風評?のようなものの羅列であって、ま、ゴシップ風物語として読んで面白かった、ということではないかと思うし、そういう本があっていいし、そういう読み方があってもいいのではないかとわたしは思っている。だから、例えばディオゲネスによってプラトンは虚仮にされているなんてところが、たぶんこれは史実だと思うのだけれど、何とも痛快というか、少なくとも学校では教えないところが(そんなのばっかりだし、故に知らなかったことばかりだから)実にいい。

 さて、そのプラトンがでてきたところで、わたしなりのまとめ(偏見的結論?)なのだけれど、わたしが最も面白く読んだのは、やはりソクラテスは偉大であったという点にあった。そしてこの人がいわゆる哲学の父(祖)といわれている理由が納得できたということである。もちろんそれ以前のソクラテスの師となる人物を含めた、タレスから連綿と続くソクラテス以前の祖師たちと、それらイオニア学派とは別系統になるらしいピュタゴラス学派(イタリア学派?)なるものもあったことを知った。そしてソクラテスの弟子から始まって、その後系統を異にする学派が十*も生じていたことも、、その詳細についてはわたしの手には負えないし、それらの解説はきちんと記述されているから、この‘ギリシャ哲学者列伝’をお読みいただくことをお勧めする理由ともなる。で、その十派うちの一つがキュニコス派なのだけれど、どうしてそのキュニコス派がお気に入りになったかはたぶん以下である。

*〔ギリシャ哲学者列伝から借用してそのまま列記すると、哲学には三つの部門があって、その一つである倫理学ソクラテスを祖とし、アカデメイア学派(プラトン)、キュレネ学派(アリスティッボス)、エリス学派(パイドン)、メガラ学派(エウクレイデス)、キュニコス学派(アンティステネス)、エレトリア学派(メネデモス)、詭弁学派(クレイトマコス)、ペリパトス学派(アリストテレス)、ストア学派(ゼノン)、エピクロス学派(エピクロス)が生じた、とのことであった。〕

 ま、なぜかよくわからないが、前にも言ったようにわたしは、かなり若いころから老荘好みであったし、その中国思想と仏教が融和して起こってきた禅仏教にも大変興味を覚えていた。そして前回?言ったようにその西洋版といえるものが、キュニコス学派であったということを(ディオゲネスは知っていたが)今回改めて知ることができたということだった。東西の起源としてどちらが先だったかは、これも世界史の奇跡に近い話として、老子(伝説の人だから詳細は不明だが)と孔子とお釈迦さまとソクラテスプラトンはほとんど同時代人なのである。なので、もちろんこの時代はまだ東と西の交流はないから甲乙つけがたく、ほとんど同時代に発生しているという不思議は、多少世界史を知っている人には共通の謎ではないかと思われる。そしてまた、わたしの浅学ゆえのステレオタイプ的判断によると、どちらも、いわゆる時の権力や常識派・主流派にはことごとく反旗を翻していく共通点があるような気がする。たとえば、広く東アジアは儒教思想が長く席巻していたし、ヨーロッパの歴史では、今でもその思想・哲学・科学・文化すべて(万学)の潮流の起点をアリストテレスにおいているのだから。

 そのアリストテレスを先の山川偉也氏著の‘哲学者 ディオゲネス’は見事にやっつけてくれていてわたしは我が意を得たりと喝采を送りたいのだけれど、いずれにしろ、これもわたしの手に負える話ではないから省かせていただくとして、世界のこれまでの歩みはギリシャ哲学、それもこのソクラテスプラトンアリストテレスが敷設したレールの上を、ずっと走り続けているという、ものすごいラフな(わたしの)言い方も、それほど的を外してはいないのではないかとわたしは思っている。そして、それに対して、ソクラテスの言う、より良い生き方を模索し実践していったのがもう一方の雄、ソクラテス→アンティステネス→ディオゲネスと連なる路線の主張でなかったか、というのがわたしのラフな結論となる。いずれもソクラテスから発生して、その直弟子たちはすでにズレが生じていたが、孫弟子となるともう180度の違いが生じていたことをわたしは大変面白く思っているのだ。時の権勢を嫌い、常識や慣習に縛られずに自由に生きる、何らこだわることなく思いのまま、自然のまま、多くを望まず、身の丈(己)を知り、そして自足して生きる(これらは老荘思想と通底している)。そう、これもソクラテスが教えていたことであったと思う。そういう意味ではキュニコス派の祖としてはやはりソクラテスまで遡れるのである。

 最後にこれは後世の人たちが喧伝したのではないかと(わたしには)思われる世界市民思想というものについて、、これはディオゲネスが<あなたはどこの国の人かと訊ねられて‘世界市民(コスモボリテーズ)だ’と答えた。>ところから派生している思想のように思う。わたしはこの‘コスモボリテーズ’の当時の意味、概念、を知らないので、ディオゲネスがどういうつもりでいったのかその真意は測りがたいが、ま、その当時の概念からすればただ単に無国籍あるいは無所属、どこの国のものでもなく、どこにも属せず、ま、いってみれば大地の子、宇宙の子、といった意味でいったのではなかったかと思う。それは一つには彼は国を追われた身だったから、そして、すでに国家の保護を受けずに一人で生き抜く意志と自信を確立しえていたから、それは強烈な意思と認識のもとで発せられた言葉だったのではないかと思う。もちろんそこには後に思想として成り立つ芽はあるのだけれど、あくまで世界市民思想などと名付けられた思想は、後世の後付けだと思っている。もちろんその祖としての地位を揺るがすものではないけれど、、

 こうして、わたしにとってディオゲネスは、東洋の老荘と禅の巨匠に続いて、西洋における初めての師となったのであった。<了>