独歩の独り世界・旅世界

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チュニジア・イタリア紀行 5,チュニス~パレルモPalermo

 塩野七海さんの‘ハンニバル戦記’の中にこんなことが書かれている箇所があった。‘マルサラからチュニスまでは、現代の船旅なら8時間で着ける距離である。2200年昔でも、順風に恵まれさえすれば、一昼夜の航海で充分だった’。おー、そうだったのか !、とさすがの大作家の知識の深さ、その博学ぶりに感嘆したのである。とても興味を覚えた箇所だった。そんな距離感をつかみたくて、そして地中海の装いを知りたくて、ついでに2200年前を偲びたくて、わたしは出発前からチュニスパレルモ間は船でなくてはならないと決めていた。日本でインターネットで調べた限りでは、その間を運航しているフェリーは二社あって、日程等からGrimaldi Linesの10/6 17:00発のフェリーを予約しておいた。なお、もう一社のGNV Linesも含めて、チュニジア~イタリア、あるいはチュニジア~フランス等、フェリー便はかなり多く就航していることがわかり、なおかつそのticketをネットで取得できるのだから、まったく便利な時代になっているのである。ちなみにその世界中のフェリー情報が掲載されていて、on lineでticketが予約できるサイトはwww.aferry.jp/というところでした。

 それこそ、最初の希望はチュニス~マルサラ、あるいはチュニス~トラバニ(いずれもシチリア島西岸にある二千数百年前から現存している街)だったのだけれど、さすがにそれは無理のようだった。その航路はシチリア政庁のあるパレルモだったが、パレルモもその歴史は古く、当初はフェニキア人の造った植民都市で、ま、だからローマより古く、それが今でも重要な拠点の街、シチリア最大の都市だったから寄らないわけにいかなかったのだ。それで日本からチュニスパレルモ間のフェリー便を予約したのだけれど、その定期便は週2便で、わたしの利用したのは木曜17:00発、翌朝7時着で6000円くらいだった。もう一便は、日曜の真夜中1時半発15時半着で、こちらの方が安かったが日程上木曜にするしかなかった。なお、わたしは若干プラス料金を払ってプルマンシートという座席を確保しておいたが、多くは廊下やラウンジで寝ている人の方が多かった。もちろん別料金でベッドを確保することも出来きた。またGNV Lineの方が若干高いようだった。

 さて、その日10/6の午後、歩いて港入りしたわたしは、まずGrimaldi Linesの窓口でチェックインし、あとは乗船を待つばかりになって、16時からというパスポートコントロールに約1時間ほど他の徒歩の乗客とともに待合室みたいなところで待機していた。この船は大型フェリーだから、その乗客はほとんどが車とともに乗船するようだったが、徒歩での乗客も50人以上、あるいは100名近くいたかもしれない。で、その多くは、16時前から始まった荷物のチェック、パスポートコントロールを経て16時半ころから乗船開始となったとき、一目散に駆け上がっていった。その理由は、ラウンジの寝場所の確保だったことが、何も知らずらのんびり乗船したわたしはあとがら知るのだった。幸いわたしはフルマンシートの席があったから、その必要はなかったわけだが、もしかしたら、より安いticketでよりよい場所を確保できたのなら、体を伸ばせる分そのほうが快適な睡眠が得られたかもしれなかった、ということも後から知るのであった。

チュニスのFerry Termina待合室、このときはまだ時間が早く、乗船待ちの乗客はまだ少ない、、Img_3889_640x480

パスポートコントロールを終え、漸く乗船。このでかいフェリーかと思ったら、われわれの船はその向こうに停泊している船だった。しかし、大きさはそれほど変わらなかった。Img_3893_640x480

パレルモ行きのGarimaldi Linesの船、乗船口は車と同じだった。Img_3894_640x480

乗船後、港の風景等を写す;4枚Img_3895_640x480
Img_3896_640x480遠くにピュルサの丘が見えているImg_3897_640x480車の積み込み風景Img_3901_640x480接岸していた豪華客船が出航していった


 まことに穏やかなチュニス湾を出航したのは、車の積み込みに手間取ったのか、17時の予定が19時になっていたう辺は闇に包まれていたが、その分去っていく港の灯り、チュニスの灯り、対岸のボン岬半島の灯りがとても美しかった。そのうち船は漆黒の闇の中をほとんど揺れることもなく北上していった(正確にいうと北東方向に進んだ)。ゆっくり体を伸ばすことはできなかったが、それでも転寝したようで、最初は夜半2時ころ、そして4時ころとトイレに起き、それからはもう眠れなくなった。夜半中開いていたバー兼売店でカフェをもらう。もちろん英語も通じたであろうが、イタリア語のバーテンダースペイン語で話したら、こちらのいうことはわかってくれたようで、イタリア語とスペイン語の近さを感じた。いくつかの単語は似ているものが多いようだった。その頃はまだ闇の中だったが、もう右岸には街の灯りがきらめいていて、おそらくトラパニあたりではないかと思われた。そして5時には早くもパレルモ沖合い、6時には接岸したのだった。2時間も出航が遅れたのに、1時間も早く着いてしまうのはどういうことと訝しく思ったが、そのわけに気付くのにはもう少し時間を必要とした。6時半には、パスポートチェックを終えパレルモの街に放り出されることになった。

漸くの出航、向こうに見えるのはわれわれの船の前に停泊していたGNV Linesのジェノバ行きフェリー(次の写真も)Img_3906_640x480Img_3909_640x480

船内の様子(場所取りは早い者勝ち)Img_3913_640x480

朝方右岸に見えた街、たぶんトラパニ?Img_3914_640x480

パレルモ6時着は、イタリア時間7時だったことを後で知るImg_3916_640x480


 パレルモの宿は事前にairbnbを通して予約済みだった。が、それにしてもあまりにも時間が早すぎたから、どうしようかと、とりあえず教えられていたボリテアーマ広場P.za Politeamaというところまで歩いた。その宿はパレルモの中心たるカテドラル及びノルマン王宮の近くだと聞いていたし、そこへの行き方も教えてもらっていた。また、たまたまその日は11時ころまで留守しているので鍵を然るべきところに置いておくともいわれていた。なので当初は港からそこまで歩くつもりでいた。歩くと45分くらいかかるといわれていたが、歩けるのではないかと思っていたからだ。そのポリテアーマ広場までは10分くらいだったが、そこは有名な劇場のようで写真を一枚撮って少し休む。そのときそこにタクシースタンドがあるのを見つけてしまった。イタリアはタクシーは、街の要所にタクシースタンドがあるから、そこから乗るようにと書かれていたのを読んでいた。で、試しにそこにいって聞いてみた。そこからカテドラルまでいくらでいってくれる?最初のドライバーは、15ユーロといってきた。完全に足元を見られているのがわかった。わたしは10ユーロなら乗るけどといってみた。わたしは英語、相手はイタリア語だが、ま、交渉は場所と数字だけだから簡単な話なのである。10ユーロではいかないと断られる。すると別のドライバーが12で行くといってきた、わたしはあくまで10ユーロ、いや、どうみたってたぶんメーターなら5ユーロくらいの距離に思われたからだ。が、やはり言葉の問題で足元を見られてしまうのだ。で、最終的にそのドライバーは10ユーロでOKしてくれたから乗らざるを得なくなってしまった。なので、そのairbnbの宿には、7時半ころには着いてしまった。そこはやはり数所帯が入る共同住宅の一室のようだったが、言われたところに鍵はなく、結局中には入れなかった。どうなっているんだ?と少し怒り気味に電話を入れてみた。こういう時のためにガラケーだったが、海外対応可にしておいたのが功を奏した。電話に出たホストに、鍵の件を聞くと忘れたとのこと、10時半ころには戻るのでしばらくどこかで時間をつぶしてくれとのことだった。会話は日本語でなされた。というのもここパレルモのホストは日本人だったからである。ちょっとひどいな、と思いながらも従うよりほかなかった。で、王宮前の公園、ヴィットリア広場P.za d. Vittoriaで、さて、どうしたものかとガイドブックを見ながら対策を考えた。荷物さえなければどうにでもなったのだけれど、やはり少ないとはいえ10kgのバックパックは厄介だった。時間的にはそろそろ王宮の中にあるというパラティーナ礼拝堂Cappella Palatinaというところに入れそうだった。パレルモでも一二の必見ポイントとのことだったから、とりあえずいってみることにした。入り口がわからず、ぐるっと回りながら探して、ちょうど反対側にticket officeを見つける。すでに開いていて8.5ユーロ払って入場、セキュリティチェックの場所で荷物を預かってくれた。それほど混んではいなかったが、ま、朝早くからすごい人だなぁと感心しながら、その必見ポイントのバラティーナ礼拝堂を見学、そこには日本人の団体さんも来ていたので驚いてしまう。すごいといわれればすごいかもしれない、が、わたしにはこういうものの価値はよくわからないのであった。その礼拝堂だけでなく王宮内の展示品の数々はいかにも価値のありそうなものばかりだった。ま、小一時間の暇つぶしができ、外に出るがまだ時間があり、近くのサン・ジョバンニ・デッリ・エレミティ教会というところにもいってみた。いずれもガイドブックに載っていたところで、それに従って歩いてみたのだ。その教会は外から見ただけで、どこかで朝飯の食べれそうなところを探す。が、着いたばかりでイタリアには慣れておらず、ちょっとパンとコーヒーといった感じの店をその界隈で見つけることができなかった。王宮の近くにレストランがあって、開店準備中、迷ったがそこに入ってしまった。そこでも注文の仕方がわからず結局コーヒーだけをもらうことになった。ま、それでもしばしの休憩にはなった。そのうち電話がかかってきて、もうすぐ着くとのこと、で、そこから5分くらいの彼のアパート前まで行って、到着を待った。

ポリテアーマ広場とポリテアーマ劇場Img_3917_640x480

荷物を持って知らない街を3~40分歩きたくなかったので、タクシーに乗ってしまった。カテドラルまでとお願いして、ここまで連れてきてもらった。Img_3919_640x480

数時間待つことを余儀なくされ、王宮、パラティーナ礼拝堂を訪れる;5枚Img_3921_640x480Img_3922_640x480Img_3926_640x480Img_3927_640x480Img_3928_640x480

それでも時間があまったので、近くのサン・ジョバンニ・デッリ・エレミティ教会に来てみる。奥に見えている建物が王宮Img_3929_640x480


 この日本人男性は、30歳くらい?イタリアで音楽を勉強中とのこと、オペラ歌手を目指している青年だった。もうすでにイタリア在5,6年といっていたか?パレルモに居を定めてから、空いている部屋を提供して、収入の糧としながら音楽の勉強に励んでいるというそのキャリアが面白そうだったのと、何よりわたしにとっては初めてのイタリアの地に(正確にいうと40年ほど前に一度訪れていたが、40年のブランクからすればはじめてに等しかった)そこに根を下ろした日本人がいるというのは、この上なくありがたいことだった。まず、様々な情報を得られるだろうこと、また、彼は有料だが食事も作っていくれるとのことだったのだから、、が、しかし、その出会いは必ずしもスムースではなかったのであった。もちろん彼はわたしに詫びて、すぐに部屋に案内してくれ、鍵の使い方等を丁寧に説明してくれた。わたしの要望も聞いてくれ、洗濯機も使わせてくれた。こうして到着後の片づけを終え、パスワードを聞いてWiFiに接続したとき、初めて時間のずれがあったことに気付いたのだった。おかしい?確かチュニジアとイタリアは時差はないはずだった。それが1時間違っていたのだ。どうやらそれは、イタリアが夏時間を採用していたからだったことを知り、その日の朝からのことがすべて納得できたのだった。例えば、船の到着がわたしの時計では6時だったが、それは定刻の7時だったこと、バラティーナ礼拝堂が、まだオープン時間でないのに開いていたこと、わたしの時計で10時ころに彼が戻ってきたこと等々だった。

 片づけを終え、洗濯ものを干し終えたときは、すでにイタリア時間で12時半になっており、少し休んでから外出した。少し情報を聞いたが、わたしの知りたかったセリヌンテ、アグリジェント方面の情報はあまり持っていなかったので、とりあえずその日の夕食をお願いしてパレルモ中央駅に出かけてみることにした。駅までの裏道は持っていたガイドブックが頼りになった。この界隈は路地がアラブ風に入り組んでいて、その分面白いのだけれど、すぐに方向を見失いそうになる。そんなパレルモの下町?風な路地を行くと、ジェズ教会という、これも見どころの一つになっている教会のところにでて、ちょっと覗いてからさらに行くと、マクエダ通りVia Maguedaという大きな道にでた。そこを右折して10分くらいいくと中央駅にでた。そこまで宿から20~25分くらい?この駅に隣接してバスターミナルがあった。10くらいのスタンドがあって、それぞれの行き先表示が出ていた。一つ一つ見ていくと最後のスタンドの表示にマルサラMarsala、カステルヴェトラーノCastelvetranoと書かれていたのを見る。確か、セリヌンテSelinunteはこのカステルヴェトラーノで乗り換えていける、とガイドブックにあったのを思い出す。早速、手前にあったビルのticket officeに出向いて確認してみると、窓口の女性は、セリヌンテにいくには、朝の6:15のバスに乗ればカステルヴェトラーノでセリヌンテ行きのバスに接続すると英語で教えてくれた。

ジェズGesu教会Img_3931_640x480

パレルモ中央駅Img_3932_640x480

 パレルモの予定はかの日本人K氏宅に2泊、で、その日の午後パレルモ市内を見て回って、次の日にこのセリヌンテか、もう一つのギリシャ遺跡セジェスタSegestaに、できれば両方行ってみたいと思っていたが、どちらも交通不便なところにあって、両方行くにはレンタカーでも借りれば可能だったかもしれないが、バス乗り継ぎだとセリヌンテの方が行きやすいことがこの時わかったのであった(残念ながらSegestaへ行く情報が得られなかった)。少し朝が早かったが、それは仕方がない、次の朝のticketをその場で購入した。ついでに、今度は鉄道の窓口でアグリジェントAgrigentoへ行く汽車の時刻を確認する。アグリジェントへはバス便もあって、ガイドブックにはその情報も乗っていて、バスの方がほうがアグリジェント着は早そうだったので、最初はバスつもりでいた。その旨をアグリジェントのホストに伝えたところ、イタリアのバスはあてにならないから、鉄道にした方がいいというアドバイスをもらっていた。そんな話は他でも聞いていたから窓口で時間を確認し、そのticketも買っておいた。すでに15時くらいになっていた。それからようやく街見物の時間となった。例によって歩き始めたが、この時はもっぱらガイドブックを頼りにした、、

 駅周辺には、いくつかの見どころが紹介されていた。パッラロの市場Marcato Ballaroは、駅から5分くらいのところにあった。その先に先ほど通ったジェズ教会があって、その前を通って再びマクエダ通りにでて左折し、しばらく行くとベッリーニ広場P.za Belliniがあって、そこにマルトラーナ教会とサン・カタルド教会、その隣がプレートーリア広場P.za Pretoriaで、その前にサン・ジョゼッぺ・デ・デアディーニ教会、その角がクアトロカンティ Quattro Canti、ま、パレルモの目玉がこの辺に固まっていたのだ。教会がやたらあって、いちいち見て回る気はなかったが、マルトラーナ教会というところだけ入ってみた。歩き疲れて休み休みだったが、クアトロカンティ(ここは四つ角の四方の建物が弧を描くように削られていて、それぞれに彫刻や噴水が配されている、なかなか珍しい四辻?)の写真を撮って、交差していた観光通りヴィットリオ・エマヌエーレ通りC.so vitt.Emanueleを左折した。この道はカテドラル、王宮へと続く観光通りで、歩行者天国になっていた。疲れ果てていたし、飲まず食わずだったので適当なところを探していて、その通りには観光客用のカフェやレストランはいくつもあったのだが、とうとう入らずじまいで宿舎に帰ってしまった。16時半に戻て、mailのチェック、返信等を片付けて、夕食の時間を聞いてから18時ころ、もう一度近くをぶらついていみた。

ベッリーニ広場にたたずむマルトラーナ教会(左)と赤いドームをもつサン・カタルド教会(右)Img_3935_640x480Img_3937_480x640マルトラーナ教会内部

プレトーリア広場;2枚Img_3940_640x480Img_3941_640x480噴水とその周りの彫刻で有名?

Img_3942_640x480クワトロ・カンティ、四辻の建物の交差点に面している面に注目

一旦戻って休息して再び出かける。王宮と隣の建物をつないでいるヌォーヴァ門、この通りがクアトロ・カンティから続く(実際は海辺から続く)ヴィットリオ・エマヌエーレ大通りImg_3945_640x480_2

同じ通りを逆方向に見るとカテドラルがある、カテドラルとヴィットリオ・エマヌエーレ通りとカテドラル内部Img_3950_640x480Img_3946_480x640

その道をクアトロ・カンティのほうに下ると、右側にP.zaBologniがあるImg_3951_640x480

 20時の予定が、20時半になってしまったが、料理人でもあるK氏はイタリア料理を作ってくれ、一日飲まず食わずでいたので、この時とばかり大いに食べさせてもらい飲ませてもらった。これでもかと山盛りのムール貝、マグロのカルパッチョ、トマトソース味のパスタ、ビール、白ワイン、わたしにとってはこの旅一番の晩餐だった。大いに飲み、食い、語り、もちろんそれに見あう分は支払ったつもりだが、もしかしたら彼からすればマナーの悪い老人、あまり有り難くない客と映ったかもしれなかった。