独歩の独り世界・旅世界

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改めてグアテマラの魅力を探る 3, グアテマラの現在?

 前回続きを予告してから早3週間、このタイトルで書き始めたときの動機(狙っていたこと)を忘れかけていて、続きが書けるのか危ぶまれてきています。で、少しそのあたりのことを思い返していて気づいたことがあったので、それをまず‥、それは今回わたしが言いたかったグアテマラの魅力というものは、何もグアテマラ独特のものでなく、特にグアテマラに限ったことではなかった、ということだったのです。で、以下(わたしにとっての)魅力的な国とか、その理由を考えて行くことにしたのですが、偶々それにグアテマラという国が合致していたに過ぎなかった、ということだったようです。

 ある意味これはわたしの偏り、たぶん固有の好みに由来するかと思われますが、いわゆる先進国といわれているようなところを旅していてもそれほど面白さを感じません。また、かなり未開というか、かなり出遅れているところはいろいろ不便さ(旅しているかぎりは、それはほとんどかまわないが)や政治的不安定さなどがあって、住もうという気までは起こりません。そう、端的にいって進みすぎておらず、かつそこそこのレベルに達している国で、かつ住みたい、ないしは住んでもいいかな、と感じられる国いうのがわたしの好むところだったのです。当然そうなると住む(あるいは長期滞在も含む)のに適した気候的条件なども鑑みなければならず、あとは食べ物、物価、住んでいる人たちなどが、それを考える上で重要なの因子となってきます。それらを総合的に満たしているところは実はそんなになかったというのが、いまだ6~70ヶ国くらいしか廻ってませんが、実感としてありました。40年くらい前にちょうどそんな感じで好ましく思っていた国にタイとメキシコがありました。わたしにとってはそのころ、この両国が先に言ったレベルでぴったりだったのですが、その後の両国の発展は周知のように、わたしの好みの範疇から越えでてしまったのでした。たぶん言わんとするところは、お分かりいただけるかと思いますが、今現在はそれがグアテマラだったということになります。

 その要因のひとつである、住んでいる人(国民の気質)がいいということは、すでに1と2で述べてきました。次に気候的条件ですが、この国はいわゆる四季というものはなく、気候区分は雨期か乾期かということになります。あとは地域差があって、大雑把にいって三つの区分に分かれています。一つは太平洋岸の年中暑いところ、そして常春の山岳地帯(1000m~4000mの山々が連なり、寒いところもあるが一年を通じて寒暖差が少ない)、それからマヤの遺跡が多く残る熱帯低地があって密林ジャングル地帯になってます。その山岳地帯にインディヘナが多く住んでおり、気候も厳しくなく、風光明媚なところが多いので、そのエリアなら住むにはいうことなしと思った地域でした。食べ物については基本的に農業国ですから、農産物は豊かでかつ非常に安く、また牧畜も盛んなので肉類も、意外なのは太平洋とカリブ海に面しているので魚介類も豊富、なので食材としては安くて新鮮なものが市場に溢れていますが、いわゆる食文化というものはいまだ未発達で、いくつかの郷土料理はあるものの食堂・レストランでのメニュウは限られたものしかなく物足りなさを感じるかもしれません。それでも物価は経済の発展度に応じるので、総体的には日本の1/3~1/5といったところでしょうか(個々の事例は過去のブログに書いてると思うのでそちらを参照してみてください)‥?、、さらにいくつか思うところを付け加えれば、インディヘナの魅力は前回述べておりますが、意外と知られていないことのひとつに、マヤの遺跡はグアテマラに一番多く残っているということがあります。逆にいうとマヤの遺跡は他にもメキシコ、ホンデュラスベリーズに点在しているのですが、もっとも有名な遺跡のひとつTikalはグアテマラには数少ない世界遺産のひとつになっています。あと、ここから先は余談の域になってしまいますが、先進国に普通にあってグアテマラにないものがいくつかあって、例えば世界遺産の街アンティグアには信号機や横断歩道はなく(完全に人優先、ま、この街は世界遺産の街であるが故の規制があるからかもしれない??)、自動販売機とか自動ドアといったものがない、4階建て以上の建物がない、高速道路がない、ワンマンバスがない‥、これらをおおむねわたしは好ましく思っているのです。では、そんなにいいところなら何故オマエはそこに住まなかったのだと聞かれそうですが、ま、住もうかそれとも長期滞在でいくかを悩んだ末に、将来を含めた身の処し方、あるいは家族全体のことを考えて後者を選んだ経緯はありました。それで、その代わり何度か通いつめた、というのがこれまでのところです。恐らくそれは機会があれば続けていくでしょう‥、、

 さて、それでは、いいところばかりのようなことをいってますが、問題はないのかというと、けっこうそれもあるのです。この段階にある国々の特徴として、ひとつは政治的安定性の問題があるかと思います。これは中米のほとんどの国が経験し、そしてほとんど20世紀のうちに解決した内戦は、その後一応安定をみてますが、中南米というのはこれまでずっと軍の独裁が起こりうる土壌?があって、常に不安定要素をかかえているところで、それが完全に払拭されて民主化されているとは言い切れないところが未だにあるように思えます。そういう暴力性はいわゆる貧困層などの住民レベルでも顕在し、例えば殺人の件数やバス強盗の多発などに現われており、今も多くの市民はそれに遭遇する不安・恐怖におびえています(実際わたしが接した現地の友人・知人は皆その被害にあっていた)。また経済の問題も未だに国民全体を潤すほどのものになっておらず、特に前述したインディヘナはラディノの握る政治体制・支配層による差別によって多くは貧困状態にあります。

 ここで突然とっぴな説をだしますが、以前から唱えていたことで、経済が発展してない地域ほど、あるいは経済的に潤っていない人々ほど、心の部分が豊かではないかという、別にグアテマラに限ったこととしてでなく、まるで普遍的な法則でもあるかのような仮説を、これまでわたしは本気でいってきました。まさに、そんな法則があるとすれば、グアテマラもぴったり当てはまったということでした(ま、これは前述の例であげてるように一般論として、近代化、技術化が人間性の喪失を招く、という説と同じことをいっているのであって、グアテマラの場合まだその段階に至っておらず、その一歩手前にあるということ指しているのだが、わたしはその段階をよしとしている‥)。さて、最初に予測したように今回のテーマも竜頭蛇尾に終わりそうで、あと何回か書けるかと思っていたのですが、これで限界になりそうです(題材はなくもないのですが、多くはすでに書いてしまってるので繰り返しになってしまうことともうひとつは処理能力の限界)。願わくは、たった3回しかお伝えできなかった雑感ですが、もしわずかでもグアテマラという国の一端に触れ、多少の興味・関心を持っていただけたとすれば、わたしの拙い経験も無駄に終わらなかったかもしれないと自らを慰めるものです‥、、<一応、了>