独歩の独り世界・旅世界

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四国を歩く(区切り打ち)第3弾 1,松山~65番三角寺~民宿岡田

 今回の出発は11月11日だった。今回も成田→松山はJetstarを使ったが、それは今までで一番低価格3990円というセール価格を見つけたから、その日にしたのだけれど(日にちや時間帯によって価格は異なる)これは変更不可の料金で、実際はそれに座席指定料(座席の希望をしなければかからない)とCC決済の手数料を取られて、それでも5千円くらいだったか?、帰りも同額ででていた日のticketを取得していたが、それは少々不確定要素があったから、プラス1350円で日付変更可能のticketにしておいた。結局それはそれで功を奏し、運賃差額だけを払って日付変更することになったが、その結果がとんでもないことになろうとは、そのとき知る由もない‥、ま、それはあとの話として、以前数度利用したときは多少空席はあったのだけれど、だんだんLCC Jetstarが周知されてきたのか(そういえばテレビでコマーシャルをみたことがあった)今回はほとんど満席状態だった。

今回も利用したJetstar;成田第3ターミナルImg_1581_640x480

 今回は大雑把に以下を予定でいた。前回 - その理由は書いていたと思うが - あえて65番66番67番を飛ばしており、なので 、その65番からスタートして、場合によっては電車を利用することもありうるといったイイカゲンさで、それでも基本は歩き、行けたら88番まで目指して期間は約一週間というものであった。それでまず松山まで飛んだが、何故松山だったか(高松へ飛ぶという手もあった)ちょっとくどいかもしれないが、その辺の説明から入りたい、、

 区切りうちの場合、本来なら前回打ち止めしたところからスタートするのが慣わしのようだが、それは勘弁してもらうことにした(誰に‥?、皆さんに?その辺が自分に甘いところである)。で、今回のスタート地点を65番としたのだけれど、そこへはJR伊予三島(あるいはその周辺の宿)から歩くのが一般的なようだった。これがけっこうな距離で6~7kmあった。歩きの辛さは十分経験していたから、できるだけ歩く距離は縮めたかった(そんなことをいっている人間に、到底通しで歩き通すことなんかできっこないのだが‥)。たまたま前回私用で松山~高知間をバス移動したときに、途中で三島川之江インターというところに停まったのを覚えていた。実は、そこで下車すればJR伊予三島三角寺の半分の距離であることを地図を見て発見していた。ならば松山まで飛んで高速バスでそこまで行って、そこから歩けば少しは楽かなぁ?と‥、しかもこれも前回学んだことだけれど、松山~高知間の高速バス(JR四国バス)は14日前までの早割りで買うとなんと3500円が980円になるというお得情報を得ていたからでもあった。なら松山~三島川之江インターならもっと安い?ところがそう話はうまくなかった。よくわからないのだけれど松山~三島川之江インター間の早割りお得ticketは販売されておらず2150円、そんなバカな!?ということで、わたしはとりあえず松山~高知間を早割りで取得し、そのticketで三島川之江インターで降りることにした。ただそのためには松山での一泊を余儀なくされたのだった。

 松山着は12時半、予定より20分も早かった。この日のフライトで初めて500円くらい出して右側窓側の席を指定していた。ひとつにはこれまで余計な支出を渋っていたので窓側の席を占めたことがなく、また次回があるかどうかもわからなかったから、昼間のフライトなら一度くらい窓からの眺めを楽しんでみたいと思ってのことだった。幸いに天気は悪くなく、富士山は逆側だったが、南アルプスを上空から眺められ、また瀬戸内の島々や横断橋が眺められたので、ま、500円の価値は一度ならありかもしれないと一応満足しての松山着だった。そして一度食べたことのある空港内のうどん屋で500円のおにぎりセットの昼食(LCCはもちろん機内サービスはない、有料で飲み物・軽食は提供されるが、やはりけっこう高い感じ、、)。これもそのときは価値ありと思ったが、何日か後にJR高松駅で同じものが370円だった。ま、そんなことはどうでもいいことで、すでに松山空港も勝手がわかっていたから、そのあとはリムジンバスで道後温泉まではすんなり、、松山、特に道後温泉は一般の観光地としても人気のところだったから宿はそこらじゅうにあった。が、今回は数日前に遍路宿を探していた。遍路宿は往々にして普通の宿より料金を抑えてくれているからだ。その遍路宿も道後には何軒かあったが、例によってどこがいいのかわからなかった。その中に少しユニークな宿があったので、問い合わせてみて値段も手ごろだったので予約を入れておいた。何十年かぶりにユースホステルに泊まることにしたのだった。場所も伊佐爾波神社の裏だからわかっていた。で、14時にはそこについてしまったが、受付は16時からとのことで、荷物を置いて道後温泉へでもいってらっしゃいと、共和国の大統領(プレジデント、館長さん)にいわれてしまった。それならと荷物だけおかせてもらって、温泉の代わりに自転車はないかと聞いてみると、貸し自転車は道後温泉の観光案内所で300円で借りられるとのことだった。早速そこにいってみる。

どうでもよい写真;3枚Img_1589_640x480Img_1594_640x480Img_1600_640x480


 わたしは300円というのはてっきり1時間300円だと勝手に思ってしまったのだけれど、そこの案内所のとてもかわいらしい女性から一日300円と聞いてびっくり、ただしそこの場所では(朝8:30~)17:00までに返却してくださいとのことだった。そのときが14:30頃だったから、2時間半しかなかった、で、それ以降なら別の場所に返却することができると聞いて、その場所をもらった観光地図に印してもらって早速走りだす。行き先は決まっていた。向った先は三ヶ月前の初お遍路のとき、この松山から歩きだして最初に道を失って寄りそこなったところだった。確かその辺りまで歩いて4時間くらいかかっていたはずだ。その場所を札始大師堂といった。そこは札所ではなかったが、お遍路さんなら誰でも知っている衛門三郎という、この遍路修行?を最初に始められたという伝説の人物ゆかりの地であった(その物語は以前51番石手寺のところで略記したと思うが、遍路案内には必ずでてくる話)。そこを逃していたことはずっと引っかかっていて、この空いた時間になんとかそこまでいってみようと策を練っていた。それには自転車が理想的だった(もちろんバスとかタクシーという手もあったが)。いい塩梅に貸し自転車が得られ、道もわかっていたが、問題は2時間半でいって帰ってこられるかであった。途中、これも前回寄っていなかった、石手寺となりの義安寺にも参拝し、それから車がけっこう通る道を南下、このとき気付くことがあった。歩きがいかに大変か、自転車は何と楽なことか ! 早いことか ! 、しかし同時に、歩きは安全だが、自転車のほうがはるかに危険度が高いこと、そして車のドライバーにとっては厄介な存在かもしれない、ということに気付かされ、いずれにせよ自転車遍路もなかなか難しいことを悟るのである。歩いて4時間かかった(巡拝時間も入れて)札始大師堂は、道後温泉からけっこう遠く感じたが、それでも50分でついた(11kmくらい?)。お堂があるだけで参詣者も番人もおらず、一通り参拝を済ませて来た道を戻ることになったが、当初の目的のひとつが果たせ、かつ時間的に間にあいそうなことがわかって、帰りは気持ちの上で余裕があった。16時40分観光案内所着、かわいらしいお嬢さんに鍵を渡すことができた。17時に松山ユースホステルにチェックイン、5800円くらいだったか?、わたしにとっては気楽さを感じる宿であった。

義安寺Img_1605_640x480

札始大師堂;2枚Img_1607_640x480
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道後温泉観光案内所で自転車を借りる
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観光案内所の可愛いお嬢さん;無理やり撮って無断で掲載Img_1625_640x480


 もちろんユースホステルは若い頃(半世紀くらい前?)はよく利用していた。日本でだけでなくヨーロッパでも価値ある宿だった。だからシステムも造りも大体わかっていたし、多くは期待していなかった。しかし、ま、風呂はユニットバスで致し方ないとしても、食事なんかは大変素晴らしかった(とくにご飯が、普通のご飯、麦飯、玄米ご飯の三種があって、麦飯・玄米飯に人気があるようだった)。何よりビールが安くて、ここは遍路宿としては当りに思えた。後に知り合うことになるお遍路の先達さんも、この宿を褒めていたので、数ある道後の遍路宿で迷ったら、わたしも勧めたいと思う。面白く思ったのはその夜の宿泊者は10人くらいだったが、4人が外国人で全員お遍路さん(男性2人、女性2人)だったこと、日本人のお遍路はわたし一人、あとは普通の観光客と仕事の人、といった感じで、それこそ若い人は一人もいなかったことである。

松山ユースホステルとそこからの松山市内の眺めImg_1632_640x480
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 さて次の日、バス乗り場の大街道まで時間的に余裕があったので歩いてみた。道後公園を通って、秋山兄弟生誕地に寄る時間もあったが、中まで入る時間はなかった。大街道のバス停を9:20にでたバスは高速を走って三島川之江インターには9:35着。しかし、そこからなら近いだろうと思っていた65番三角寺への道は、地図が大雑把なため発見できず、地元の人に聞くも、説明が難しいとのことで方角だけ聞いて歩きだす。恐らくこのインターのバス停から歩きだす人はいないとみえて、どこでも目にしたへんろ道の案内ステッカーはどこにも貼ってなかった。ひと気のない道を山に向かってあてずっぽで歩いていると向こうからパトカーがやってきた。この際だからと思ってパトカーを止めて道を尋ねた。ありがたいことに親切な若いおまわりさんで、この道は違うといって、もっと正確な地図をだして道を教えてくれたのだった。それによると一本早く道を曲がってしまったようで、少し戻って次の道を曲がって少し登っていくと神社がある、その脇に山道があるから、そこを登っていけば三角寺までいけるとのことだった。丁重に礼をいっていわれた道を行くと確かに神社があって、そのわき道にはへんろ道のステッカーが貼ってあったのである。つまりそこからは、例の保存協力会編の、それこそ歩き遍路さんが全員持っているという、いまやバイブル化している黄色の地図本(以下、ただ地図と記す)に載っている道だったのだ。ありがとう、おまわりさん、という感じで、ま、一安心、あとは登っていくだけだった。ほとんど人と出会うことのない道だったが、一人だけ下ってきたお遍路さんにあった。お互いに歩いている道の確認をし、それ以上の話はしなかった。途中から車道にでて、まったく車の通行のない舗装道路をひたすら歩き続ける。近道といってもバスを降りたところから1時間休まず歩き続けて(ずっと登り)漸くの三角寺だった。

道後公園展望台から松山市内と松山城Img_1636_640x480

 三角寺の境内で休んでいたお遍路さんに、手水場はどこか聞いてみた。かなり急な石段を登ったところにそれがなかったからで、それはずっと左手の本堂の前にあったのだけれど、ちょっと気付きにくく、そのお遍路さんも、あれっ?どこだっけ、というような返事だった。その人が、その日の夕方民宿岡田で再会することになるSKさんで、わたしの今回の打ち止めまで、ずっと一緒ではなかったが、追いつ抜かれつの人となる。他に境内にお遍路さんはおらず、車での巡拝者が二組ほど、比較的静かないいお寺だった。参詣に25分、12時ちょうどにその日の宿<民宿岡田>に向って歩きだした。例の地図では、そこから岡田までは13kmとなっていた。ま、4~5時間みており、明るいうちにつければと思っていた。

Img_1643_480x640Img_1650_640x480_2Img_1649_640x480Img_1651_640x480三角寺;4枚


 そこからの道は登りではなかったが舗装路が続いていた。この道が山道だったら(舗装路でなかったら)どんなに素敵かと思わせるような道だった。いわゆる山の中腹を行く行く道で、生活道路だから舗装されていたが人も車の往来もまったくなく、左手が開けていて彼方に瀬戸内の海がずっと見えているのだ。惜しむらくは、このあたりは比較的暖かいのか(あるいは常緑樹ばかりだったのか)ほとんど色づいているところがなかったことくらい、そんな道を1時間くらい気持ちよく歩いていると、ちょうどいい塩梅に休憩所があった。そこでは先客のお遍路さんが食事中で、挨拶を交わして、わたしも持参していた、前日に道後温泉のコンビニで仕入れておいたおむすび2個の昼食休憩となった。年は同年輩か、どこから来てどこへといった話から、その日の宿の話になり、向う先には宿は岡田しかなかったから、同じですかと聞いてみると、いや、岡田は満杯で取れなかったとのこと。えっ?では、どこに?、どうやらかなり先の三好市池田というところの民宿白地荘さんが途中まで車で迎えに来てくれることになっている、ということだった(この話はもう一度することになると思う)。いずれにしろ向かう方向は同じだった。彼は先発して、わたしは10分後に彼の後を追うことになった。そして後で知ることになるのだが、このルートを歩く人にとっては民宿岡田は唯一の宿だったから、四日前に虫の知らせで自宅から電話を入れておいたのが正解で、わたしがその日の岡田の最後に部屋を予約できたある意味ラッキーマンだったようである。それほどこの宿は貴重であったばかりでなく、ここの女将さん(いつもはその親父さんが仕切っているとのことだったが、この日は用事で不在だった)の気配り、応対、接客、食事、すべてが完璧で、ここぞ希少な宿であることをその夜に十分知ることになるのである(知っている人は知っているのであろうが、わたしは初めてでそんなこと知らずに予約いれて泊まれたのだけれど、リピーターが多いのでなかなか予約が取れない宿だったのである)。

山の中腹を行く道から;2枚Img_1653_640x480
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Tさんとであった半田休憩所
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 その休憩所から40分くらいのところに別格14番椿堂(常福寺)というのがあって、そこで先のお遍路さんに追いつく。そこで改めて名刺代わりの納札交換をして、堺のTさんという方であることを知る。彼も区切り打ちとのことだったが、何と彼はその別格(88ヶ所のほかに20ヶ所の別格札所があって、これを廻るには更に厳しさが増す)も含めて番外霊場も隈なく廻っているとのことだった。前日は別格13番仙龍寺までいって来たといっていた。それは通常の88ヶ所の巡拝に比べて倍くらいの日数がかかるらしく、普通ならそこから一週間くらいで88番までいけるところを彼は3週間を予定していたのである。いやはや大変な修業者?お遍路さんであった。それまでそんな知識のなかったわたしは、別格用の納経帳も持っていたそのTさんから、わたしもそこで朱印をいただけることを聞いて、参詣後に持っていた納経帳の余白にご朱印をいただくことができた。しかもその寺のまだ若い大黒さんから、歩いている方からは納経料はいただきません、といわれてまた感激してしまうのであった。同じ年くらいであったが大先達であるTさんは、心穏やかな人柄がにじみでていて、自ずから彼に従うように、またそこから歩きだす。ちょうど椿堂のあったあたりから道は国道192号線を行くかたちとなり、車の往来が激しくなった道端を彼の後を追うようについていった。椿堂から県境のトンネル(境目トンネル)まで4km強で、途中休憩を入れて1時間15分、850mのトンネル通過に15分、トンネルから岡田への分かれ道まで20分、そこでTさんと別れた。明日雲辺寺であいましょうといって‥、、しかし、恐らく彼は三好市池田の民宿泊だったから、近くの別格箸蔵寺にいったと思われ、その後彼と会うことはなかった。岡田着は16:15、そこにはこれまたすごいメンバーが揃っていたのであった‥、、

別格14番椿堂;2枚Img_1667_640x480Img_1665_640x480

Tさんの後をついていく、境目トンネル手前、、Img_1674_640x480