独歩の独り世界・旅世界

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四国八十八ヶ所 お遍路初体験 8,最終回、お接待に感謝 ! 感謝 !

 思えば今回初めての四国、お遍路初体験はお接待に始まり、お接待で終わったといえるかもしれない。四国には悪い人がいないのではないかと錯覚させるくらい、どうしてこうも皆人がよいのだろうと思わずにはいられなかった。しかし、四国のほんの一端に過ぎなかったが、歩いてみてその理由をはっきりつかめたような気がしている。これは結い語にするつもりだったが、先に言ってしまうと、それはこの地が弘法大師様がつくられた風土だったということ、それを1200年の間ずっと守り続けてきた人々の風土だったからではないかというのが、わたしの結論だった。それが感じられただけでも、短かったけどいい旅だったと思う。これからもずっとそれは維持され、続けられ、日本中がこんな風土になったら素晴らしいと夢想した。そのためにもお遍路の風土と文化は残さなければならないし、残っていくと思っている。わたしも、もう一度、そしていつかはすべて廻るつもりで、今次の旅を計画しているところである。

 そんな精神をわが友T氏も受け継いでいて、その夜は大歓待を受けてしまった。歩けなくなっていたわたしを車で彼の自宅まで運んでくれ、風呂をいただいたあとに元看護婦さんだった彼の奥さんから傷の手当てをしてもらい、そのあとビール攻めにあった。夜半まで飲み続け食べ続け、話し続けてしまった。お礼のしようがない、感謝 !、感謝 ! そればかりで言葉でしか気持ちを表せないないのが心苦しい、、それだけでなく次の日彼はわたしのために午前中休暇をとってくれ、宇和島の街を案内してくれた。その前に偶々彼の住まいが42番41番のあった三間町にあったから、一番に41番龍光寺にいってもらって時間切れになったご朱印をいただくことができた(そのとき車の進入路を確認しようとしたが、それでもよくわからなかった)。そのあと宇和島市内を巡ってくれたが、歩けないわたしは宇和島城と折から開催中の伊達家400年祭をやっていた伊達博物館はパスさせてもらった。それではと彼は宇和島城を遠くから眺められる丸山公園という山の上まで連れてってくれて、そこからは市内の眺望と宇和島城の眺めを楽しむことができた。そのあとわたしの希望で港へ行ってもらったが、途中で闘牛場にも寄った。港では、道の駅のようなショップや牛鬼祭りの紹介ブースなど宇和島らしさの溢れる店々をゆるりゆるりと歩いて回ったが、以上述べただけでも見所が多く、郷土色豊かな土地であることを実感する。それは食べ物にもいえて、そこでいくつかの土産物を買った。さらに降りしきる豪雨のなかを郊外まででかけ、段々畑で有名な遊子<ユス>というところの段畑を見に連れてってくれた。それだけでももう十分に宇和島を堪能したつもりだったが、そのあともう一軒有名なところに連れて行ってくれたのだった。

宇和島市街と宇和島城;3枚Img_1228_640x480Img_1229_640x480Img_1235_640x480

港付近Img_1236_640x480

遊子海岸の段畑;2枚Img_1241_640x480Img_1242_640x480


 わたしは宇和島のあと、足の問題が生じてなければあるいはさらに南下して、それは必ずしも歩いてではなかったが、逆打ちしながらいけるところまで、ま、それでも最終は高知辺りまでいければと思っていたが、今となっては叶わぬ夢となっていた。で、ともかく出直すしかないと結論をだしていたから、その日の午後には帰宅の途につくつもりでいた。問題はその方法だった。いろいろあったと思うが、わたしが思いついたのは二つしかなかった。貧乏旅を身上としてきたわたしにノーマルの飛行機や新幹線を使っての帰宅は考えられなかった。それがこの旅のきっかけでもあったのだから、帰りもその方法を模索した。ひとつは、今はどのくらい利用者があるのかわからないが、LCC出現前はそれがもっとも廉価な移動手段だった夜行バスで、その運行はまだあるはずだった。松山~東京は一万二~三千円くらいだったと思う。時間は長く疲れるが、今でもそれを厭うことはなかった。ただ、今はそれより安いLCCがあった。来るときはエアホ<air & hotel>だったから飛行機代の詳細はわからなかったが、そのとき飛行機がLCCのJet Star航空で、松山~成田間を安いときは6000~10000円くらいで飛べることは知っていた。なのでそれが取れなかったときは夜行バスを使うことにして(たぶん夜行バスが満席になることはないと思われたから)前夜夕食前にT氏のパソコンを借りてJet Star航空にアクセスしてみた。ま、前日だったので最安値の6000円のticketは出てなかったが、夜の便で9000円の席に空きがあった。早速それを申し込んでCC決済、それで帰りの足は確保されたのであった。今はそういう時代になっている。だから四国はそんなに遠くではなくなっていたのである。次の機会もそう遠くない日に実現できる可能性があったのだ‥、、

 ということで、その時点では午後のバスで松山へ発ち、夜の便で帰京(千葉だけどこの言葉を使わせてもらう)することが決まっていた。それで彼は昼前に食事に連れて行ってくれ、例の宇和島名物‘鯛めし’をご馳走してくれたのだ。さらに土産にと、これも名物のジャコ天までいただいてしまって、はっきり言ってやりすぎ、接待のしすぎなのであった。わたしは何回かありがとう、でももうそのくらいにして、と頼んだが、すでにいくら礼をいっても追いつかない域に達していた。なんという風土だ、四国は!、愛媛は!、宇和島は!である。バスターミナルまで送ってくれて見送りまでしてくれた。そのバスは2時間で松山に着いた。わたしが5日かけて歩いた区間は2時間、1800円だったのである。しかしこの5日間に学んだ多くはお金に換算できるものではなかった。辛く、厳しいときもあったが、たくさんの人の善意に触れ、多く接待を受け、感謝、感謝の毎日であった。こんな体験(旅)はなかなかできることではない。また経験できる場も少ない。そういう意味でお遍路とは、尽くせない宝が埋もれている四国という地を自ら歩いて、探って、掘って、発見して、触れて、知って、学んで、そして感謝する旅といえるかもしれないと思った‥、、<了>