独歩の独り世界・旅世界

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四国八十八ヶ所 お遍路初体験 2,松山から歩きだす、、

 わたしは偶々<タマタマ>という言葉が好きである。ずいぶん前からこの言葉は意識してきた。言ってみれば偶然ということだが、その含意の力点は‘意図せず’にあって、全面に我意をださずに他意と我意がうまく一致する状態、とでも言えばいいのだろうか?そんな時タマタマという語は使えるように思うし、そんな状況が多ければ多いほど、ワレと世の関係はうまく調和すると思うのだ。そのためにはむしろ待ちの姿勢が重要かとも思う。しかし待ってばかりいても他者・世界からの働きかけはほとんどない。他者・世界との関わり方は今の世の中、たいそう難しいものになってきているが、また一方インターネットの出現で易しくなったともいえるかもしれない‥??、、インターネットの世界では、あらゆる情報が無前提・無方向(アプリオリという言葉が使えるのか?)に氾濫している。しかしそれらはひとつの呼びかけと解釈することもできる。わたしにも向けられたものと考えてさしつかえない場合のほうが多い(もちろんそこには様々な落とし穴・虚偽・作為も含まれるであろうが)。そんな中に我意を得たり、とする情報がないこともない。そんな時はタマタマ***に出会う、といういい方ができるのではないかと思う。なので、最近はそういった情報の閲覧、場合によってはそれを追いかける、探ることが多くなってきた。もちろんそこにはこちらの希望しているカテゴリーを選択して、という意図が含まれるのであるが‥、、

 またまた面倒くさい前置きで、うんざり、という声が聞こえそうだが、そうやって様々なお得情報に出会うことがある。今回はそれが松山だったのである。その時点ではまだ四国遍路はでてきてない。そのときは国内の旅情報を探していた。実は夏休みのうちに孫をどこかに連れて行け、という家族からの圧力がかかって、であった。そういう格安ネタを探すのは、ここ数年暇をもてあます身にはすっかりお手の物となっていた。しかし、それに精通しているつもりでも、時に信じられないほどの案件に出くわすことがある。それは例えば前回のバルセロナ4泊6日エア&ホテルが65000円だったのに匹敵するものだった。成田~松山エア&ホテル(一泊2食付)が16800円、今や海外旅行より国内旅行のほうが高くつくご時勢である。これならわたしにもいけそうだ、とすぐに4人分の予約をした。

 結局そのあといろいろの経緯があって、最終的には子供と孫がいけなくなり、いずれも四国が初めてという大人3人(わたしと奥さんとその姉)の旅になるのだが、予約してからその日まで一ヶ月くらいの時間があった。で、その間に、それなら遍路をという段取りをする。もちろん歩くのはわたし一人、つまりわたしは帰りの航空券を捨てて、途中から一人で旅をするという、これまでに何度となくツレ<奥さん>に押し付けてきたやり方である。だから、どちらが先だったか良く覚えていないが、その松山を見つけたときすでにわたしの中には遍路のことを思い描いていた節はあった。つまり前回記したように、もう何年も前から気にかかっていたことだったからである。で、早速ルートの検討や必要な遍路用品の手配(ネットで注文)、それと一緒に最も重要な遍路指南書(へんろみち保存協力会発行の‘四国遍路ひとり歩き同行二人’の地図編と解説編)を注文した。もちろんそのときから歩くつもりだった。これも前回記したが、少しづつ遍路について、やり方について学んでいって、どこから初めてもよいことを知り、つまり松山から初めてもいいことを知ったが、ではどこまで行くか?どこまでいけるか?ということはまったくの未知数であった。しかし、ここでもタマタマがあった。

 タマタマわたしには、愛媛県宇和島というところに一人の友人がいた。友人といっても後輩なのでわがまま勝手のいえるほど近しい間柄でもなかった(いや、実際は結構勝手をやってしまったが)。なので早速手紙を書いて打診すると、いつでも歓迎という返信をもらった。この時点で、わたしにとっての遍路初体験は松山から宇和島(距離にして約100km)まで歩いてみよう、ということに決まる。いずれはいつになるかわからないが、全て巡るという前提の下、まずは区切りうちというやり方で試し、こまで歩けるかわからないが、とりあえずは歩きで挑戦してみようということにしたのだった。その間に何度かmailでのやり取りがあったり、荷の確認や、今まで自転車でいっていた買い物や用事を全て歩きででかけ、新しく買った靴の足慣らしを始める。また宇和島までルートも検討をしてみた。それによると宇和島まではわたしの足では6泊7日くらいでいけそうだった。その時点ではまだ楽観的だったから、体力と経済的余裕があれば、さらにその先まで、それは必ずしも歩きにこだわらずにいけるところまで行こうとさえ考えていた。何しろ時間だけは有り余るほど持っている身だったからである。では、過酷が予想される歩き遍路に何故こだわったか?いくつかの思いつくまま挙げてみると①旅(遍路、巡礼)の原点はやはり歩きだろうという想い、②いずれ歩けなくなる、歩けるうちに歩けるところまでは歩こう‥、③遍路は札所(寺)だけではなく、過程も含むのでは?、④かつて数日間の山行、トレッキング、ジャングル踏破などの経験があった、⑤現に歩いている人はいくらでもいる、、しかも高齢者も‥、、負けてられない‥、、といった想いからであった。そうはいってもまったく不安がなかったわけではない。最近は山に登れなくなっていた。老いの衰えは如実に実感させられていたのである。それもあって一計を案じていた。遍路初日は初めての不慣れもあったので、少々お金を使って、車の力を借りだのであった。

 実際に歩き始めたのは2日目の午後からであった。初日は松山に13時ころ着で、市内に出て食事をし、坊ちゃん列車に乗って道後温泉へ。ホテルは道後温泉の裏で、安い料金だったにもかかわらず立派なホテル、気持ちのよい露天風呂、遜色のない食事で多いに満足だった。もちろん道後温泉にも入ってみた。またチェックインしたあとにホテルのフロントで観光タクシーの相場を聞いて(だいたい1時間5000円)、もっとも歴史のある伊予鉄観光タクシーに、次の日の午前中市内の3ヶ所の寺を廻ってくれるようお願いした。これまでにわたしの記事を読まれた方には意外に想われるかもしれないが(タクシー嫌いなので)、この時は大人3人だったことと、伊予鉄タクシードライバーはこれまでの実績からお遍路のことを熟知していることを知っていたからであった。そして次の日の午前中(約3時間)我々は53番円明寺を起点に52番太山寺、51番石手寺を巡ってもらい、50番の繁多寺まで運んでもらって、そこでわたしだけが降り、そこからわたしの歩きは始まったのであった。その間、その誠に親切で人の良い、ま、年は60前後か?ドライバーO氏から、懇切丁寧に札所巡りの手順をレクチャーしてもらい、同時にまったくお遍路に関心のなかったツレ姉妹も、いささかのお遍路体験ができたのだから、この投資(アイデア)はわれながらよかったのではないか、こういう使い方なら少々高くともタクシー利用も価値ありと自分を納得させていた。最初の寺53番円明寺まではけっこう距離があって到底歩けそうになかったし、次の太山寺は山の上、最後の石手寺は八十八ヶ所の中でも有名なお寺で、道後温泉の近くにあって参拝客の多い由緒ある寺で、衛門三郎伝説(遍路の解説書などには必ず出てくる話だと思うので、それを参照してください)などの逸話を聞くことができ、いずれもタクシー巡りに理があったように思う。また最初の円明寺では偶々参拝時に先達バッジをつけた若い方に巡りあい、その方からも、参拝の作法、読経の仕方などを教わることができた。これがまさに接待ということで、はじめてその返礼に白い納め札を差し上げたら、さらに緑の納め札をいただくことになった。すでに数十回を遍路行をされている先達K氏の威光がまぶしかった。こうして慣れないながらも、その日の午後からわたしはひとりで歩き始めたのだけれど、それは当初あまり意識はしてなかった、いわゆる‘逆うち’といわれるもののようだった‥、、

道後温泉に入ってその界隈をブラブラ(あとの2枚は近くの伊佐爾波神社から)Img_1112_640x480Img_1102_480x640Img_1103_640x480

53番円明寺;4枚Img_1117_640x480Img_1119_640x480Img_1120_640x480
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52番太山寺;4枚Img_1124_640x480Img_1122_640x480Img_1126_640x480Img_1258_480x640

51番石手寺;5枚Img_1134_640x480Img_1130_640x480Img_1133_640x480Img_1137_640x480(衛門三郎像?)Img_1259_480x640