独歩の独り世界・旅世界

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四国八十八ヶ所 お遍路初体験 5,45番岩屋寺、44番大寶寺を巡る、、

 癒しの宿‘八丁坂’の女将さんは、タクシードライバーO氏が説明してくれた通り、何年か前まで45番岩屋寺近くにある国民宿舎古岩屋荘を切り盛りされていた方で、女将さん自らそのあたりを詳しく話してくれたのだけれど(よく覚えていないので)わたしの理解したところによると、いろいろ経緯があって自分の宿を立ち上げ独立した、というようなことだった。そしてその際宿名として、岩屋寺に向かう山道の自然、特に秋の紅葉の素晴らしさに打たれて、ちょっと遍路泣かせのきつい坂であるが、古岩屋荘の近くにあったその場所八丁坂からその名をいただいた、と何枚もの写真を見せてくれながら前夜の夕食時に説明してくれていた。それを聞いていたので、岩屋寺に向かうには地図上だけでは2次元だからよくわからなかった周遊コースの回り方に迷いが消えていた。45番の岩屋寺というのは四国遍路の全体図から見ると、そこだけ少し窪んでいて、そこまでいってまた同じ道を戻らなければならないという、しかもその往復に一日かかってしまうというような、ちょっと厄介なところにあった(あとから思うにそれだけの労力をかけても余りあるほど魅力的なところで、お寺も良かったが)。なので美味しい朝食をいただいてから、余分な荷物はそこに置いて(ここは宿泊者でなくても荷を預かるロッカーが設えてあった。もちろんお接待、無料である)7:15に宿をあとにした。身軽になって足裏の痛みさえなければ、絶好調といえるところだったが‥、、

 あいにくの曇り空も暑くないだけ助かる。舗道を歩き出して15分、わかりにくかったがわき道に入るへんろ道の案内があった。山道になる。この道は昨日の三坂峠に登る山道に匹敵するほどいい道だった。わたしの遍路道のイメージにぴったり、といってもいいくらいだ。ところどころにへんろ道表示があったし一本道だから間違いようはなかった。多少の上り下りがあって30分、休みなしで8:00ころ八丁坂下に着いた。そこで道は別れ左は古岩屋荘に続く道、右が八丁坂への登りである。10分の休憩で、厳しさを覚悟して八丁坂に取り付いた。が、こういっては何だが、山をやっている人からするとなんでもない坂であった(遍路してる山屋さんは、むしろ少数だろうが?)。一気に15分?峠といえるようなところ(八丁坂上?)にでた。で、そのとき少し侮りが生じたか?、実はそこから岩屋寺までの尾根歩きに思いのほか時間がかかってしまったのである。その尾根歩きもさほど厳しいものではなかったしアップダウンもそれほどあったわけではない。むしろ八丁坂上から少し尾根を歩き出したところから見えた石鎚山系の見事な山っぷり(山容)に感心させられ、この尾根歩きも楽しいなぁ、と思ったくらいだった。が、そのうち足裏の痛みが増してきたのだ。だんだん歩きが辛くなってくる。八丁坂上から30分くらいでは?という見込みは(それ自体が甘く見すぎてる)なんと1時間もかかって岩屋寺到着となった。しかし、そこはなかなかいい寺だった。どうやらこの寺は修験の場?、尾根から下って山門に入る間に白山権現を祀る行場なんかがあって、それまでなかったわくわくするような興趣を掻き立てるに十分なロケーション、シチュエーションであった。で、頼めば鍵を貸してくれてその行場を詣でることもできるとのことだったが、その門の脇に警告板があって、非常に危険なところで事故等の責任は一切負わない、あくまで自己責任で、というような注意書きを見るまでもなく、今のわたしには明らかに無謀と思われたので、そこは自重するに越したことはなかった。そこからさらに下って漸く山門到着、尾根を下りだしてからだけでも20分くらいかかっていたか?山の中腹が境内になっていたのだ。立派な山門だった。一礼して中に入ったが手水場がなかった。いきなりおおきな大師堂。これについては前日に女将の説明を聞いていた。それによるとこの山門が本来の表門であろうということ、よって女将に教えられて辿った尾根道が、恐らく正しい(本来の)参道であろうこと、なぜならこの山門の両脇に今は存在しないが仁王様控えていたであろう‥云々(わたしは仏教や寺院について詳しくない、また記憶力が悪く説明された内容も正確に覚えてない、聞き間違い、あるいは思い違い・勘違い・お門違が多々あろうかと思う)、、で、わたしも実際その道を通ってきて、またこの山門を見て、その説に賛成だったが、確かにこの門から入る人がほとんどいないということをそのとき知ったのである。その門をくぐるまでわたしはお遍路さんにも参詣者にもひとりも出会ってなかった。ところが境内に入ると、なんと大勢の参詣者がいるではないか?、そのお寺の人気・有名さを明示するように参拝客が押し寄せていたのである。だからちょっと驚きもしたのだけれど、これも女将の情報の中にあったことだ。今は、ほとんどの参拝客は下の駐車場から、長い階段を登って来る人ばかりで、なのでそちらが参道になってしまっていると‥、、れが手水場ったわけなのであった(位置が変わっていたということ)。その山門から入る人のいないわけだった。またここの大師堂は、他にもう一ヶ所あるが本堂より大きい数少ない例だ、ということも女将からに聞いていた。わたしは先にいったようにこのロケーションがとても気に入っていた。背後の断崖絶壁が修行の場か?いくつもの穿った洞穴(自然のものか?)は瞑想の場か?要するにこの山全体が修行の場になっているようだった、、いやー素晴らしい ! ! 、完全に他の寺とは趣を異にしていた。まだほんのわずかなお寺さんしか詣でてなかったので、他を知らずしていえないことだが、あるいはここは八十八ヶ所の中でも異彩を放つお寺のひとつではないかと感じたのだった。その日はたまたま土曜日だったからではなく、ここはよく知られたお寺だから参拝客(お遍路さんだけでなく)が多いのだろうと思えた。お参りを済ませわたしは本堂の脇にある本堂より高い梯子に眼がいった。そこは穿った(あるいは自然?)洞穴に通じる梯子だった。手すりも何もなく危険極まりない代物、誰も登っていない。ただ登攀禁止にもなってなかった。修行の鎖場を断念したわたしはせめてここくらいは登ってみたくなって、恐る恐る登り始めた。登りきるとかなり広いスペースの、たぶんそこも修行の場のひとつであったのだろう、祠がひとつあった。そこからの眺めは悪くなかったが、どうせなら女将がいっていたように、ここは秋がよさそうだった。きっと素晴らしい紅葉に見惚れたであろうこと想像に難くなかった。また恐る恐る地上に降り立ち、ご朱印をいただきその場をあとにする。しかしそこから下までが、またけっこうな距離であった。そこを何人もの人が登ってきていた。これは下から登るのも容易なことではないとすぐにわかった。なんでも20分はかかるとか?、長い参道も(八十八ヶ所の中には)結構あるとは聞いていたが、ここもそのひとつのようだった。お遍路さんに混じって平服の人もけっこういたから、観光スポットとしても人気があるようだったが、そんな中に確かに白シャツ黒ズボンの一見サラリーマン風の人がいたのを、逆にちょっと奇異に思って覚えていたのかもしれない。その人にあとでもう一度出会うことになった。

途中からの山道、へんろ道の札が見えているが、いい道だった。Img_1169_640x480

写真に見える家のご主人が朝早くから道端の草刈をしてくれていたImg_1171_640x480

八丁坂下Img_1172_640x480

八丁坂上の峠?Img_1174_640x480

尾根道からは石鎚の山々が見えたImg_1176_640x480

石鎚とは反対側Img_1178_480x640

尾根から下っていくと不動明王、そして白山権現への入り口、厳重な鍵がかかっているImg_1182_640x480Img_1179_480x640

本来の山門(表門)?Img_1183_640x480

大師堂は修復中?Img_1189_640x480

本道の脇に梯子が見えているImg_1188_480x640

梯子を登った上から;2枚(手前本堂と向こうに大師堂)Img_1187_480x640Img_1186_640x480Img_1265_640x480


 現在の表門をくぐって川のそばまで降りると駐車場があって車お遍路さんががどんどんやってきていた。橋を渡る手前に遍路道があって舗道を歩かずにすんだが、川沿いの道をしばらくいくとトンネルがあってそこからは舗道歩きになった。まずは古岩屋荘の休憩所を目指したが、意外に遠くて岩屋寺からは45分、下の橋の袂からは30分ほどかかって古岩屋荘前の休憩所に10:55着。かなりの足の痛みと疲れがでていた。そこからは宿‘八丁坂’まで2km30分と踏んだが、このときも読み間違いしており(この付近の地図の表示が読みづらかったのもあって往きも帰りも間違えてしまった)、単なる希望的観測だったようだ。また、そこからは左にいくと今朝の八丁坂下に至る道があったが、このときはアスファルト道だが車道を行ったほうが近いのではないかと錯覚して(実際は距離的にはどちらも4kmくらいで変わらなかったようだ)10分ほど休憩して車道を行ってしまった。ま、どちらが早かったかはわからないが少なくとも歩き易さの点で山道に理あり、足の痛みが増した分選択ミスだったように思われる。で、4kmなら納得なのだが、2kmくらいのつもりでいたから、まだかまだかと足の痛みをこらえながら必死の思いで歩いた。漸く12時少し前についたときは相当バテていた。元々そこで昼食をと考えていたから、一個50円のおにぎりを二つもらって昼食を兼ねてしばらく休ませてもらった。

 この癒しの宿‘八丁坂’は、そのとき昨日は見かけなかったが多くの若い女性が厨房で働いていた。そのわけはすぐにわかった。それは偶々土曜日だったからか、たぶん宿泊客でなく通りすがりの観光客だと思うが、昼食に寄る客の多さだった。そこにはおいしそうなうどんのメニュウがあって、わたしも迷ったのだけれど、それほど食べられないと思って注文しなかった。昼食に寄るお客さんは、皆このうどんを注文していた。500円で、しかもサラダバーつき、この野菜は昨日の女将さんの説明によるとすべて自宅の農園で取れたもので、それをお接待にしているとのことだった。で、どうもここに寄る人たちはみんなそれを知ってのことのようだった。それもどうやら口コミないしはネット情報で仕入れてのことのように思われた。ま、その混雑にまぎれてわたしは100円でおにぎりとサラダをいただき、この日の昼食としたのだけれど、いつかこのうどんを食べに戻ろうと思ったのだ。昨日の話ではだんだん口コミでお客が増えたので、何度か増築したといっていたが、そのときはまた一回り大きな宿になっていることだろうと思った。それほどこの店・この宿は当っている感じがしたのだ。もちろんあの優しいお母さん(女将さん)の人柄の賜物だ。30分休ませてもらって荷物をだし、そのとても親切にしてくれた(そういえば足らなくなったロウソクまで少し分けてもらったのだ)おかあさんにいつかうどんを食べに戻るから、と礼を述べ、この宿をあとにした。

 それまでなんとかもっていた空が、そこを出るとぱらぱらと来て、すぐに本降りになってきた。橋をわたると昨日は気づかなかったのだけれど、左にへんろ道があるようだったのでそれに従っていく。が、ここでも逆うちのため右か左かわからないところにでてしまった。幸いそこは住宅街で、道路端の軒下で七輪の炭火で魚を焼きながらビールを飲んでいるオヤジがいた。なんとも風流というか、絵になる光景だったが、知らぬ振りして通り過ぎる。しかしその道に確信がもててない。悔しいけど戻ってそのオヤジに道を尋ねた。親切にこの道で間違いないことを教えてくれ、礼をいって立ち去る。しばらくいくとなにやらそのオヤジがわたしを呼ぶふうに、もしもし、もしもし、といっている。振り返ると手招きされ、これを持っていけといって、そこの奥さんが茹でたとうもろこしを一本くれたのだった。これもお接待なのだろうとありがたく頂戴し、また礼をいって雨のなかを歩きだした。そのとうもろこしはそれから4時間後くらいにわたしの口の中に入った。わたしはとうもろこしというものがこれほど美味ということを知らなかったのである。いや、こんなうまいとうもろこしを食べたことがなかったというのが、正しいいい方かもしれない。あとで宇和島の友人にその話をしたら、あの辺のとうもろこし美味しくて有名だといっていたが、確かに絶品だった。この体験は思い出として残りそうな気がした。さて、雨が激しくなってそれまで傘で対応していたが間にあいそうもなくなって、林の中でポンチョを取り出し完全雨対策を施しての山登りとなった。トンネルの脇からトンネルを通らずに44番大寶寺へ抜ける山道があることは、昨日ここを通ったときに確かめてあった。ただ雨のなか山道はきついだろうという予想は、案外たいしたことなく、ちょっとした山越えですぐ下りになり、時間的には宿‘八丁坂’からは1時間の登り、30分の下りで大寶寺に着いた。その間大寶寺の近くで若いお遍路さんに出会っている。で、なんとか14時ころ大寶寺に着いたが、その間ほとんど休むところもなく歩き通しだったので、やはり相当疲れてしまっていた。こういうときはなかなかお参りも手順どおりにいかなくなる。あと雨具の処置にも問題もあった。で、もたもたしていると、ちょうど参拝に来ていた男性が声をかけてくれた。大丈夫ですか?気をつけてください、と、、わたしが雨に濡れた石段に足を滑らしそうになったときだった。もう一人参拝に来ている女性のお遍路さんがいたが、雨の境内はその三人だけで、山あいの木立に囲まれた境内はたいそう静かだった。もたもたしながらも一通り参拝を終え、雨に煙ってなんともいえぬ風情を醸しだしている、そんな風景を写真におさめていると、先ほどの男性が写真を撮ってあげましょうかといってくれた。それをわたしは断ってしまったのだが、実はそのあと少し悔やんでいだ。一枚くらい証拠写真を残しても良かったかな、と、、それから納経所でご朱印をいただき、大黒さんに街に出る参道があるのですかと聞いてみた。わたしは山から下りてきたのでその道を知らなかったのだ。すると、少し降りたところに山門があって、そこをそのまま下っていけば街に出ると教えてくれた。それでいわれた道を山門に降りていくと先ほどの男性がそこにいて写真を撮っていたが、そのときどこかで会ったかも知れないと漸く思い出したていた。白いワイシャツに黒いズボン、しかし、おぼろげな記憶だったのでそのことには触れずに、どちらからともなく改めて挨拶を交わす。簡単な自己紹介、年はそれほど変わらなく見えたが、ほとんど同年、わたしより二つ若い方だった。で、形式的にどちらから、という話になって思いもかけず同県人だったことにお互いが驚く。それから急に親しみを覚え、どうして千葉県人がそこにいるのかといった話に移っていく。しかし何故遍路の格好でない?、それについて彼は二度目の遍路行で今回は前回廻ったところで気に入ったところを気ままに巡っているという答え、今日45番岩屋寺にいなかったかと聞くと、彼はそこで、何時間かに一本のバスを待っていて、今漸くここまでたどり着いたところ、とのことだった。間違いない、岩屋寺の参道で会っていたのだ。その山門で雨宿りがてらどんどん話が進み、これからどうするの?今日の宿は?、という話になる。彼は特に決めてない、ビジネスホテルでもあれば、といたって気楽?、なるようになれスタイルであった。もちろんリタイア組みだから、すぐに帰らなければならない理由も何もないようだった。なら、わたしが予約している宿に泊まったら、今は閑散期だから部屋は空いてると思うよ、ということになってそこから一緒に歩きだす。その前に、先ほどの悔いを思い出し、めったにないことだからと(撮ってもらう機会がないということではなくて、撮ってもらう気になることがめったにないことを説明して)珍しくわたしの証拠写真?を一枚撮ってもらったのであった。

風情がでているかどうかわからないが44番大寶寺;4枚Img_1196_640x480Img_1195_640x480本堂

大師堂には白いシャツに黒ズボンの男性が写っていたImg_1193_640x480Img_1266_640x480_2

初公開、わが証拠写真Img_1197_640x480


  地図で確かめて宿へ向かう。参道をまっすぐ15分ほど下ると久万町の中心街にぶつかり、一二度曲がると久万町の役場(久万高原町役場?)にでた。その並びにわたしの予約した宿はあった。その宿は前日エイ、ヤで‘八丁坂’から電話を入れてあった。一泊二食つき6500円と聞いていたが、宿の女将さんにもう一人連れてきたが、部屋空いてるよね?と聞くとあいにく6500円の部屋はなく6000円の部屋(食事の内容は変わらないが、風呂・トイレが少し違う?)なら空いてるとのこと。彼がそれでOKという前に、わたしが文句をつける。そんな話は聞いてない、そんな部屋があるなら、わたしもそっちにしてくれと、、それで二人とも部屋は確保できたのだけれど、風呂が一人づつ入るユニットバスだったのは、ま、わたしは意に介することではなかったのだが‥??。それよりも、結果論だが二食付きであれだけの料理を6000円で出してくれるのなら、この宿は大当たりといえた。というのもわたしが何泊かした宿は、確かにその他のサービスが良かったりしたところもあったが、平均すると7000円前後であった。この6000円の宿の食事はそのどこに比べても遜色なく、もしかしたら最も良かったとさえいえるものだったからだ。だから同県人のH氏もそれなりに満足はしてくれたのではないかと思ってる。ともあれ風呂をいただき、多少足裏の手当てをしてから我々は近くのコンビニに買出しに出かた。残念ながら彼は下戸だったから酒は飲めなかったが、夕食までの間彼の部屋で差しさわりのない範囲でお互いの生い立ちや経歴を披瀝して、食事の用意ができてますと呼ばれたときにはわたしはもうほとんど出来上がってしまっていた。例のとうもろこしはその時に分けあって食べたのだが、彼もその味には賞賛を惜しまなかった。下の食堂に降りるとそこには先客が二人いた。彼らもすでに酒が少し入っていたのですぐに打ち解けて、その夜は期せずして宴会になってしまった。三重からきていた同年の男性はバイクで廻っているとのことで、我々ともう一人の年配の方が歩いていることを知って、しきりに恐縮して自分は軟弱ものと卑下していたが、なかなかユーモアのある面白い人だった。もう一人の年配の方というのが、我々(三人が65~67で同年代という意識あり)より一世代上で70代半ばといっていたが、それでも歩いているとのことで、やはり敬意を表するにやぶさかではなかった。それよりもその偶然に驚かされたのだが、なんと彼も千葉県人だったのである。ま、そんなんでその夜は多いに盛り上がったのだけれど、それには前述したように、そこの食事がとても良かったことが大きく貢献していたと思うのは、蛇足というものであろうか‥??、、