独歩の独り世界・旅世界

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四国を歩く(区切りうち)第3弾 3, 71番~75番、善通寺宿坊に泊る、、

 この朝、わたしは少し微妙な心境にあった。というのも、他の3人はすでに68番69番を打ち終えていて、その日は70番に向って歩きだすばかりであった。ところがわたしはその70番も前回打っていて、今回はここから71番に最短の駅まで電車で行こうとしていたからである。そこまでは12km、平坦地だから3時間の行程である。それははっきりいって歩きたくない距離だったのである。わたしのような軟弱ものは、だから故だが、別に歩きに固執しているわけではなかった。どうしても歩き通すという強い意志に欠けていた。その最たる場面が、このときのように電車で行こうと思えばいけるところをなんで歩くの?ということだった。いうまでもなく、前日までの二日間は歩かなければ行けないところ、だから必然性があった(この場合の前提として車・タクシー等は論外としている)。そういうところは歩く、公共交通機関(主に鉄道)が使えるところはそれを利用してもいいのではないか?それがわたしのお遍路に向うスタンスだった。ただ二日間も純粋歩きお遍路のツワモノどもと一緒に歩いていると、なかなかそれは言いだせないことだったのである。

 で、わたしがとった手段は、いずれにしろ前日までもそうだったように、みんなそれぞれ勝手に出発していくのだから、その朝も皆が出て行ったのを見計らってから、わたし一人駅に向かうという算段でいた。が、ちょうどわたしが出ようとしたとき、C氏の出発と重なってしまったのだ。まずいことにC氏の向かう方向と駅とはまったく逆方向だった。仕方なく観念してC氏には正直にその日の予定を伝えたのだった。彼は、そういうところは非常に鷹揚で豪快な人だったから、笑って、では善通寺でまた会いましょう、といってくれたのである。これにはちょっとした伏線があった。実は前日大興寺で昼食休憩をとっていたときに、次の日の宿の話がでて、たまたまわたしが考えていたこととC氏のプランが一致して、ならばとSK氏も賛成してくれ、善通寺宿坊に予約のtelをC氏が代表して入れてくれて確保してあったのだ。で、7時半に一緒に藤川旅館を出ると(あとの二人はすでに出発していた)C氏は70番に向って右に、わたしは駅に向って左方向に歩きだしたのだった。駅まで約10分、次の電車は8:06にあり、71番弥谷寺に最も近そうだったJRみの駅までの切符(260円)を買った。

 みの駅までは20分弱で、そんなこと気にする必要はなかったかもしれないが、そこまでは遍路装束を身につけていなかったので、そこで身支度を整えて歩きだす。弥谷寺まではおよそ3kmと見積もっていた。そこへの道は間違えずにいけたが、もっと楽かと思っていたこの寺も、いってみたら大変な山登りを強いられることになろうとは思ってもいないことだった。車道の終点、いわゆる弥谷寺入り口となる登山口には9時に着いたが、そこまでもすでに少し登りだった。が、そこからが本格的な階段登りだったのだ。なんと一番高い所にあった本堂まで30分もかかったのだ(ということは百数十mは登っているはずだ)、、もうそこまでで相当疲労してしまったのは確かで、ここも厳しいお寺のひとつだとの想いは、しかしその分素晴らしい立地、なかなかの景観、それらを含めて結果としては印象深い寺のひとつになったのであった。本堂で参拝を済ませて写真を撮っていると、地元の年寄りから声がかかって、本堂の背後の崖に穿かれた磨崖仏を指しながら、その数がどのくらいあるかわからないが全てお大師様が彫られたものだと説明してくれた。長い階段を降りて大師堂へ、ここは珍しく屋内に大師堂があったので靴を脱いで堂内へ、たまたま他に参拝客はおらず、一人座してお大師様を拝むことができた。結局ご朱印をいただきそこを辞した時、すでに10時を回っていたのだった。

弥谷寺;7枚Img_1722_640x480山門

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本堂でお参りしている人が磨崖仏(下2枚)の説明をしてくれた、、
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この石段をあがったところが大師堂
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 そこからは竹やぶの中の道を行く。そして少し下って、高速道路の下をくぐって池の間の道をいくと大通りにでた。その辺はルート表示がしっかりしていたから迷うことなく、それでも72番曼陀羅寺までは1時間の道のりであった。ここは失礼ながらわたしには(素人、無知なので)あまり特徴のないお寺という印象であった。そこから73番出釈迦寺までは、わずかの距離で10分、途中曼陀羅寺をでたところにうどん屋さんがあって、歩き遍路さんにはうどん接待します、という貼り紙が目に入った。ちょうど昼に近かったので、出釈迦寺に行って、そのあと74番へはこの道を戻ってくるのでそのときに寄ろうと思いながら通過、そして73番出釈迦寺の参拝を済ます。うどん屋までの10分の道のりで迷いがでる、なんかご接待の貼り紙に釣られるなんて卑しくはないか?、いや、ちょうど昼時だし、接待を受けずお金を払えばいいのではないか?、いや、素直にご接待を受ければいいのではないか?‥、、そんなつまらない逡巡をしながらそこを通り過ぎ、そのまま74番に向った。そこから74番甲山寺までは約2km?、それでも45分もかかっているから、すでに疲れが出始めていたのかもしれなかった。途中で逆打ちのお遍路さんに会う。この日は11月14日の土曜だったからか71番も72番も73番、そして74番も車遍路さんを多くみかけることになった。わたしはそこで昼食休憩を兼ねて少し長い休みをとった。結局その日の昼食は、うどんを食べ損ね、途中にコンビニやお店があったわけでないから非常食を兼ねた携行食のカンパンであった。

竹薮の道を行く、、Img_1736_480x640

あまり特徴がないといってしまったが、写真を見るとなかなかいい寺の感じがする、、そういう意味ではむしろ後の73番、74番の方がちょっと趣に欠けるか??、72番曼荼羅寺;3枚Img_1740_640x480

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73番出釈迦寺;2枚Img_1743_640x480Img_1744_640x480

74番甲山寺;3枚Img_1748_640x480


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 疲れが出始めていたが、その日はあと20分?の善通寺までの予定だったから、気持ち的には楽だった。早めにチェックインして、最大の用事としては疲れを癒すことより洗濯にあった。13時半に甲山寺を出発し、途中お大師様の遊び場だったという番外霊場仙遊寺を経て、13:50、弘法大師誕生の地といわれている75番善通寺に着いた。また、雨がぱらついてきた。それにもかかわらず、やはり土曜日だったからか、88ヶ所の札所の中でも最もお大師様に縁の深いこの善通寺は特に一般の観光客が多いのに驚かされた。その中には団体のお遍路さんではなく、団体の観光客も含まれていた。だから逆に我々遍路のほうが珍しく見られるという、わたしにとっても珍しい経験をすることになった。境内が大きかったので最初に御影堂、そして少し歩いて本堂をお参りして、また戻ってご朱印をいただき宿坊を訪ねた。2時半にチェックイン、大きくて立派な宿坊だった。

仙遊寺Img_1752_640x480

善通寺仁王門Img_1761_640x480

御影堂と境内Img_1754_640x480

五重塔と左;本堂(金堂)Img_1759_640x480

宿坊(翌朝写す)Img_1762_640x480



 大変ありがたかったのは、洗濯機・乾燥機がフリーだったことである。今までにも何ヶ所か洗濯機・乾燥機はお接待です、というところはあったが、ほとんどのところは少し安めのコインランドリーであった。前に泊まった宿坊も有料だった記憶があったから、まったくそんなこと期待してなかったので余計ありがたく思えた。今回の遍路も一週間の予定でいたから、ちょうど中日のその日を洗濯日としており、持っていた衣類のほとんどをその日洗濯することができた、そういう意味では今は乾燥機が常備されていて助かるのである。そして16:00からの風呂も、ま、ホテルの大浴場ほどのでかい風呂にたった一人の一番風呂となった。そして自販機のビールで夕食までゆっくり寛げ、それまでの疲れを少し癒すことができたことを思うと、宿をここにしたのが正解だったようだ。夕食時に再びSK氏C氏と顔を合わせその日の報告、食事も悪くなかったので酒もすすんでしまった。個人で泊まってる人も多く見かけたが、やはり食事は大勢のほうが美味しく楽しくいただけることを、いつも一人のときのほうが多いわたしには特に感じることだった。その食事は200人くらいは収容できそうな大きな食堂でとったが、だいたい半分くらいは埋まっていたから、その日の宿泊者は100名くらいだったか?そのうちの2/3はお遍路さんの団体であった。お遍路さんの団体は2つのグループ(二社)がみえていたようで、それぞれが30名くらいづつで、添乗員さん?あるいは先達さん?の女性が仕切っており、参詣の作法・手順、食事時の挨拶等含めて、その統率ぷりはなかなか見事(完璧)であった。その熟練振りは次の朝のお勤め時にも如何なく発揮されていて、わたしもその恩恵に与ることがあった。

 御影堂で執り行われた次の朝の勤行は期せずして興味深いものだった。たぶん著名な方なのだろうが、住職の講話(法話?)はそれほどの感銘はなかった。わたしがとても爽やかさを覚えたのはそのあとの読経で、たぶんそれは傍らに座した5名の僧侶によるものだったと思うが、恐らくその5名の僧侶のうち3名が尼僧だったからではないかと思った。その(たぶん3名の)女性の読経がうまくハーモナイズして、聞いたこともないような非常に澄んだ声明となったのではないかと勝手に解釈したが、いずれにしろその朝の儀式に尼僧がかなり重要な役をになっていたこともわたしの興味を誘った点であった。そのあと長い暗闇回廊を左手で壁を伝っていく戒壇めぐりという行も面白く、たっぷり一時間の勤行をこんなに楽しく終えた、なんてことはこれまでなかったことのように思う。こうして、そのあと朝食をいただいてから、7時半前後に我々はまたそれぞれ歩きだしたのであった‥、、

御影堂;翌朝の出発時に写す、天気が回復していた、、Img_1763_640x480