独歩の独り世界・旅世界

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四国お遍路 第2弾 7,山登り、60番横峰寺へ、、

 60番横峰寺までは、小松の宿からだと11km、山登りだから4時間?、ちょうど通り道になっている61番香園寺までは20分、そこから3時間半はかかるといわれていた。なので、往復一日をみて、上には何もないとのことだったのでオカアサン(おばあさんともいいにくかったから、相客ともどもオカアサンと呼んでいた)にお弁当のおむすびを作ってもらった。なにしろ、オカアサンいわく、この難所の横峰寺には100回以上登っている大先達とのことだったのだから、、で、朝食をいただいて7時半ころ、それぞれ不要の荷の大半を置いて、チャリダー氏は自転車で出発していった。わたしは久しぶりだから香園寺をお参りするというオカアサンに伴われて歩きだした。61番香園寺は子安大師とも呼ばれ、安産・子宝に霊験ありと古くから知られた名刹で訪れる人が絶えない、といった話を聞きながら、通学路になっている道を児童の通学を見守るボランティアの父兄と挨拶を交わしながら歩くこと20分で香園寺に着いたのだけれど、そのお寺を見てわたしは少々の驚きを隠しえなかった。このお寺はお遍路ではじめて目にする鉄筋コンクリート造りの近代的な建物だったからだ。ま、これも人によって意見は様々であろうが、正直言ってわたしは少々興ざめしたのだった。3階建ての建物の2階に本尊が祀られているとのことで脇の階段を登ると、その講堂のような広い建物のなかに大きくて金ぴかな仏様(大日如来)が鎮座されていて、またびっくり。ま、それでもにそこは、大勢の参拝者が来られていることを物語っているような場であった。納経所ではちゃんと墨書とご朱印をいただくことができたことはいうまでもないことだが‥、、そこで、そこからの道をオカアサンに教えてもらい、礼をいってお別れした。が、すぐに道はどちらだかわからなくなっていると、ちょうどそのあたりを散歩中だった中年のご夫婦が、ここから先は紛らわしいところはないというところまで案内してくれた。そこから先は一本道になったが人通りほとんどなくなった。道はだんだん登っていき30分で白滝奥の院、さらに30分ほど登ると車道が終わりとなり、そこからは本格的な山道となった。5分の休憩で山道を行く、傾斜がついてきたがやはり歩きやすい、30分ほど登ったところに分岐があってベンチもあった。実はそこが少々問題地点だった。わたしはオカアサンから小松への下りの近道を記した簡単なコピーを借りていた。そこに記されていた分岐点が、てっきりそこだと思い込んでしまったのだ(実は違ったのだが)。そして帰りはここから別の道を行けば近道になると思い込んでそこを通過した。そこからは尾根上のアップダウンが続き、さらに30分ほどいったところでまた分岐があった。どうやらそこがコピーにあった近道の分岐だったようだが、もう頭は先の思い込みに占有されていたから、そこはそのまま通過してしまう。あとから確認するとその地点がガイドブックの地図にあったH460と思われた。時間は10時ころ、香園寺から2時間、車道の終点から1時間かかっていた。もうすでに疲れが出始めていたが、そこから道はきつくなりだしたのであった。同時に下山してくるお遍路さんに出会うようになった。ほとんど年配者だったが、みんな元気な足取りで、その時間でもう横峰寺を打って下ってくるのだから、そのパワーに驚かされた。そんな一人に何時から登りだしたのかと聞いてみたら6時といっていたが、小松からか別のルートだったかは聞き漏らした。が、いずれにしろ早いペースであることに変わりなかった。しかも、そんな歩き遍路の年配者がどんどん下ってくるのである。そのくらいでなければ歩いて通しで打ち終えることはできないであろう、また、彼らは間違いなく打ち終えるだろうと思ったのだった。

61番香園寺大日如来Img_1535_640x480Img_1536_640x480

登り始めると時々見晴らしの聞くところがあったImg_1537_640x480

最初の分岐、ここと次の写真の分岐点とを間違えるImg_1554_640x480Img_1539_640x480

ちょうど上の2ヶ所の分岐点の中間点辺りの伐採地、一番奥にわずかに石鎚が覗いているが横峰寺はたぶんその手前の連なり、、
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 その地点から1時間ほど登ってようやく車道にでた。この道は伊予氷見から登ってくる車遍路用の車道で、バスも走っているようなことを聞いたが、実際車はそんなに通っていなかった。その道はすぐに歩き遍路用の道と別れ、その道を15分いってようやく横峰寺に着いた。先ほど出会ったような健脚の人なら香園寺から3時間、わたしは3時間20分かかっていた。が、意外にも境内には多くの参詣者、お遍路さんがいた。そのほとんどは車遍路であることは明らかだった。そんなことはプロの眼にはすぐにわかるのか、納経所に出向いたときどこから登ってきましたか、と聞かれた。香園寺と答えるとなぜかお菓子の接待を受けてしまった。その若い住職?に石鎚山がきれいに見えるところがあると聞いたが、とその場所を聞くと、いったん山門をでて左の道をしばらく登ると星ガ森というところがあると教えてくれた。今日は天気がいいから、是非いってみてください、と‥、、15分くらい登ったところに祠と鳥居があって、その向こう、けっこう距離があったが、石鎚はきれいに見えていた。ちょうど12時頃でまさしくそこがその日の昼食の場所となった。オカアサンのおにぎりの昼食をほおばり、そしてしばらくボケーと山を見つめていた。山門をでてから、そこまであとにも先にもまったく人に出会わず、われ一人の別天地であったからだ。

逆から入った横峰寺の全景、山門は反対側にありImg_1552_640x480

山肌にへばりつくように建っている本堂と下の写真は鐘楼と大師堂Img_1542_640x480Img_1541_640x480

この山門から出て星ガ森へImg_1549_640x480

星ガ森の祠と鳥居、その向こうに石鎚山Img_1543_640x480Img_1544_640x480

その日の昼食場所Img_1547_640x480


 その休憩中にその日の宿を探していた。その日の宿が最後の宿となる、明日は高松にでて帰る日だった。当初の予定、伊予三島というところに宿をとって、65番三角寺を打って、今回の打ち止めするという案にしばらく前からあまり気乗りしなくなっていた。どうでもいいような理由がいくつかあった。一番引っかかっていたのがその次の66番雲辺寺のことだった。65番で打ち終えたら、次は普通66番である。ところがこの66番というのがまた厄介なところにあったのである。今いる星ガ森は横峰寺よりさらに50mほど高い800mを越えたところにあったが、聞けばこの雲辺寺こそ、四国お遍路の札所の中でもっとも高所に位置するお寺で、その標高は900mを越えているということであった。なのでほとんどのお遍路さんは、65番から一日かけて県境を山越えして歩いていくのでないかぎり、ロープウェーを使って登頂し参詣するらしいことを知ったのだった。このロープウエーというのが気に入らなかった。もちろん歩いて登る道もあるのだろうが、ロープウエーがかかっているところを登っていくというのも、やはり気に入らなかった。それならいっそ、一日かけて65番から歩くほうがましではないか?、それなら気乗りしなかったもうひとつの理由、実は伊予三島三角寺間はけっこうな距離があって、片道6kmを同じ道を往復することの耐え難さがあったのだが、それも解消できそうだった。いっそ次回は65番から打って、歩いて山越えをして66番に向ったほうが、体力的には厳しいかもしれないが、気持ち的にはすっきりするのではないか、と思ったのだ。まだ伊予三島に宿を決めていなかったから、それなら今日はどこへ?そして明日はどうするのだ?ということになった。そのときガイドブックの地図を見てて思いついたのが以下の案だった。いずれにしろこれから下山して荷物を取って電車で高松方面に向う。時間はわからなかったが、夕方には各駅の電車があるのではないか?では、どこまでいける?、、もちろんこのあと香川に入れば沿線には札所はたくさんあった。しかし、その日のうちにそう遠くまではいけない、やはり近場が無難である。そうすると必然的に68番69番のある観音寺しかなかったのだ。それほどゆっくり検討している時間もなかったから、エイ、ヤ、で、それこそ10数ヶ所あった観音寺の宿にtelを入れてみた。いくつか休業中とかで断られ、また予算オーバーで断念し、かなり駅から離れたところにあったビジネスホテルに最終的に宿を得られた。朝食付きで4500円は、もちろん願ってもない金額だったからである。

 それが決まるとすぐに下山を開始した。いったん横峰寺まで戻り、来た道をもどった。帰りのほうが早かったかどうか、それは足の痛みと疲れが増していた分それほど変わらなかったのではないか?、わたしの関心は早く分岐までいって近道を下る、ということにしかなかった。その分岐まで2時間ほどかかっているから、やはりその間の時間は上り下りそれほど変わりはなかったようだ。さて、そこで借りたコピーにあった近道と思われる道に入った。しかしその道はそこから登っていたのだ。‥??、そんなことがあるだろうか?、しばらくいってみる、はっきりとした道だったが、人が通っている足跡はまったくなかった。どうも自信がもてなかった。違いそうだ、、しばらくいってみたが引き返した。そしてもう一度そのコピーとガイドブックの地図と現場を照らし合わせてみて、漸くそのコピーの場所でないことが判明、そしてその場所はすでに通り過ぎてしまったところだったことが、そのときわかったのであった。ある意味ことなきを得たのだったが(下手すれば迷子、あるいはかなりのロスタイム)、そのときは近道を見失ってがっかりした気分で来た道を下ることになった。漸く荷物を置かせてもらったオカアサンの宿に着いたとき、すでに16時を過ぎており、もうくたくたの限界にきていた。結局往路とそれほど変わらない時間がかかっていたのだ。最悪はもう一泊とめてもらうことも可能だったが、まだ電車はあるだろうと荷物を受け取って荷造りもせずに駅に向った。その前にそこに戻ったとき、昨日もいただいて絶賛したお茶(名前を聞いていたが控えてなく、忘れた)をだしてくれ、それを美味しくいただいたことも忘れてはならない。ちょうどそのとき、その日のお客さんがやってきたので、丁重に礼を述べて、入れ替わりでそこを辞した。伊予小松の駅着いたとき特急通過待ちの電車が停車していてラッキーと思ったが、それも西条止まりで、西条で30分待ち、結局観音寺着は18:30だった。疲れと足の痛みをこらえて、地図をみながらそのビジネスホテルまで歩いたが、これがまた1.5kmくらいあって長い道のりに感じた。風呂にゆっくり浸かってもまだ息が切れている状態で足の治療をし、漸く一息ついて食事にでだ。食事処は近くの居酒屋しかないと聞いていたが、そこが思ったより安く、飲んで食事して2500円くらいで収まったのが気をよくさせた。ホテル代と合わせて7000円なら、前日の民宿で飲み代を入れた額と変わらないではないか、、こうして最後の夜はかなりいい気分で眠りにつけたのだった。その居酒屋の名前は確か‘月夜の舞’とかいっていたように記憶しているが、チェーン店のようだったので今度いったときにまた寄ってみたいと思っている‥、、