独歩の独り世界・旅世界

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四国八十八ヶ所 お遍路初体験 7,43番明石寺、42番仏木寺、41番龍光寺を打つ、、

 今まで書いてきたように、当初は歩き通すつもりでいたから、途中の交通機関に関しての情報は一切持ってなかった。もちろん重いパソコンなんかもってのほか、スマホも持ってないから、いざ公共交通機関を使って、となったとき、まずバスが走っているのかどうか、そのバスも一日何回あってどこまで行くのか、いくらかかるのかといったことが皆目わかってなかったし、調べようもなかった。その場その場で聞いて判断していくしかないということだった。もっともそれは本来の旅のあり方で見知らぬ外地ではそうやってきて、それがまた楽しくもあったのだが、その感覚のズレ(歩きと交通機関利用のズレ)を取り戻すのに少しまごついたというのがちょうどその日のことであった。宿のオヤジからはバスは内子の駅までは行くが、もし大洲まで行くなら手前で降りてバスを乗り換えたほうがいい、そのバス停は運転手にいっておけば教えてくれる、もし卯之町まで行くのなら駅までいってJRで行くほうがいいだろうとアドバイスをもらっていた。むしろ夕食よりも良かったといえる朝食を6時半にいただき、バス待ちの間、近くにある楽水大師という番外霊場に行ってみた。歩いて5分、雨の中傘とサンダルを借りて出かけたが、その5分さえも遠く感じた。オヤジに礼をいって(思ってなかった請求があって少し高く感じたが、文句はいわず支払いを済ませ)定刻に来たバスに乗った。客はわたしが二人目だった。足を引きずりつつ歩いていたことを思えば、また、バスが通っている同じ道をその日歩くはずだったことを思えば、正直、楽だ ! 、助かった ! と思わず叫びたいくらいだった。おまけに本降りの雨だったのだから‥、、しかもである、歩けば半日はかかったと思われる内子駅まで500円、30分で着いてしまったのである。このとき俄かに、果たして歩き遍路が絶対なのか‥??歩かなければならないのか‥?といった自問自答が生じ、同時に初日の宿で会った大先達の言葉を思い出していた。無理して歩かない、公共交通機関があるところはそれを利用する‥、、それはそのあとJRで卯之町に9:11に着いたときに確信に変わっていた‥。

 先に感覚のズレを取り戻す、といったのは、交通機関を利用したときの距離感(時間距離)がわかっていなかったということでもあった。バスの中では一応こう考えていた。内子も大洲も歴史ある街で見所もあり、歩きであったらその歴史的街並みも通れたであろう、、で、そうしようと思えば、歩きはやめたがこのバスで内子までいって、数時間街をぶらついて、適当なバスで大洲まで行きそこも数時間ぶらついからでも今日中に卯之町まで行けるであろう。しかしこの雨だし、この足では‥??、このときは全く迷うことなく、それはまたの機会にしよう、今回は内子駅までいって、何時の汽車(電車?)があるかわからないがJRで43番明石寺のある卯之町まで行ってしまおう、と決めていた。内子の駅には8時ころ着。早速時刻表を見る。できれば急いでなかったので、特急券を惜しんで各駅で行きたかったのだが、それは2時間待ち、500円の特急券を払えば30分後の8:35に宇和島方面にいく特急があった。この先も鉄道利用が考えられたから、大先達の言葉を思い出し、念のため駅員の女性にいくつか聞いてみた。宇和島方面に行きたいのだけど、そのあと松山に戻る予定もあるから何日間か使えるお得な切符はありませんか?例えばフリー切符のようなもの?またバスでも宇和島まで行くバスはありますか?等々、、彼女はフリー切符のようなものはなくバスもない、宇和島方面へ行くなら各駅は9:52しかなく、しかも八幡浜乗り継ぎなので時間がかかります、なので次の特急を利用されたほうが便利です、というような答えであった。バスに関しては次の日に利用してわかったのだけれど、彼女のいう通りで都市間を結ぶバスは高速バスしかなくて、ほとんどインター付近にしかバス停はなかったのである。なかなか若くてかわいい駅員さんだった。それだけでなく、まだ時間があったのでしばらくどうしようかとその駅舎内のベンチに座って思案しながら見ていると、なんとこの駅舎に駅員はその女性一人しかいなかったのである(裏にいたのかもしれないが)。で、しかも彼女は一人で改札・列車の発着案内・乗車券の販売、わたしのような客の受け答え、そのあと到着列車からぞろぞろ降りてきた高校生の定期のチェックまで、すべてをこなすスーパーウーマンだったのである。わたしはそれに少々感動してしまって、もちろん自販機もあったのだけど、直接彼女の手から卯之町駅までの乗車券と特急券を買い求めたのであった(もっともあとで宇和島駅でも同じようなスーパー女史を見ているから、あるいはこの辺<JR四国>では、そんなの当たり前のことだったのかもしれないが??)、、

 内子発8:35の特急宇和海5号は、海沿いの八幡浜経由だったが、なんと9:11には卯之町に着いてしまっていた。36分、1280円(乗車券760円、特急券520円)だった。これもちょっとした衝撃だった。これが先に言った距離感の混乱ということなのだが、わたしはそんなに早く卯之町に着くとは思ってもいなかったのである。どういうことかというと、少なくとも歩きの場合、内子町大瀬は元々宿泊予定地で、前にも書いたがそこから一日かけて大洲、一泊してもう一日かけてこの卯之町まで来る予定だった。つまりに一泊二日である。それが今、同じ場所からたった1時間半で卯之町に着いてしまっているのだ。しかも、その間にお寺があるわけでなく、いわゆる純粋なへんろ道も少なくほとんどは国道、車の道である。さらに卯之町で一泊することを考えると、二泊二日になって、それまで一日一泊にかかる費用がだいたい一万円くらいだったから(正確にいうとわたしの場合酒代入れて9000円くらいだったが)二万円もかかったことになる。そのほとんど同区間を一時間半1800円できてしまったのだから、大先達の言ったことが身にしみてショックだったのである。

 また予定が変わりそうだった。混乱する頭を整理する必要があった。新たな状況の出現にはっきりしていることがいくつかあった。①は、この時間なら問題なく43番明石寺へはいける、しかしどうやっていくのかという問題は残る。②そしたら卯之町泊は時間が余りすぎるのでここに泊まらなければならない必然性は消える。③もしかしたら今日中に42番、41番にいけてしまうかもしれない、しかしどうやって?④は、そしたら友人T氏宅も今日伺うことになる??、、たぶんここでの最大の難問は③だった。これも前に述べているが、足の問題がなければ43→42→41は歩いて一日行程であった。しかもこのルートを走るバスはなかったから歩くしかなかった(後で一部区間バスがあったことを知る)。それはその時間(9:15ころ)からでも可能性はあった。次に①の問題、駅から明石寺までどうやっていくか?これも普通なら歩く距離、歩いて20分くらいではないかと思われたが、そのときはタクシーが無難だったかもしれなかった。しかし、どうやってもタクシーを使う距離ではないだろう、ましてやタクシー嫌いのこのわたしが‥、、いやー、歩ける自信はなかったが身支度を整えだした。その朝バス停が宿の前だったので、本降りだったが、濡れずにそこまで来ていたから雨支度であった。そしてこのときも行けるところまで行ってみようと歩きだしたのだ。9:20駅発、この卯之町も歴史的建造物や文化財、江戸時代の町並みが残る由緒ある、それこそ一泊しても良さそうな街だったが、今はそんな街ブラを楽しんでいる余裕はなかった。それでも明石寺への道はその一画を通っており、その街の趣は十分に感じ取ることができた。しかしその辺りから先がけっこう遠かったのである。これも後で知ることになるのだが、この道も45番と同じで、いまや車での参詣者が主流になって参道が変わってしまったようだった。わたしが歩んでいたのは昔の参道、即ち山道であった。駅から40分、足の具合からしたら仕方のないところだが、なんでもなかったとしても30分はかかる道のりであった。しかし苦労しただけのことはあって、この寺もなかなかよかった。雨具等の処理があったのでここでももたもたしてお参りに40分もかかってしまったが‥、、

卯之町の歴史地区Img_1214_640x480

43番明石寺;5枚Img_1218_640x480
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 10:40になっていた、このあとどうするか?、門前の茶屋で少し休ませてもらって、手引書(保存協力会編の地図)を見ながら検討。この先は少し複雑でわかりにくかった。茶店の主人にも確認すると、歩きで42番仏木寺に向かうなら歯長峠を越えるので、それを目指していってくださいと、その方角とそこからの道を教えてくれた。礼をいってその道を歩むと、しばらくはへんろ道表示があったが、すぐに見失う。それでも地図で確認したとき、なんでも29号線という大通りを行けば良さそうだったので、少し遠回りしてしまったが、まずそこに出て、そこからは29号に沿った歩道を歩いていく。この道は舗道歩きの単調さと歩きにくさで非常に長く辛く感じられた(この区間はバス道だったが、なぜかバスに乗る発想が浮かばなかった。そのころはもう最後だから意地でも歩いてやろうと思っていた節がある)。とりあえず29号から歯長峠に折れる分岐点にあった休憩所を目指したが、明石寺からそこまで約6km、途中小休をいれて1時間45分もかかっている。その間にご夫婦のお遍路さんに出会うが挨拶だけ。橋を渡ったところにあった休憩所で昼食休憩を含む大休止、といってもこのときも昼食を持っておらずカンパンと飲み物だけ。そして友人T氏に、また歩き出したこと、今歯長峠の手前にいて、この分で行くと3時半ころ42番仏木寺に、41番龍光寺には5時ころに着けるかもしれないとCメールを入れて30分の休憩で13時少し前に出発した。その先は実は道がちょっと複雑だった。車道は歯長隧道というトンネルになっていたが、その上を峠越えするへんろ道があった。ただそれは少し距離がありそうだった。それともうひとつへんろ道があって、車道を少し行くと右に入る道があり、それを行くとトンネルの手前にでて、そこからは車道のトンネルを通って向こう側にでるという道だった。地図で見るかぎりは後者の道、峠越えでなくトンネル通行のほうが楽そうだった。足の痛みを考えて後者を選んだのはいうまでもない。が、そこで大きな間違いをやってしまった。歩き出してすぐにT氏から連絡が入り、まず予定が変わってしまったことを詫びる。そして一日早まってしまったがスケジュール的に大丈夫かと聞くと、問題ないとの返事、ならば仕事が終わってからでかまわないが龍光寺まで来られるかと聞くと、6時ころには行けるだろうとのことだった。こちらもそれで問題はなく、5時半には参拝も済んでいるだろうから、そのあと駐車場で待っている、何時になってもかまわないと伝えて電話を切る。そして再び歩きだす。本当はそのあたりでもう一度地図を取り出して確認するべきだったかもしれないが、先にも言ったようにこの地図は版が大きくて出し入れが面倒という難点があった。そのまましばらく車道を行く。休憩所からすぐのところにあった峠を越えるへんろ道の表示は確認できたのだけれど、トンネルの手前にでる近道のへんろ道はいっこうに出てこなかったのである。あるいは見逃したか?そのときも不確かながら確認せずに先に進んでしまった。30分以上車道を歩いておかしいと気づき、漸く休憩がてら地図を取り出す。間違ったというか、見逃したというか、通り過ぎてしまったのは明らかだった。表示はあったのか?なかったのか?見落としか?今となっては定かでないが、そのときも、もしかしたら逆打ちの悲劇?といういわれが甦って、これも試練と思い込むしかなかったのだった。どういうことかというと、そこはすでに車道を半分以上登ってきてしまっていたため、引き返すほうがロスが大きかった。なので仕方なくそのまま車道進んだのだけれど、そのトンネルの入り口までは、近道のへんろ道のほうは、もっとずっと下のほうからだったが直線的に登ってくる道で、少なくともわたしが歩いた車道に比べて1/3の距離しかなかったのだ。車道は山襞に沿ってるから、うねってくねって、へんろ道の3倍くらいの長さになっていて、そこを歩かされたのだから単純に3倍の時間かかったであろうということだった。この痛んだ足で3倍の距離を歩かされたのだから試練と思うしかなかったということである。25分で着いたかもしれないところを75分もかかってしまったのだ。この体力的・時間的ロスがあとで響いてくることになる、、

 トンネルの手前には休憩所があった。そこで休んでいると、チリンチリンと鈴の音がしてトンネルから一人のお遍路さんが現われた。中年の男性だった。月並みの会話をしたあと彼は興味深いことをいった。自分は距離が長くても山道より車道のほうがいいから、この先も車道(つまりわたしが3倍歩かされたと、たった今呪った道)を行くというのだに彼は足元を見せてくれてはこれが快適でいいといっていた。何と彼はピーチサンダルで歩いていたのだ。わたしが山道のほうが歩くには楽でいい、車道は3倍の距離がありますよ、といったが、果たしてどっちの道をいったか?、ま、人にはそれぞれの道がある、ということかもしれなかった、、その彼が自分は車道を来たので通らなかったが、トンネルの向こうにも少し下ると脇に入るへんろ道があって、それはすぐわかると教えてくれた。14:20、わたしはヘッドランプをつけてトンネルに入っていった。そのトンネルの出口付近でもう一人お遍路さん(若い男性)に会うが、反対側を歩いていたので挨拶しただけだった。3,40分のロスが気になっていた。仏木寺は間にあうとして果たして最後の龍光寺まで行き着けるか?もちろん足の痛みがなければ、そこからの時間・距離なら楽勝だったのだけれど‥、、なので車道を歩いていて彼がいっていたへんろ道をみつけると、少なくともこちらは1/2の距離の短縮が見込まれたから躊躇うことなくへんろ道を下った。確かに雨上がりで(雨は明石寺でほとんど上がっていた)滑りやすく歩きにくさもあったが、時間的には短縮できたと思う。が、相当の足の痛みと疲れで、車道に出る手前にあった溜め池の脇で小休止、そこから仏木寺までは1km弱、時間はすでに15時を回っていた。車道に沿って歩道が設えてあり、そこを懸命になって歩く。15:25仏木寺着。足の痛みがひどくお参りもままならなかったが16:00にはすべて終了し、あとは龍光寺を残すばかりとなった。残された時間は1時間、距離2.6kmなら足の痛みがあっても何とか行き着けるのではないかと思っていた‥、、

42番仏木寺;3枚Img_1222_640x480Img_1221_640x480Img_1268_640x480


 17時に締め切りというのは、やはりお寺さんにとっても様々な日課があるのである程度の区切りが必要で、それに異を唱えようとは思わない、当然こちらが従うべきことと思っている。だから、それに間に合うようにと焦ったのだ。で、最後の力を振り絞るようにして仏木寺前の一本道を何の疑いもなく歩き始めた。そのまま行けば龍光寺に着くだろうと‥、、途中で龍光寺からの順打ちの女性に会い、仏木寺まで?と聞くと、そうだとの返事、彼女は余裕を持って仏木寺に着いたと思われる。そのときは16:15ころで、そこから15分くらいだったのだから、、わたしも間に合うはずだった、17時前に着けると思っていた。ギリギリだったらわけを言って先にご朱印をいただこうとも考えていた。16時半ころにはそろそろ左に入る標識があっても良いころだったが見つけられず、まだかまだかとさらに行くと、バス停があって確かめると行き過ぎていたことを知る。えっ、そんな ! ?、どこが入り口だったのだろう、見落としたか?、慌てて引き返すもそれらしい標識も道もない、焦る、、ちょうどそのとき道沿いの民家からおばさんとおばあさんが出てきたので、龍光寺さんの入り口はどこなんでしょうと聞いてみる。すると目の前の山を指してこの山が龍光寺さんですよ、そこの細い道から登れます、と教えてくれたのだった。このときはやはりお大師様が見ててくれたんだと、本気でそのお二人とお大師様に感謝した。そしてその細い道を登りだした。しかしその道の入り口にはなんの標識もなかったから、地元の人しか知らない道であることは明らかだった。それでも登っていくと墓地などがあったから、その山が龍光寺の山であることは確かそうだった。10分くらい登ると道が分かれていたが、なんの標識もない。あたりは山の中で暗くなりかけていた。こういう場合は太い感じ、より歩かれている感じのほうを行くのが、ま、基本、で左に行く。しばらく行くと道が下り始めた。そのまま行けばぎりぎり17時に間にあったと思うのだが、そのとき地図を思い出し、はっきりとではないが龍光寺は山の上だったのではないかと疑い、下って違ってまた戻ってくるのでは間にあわなくなると、先ほどの分岐まで戻る。で、そこを右にいってみたが今度はほとんどブッシュになってしまった。もう間にあわない、それに自分の居場所がわからなくなっている、完全に迷っていると思ったから、緊急のつもりで電話を入れた。今裏山にいて迷っている、17時までに着けそうもない、納経は17時までですよね?と電話に出た女性に聞くと、17時で終わりです、今どこにいるのですか?と聞かれた。が、聞かれても答えようがなかった。山の中で迷ってます、といっても相手もそれでは答えようがない。ひとつだけヒントになることを言ってくれた。うちは山の中ではありません、ということだった。そうだったのか !、それ以上話しても心配をかけるだけだったから、わかりました、明日伺います、とだけ言って電話をきり、もう一度先ほどの道を引き返し、さらに下ってみた。森から出て切り通しになって、その下がすべて墓地になっており、その下に龍光寺の境内が見下ろせた。時間は過ぎていたが一安心だった。ゆっくりそこを下って境内に入ると女性が境内の掃除をしていた。お参りだけさせてくださいといって、一通り本堂、大師堂と順に巡って参拝を済ます。手引書にあった通り、大師堂では、今回はここで打ち止めにしますという文言も付け加えた。掃除をしていた女性(もしかしたら大黒さん?)に今日はどこにお泊りですかと聞かれ、それには答えず明日ご朱印お願いできますかと聞くと、先ほど電話をくれた方ですかと聞かれた。そうだというと、どこの山から来られたのかというから、墓地の上を指すと、前にもそこで迷った方がいたというような話になった。お寺の前には参道が続いていたし墓地から降りたところが駐車場になっていた。いったいここへはどこから入ってくるのか、どれが正しい道なのか、もっとわかりやすい道はないのかと聞きたかった。が、それは口にしなかった。おかけでそれは今もって不明である。ここの入り口や周辺の地図に関しては今までそういうことがなかっただけに、信頼していたへんろ地図に文句をいいたかった。それでも、ご朱印はもらえなかったが、一応の目標を、一区間バス・列車を使ってしまったとはいえ、最後は歩きで締めくくれたことに達成感と満足感があった。足の痛みはひどく、身体も疲れきっていたが、30分待っても来ない友人T氏にもまったくいらだちを覚えず、ただただ満たされた気持ちで彼を待っていた‥、、

山から切り通しにでたところ、眼下に龍光寺の境内があった。左後ろの山をさまよっていた。Img_1223_640x480

41番龍光寺;3枚Img_1226_640x480Img_1225_640x480Img_1269_640x480