独歩の独り世界・旅世界

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四国八十八ヶ所 お遍路初体験 1,きっかけ

 これから何回かにわたって、初のお遍路体験についての記録を残します。まず、最初に言ってしまいますが、はじめてのお遍路体験は無謀?にも歩きで廻ろうと試みて、早くも5日目で挫折してしまいました。なのでその5日間の記録です。しかし例によって、その言い訳やら薀蓄やらをだらだらと書き連ねることになりそうなので、簡単な報告では終わらないかもしれません。どうかいつものことながら、そのへんのところご辛抱いただければありがたいです。

 とはいっても、どこから、なにから書き始めればよいのやら‥??、歩き始めたのは10日前?の8月27日で愛媛県の松山からでした。ここで、わたしもまったくの素人ですが、歩く前に多少仕入れた知識を受け売りで申し上げておきますと、札所での参拝の仕方にはいくつかのルールがありましたが、八十八ヶ所の廻り方に関してはそれぞれの札所にナンバーがうたれているので一番から順々に廻っていくのが一般的?オーソドックスな廻り方であるが、基本的にはどこから廻ろうと自由であることをまず教えられました。また、その方法も今では車を使って廻るのが普通のようで、マイカー・バスツアー・公共交通機関・タクシー・バイク・自転車、そして歩きとすべて可で、それぞれが自分にあった方法で廻ればよいとのことでした。さらに重要なことは決していっぺんにすべてを廻らなければならないというような決まりや、歩いて廻ったほうが霊験?ご利益?が増すなどというおかしな説も聞いたことがなかった。そういった制約が全くなく自由に自分の都合に合わせたどんな廻り方も - 例えば数十日かけていっぺんに歩きとおしてしまっても、また日曜ごとの日帰り遍路も - すべてOKというコンセプトは(誰が考えたか知らないが、少なくともお遍路が一般化した500年前くらいから、自然に醸成されたものか?)わたしにはたいそう魅力的でありましたし、いまだに多くのお遍路さんを迎えている理由の一つではないかと思いました。

 そうなると、いきなり言い訳になってしまいますが、もしかしたら今回のわたしのお遍路体験も決して挫折とか敗退という必要もないということになります。これはわたし自身の中だけの問題で、別に対外的に歩いて一周すると公言していたわけでなく(いや、公言していたたとしても)実際は松山から歩けるところまで歩いてみる、といった程度のことを、少なくとも自分を追い詰める意味で少々の友人に話していましたが、それは成り行き次第というところがあって、決して一度にすべてを、しかも歩いて廻るなどという大それたことを思ってのことではなかったからです。わたしの中での挫折・敗退は、当初予定した松山~宇和島(何故その間だったかはいずれ述べることになります)100kmくらいは問題なく歩けるだろうという自負があったのですが、で、実際には80%くらいは歩いてますが、途中一部の区間を公共交通機関・乗り物に頼ってしまったのです。頼らざるを得なくなったことをわたしの中で挫折・敗退と呼んだものです。そして宇和島以降も、歩きでなくとも行けるところまで行こうという想いが、実現不能になってしまったことをいっています。どうしてそうなったかは、このあと詳しく述べますが、実際に歩いて廻っている人たち、しかも一周を目指して何十日も歩き通している若い人たちに何人も出会ってます。若い人たちだけでなく、同年輩の方、さらに高齢の方にも、、またいわゆる先達さんと呼ばれる方たち、何十回、何百回と廻られてる方がいるという話もずいぶん耳にしましたし、そんな方にも会いました。そうするとますます挫折・敗北感が募ってくるのでした。

 さて、前置きが長くなりましたが、何故四国お遍路だったのか、何故松山からだったのかの説明に入ります。四国お遍路についてはずいぶん前から興味は持っていました、漠然と‥!?、、一度は歩いてみたい、歩かなければならないといった、かなり強い想いでした。それは20年ほど前に、このときは興味本位でだったのですが、秩父34ヶ所、坂東33ヶ所を車で廻ったことが、その延長としての四国をくすぶり続けさせたといえるかもしれません(西国33ヶ所は廻ってませんが)。そして、その四国は、六十数年間の生涯で、日本の中で足跡を残していなかった唯一の地であったことも、おそらく強い誘因であったかと思われます。いずれにしろ、いわゆる巡礼とか遍路というものには少なからず興味は持っていたのでした。その効能とかご利益といったことはよくわかりませんし、なんら期待はしてません。よく願掛けながら廻るということを聞きますが、わたしには願いごとがほとんどないのです。わたしは巡礼・お遍路は旅だと思っているので、その視点で興味があるだけです。いわゆる巡礼路というものは世界中にあって、もっとも有名なものとしてサンチャゴ巡礼があります。フランス各地からのスペイン北西部ガリシア地方の聖ヤコブの墓があることで有名なサンチャゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼の旅はパリから1600kmといわれています。数ヶ月かかるこの巡礼路は約一千年の歴史を持って四国と同じく現役です。一つの結論を先にいってしまうと、旅の原点は交易と巡礼だった、経済的<有名どころとしてのマルコ・ポーロ、他>あるいは宗教的<法顕・玄奘を初めとする>動機が、そもそも旅というものの始まりだったのではないかと思うが故です。

 そのサンチャゴ・デ・コンポステーラは、巡礼路は歩かなかったものの、3年前に訪れており、また、同じ頃2年続けて訪れたインド北部のラダック/レーの寺院群なんかも、歩いたら立派な巡礼路になるところ、世界各地にその様な場所は相当数あるものと思われます。翻って日本です。やはりこれは四国遍路を経験せずに、わたしは旅を語れないと、その想いをずっと持ち続けていたのでした。だから、いつかは行かなければならない、やらなければならない場所だったのです。では、何故松山だったか?先に申し上げたように、普通は徳島の一番霊山寺が起点となって八十八番大窪寺を目指します(これを順打ちといういうことを学ぶ)。しかし逆に八十八番から一番を目指してもかまわないとのことを知ります(これを逆打ちというそうです)。それだけでなく区切り打ちというのがあって(他にも一国うち - 県別に廻る - というのがある)要はつまみ食い的に巡ってもかまわない、ということを知って、生来、偏屈かつ天の邪鬼のわたしはどんなに救われたことか‥!?、で、ならば松山からと決めたのには、もちろんわたしなりの理由<わけ>があってのことでした、、 以下、次回つづきます。

松山といえば松山城<これは帰りの9/1に写したもの、遠くに海が見えた>と道後温泉<2枚>と坊ちゃん列車、でいいのだろうか?松山は初見参だったが印象が良かった、即ち人が良かったということに尽きる、、;4枚Img_1252_640x480Img_1097_640x480Img_1108_640x480Img_1095_640x480

昔の写真を引っ張り出してきた、サンチャゴ・デ・コンテスポーラ Santiago de CompostelaのCatedralと巡礼宿;2枚253_640x480273_640x480