独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

改めてグアテマラの魅力を探る 2,インディヘナの村

 もう、お気づきのことと思いますが、この純粋インデイへナの割合が高い、あるいはインディヘナ人口が多いということは、我々旅行者にとって決定的な意味をもっていたのです。わたしも最初はそんなことを知らず中南米を歩いていたのですが、実は(もしかしたらわたしだけかもしれないが)この国はいい感じだな、人間がいいな、全体的な印象がいいな(別のいい方だと人が穏やか、ともいえる)と漠然と感じた国が、ほかならぬ中南米では前回記した4カ国だったのです。これは偶々わたしだけの印象かもしれないし、わたしが日本人(広く東洋人)だったということで、その因果関係はもちろん立証できないことですが、その後わたしは密かにそれがインディヘナ人口、あるいはインディヘナと接する時間・機会の多さによっていたのではないかと思うようになったのです。即ち感性が近い、宗教観や生活慣習における伝統(もしかしたらDNA?)にその近親性があるのではないかと思ったのです。そしてわたしはグアテマラという国に惹かれていきます。そこには想像以上のインディヘナ・ワールドが、世界的に、かつ日本でもあまり知られてませんが、彼らの自らの歴史と誇り(アイデンティティ)、伝統文化と技術に支えられて継承されていたのでした。で、具体的な個々の事象はこれまでにも多くの日本人によって紹介されていますので(同じような視点を持たれた日本人も多いのです、何人かはグアテマラで会ってます)、それについてはそれぞれの専門家に任せて、わたしのできることとして、では、グアテマラのどこにインディヘナたちは住んでいるのか、どこへ行けば美しい民族衣装にであえるかをわたしの知る範囲で紹介していきたいと思います。

 その前にインディヘナ人口のグアテマラにおける言語集団別話者人口の多い順を上位10グループくらいまで以下に紹介しておきます。これらの統計もなかなか正確な数字はつかめてないようですが、その順位に関してはいくつかの統計で一致しています。まず現存の話者人口が最も多いグループはキチェ、次にマム、そしてカクチケル、ケクチ、ポコムチ、カンホバル、トゥトゥヒル、イシル、ポコマム、ウスパンテコと続きます。以上は八杉佳穂先生の‘マヤ学を学ぶ人のために’2004年版から引用させていただきましたが、200万近い話者人口のキチェ語がら10数万人の話者人口を持つウスパンテコまでが10万人以上の言語集団を形成しているので、恐らく今後消滅の危険性の少ないグループと思われます。で、その人たちの住む地域はそれぞれ住み分けられていて、言語共同体を形成しているのでアンティグアのような例外を除いて、特定のある地域は一言語グループの街または村となっています。その世界遺産の街として知られるグアテマラの古都アンティグア(その昔サンティアゴ・デ・グアテマラと呼ばれグアテマラ総督府がおかれていた)はたいへん魅力的な街で今や世界的な観光都市になってしまったため、いわゆる民族性は薄れてしまい、ラディノや外国人の多く住む街となっていますが、元々はカクチケル系の街だったはずで、今でもその周辺のサンアントニオ・アグアス・カリエンテやサンタ・マリア・デ・ヘススといった近郊の村々は90~100%カクチケル系インディヘナの村として、少なくとも女性のほぼ全員は民族衣装を身につけています。もっともわたしが訪れてからもう4~5年も経っているので今は少し様子が変わっているかもしれません。確実なところとしてはアンティグアはとうの昔から雑多の人の住む街になり、わたしは仕事や商売で移り住んでいる多くのキチェの人たちを目にしていたから、その昔グアテマラの首都になったころから、すでに一民族の街から大きな都会になっていたのではないか、と推測されます。

 グアテマラインディヘナ最大勢力のキチェは、その名をかぶせたキチェ県<El Quiche>というペテン県に次ぐ広大な面積のテリトリーの中に多くの街・村があり、有名なところでは県都サンタクルス・デル・キチェやチチカステナンゴといった街が観光地として知られていますが、他にも隣のトトニカパン(県名、県都も同名)やケツェルテナンゴ(通称シェラ、県名、県都も同名)も恐らくキチェのエリアと思われます(ケツェルテナンゴ;通称シェラはグアテマラシティに次ぐグアテマラ第二の都市なので、いわゆる都市化していて単一グループの居住地ではなくなっている。ただ近郊の村アルモンガ、スニル、オリンテペケ、サンフランシスコ・エル・アルト、ナウアラなどの村は単一グループによる構成で、恐らくその衣装からしてキチェ系と思われるが、同じキチェでも村によって衣装は異なる)。第二勢力であるマム系はグアテマラ西部のメキシコと国境を接するエリア、県でいうとウエウエテナンゴ県やサンマルコス県といった、これも比較的広いエリアに住む人たちで、特に有名な観光地をあげることはできませんが、中心地として、それぞれ県都のウエウエテナンゴ、サンマルコスがあります(男性の民族衣装で有名なトドスサントスクチュマタンはこのエリア内にある)。第三勢力のカクチケルは後述させていただくのでとりあえずパスして、四番目のケクチは、緑の多い地方都市コバンが県都となっているアルタベラパス県に多く住むインディヘナ、五番目のポコムチはその下方バハベラパス県に住む人たちと思われます。アルタベラパス県にはセムクチャンペイが、ベハベラパス県にはビオトポデルケツァールといった有名観光地?見所があります。六番目のカンホバルはほとんどその名を聞いたことがなくエル・キチェ県の北部、メキシコとの国境を接するエリアがその言語圏となってますが、その地には大きな街もなく訪れることも難しい地なのでわたしにとっては未知のところです。で、三番目のカクチケルに戻りますが、あとで紹介するラゴ・アティトゥラン(Lago Atitlan;アティトゥラン湖)の東岸からチマルテナンゴ県、アンティグアのあるサカテペケス県あたりがその勢力範囲だったと思われます。その昔キチェと覇権を争うほどの強国を誇り、スペインの侵略者はそのカクチケルを懐柔しカクチケルの力を借りて(利用して)最大の抵抗勢力だったキチェを滅ぼしたという有名な歴史ストーリーがあるのですが、そのカクチケルも後に本拠地だったイシムチェの都ともどもスペイン人に滅ぼされてしまうのです。それでも今なおカクチケル系インディヘナは健在で先のイシムチェの遺跡は観光名所の一つになっています。カクチケルはキチェと境界を接していたので確執があったようですが、もうひとつ境界を接していたトゥトゥヒルとの間でも戦いはあって、トゥトゥヒルはカクチケルとスペインの連合軍に敗れています。それは現在でも世界一美しい湖といわれているアティトゥラン湖をカクチケルの村とトゥトゥヒルの村で2分しているところからも当時の勢力争いが想像できます。今は湖の東岸・北岸、そして西岸のほとんど(一部キチェ?)がカクチケルの村で、南岸がトゥトゥヒルの村ということになっているのです。もちろん今はちゃんと住み分けられているので確執はまったくないと思われますが、そんなことも含めてこのラゴ・アティトゥランというところはとても興味深く、かつ魅力的なところなので後ほどもう一度触れるとして、先にイシル、ポコムチ、ウスパンテコについて簡単にみていきます。まずイシルはキチェと同じく頑強にスペイン人侵略者に抵抗した地で、屈強な人々として知られています。エリアはキチェ県内の北部山間部に住む人々、ネバフ、チャフル、サンファン・コツァルといった村がその中心と思われますが、ここのレポートもかって書いてありますので参照してみてください。ポコマムは現在のグアテマラシティ周辺がそのエリアで、現在も遺跡として残されているミシェコビエホはポコマムの都であっただけでなく、その当時のグアテマラの城砦都市としては大きなものであったであろうことは現地にいって容易に理解できたことでした。が、ここもスペイン軍に滅ぼされたのです。最後のウスパンテコはやはりキチェ県にあってイシルの地とは隣り合っていて、1992年に‘わたしの名はリゴベルタ・メンチュウ’でノーベル平和賞を受賞したメンチュウ女史の出身地として有名なところです。

 以上見てきてお気づきのことと思われますが、グアテマラインディヘナは、すべて山岳民族(山地住民)であるということです。グアテマラは気候帯が地形によって分けられていて、中央部がメキシコシェラマドレ山脈から続く山系が西から東に走っていて4000m級の山々を含む山岳地帯になっており、その山間部で農耕を主体とし生計を営んできた人々ということになります。なおその北部は低地ジャングル地帯でかって栄えたマヤの人々が住んでいたところ、山岳地帯の南側は太平洋に面した非常に暑いところで、ヨーロッパ人及びラディノ(ヨーロッパ人との混血)の大地主が経営する農業地帯となっているところときいてますが、いずれにしろ気候的には寒暖の差が少ない山岳地帯がもっとも住むのに適したところになっています。で、その気候穏やかでインディヘナ文化が花開いているところ、しかもキチェ、カクチケル、トゥトゥヒルといった民族及び歴史を異にする村々が集まっている風光明媚なところとして、最後にアティトゥラン湖を紹介して、この項を閉じたいと思います。

 グアテマラには見所がたくさんあるのですが、個人的には以下の3ヶ所をdon't miss itとしています。たぶん①②は誰も異論のないところで、どのガイドブックにも載っているところ、①②の順序はどちらでもいいのですが、どちらも世界遺産に登録されているアンティグアとティカルになります。これらはわたしが説明するまでもなく有名なので省きますが、③はグアテマラのもうひとつの世界遺産キリグアではなく、先に紹介したLago Atitlanアティトゥラン湖のほうが、むしろ観光地としてははるかに優ってます。よく耳にする‘世界一美しい湖’という宣伝文句は半分は正しく、半分は誇張しすぎに思われ、それに匹敵する湖は世界中にたくさんあるので、わたしは断定しません。しかし、その周辺に点在するインディヘナの村々とそこに住まう人々に接するとあながち誇張でもなくなってくるのです。前述したようにカクチケルとトゥトゥヒルと(一部キチェ?)の村々がその湖岸に点在しているのです。湖岸には12の村があります。全てにキリスト教の12使徒の名がかぶせられていると聞いたことがありますが(グアテマラカトリック王国のひとつである)、12使徒を知らないのでよくわかりません。また住民の属性がはっきりしているところもあればあいまいなところもあります。以下順を追ってざっと紹介していきます。湖岸の村落のなかで中心になっているところがパナハチェルという街で、ここからは対岸のサン・ルーカス・トリマン、サンチャゴ・アティトゥラン、サンペドロ・ラ・ラグーナに渡るボートの発着地になってますが、街が大きくなりすぎて固有の民族色はすっかり色あせてあまり興味をそそらない街になってしまってます。恐らく元は(今でも)カクチケルの地であったはずです。時計回りに湖岸をいくとサンタ・カタリーナ・パロポ、サン・アントニオ・パロポといった美しいカクチケルの村があって、この両村はブルー系の民族衣装がきれい。続いてサン・ルーカス・トリマンはカクチケルの村というか、かなり大きい街ですが、衣装はまた違っていてかなりこった民族衣装が見られます。そこからのさらに車で30分くらいのところ、ちょうどパナハチェルの対岸あたりにサンチャゴ・アティトゥランがあって、トゥトゥヒル最大の街で、ここの民族衣装もまた独特できれい。そこからさらに車で小一時間、サンペドロ・ラ・ラグーナはこの湖でもっとも観光客に人気のあるところ、トゥトゥヒルの街ですが、民族衣装はたいしたことない。さらにサン・フアン・ラ・ラグーナ、サン・パブロ・ラ・ラグーナとトゥトゥヒルの村が続きますが、サンファンはなかなか面白いところ。サン・パブロ・ラ・ラグーナあたりから西岸というか北岸ともいえるラインがパナハチェルまで続いて、サン・マルコス・ラ・ラグーナ、ツヌナ、ハイバリト、サンタ・クルス・ラ・ラグーナ、(サン・ホルヘ・ラ・ラグーナ)の村々はカクチケルときいてます。ただこのラゴ・アティトランのあるソロラ県の県都ソロラも含めて、相当キチェが入っている可能性もあるところで、カクチケルかキチェか判別の難しいところもあるのです。このうち12村といった場合に数が合わなくなるのですが、ツヌナ、ハイバリト、またはサン・ホルヘ・ラ・ラグーナ(この村は岸辺になく、少し高台にあって湖岸の村と呼べるのかどうか?)のどれかが外れることになると思われます(もしかしたらこれも湖岸ではなく山の上にある街サンタ・クララ・ラ・ラグーナ村が入ってツヌナ、ハイバリトが外れる可能性もある)。その辺のところは次回行ったときか、前回紹介したトゥトゥヒルの友人(彼女はサン・ペドロ・ラ・ラグーナ在)に確認しておきます。以上超駆け足でラゴ・アティトランの湖岸を巡りましたが、もしかしたら以前にそれぞれの村の紹介はしているかもしれない(よく覚えてない、もしかしたら別のところへの投稿か?)、なので写真も含めて詳細は過去ログをあたっていただけるとより詳しいかもしれません??、、いずれにせよ魅力の一杯のラゴ・アティトゥランは、グアテマラを訪れたときに一度は寄ってみて損のないところだと思います。そして気に入ったら長期滞在してみることを勧めます。その情報もこれまでに何度も書いていますが、この地は生活費・滞在費がびっくりするくらい安くすむので、きっとお気に入りの場所になるでしょう‥??、、

(このあと2~3回続けるつもりですが、またちょっと旅にでるのでしばらく休みます、、8/25)