独歩の独り世界・旅世界

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Barcelona 4泊6日 その2,車上遊覧で休息を、、

 ヨーロッパ4泊6日ということは、これもいわゆる弾丸旅といえたかもしれない。何せ実質は中3日しか行動日がなかったのだから、昔のわたしだったら決してこんな旅はしなかったと思う。しかし、人生の黄昏、もしかしたらもうそんなに旅には出られなくなるだろうから、ま、できるだけチャンスがあれば、という心境の変化もあった。ましてやそれがバルセロナとあれば、ここは今まで廻った都市のなかではわたしの評価は高く、何度行っても決して飽きるということはないということがわかっていたから、たとえ短期間でも是非行こうということになったのである。それでも、唯一わたしにとって不都合というか、気に入らないところがあった。ま、世界的な都市だから、世界遺産だから、といった声も聞こえそうだが、それにしてもここはわたしのような貧乏旅派には向いていないところであった。前回少し匂わせておいたが、我々が利用したバルセロナの観光バスBus Turisticに乗車するとオーディオガイドのイヤホーンと小さな冊子をくれる。実はそれは約70ヶ所に及ぶ観光スポットあるいはレストラン・カフェの割引クーポンであった。で、その割引クーポンの総額が200ユーロに及ぶと謳っているのだけれど、だいたいその割り引き率が20%だったから、ま、全てに行ったとしたら入場料だけで1000ユーロ(いま少しユーロは下がってきたが当時1€=140円くらいだったから14万円?)になってしまう。いや、確かに価値があり、見ごたえのあるところは多かったのだが、それら全て行ってたのでは貧乏旅にはならない、というか、そもそもここは貧乏旅行者むけの街ではないということだけは確かであった。それに関して少々面白い見方もあった。それはバルセロナについて帰ってから調べたときに見つけたのだけれど、バルセロナはスペインでもっとも経済的に発展した街で、それはいち早く工業の近代化や産業革命を達成したことにもよるが、昔から貿易等による経済活動も盛んだったこともあって、なかなかバルセロナ人は商売上手、ひいては倹約家・吝嗇家が多いという、ま、他からすればやっかみに似た評価?が、もっぱらスペイン内にはあるということとも少しは関係しているのかとも思われた。いずれにせよ、彼らはガウディの残した遺産をこの上なくバルセロナのためにうまく利用している、というのが(わたしの)誉めことばでもあり、苦言でもあったのだ

 さて、またまた余計なことを書いてしまって、今回で終わらせられるか心配になってきたが、後半の二日間をざっと振り返って(今回で終わらせる)約束を果たしたい。つまり(到着日を数えなければ)二日目・三日目ということになるが、朝はいずれも早く、たいてい我々は朝食時間の7時半に一番乗りしていた。そうすると8時半にはスタートできて、三日間ともまずは地下鉄でカタルーニャ広場にでることになった(最終日もそうだったから4日間?とも)。しかしその日(二日目)はまったく予定外の場所カタルーニャ広場の地下にある州警察にいくのが、わたしにとって新規の目的地となっていた。そこで前回記したように、前日にサグラダファミリアの下見をしておいたのが正解となったのだった。わたしのツレは言葉はもちろんできないし旅慣れてもいないから、なかなか一人で放り出すわけにはいかないのだが、一応予行演習をしてあったから、いくらなんでもそのくらいは問題ないだろうし、本人も大丈夫とのことだったので、昨日と同じ場所からBus Turisticの観光バスで先に一人でサグラダファミリアに行かせた。日本で予約してあった彼女のticketは入場が10:15、エレベーターが10:45の時間厳守だったからだ。もちろん最初から入場料の高いそこへ中まで同行するつもりはなく、入るのは一人で、ということにしてあった。その間わたしはその辺をぶらぶらしているつもりだったのだが、なんと警察行きになるとは思ってもいないことだったのだ‥、、それで一応11:30に昨日行った生誕のファザード側にある池の前を待ち合わせ場所にして、わたしは警察署に赴いたのだった。で、その間の警察でのやり取りについては前回書いているので省略して、そのあとわたしも現場(サグラダファミリア)に行く。ツレの入場時間には間に合わなかったが、待ち合わせ時間までは一時間以上あった。最初は周辺にある土産物屋を冷やかしていたが(土産物屋とミニスーパーは全てインド系が牛耳っていることを発見してどうしてなのだろう、と思う)、気づくのが遅かった、もしかしたらサンパウ病院Hospital de la Sta.Creu i Sant Pau は近くではなかったか、と気づいて急遽行ってみることにした。この素敵な建物(モデルニスモModernismeのもう一人の巨匠ドメネク・イ・モンタネールLluis Domenech i Montanerの作品)を写真に収められたのはラッキーだった。歩いて10分くらい?そこにいたるレストランが両側に軒を連ねる並木道のAv.Gaudiもよかったし、そこから振り返ったサグラダファミリアも絵になった。ただ例によってサンパウ病院の中には入らなかったが‥、、それで急いで池のところに戻ったが、それでもわたしのほうが早く、しばらくは全ての観光客が一様に視線を向けている裏側で、そんな存在(サグラダファミリア)には一瞥もくれずにゲートポールのような競技に熱中している地元の年寄りたちの姿を眺めていた。そのうちによろけるようにしてツレが現れる。それを見た瞬間、やはりこの人はわたしがいなければダメなのかもしれないと思った。彼女の言葉を聞くまでもなくそれとわかったのだが、こういうことだった。この人はヒザを悪くしていた。だから普通でも歩くのに多少支障があったが、特にヨーロッパの石畳を苦手としていた。で、今回サクラダの塔に登ることになったのだけれど、ならば下りもエレベータでなければ無理だろうと、わざわざエレベータで降りられる受難のファザード側の塔を予約しておいた。そして、もちろんそこまでは行けたようだった。ところが彼女がいうには下りのエレベータはどこにもなかったというのだ。わたしは呆れて次の言葉がでなかった。だから歩いて降りたとのことだった。わたしはこういう人と旅をしているのだ。だからほんとは一人で旅をしたいのだ。ひとりで行動したほうがどんなに楽か!?(前日の失態を棚に上げていっている)。ま、自業自得、辛い目にあったのはわたしではない、その本人だから、わたしはただ呆れてものがいえなくなっただけだ。この人は乗ってきたエレベータで降りるということに、どうやらわたしにいわれるまで気づかなかったようだった。なんか、それは辛かったであろう、といった優しい言葉なんかかけてあげる気はまったくなかった。オマエはバカか!?これがわたしが口にした言葉だった。

サグラダファミリア、左が‘受難のファザード’右が‘生誕のファザード’どちらの塔もエレベータで登れるが、下れるのは左のみ。右は池に沿って公園になっていて、そこを待ち合わせ場所にしてあった。083_427x640035_427x640

そこからサンパウ病院に向かうAv.Gaudiという道があって、その途中から左;サグラダファミリア、右がサンパウ病院
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サンパウ病院の入り口から全景と、サグラダファミリア方面086_640x427088_640x427


 ま、それはそれでいい経験だったと思う。わたしも同じ階段を降りていた。だから途中の眺めはよかった、というのもよくわかった。その眺めだけでなく、このサグラダファミリアは彼女にとっては忘れようにも忘れられない一生の思い出になったであろうことだけは間違いない。それはそれでよかったのかもしれなかった。ただ、そのあとの行動が確実に制限されることになった。このとき、それまで失敗したかなと思っていたBus Turisticの二日券(そうでもなければ一日券+T-10利用がbestかな、と思っていた)が正解となったのであった。もう歩けないのだから、一番いいのは車上からの観光となるが、その道が残されていたのだった。で、サグラダファミリアからは前日と同じルートをもう一度行く。そして前日も降りた乗り換え場所で、その日は赤バスに乗り換えた。赤バスはそこから市の西の方と南の方を廻っていた。ま、休憩を兼ねた車上遊覧で、バスはサンツ駅、スペイン広場Pl. Espanya からスペイン村カタルーニャ美術館バルセロナオリンピックの競技場、ミロ美術館など数多くの見所が集まっているモンジェイクの丘に登っていく。もちろんその一つ一つがたいへん興味深いものであったがいずれもパスして、丘の頂上にあるモンジェイク城Castell de Montjuïcまで登れるロープウェー乗り場で下車した。そして例の割引券が使えたのでバルセロナの街と港と地中海の眺めが素晴らしい空中遊泳を楽しんでお城まで。前回来たときはその間を歩いて登ったのだけれど、足の悪い人を歩かせるわけには行かなかった。それでもここは登る価値ありと思って連れて行ったのだけれど、ロープウェーを降りてからの石畳が辛そうだった。昼をだいぶ過ぎてしまっていたが、砦の中にパンや飲み物を売る店があるのも覚えていて、ここなら安上がりでかつ海を眺めながら簡単な食事ができるという計算もあった。いずれにしろ、ここからの眺め - 海、港、バルセロナの街全体<サグラダファミリア>も、そして遠くに山々が見渡せるこの場所はわたしのお気に入りの場所だった。ここに小一時間いて再びロープウェーのゴンドラで下まで降り、そしてまたBus Turisticの次のバスを待った。

このゴンドラはほとんど待つことなく乗れた。102_640x427

モンジェイクの丘の上の城(城塞)から海と港;2枚、前回来たときも豪華クルーズ船が停泊していたが、このときも2艘確認103_640x427_2
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要塞からバルセロナ市内、サグラダファミリアを望遠で、、106_640x427105_640x427_2


 このBus Turisticの観光バスは、このように休憩場所としての価値が高いことを発見するのだが、ちょっと不満がないわけでもなかった。ひとつは逆行のルート設定がないから行きたいところに早く行くという意味で多少の不便さがあったのと、バス停が少なかったこと、ルートがほんとに観光者目線でつくられているのかという疑問だった。もちろん交通上の制約があってたりして難しいところもあるのであろうが、それでも2年前のルートと比べると(2年前は利用してないがパンフレットはもらっていた)多少変更されている部分があって、少しずつ改善はされているようではあったが‥、、また競合の会社が一社あって、とても興味があったのでそちらのパンフももらってみた。もちろんポイントの抑え方に変わりはなかったし、バスのスタイル、価格も同じであったが、ルート・回り方が全然違うので、甲乙つけがたく思えた。わたしは宣伝力で優るBus Turisticに乗せられる形で決めてしまったが、もう一方のCity Tour社もそれなりの価値があるので、どちらにするかはその年のパンフでルートをじっくり比較検討されて決められることを薦める。どちらにしても先にいったように休憩場所としての価値を含めると一日はこのバスを使って損はないと思う。二日券は+11ユーロだったが、この判断は難しいところで、利用価値としては先に少しコメントしたようにバルセロナの地下鉄・市バス他ほとんどの交通機関に使える一日券またT-10(乗り物10回兼)のほうが使いかってはよさそうだった。ま、われわれはそのあとも数時間このBus Turisticに乗り続けたから、なんとか元はとったかな、というところだった。バス停Telefèric de Montjuïcで乗車した我々は、そのあとバルセロナ港やコロンブスの塔、カタルーニャ歴史博物館のあるバルセロネータ地区を回って緑バスの乗り換え地点のあるオリンピック選手村地区まで車上の人となった。緑ルートはそこからバルセロナの海辺(浜辺?、なんと海水浴場があった)、昔の工業地帯があった辺りをこぎれいな建物・公園・会議場地区に再開発した一帯を30分ほど廻って、また選手村地区の乗り換え地点に戻った。そのまま次に来た赤バスに乗り継いでパラウ広場Pl. del Palau までいって、そこで最終的に下車した。鉄道フランサ駅のすぐ近くで前回来たときの宿の近くでもあったその辺りはボルン地区El Bornの入り口でもあったのだ。

バルセロネータビーチと緑バスからユニークなビルTottr AGBAR111_640x427113_640x427


 まだ陽は高かったが、夕方近かった。バスに乗り続けで疲れはそれほどでなかったが、暑さにやられていた。降りたところのまん前のアイスクリーム屋が人で溢れていた。リベラ地区散策前に一個のアイスクリームを半分ずつにする。一息ついて、まず目の前のサンタマリアダルマルEsglésia de Sta.Maria del Mar教会へ。この教会はたぶんピカソ美術館Museu Picassoと並んでこの地区の代表的建造物(観光ポイント)だったと思う。そんな情報をまったく持っていなかった2年前カタルーニャ広場でエアポートバスから降ろされて、簡単な地図を頼りにフランサ駅目指して歩きだして、必然的にというか知らぬ間に迷い込んで、その雰囲気の素晴らしさに魅了されて、うわぁ、こんなところが宿のそばにあるのかと浮き浮きしながら歩いてて遭遇した教会だった。そのときは数日の滞在だったが、だから毎日このあたりは歩いていた、というかぶらぶらしていたところだった。まぁ、そういう体験者としては、この地区はバルセロナ案内にはずせないところと思っていた。そんな説明をせずとも、すでにツレは教会はともかく、その周辺に固まっている小さなお店、そこにはレストランやカフェ、バルはもちろんのこと、イベリアハム・ソーセージの店(肉屋ではないのでは?)や酒屋、アイスクリームショップ、土産物屋、そして他の地区では見られない特徴として工房のようなショップ(カバン・装飾・雑貨等を扱う店)、お洒落で個性的な店が多かったが、それが細い路地に小さな店を構えていて、吸い寄せられるようにして入っていって出てこなかった。なので、わたしはここでも教会の脇の広場(Pl.Fossar de les Moreres)でしばし休息の時間を得ることができたのだけれど‥、、そんな店々を冷やかしながら、というかツレは本気で土産物を探していて、その一軒で面白そうなものを見つけたようだったが、さらに細い路地を行くとピカソ美術館がある。前回もそこを目的として探したわけでなく、歩いててこんなところに、といった感じで見つけたのだけれど、このときも時間が遅かったので素通りとなった。迷路のような細い路地は時に方向を失うが、そんな時突然巨大な4~5mもある張りぼての人形がやってきたり、マンモスの剥製のある博物館を見つけたりして、まことに不思議なゾーンなのだった。あとで知ったが、人が巨大人形の中に入ってバランスよく練り歩いていたその人形は、相当歴史が古くバルセロナの昔から伝説にもとずいたお祭り用の人形だったようで、めったに見ることができるものではなかったのだけれど、あまりに突然に現われたので写真は撮り逃してしまった。しかし、そんなハプニングがあってもまったく違和感がなく、なんともいえない雰囲気と面白さのある一帯であった。

 その辺り - すでにリベラ地区La Riberaと呼ばれているエリアになっていた - で、食事のできそうなところを探していた。もちろんいくらでもあった。ただ、どういったらいいか、いずれも決め手に欠いていたというか、我々のほうに自信がなかった?(やはりこういう場合は、ガイドブックやネットで紹介されていたところのほうが、多少高くとも躊躇なく入れたかもしれなかった)。ここはいいかも?という店があったらということで、またぶらぶらする。サンタカタリーナ市場Marcat de Santa Catarinaまでいって、思い出したように、ならボケリアBoqueria(サンジョセップ市場)へいってみるかと、強引に方向を変えてしまった。前日ぶらついたゴシック地区をもう一度横断して、ランブラス通りにでると、もう目の前だった。が、相変わらずの賑わいはまだ残っていたが、そのときすでにお店の大半は閉まっており、もう19時を回っていたことを知る(何度もいっているが明るさからはまったく判断できないのだ)。さぁ、どうするで、いつものパターン、決められないのである。ナマモノを食べさせ飲ませてくれるカウンターの店はまだ開いていたが、空いている席がなかった。隣のパン屋は開いていた。パン屋に関してはどこでもそうだったが、ほんとにおいしそうなパンが並んでいて、しかもそれほど高くないのがわかっているから、ついつい買ってしまう。このときもそれぞれ好みをいって、アレもコレもとなって3個も買ってしまうと、逆にそれでそのあとの方向性が決まったといってもよかった。昨日のワインが少し残っていたんでは?、いや、アレでは足りない、、ではまたどこかで買い足して帰ろう、と珍しく会話は成り立ったのだ。近くのLiceu駅から地下鉄に乗る。もちろん前日の教訓は身にしみていた。そしたら何とリセウ駅では、スリに注意というアナウンスが日本語でも流れているではないか ! ?、降りたFontana駅のホームには警察官が立っているではないか ! ?。えっほんと?、わたしにはあまりにできすぎた話に思えて、ついつい疑り深くなるのであった(つまり、この体制は望ましいのだが、いつも、どこでも、そうであってほしいといった願望と、ちょっと遅いよといった憤慨が入り混じった気持ち)。

 Fontana駅から例のCigne通りを行くと、流石にリベルタ市場は閉まっていたが、酒屋も八百屋もパン屋もミニスーパーも全部開いていた。まず、八百屋があってトマトが安かった。日本で買うと1パック500円位するという***トマトが1パック1ユーロ、あとはオリーブが1kg5ユーロになっていたので、それも1ユーロ分もらった(わたしは食品の名前を知らないので、ミニトマトのようなデザートトマト?の正式な名称を知らない - もしかしたらシシリアンルージュ?と今ネットで調べたらでていたが?? - 、オリーブも5種類くらいあって、名前で区別できないから、指差しで買う)。パンはそのとき買ってあったから、パン屋には寄らなかったが(そのとき寄ってバルサのクッキーを買っておくべきだったとあとで後悔する)次に昨日のミニスーパーへ。そこの店主は覚えてくれていて、またワインを勧めてくれたが、そのときは強烈にのどが乾いていたのでビールのデカイのないか、と聞くと1リットル瓶があると教えてくれた。それと昨日味をしめた生ハムとチーズを仕入れ、ビールが足りるかどうか心配だったので、何時まで開いてるのか聞いて、もしかしたらまたくるといって店をあとにする。一人のときはほとんど部屋食だったが、ツレもそれに文句はなかった。パンも野菜も生ハムも美味しくて、夕食として十分満足なものになった。が、唯一ビールが足りなくなって、わたしはもう一度買い足しに行かされることになったのだった‥、、

<やはり憂慮した通りになって、終わらなかった。つまらない話をもう一回書くことと今回ほとんど掲載写真がないことを詫びる次第です、、>