独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

四国お遍路 第2弾 最終回,68番、69番、70番で打ち止め

 駅からも札所からもけっこう離れていたので、このビジネスホテルにお遍路さんは泊まっていなかった。7時の朝食にレストランに下りたとき、そこにはビジネスマンというより作業員風の男性が何人かいて、わたしと同じモーニングセットを食べながら新聞を読んでいた。そこの朝食は昔、喫茶店でよく食したモーニングセットでトーストにサラダとゆで卵がついて、バナナまで添えてあった。わたしにはそれで十分で別料金ながら400円と良心的な価格だった。7時半には荷物はそのままに、お遍路装束に巡拝用品だけ持って、たぶん1時間くらいで戻れるのでは?と感じの良い女将さんに断って68番神恵院<ジンネイン>、69番観音寺に向った。68番69番は同じ場所にあって、その宿からは1.5km?20分くらいと思われた。どうして同じ場所に札所が2ヶ所もあるのか詳らかでなかったが、札所巡りをする側にとっては、なんともありがたい話であった。先に隣接する札所の最も遠い例として37番岩本寺から38番金剛福寺の81kmを紹介したが、ここはそのもっとも近い例であることは明らかだった。何しろ同じところにあって、実際いってみるとどっちがどっちで、この大師堂はどっちの大師堂なのかと混乱したくらいだったのだから、、おまけに納経所は一ヶ所だったので、いってみれば一度で二回分がいっぺんに、ということだった。

共通の山門Img_1558_640x480

68番神恵院本堂、大師堂(左)の案内板が見えているImg_1561_640x480

神恵院本堂Img_1560_640x480

69番観音寺大師堂(上2枚)と本堂
Img_1559_640x480Img_1562_640x480Img_1563_640x480

薬師堂前のお地蔵さん(お大師様?)には眼があって、その眼が動いてこっちをみているのに驚かされた;2枚Img_1564_640x480Img_1565_640x480

 宿をでて、そこに至るまでの財田川という川の土手を行くへんろ道はなかなかよかった。朝もやが遠くにたなびいて、コスモスが咲き乱れる河川敷、空気がすがすがしく気持ちのよい朝だった。ありがたいことに歩き出してからその日までの一週間、天候にはほんとに恵まれていた。同じ道を宿まで戻ったときは9時ころになっていたがチェックアウトタイムは10時だったので宿に迷惑をかけることはなかった。すぐに荷を背負って、礼をいって宿をチェックアウトし、今度は逆方向70番本山寺を目指して歩きはじめた。その道も向かう方向は反対であったが財田川にそってついており、やはりずっとコスモスが咲き乱れ、なかなか趣のあるへんろ道といえた(ただコンクリート舗道であったが)。本山寺までは意外に距離があって、45分ほどかかっているから3kmくらいあったのか?近づくと川の対岸に五重塔が見えてきて、それがたいそう絵になったのだった。本山寺を打ち終えて時間は10:15、大師堂で今回はここで打ち止めさせていただくという報告をして駅に向った。本山駅着は10時半だった。

68番69番への道;2枚Img_1555_640x480Img_1556_640x480

70番本山寺への道;2枚Img_1567_640x480Img_1569_640x480

五重塔のある70番本山寺は今回の最後を飾るにはまさにぴったり?できすぎなくらいいい寺だった;3枚
Img_1570_640x480
Img_1573_640x480Img_1572_640x480大師堂に打ち止めの報告をする、、

 70番で打ち止めとしたのは、65,66,67番を次回にまわして先に68,69,70番と打ったわけだけれど、そのあとの71番からは少し距離があったのと、まとまり具合が71番以降は固まっていたからで、いずれも次回とし、地図上?地理的な区切りとしては、この辺かなぁと思われたからであった。ちょうど本山という駅にもそんなに遠くなかったから、そこからいっきに高松まで出てしまおうと思ってのことだった。が、10時半について時刻表を見てみると、次の電車は11:21までなかった。それでいっても時間はあまるくらいであったが、その駅では50分間することなく困っていた。ま、それでもコスモス咲き乱れる田舎駅でボケーとしているのも悪くはなかったが‥、、各駅の電車(列車?ワンマンカーではなかった、途中から快速になった、、)で高松着は12時半、そこで3~4時間の時間潰しをしなければならなかった。

この辺はコスモスの印象が強くてコスモスと書いてしまったが、写真はコスモスでなかった。この花の名前は知らない、、本山駅で、、Img_1575_640x480

 ま、どういうんだろう?もし高松市を観光の目的地として選んでいたら3~4時間では足らなかったかと思う。栗林公園とか讃岐うどんの食べ歩き?、ついでにそれもよかったのかもしれないが、そして時間を余していたから栗林公園の入り口まではいってみたが中には入らなかった。それでも市内はけっこう歩いてみた。まずJR高松駅に着いたとき、なかなか素敵な駅と駅前・駅周辺に賛嘆し、インフォメーションで地図をもらってロッカーの場所をきいて、荷を預けた。そして身軽になって海辺、フェリー乗り場へ、、駅から近くに海が見えるところがあるのもよかったし、その辺りがゆったりとした公園になっているのもよかった。駅周辺をぶらついていると近くに石垣の公園、どうやら高松城跡地とのことだったが、玉藻公園というのが目に入った。で、いってみるとシニア入場無料となっており、こいつはありがたいと思った矢先、証明となるものがすべてロッカーの中と気づいて諦めざるを得なくなった。そこを引き返すと今度は徳島ラーメンというのが目に入った。高松で徳島ラーメン?まだ本場の讃岐うどんを食べてなかったので、義理立てできないと思いつつも、正直いうと本場で讃岐うどんは食べてなかったが、もちろん何度も食べたことのある讃岐うどんより、一度も食べたことのなかった徳島ラーメンになびくのは至極自然のことと思え、迷わずその店に入った。ほとんど家にいるときは一日一麺くらい(もちろん袋麺だが)のラーメン好きが、一週間ぶりに食べた徳島ラーメン、いつもおにぎりの昼食だったことを思えばたいそうな贅沢な昼食だった(餃子とご飯と生卵のセットを頼んだので)。その店をでると先の城の前に小さな駅があって、そこから琴電という電車に乗ってみた。あてなく乗ったが栗林公園という駅名があったのでそこで降りてみた。そして公園までいってはみたが入らなかったことは前述したとおりである。そこから高松駅までは歩くのにちょうどよい距離に思えたので高松市内散歩となった。そして歩いてて重大な発見をすることになった。先ほど駅前の素晴らしに賞賛したのだけれど、その一事でいっぺんに疑問符がついた。ここの人たちは何を考えているのだろう?しかもそれは、高松市役所や朝日新聞社のある中央公園の近くでの発見だったからである。そう、わたしは中央通りを歩いて高松駅に向っていたのだ。まだ足の痛みがあって少し歩くのに難儀していた。で、何本かの大通りを越えなければならなかったのだが、横断歩道がないのである。歩いている人も自転車の人も、いったん地下にもぐらなければならなかったのだ。地元の人はもう当たり前になっているのだろうか?なんとも思わないのだろうか?こんな車優先の街づくりでいいのだろうか?行政は障碍者だけでなく、普通に歩いている人にとっても階段がいかに難儀かつ労力を要するものかを知らないのだろうか?少なくともわたしは腹がたっていた。いや、確かに場所によってはエレベータもあった。しかしそんなもの、あるいは横断地下道や歩道橋を作るより、信号機があればそれで済む話ではないのか?わたしのこよなく愛するグアテマラ世界遺産都市アンティグアには信号機すらない。それでも車はすべて交差点の手前で止まる。道路に埋め込んだでっぱりがあるからである。それだけで歩行者優先の社会は作れるのだ。どうしてそういう知恵はないのだろうか?それは高松だけの話ではないだろう、恐らく日本全体のことである(思いだせばそんな場所は身近にもあった)。しかし一県の県都、他ですばらしい造形美を作り出している高松で、それはないだろう、それではオソマツになってしまわないか、とそのとき思ったのであった。

駅前はいい感じだった、、;2枚Img_1580_640x480Img_1579_640x480

駅近でこんな海見えるところなんてそうはない、、Img_1576_640x480

向こうに見える石垣が玉藻公園で右側に徳島ラーメンが見えているImg_1578_640x480

高松城祉前の琴電高松築港駅Img_1577_640x480



 いや、それは偶々そこだけのことだったのかもしれない。偶々そんな箇所に遭遇したことを少々大げさにいってしまったかもしれない。というのも、そのあとは素敵なアーケード街があったので、そこをそぞろ歩いて駅までいったので、すべてがそうだったといっているわけではないのである。そして結局、讃岐うどんも何軒ものうどん屋さんの前を通り過ぎたが、どこにも入らなかった。どこへ入れば?と迷ったともいえるが、ま、それほど空腹でなかったというのが最大の理由で、この次に来たときに食べればいいかということで先延ばしにしてしまった。しかし確実にいえることは、次回はこの香川がメインステージになるということだった。お遍路はあと2回、ないし3回来ないと打ち終わらない。そのためにはまたjetstarで飛んでくることになるだろう、、そうすると愛媛はほとんど終わったから、どうしても高松が拠点になりそうだ。そういう意味では香川県どの、今後ともよろしく ! 、ということで今回のお遍路紀行はこの辺で終わりとしたい。いつもながらの駄文にお付き合いいただいた方には、ただただ、ありがとう、の他にお礼の言葉がありません、、‥ <了>