独歩の独り世界・旅世界

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四国八十八ヶ所 お遍路初体験 3, 50番→46番まで歩く、、

 午前中の、とても親切で人の良いタクシードライバーO氏の指導で多くのことを学んでいた。装束については事前に案内書等を手引きにして一通りお遍路さんらしい格好は整えていた。菅笠、白衣、金剛杖、輪袈裟(そのほかの納経、巡拝用品をそろえるとけっこうな額になったが)、ま、最初は少し恥ずかしくもあったが、最低限の制服?はむしろその後の行動がやりやすくなると思ってのことだった。余計な説明を省くという意味で、ナリは一目瞭然だからだ。あとは作法である。これも手引書にその案内はあったが、まさかそれを見ながらというわけにはいかない、なので実地の指導を受けられたのはありがたかった。まず、門前での礼と手水場での手洗いは、すべての神社・仏閣での共通項目なので誰もができることだが、そのあと灯明・線香、納札・賽銭、そして真言・読経がワンセットになるが、この順序が実は今もってはっきりしないのである。また読経が、これまた人によって、宗派によって、手引書によって違うという厄介さがあった。少なくとも先達のK氏がこの通りでなくてもかまわないとレクチャーしてくれた読経の数と回数は相当な量と時間を費やすものだった。お経自体は例えば般若心経を空で唱えられたとしても経本を見ながら唱えるのが正しい作法とあったので、少し安心していたが、その経本(これも巡拝goodsのひとつ)に書かれているお経の数は相当数あって、そのうちのどれが必須で、どういう順番に何回というのが(最小限の共通項はあったが)、これも未だによくわかっていないのである。わたしが教わったK先達どおりにやってたら時間が足らなくなるのはらかに思えたので、一人で巡りだしてからは手引書にあったかなり簡略した形式に則った最小限の読経にとどめてしまった。何しろ四国お遍路の場合は、大師様のお寺巡りだから必ず本堂と大師堂があって、上記手順を二度ほど繰り返さなければならず(まったく同一にではない、、また、前回述べてるようにわたしは信仰心が薄いのでこんなことをいってしまうのであるが‥)一通りの参拝儀式をすべて済ませるのに30分~40分くらいかかることを知って、ま、いつもながら、というかわたしなりのラフな仕方(誤解のないようにいうとそれでも手引書にあった最小限は、かなり忠実に実行した)で勘弁?してもらうことにしたのであった。その最初のお寺が、50番繁多寺であった、、

 12時少し前に、ドライバーのO氏に礼をいって、わたしだけ繁多寺の門前で車を降りた。目の前に貯水池が広がり、少し高みにあったのか松山の市街がその向こうに見渡せ、とても気持ちのよいところだった。境内は広く、そのわりに人影がまばらだった。それまでの、どちらかというと慌しい巡拝に一息つけるような心地よさがあって、この寺の印象を良くした。サポートのいない一人だけの参拝が始まる。うろ覚えの手順を、他に参拝者がいないという気楽さもあって(実際は一組いたか?)わたしなりにこなす。本堂、そして大師堂、灯明・線香・納札・賽銭・読経の手順を繰り返してから納経所へ、この瞬間がやはりホッとするというか一息つくというか、いただいたご朱印と達筆の墨蹟を見ると心からありがたいと思うのだった。そのときは住職だったか、次の寺までの道のりをきく。案内書を持ってはいたが、何しろ歩きはじめである。ま、儀礼?儀式のようなものだった。少し、貯水池と松山の市街が見渡せる境内のベンチで休んでから出発。この、へんろみち保存協力会編の‘四国遍路ひとり歩き同行二人’地図編は歩き遍路の為のバイブルのような優れた手引書である。細かくいうと、見にくさや使いにくさ、版の大きさといった改良点はまだまだあるように思えるが、ともかく歩き遍路のルートは漏らさず網羅してあって上記の難点に慣れてしまえば、これ一冊で四国は歩ける。それほど詳しく、感心させられた(ただ版が大きすぎるので、確認場面に遭遇したときの出し入れに不便さがあった)。それは歩き出してすぐにわかったのだが、たぶんそのときまで意識していなかった‘逆うち’がためか、この本を取り出す機会は多かった。つまり思ったほど遍路道の案内板がなかったのである。いや、それは正確ではない、こういうことだったのだ。案内書などによると逆うち(逆廻り)は順うち(普通の廻り方)より難しい、逆うち一周は順うち三周分の価値あり、などといわれているのを目にしていたが、その意味がわからずにいた。そして遍路道案内板は要所要所にけっこう据えられていたのだが、要するに逆からくるとそれを見逃すのである。見えない、見つけられない、それで遍路道を見失う。実際その後何度か、いや、何度もその憂き目にあった。それが逆うちの難しさだとわかるのにそんなに時間はかからなかった、ということである。50番繁多寺から49番浄土寺まで1.7km、それほど紛らわしい道ではなかったはずだが、それでもこの道でいいのかと思いながら歩いて30分?、まだこのときは普通に歩けてるが、この先の道しるべの不安と、その分この本が頼りになるかもしれないという実感をつかんだ区間であった。

50番繁多寺;4枚(門前、全景、貯水池・市街地の眺めとご朱印)Img_1141_640x480Img_1140_640x480Img_1138_640x480Img_1260_640x480




  49番浄土寺も、わたしがたどり着いたとき参詣者はなく、静かなお寺という感じがした。納経所に伺ったとき大黒さんが優しく迎えてくれたのが印象に残っている。そこから次の48番西林寺までは大通りを行くので間違いようはなかった。もっとも案内書には遍路道として、細い道が出ていて、もしかしたらその方が歩きやすい道だったかもしれないが、それを辿る煩瑣を思って距離的には変わらなかったので大通り沿いを行く。途中のコンビニでおむすび2個買う。西林寺までは3.8km、小一時間かかる。そこの参拝を終えたのが14時ころで、その境内のベンチでおにぎりの昼食をとっていると、急に賑やかになって大型バスで訪れたお遍路の団体さんでたちまち境内は人で溢れた。こういう廻りかたもあり、大勢で廻ってる分絶対数ではもっとも多数を占めるの遍路形式ではないかと思われる。もちろんそれはそれでよいし、わたしもいずれそれを利用することになるだろう思っている。ある意味、これは昔からそうであった様に庶民の一大観光レジャーなのだからである。先達さんなのか、ツアーコンダクターなのか、白衣姿にリュックを背負った若者が納経所に駆け込んでいった。本堂前で全員で唱和する読経は声が揃ってリズム感のあるものだった。そういえば、わたしがお遍路しながら宇和島に向かうといったとき、わたしの友人は、夏はお遍路の時機でないからきついですよ、とアドバイスしてくれた。つまりお遍路には暑過ぎるということであった。そのあとで案内書等を読むと、やはり同じことが書いてあって、一番いい季節は春と秋、ま、それは日本の気候からすればこれは至極当然のことと思われたが、逆にだからこの時機はお遍路する人は少ないから、納経所の混雑もなく遍路宿もとりやすいと書かれていた。で、それらは如実に実感することになるのだが、このときのツアーバスによるお遍路さんの団体を目撃したのも、実はこれ一回きりだったのである。そして5日間を通して、納経所の混雑も満員の宿とも無縁だったのは、ある意味(わたしにとっては)時機がよかったと思っている。もっとも、そのあとすぐに、次の47番八坂寺までの距離の長さと暑さ、そして早くもでてきた疲れに、大変な思いをさせられようとはそのとき思ってもいないことだった。そこから八坂寺までは4.5km、うまくすれば一時間くらいでいけるのではないかと思っていたのだったが‥、、

49番浄土寺境内;3枚Img_1142_640x480Img_1143_640x480Img_1261_640x480

 48番西林寺;3枚Img_1145_640x480
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 西林寺を出たのが14:15くらいだった。この日は天気もよく、ちょうどもっとも暑い時間帯になっていた。なにより快く思っていなかったのはアスファルト(?コンクリートといったほうが適切か)上の歩きであった。それまでに気がついてはいたが、歩道はほとんど整備されていたので車の危険は感じなかったが、アスファルト?あるいはコンクリート上の歩行は足を疲れさせるのだ。だいぶ郊外にきたという感じはあったが、まだまだ街歩きの延長でしかなく交差点も多かった。それでも1kmくらい歩くと大きな川があって、橋上からの上流の山々の眺めに一服の涼を感じていた。重信川という川だった。お遍路の戒めのひとつに橋の上で杖を衝いてはいけないというのがあって(これもすべての解説書にでていると思うので注釈はつけない、それを参照してください)ことさらそれを意識して渡った。渡ってさらに1kmくらい歩道を歩いていくと札始大師堂とかいう案内表示があったが、そのとき前述したように持っていたへんろみち保存協力会編の案内書は少し版が大きかったので出し入れが面倒で、それが何か確かめもせずに素通りしてしまった。実はこれが第一の間違いとなる。そのまま大通りを行って大きな交差点に出たので、そこではじめてその案内書で道の確認をすると、すでに遍路道からずれたところにいるのを知る。が、それでもまだそれほど来てはおらず、また正しい道まで1kmも戻る必要もなく、その交差点を右折して300mくらいいけばへんろ道に出られることがわかり少々安堵する。ただ、その札始大師堂というのが53番石手寺の門前に祀られていた伝説の人、衛門三郎ゆかりの地であったということをあとで知って、そこを見逃してしまったことは悔やまれた。前の通りよりは狭かったがそれでもバスが走っている遍路道にでて、しばらくいくとこれも番外霊場となっている文殊院というのがあった(先の札始大師堂というのも番外霊場)。その辺まですでに1時間くらい歩いており、相当疲れてたのでともかく少し休ませてもらう。八坂寺まで1kmとなっていた。あと一息のつもりで歩きだすとすぐに古い石の道しるぺがあって、そこを曲がるとこれぞ遍路道と思われるような歩行者用の細い道が続いていた。少し歩きやすさを感じながら登り気味にいくとまた細い車道にでた。もう近いはずだと思いながらその道をそのまま歩いていくと今度はもっと大きな車道にでてしまった。おかしいなぁ、そんなはずはないと思ってまた案内書を引っ張りだす。すでに道を間違えていたというか、たぶんあったはずの、あるいは順うちには見えたはずの案内板を見逃してしまって、曲がるべきところを通り過ぎてしまったようだった。そこで戻ればまだほんの数百mのところだったからどうということはなかったと思うが、戻るのがシャクな性質だから、この先にもいける道があるはずだとさらに進むと、そこにマイカー遍路さん用の看板を見つける。仕方なくそれに従っていったら戻れば10分でいけたところを20分かかって漸く八坂寺に着いた。そのときは疲れきっていただけでなく、実はおなかの調子が悪くトイレに迫られていて相当苦しい思いをしながら歩いていたので、しみじみ逆うちの厳しさ?を味わうことになったが、ま、あとから思うに、それはわたしのさまざまな未熟さを大師様が教えてくれたときだったのかもしれないと思い返すのだった。

重信川にかかる久谷大橋から上流の眺めImg_1148_640x480

道を間違えたおかげで、恵原町の史跡(?名前不明)に出遭うImg_1150_640x480

47番八坂寺;3枚
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 トイレは輪袈裟をはずして入る。なんとか間にあう。しかし、疲れのためか頭が朦朧としていて巡拝にてこずる。ライターがどこにいったかわからなくなったり、ロウソクがなくなりかけていたり、納め札に名前が書いてなかったり、もしかしたら賽銭にもこと欠いていたかもしれない。おまけに相当蚊に刺されてしまって、お寺自体は少し高い位置にあってこじんまりした印象は悪くなかったが、身の上に起こったことが散々であった。すべて弘法大師様の思し召しである。その日最後の札所46番浄瑠璃寺はそこから1km、札所の納経所は一応17時で閉まることになっているのだが、なんとか16:20ころ危うくセーフといった感じでたどり着くことができたのだから。ここでもまだ少し混乱はしていたが、一応お参りを済ませ16:45にご朱印をいただき、なんとかその日の予定を終えることができた。その日の宿は浄瑠璃寺前の、遍路宿としては大きくて有名な長珍屋にとってあった。玄関前の水道で金剛杖を洗って、あまり客の気配のない立派な宿にチェックイン、17時少し前に4Fの部屋に転がり込んだ‥、、

この日最後の46番浄瑠璃寺;5枚(本堂、大師堂、仏足石、鐘楼、ご朱印)Img_1157_640x480Img_1155_640x480Img_1156_640x480Img_1159_640x480Img_1264_640x480