独歩の独り世界・旅世界

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四国を歩く(区切りうち)第3弾 5,81番82番の山登りと86番、、

 えびすや旅館の女将さんは、今もまだ現役の美人で通りそうだが、昔はさぞ、といった面影を残しており、何年か前にNHKのテレビで紹介されたという当時の写真に、それは証明されていた。張り切りお母さんといった風で、彼女も朝5:50より早く朝食ができていることをみんなに知らせ、そして食事の賄いを済ませると、どんどん出発していく一人ひとりを見送ってくれた。すでに前夜の夕食時には、民宿岡田の女将さんがそうしてくれたように、この山登りの概要をかなり詳しく説明してくれていた。それによると、コースとしては順番どおり最初に81番を打つのだけれど、ここの場合珍しく例の地図の徒歩ルートを辿っていくより、途中からは車道をいったほうが楽なこと、その車道(380m)に出るまでの登りがきついこと、後はそれほどのアップダウンはなく、82番からJR鬼無までの下りは、比較的歩きやすいだろう、ただそこから83番は結構長い、といったような説明をしてくれていた。そう、わたし以外の意志堅固にして足健脚の皆さんはいずれも順番どおりに打っていたから、その日の宿は83番一宮寺近くにとっており、83番までをその日の目標としていた。そこまでは山登りを含めて約24km、参拝時間を除いて7時間半~8時間の行程だった。だからこそ、女将さんは早発ちを勧めてくれ、そのための朝食時間が5:50だったのである。そして朝食が済むと6:30頃までの間に次々と皆さんは出発していった。

 さて、わたしも6:35頃に女将さんに送られてえびすや旅館を発ったが、そのときの面々とは少し事情を異にしていた。以下にその恥ずかしき実態を語っておかなければなるまい、、たぶんそのときのメンバーについては、多少とも述べてきたと思うが、中にはわたしよりずっと高齢の方もいた。その方も含めてそのときの面々は皆ずっと歩き通してこられた方々ばかりだったが、わたしはすでに2度ほど10分~15分間くらいの区間、鉄道を利用してしまっていた。そしてそのときも、山登りはともかく、そのあと83番まで歩ける自信はまったくなかったし、すでにもう何が何でも歩くという気力もなくしていたのだった。前日に80番近くのえびすや旅館を宿泊先に選んだのも、すでにそのとき相当の疲れを感じていて(歩き続ける)自信と気力を失っていたことに由来していた。それはつまり、まずその日のうちになんらかの手段を使っても、80番を打ってえびすやさんに泊まれれば、次の日の81番82番の山登りに、荷物の大半を置いていけるかもしれない、そして午後えびすやさんに戻って荷をとって、そこから近い国分寺の駅から鉄道で、83番を飛ばして84番か、あるいは86番へ飛んでしまうという考えがあってのことだった。ま、それもこれもすべてはかなりイレギュラーな廻り方をしているが故に思いついたことなのだが、恥ずかしい実態ならびにそのときの実情は以下のようなことだった。①は、ともかく純粋に歩きとおすことは実際問題として無理そうだったこと、自信を失っていたこと②故に鉄道利用を辞さなかったこと③順打ち、通し打ちでなかったこと④今回の予定9日間を個人的事情で7日間に変更に変更せざるを得なくなっていたこと⑤よって88番までの予定(このとき88番までいったとしてもそれは結願ではない)も変更せざるをえなくなり、残りが2日間になって、ではその間をどう廻るかが、そのときの焦点となっていた、ということだった。 

 初めから、この81番82番は地図を見ながら、厳しそうだなぁ、厄介だなぁ、と感じていた。どこから登ってどう打って、どこに泊るか、巡拝ルートにこだわらないわたしは、いろいろ探ってみたが、なかなか妙案が浮かばなかった。というのは、ひとつには79番から81番に登る道があって、79番→81番→82番→80番と打つ回り方も考えられたからだが、どういうルートをとっても、いずれも81番82番は、それほど高くはないとはいえ山登りで、しかも距離があって結構ハードなルートであることは地図を見て予測されていた。80→81にしても81→82も同じくらいの距離であったが、どのくらいの時間がかかるものか見当がつかなかった。なので、わたしはこの2ヶ所に一日かかるとみて80番に近いえびすや旅館を宿に決め、そして先にも言ったように、そこに荷の大半を置かせてもらっての往復ならなんとかなるかもしれない、と思ったのだ。だからその日の朝、わたしだけが、昼過ぎに戻るつもりであること、ひいては荷を置かせてもらいたいことを女将さんに頼んで宿をあとにしたのだった。

 朝だったし、荷も軽かったので最初は快調だった。わたしの荷のトータルはjetstarの荷物の持ち込み制限が7kgだったから、たぶん6kgくらいではなかったかと思う。その半分くらいを置いてきているのだから、せいぜい2~3kgくらいではなかったか?空身同然である。けっこうきつい登りだったが、一時間くらいで400mあたりを走っている車道にでた。そこまでの間に休憩所があって、朝日に照らされた下界、国分寺の界隈はたいそう美しく輝いていた。その車道を突っ切って山道を行く標識もあったが、そこは女将さんのアドバイスに従って車道をいく。それは結果的に正解だったのだが、その車道歩きは、当初のイメージとは異なってて少し不安を覚えた。というのはその道はほとんど上り下りがなく、むしろ下っていたからで、わたしは81番は山の高いところにあると思っていから、なんで登るはずが下るの?と‥、それと地図によると途中から山道(へんろ道)があるはずなのに、なかなかその道が出てこない、、ま、それでも、車も人もまったく通らないその道を歩いていくしかなく、30分くらい歩いて漸く右に入る山道を見つけ一安心、が、それもイメージとは違って、やはり下っていたのだった。しかし確かにそこには白峯寺への標識があった。道に沿って左側が有刺鉄線に囲われた土地だったが、そこは自衛隊の敷地のようだった。5分くらい下ると右82番根来寺左81番白峰寺の標識があり、そこからちょっと足場の悪い山道を、これも下り気味に行くこと15分、やっとといった感じで白峯寺に着いた。宿からだとやはり2時間弱かかっていた。

山登りの途中から下界の眺め;2枚Img_1799_640x480Img_1800_640x480

81番白峯寺に漸く着くImg_1801_640x480



 少し標高があったので、樹々が色づいていてなかなかいい雰囲気の寺であった。本堂・大師堂の場所を確認していると参拝を終えたK氏と出会う。先発していたとはいえ、さすがに早い。ところが一番先に出たご夫妻の姿がなかった。聞いてみると会ってないとのこと、、おかしい、そんなはずは‥??、もしかしたら車道に出てから、車道を行かず山道に入った‥??、、K氏は参拝を済ませていたから、ではまた、といって別れる。参拝を終え写真を撮っているところに、ご夫妻とS氏が本堂への階段を上がってきた。やはり山道を来たとしか考えられなかったが、それは聞かなかった。その道は82番への道でもあったから、わたしもそのあと通ることになったが、普通は車道よりも山道のほうが近道で楽なのだけれど、ここは違っていて、えびすやの女将さんのアドバイスが正しかったのだ。そして82番へはその山道を行くのが正解だったのだが、それでもその道程に2時間弱かかっているので、高低差はそれほどなかったとはいえ、確かに厳しい道のりだったのだ。故に81番までその道を来たとすれば、たぶん20分くらい多く時間を要したことが推察された。参拝を終えていたわたしは、彼らに挨拶して先行させてもらった。

81番白峯寺;3枚Img_1804_640x480Img_1805_640x480Img_1806_640x480

白峯寺から根来寺への山道にあった解説板Img_1807_640x480



 82番根来寺についたとき、すでにわたしは疲労困憊していた。到着少し前に、先行していたK氏すれ違った。彼とは出発時は10分、白峯寺では20分、根来寺では30分くらいの差が生じてしまっていたように思う。お互いにエールの交換し、また会いましょうといって別れ、わたしは少し休んでから参拝する。標高はそれほど変わらないと思うが、こちらの方が紅葉の色付きがよかった。まさに秋の寺で、車で来ている紅葉狩の一般参詣者、車お遍路が目立った。休憩を入れて30分の参詣、その間ご夫妻、S氏も到着、しかし、そこからは彼らは83番へ、わたしはえびすやへ戻る道を辿ることになった。11:10に根来寺を発つ、13時ころにはえびすや到着を見込んで、、しかし、その道程はほとんど下りになったとはいえ、そんなに楽なものではなかった。まず、朝方登りにえびすやから一時間かかってたどり着いた車道との分岐点まで、先の経験があったから山道を通らずに車道をいってみた。距離的には変わらなかったから時間もそれほど違いはなかったと思うが、そこまで1時間10分、車道だから高低差はそれほどなかったが、やはり長い道のりで、疲れ切って、そのすぐ下の休憩所で昼食を兼ねた休憩をとる。といってもこのとき特に昼食を用意してなかったので、例によってカンパンの非常食。そして登りに1時間を要したところを下りも1時間かかって漸くえびすや旅館に戻れたのは13時半で根来寺から2時間20分かかっていた。朝出てから81番82番を打って戻るのに7時間を要している。思った通りのきつい行程であった。それはわたしにとっては、えびすやさんに荷を預かってもらったこと、さらに歩き続けることが困難な状態になっていたから、そのあと鉄道利用という案が正解だったことを物語っていた。えびすやの女将さんに礼をいって、疲れた足取りで国分寺の駅に向った。

82番根来寺;5枚Img_1817_640x480Img_1810_640x480Img_1812_640x480Img_1814_480x640
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下山途中遠くに見えた瀬戸大橋Img_1820_640x480


 次の電車は14:06にあって、それで高松にでた。そこからは前に述べたが2案あって、ひとつは84番屋島寺を打って、その近くに泊まる。もう一案は86番志度寺までいってしまって、次の日85番→84番と逆打ちする、というものであったが、えびすやに戻った時点で後者に決めていた。その理由もJRの屋島駅から屋島寺が遠かったのと、そこまで登りつく体力が残っていなかったからである。で、えびすやの女将さんに志度寺の宿で知っているところがあったら紹介してほしいと聞いてみたが、そういうところはないが、昨日のお客さんの何人かは(たぶんご夫妻とK氏と思われる)栄荘を予約しているといっていた、という貴重な情報をもらうことができた。というのは彼らはほとんどの宿を予約していて、それも丹念にネットで調べた上で決めたと岡田さんかえびすやさんで話されていたのを聞いていたからで、その情報の確かさは民宿岡田、えびすやで実証済みだったからである。わたしは国分の駅で電車待ちしている間に栄荘さんにtelを入れて、その夜の宿の予約をした。なので高松駅では志度まで行く電車に乗り換えることになった。15:01発で40分の時間があったから、構内のうどん屋さんで、うどんとおにぎりセット370円の昼食となった。志度着は15:36で、駅から5分?しかし、このときずっと足を痛めてて引きずって歩く状態だったから10分くらいかかって宿に。電話で応対してくれたおばさん?(かなり年配だったからおばあさん?)は、わたしの予約の電話を覚えていて、あの後すぐに電話したが、でられなかったといって、実はわたしの電話した時間が遅かったので夕食の用意ができない旨を告げられた。で、朝食のみで4000円とのこと、まったく問題ない、むしろ4000円で泊めてくれるのがありがたいと答えた。

 荷を置かせてもらって、とりあえず86番志度寺を打つ。五重塔がなかなか絵になるお寺だった。時間も遅めだったから参拝客は少なく、写真をとってからすぐ脇の志度湾を見に行く。湾の向こうに八栗寺の奇岩が見えていた。志度の街をぶらついて宿に戻るが、その一帯に遍路宿なのか、あるいは一般の宿なのか何軒かのホテル・旅館が目に入り、食べ物屋も何軒か見つけていた。風光明媚なところだったから、あるいは一般の観光客も多い観光地だったのかもしれない。その一軒の食堂に風呂に入って浴衣に着替えからでかけた。しかし、そこは安くもなく高くもなく、メニュウもあまり特徴がなく、当りでもなし、ハズレでもなし、もしかしたら宿の夕食のほうがよかったかもしれなかった。

志度寺;3枚Img_1823_640x480Img_1825_640x480Img_1826_480x640

夕闇迫る志度湾、遠くに八栗山の奇峰
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 もうひとつ、隣の部屋との境が襖だけで、しかもその客がお遍路さんでなく、仕事できているおっさんだった。別にそれになんら異議は唱えないが、問題はテレビの音であった。遍路宿はだいたい9時には皆寝付いているが(もちろんお遍路さん用の部屋はあったようだが、わたしは電話したのが遅かったのでそんな大広間になってしまった)、それで寝付けなくなった。しかし、しばらくして気がついてくれたのか、疲れていて知らぬ間に寝入ったのか、ま、まったく寝られなかったわけではなかった。そんなこともあってこの宿の選択は失敗だったかもしれないとその夜思ったのは事実だが、そんな想いは次の日に見事に裏切られることとなった。