独歩の独り世界・旅世界

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改めてグアテマラの魅力を探る  1,インディヘナ Indigena

 今まであまりにも散漫に(いい加減に)、ただ自分の体験を記すことを目的として迷走してきたが、どうもそれはその語りが雑で稚拙すぎ、ほとんど他人に顧られることがなかった(そもそも当初はその志もなかったのだが)。これは根っこの部分がまさにそうした性格をもつが故のことで、また根っこが故にあらたむることのできぬものと諦めていたからであったが、ここにきて(人生の黄昏)、もし可能ならもう少しましなもの、ましな書き方ができないものかと気がついて、その気になって新たな挑戦をしてみることに思い至った。もちろんこんなことは今までにも気づいたことがあって、その気になったこともあったような記憶もあるのだが、いずれも竜頭蛇尾?あるいは三日坊主?喉もと過ぎれば暑さ忘れず?の類に堕しており、今回もそうなる可能性もまた十分あるのだけれど、ともかくその試みの第一回を‘改めてグアテマラの魅力を考える’というテーマとしてみたのだった。

 ま、ということは今まで旅ロクとして認めてきたグアテマラ情報を一度まとめて総括してみよう、ということでもある。あらためてなぜ、どこに、その魅力を感じたかをわかりやすく語ろうということなのだが、いざそんな風に構えてみると、なんだかとたんに難しさを感じる。やはりわたしはあったことをそのまま述べていくやり方しかできないのかもしれない、、そもそもカッコつけることが不得手なくせにカッコつけようするなら、なりふり構わず他人を気にせず、よって他人からも顧みられずを旨としてやっていくしかない、というのが、文才のないものが文などを認めるときの心得とすべきことのようだ。そうとわかると三日どころか三時間坊主?、前言を早くも翻してということになるが、もうなりふり構わずだから、そんなこと気にせず前進あるのみか‥??、、ただ最初に浮かんだテーマは変えずに‘インディヘナ’について考えていく、、が、ここに来てまたわからなくなってくる。果たしてこの言葉<インディヘナ indigena - これはスペイン語だが、英語だとindianとかnative?、なおインディオといういい方は蔑称の響きがあってあまり使われない>についての説明は、どこから、どの程度の幅と深さで、どこまで説明しなければならないか?もちろん学者レベルの定義はわたしにはできないし、わたしの知識なんか素人そのものだけれど、それでも普通の人にはやはり馴染みのある言葉とは思えない。で、世界史の範囲でいくのか、人類学・民族学的にいくのかでも違ってくるが、一番わかりやすいいい方で言えばアメリカン原住民?、この場合のアメリカンとは広く南北アメリカ大陸をいって、そこの先住民ということは、今のアメリカ人以前、つまり15世紀末コロンブス以降にヨーロッパから進出してくるヨーロッパ人に征服される以前からその地に住んでいた人々ということで、ま、ここまでは常識的に誰もが知っていることだろうが、そのあとの侵略史は恐らくあまり詳しくは教えられていないのではないかと思う。

 で、間を端折って(この侵略史は重要だが、わたしの手に負えない、興味のある方は文献はたくさんでているので自分で探ってみてください)ヨーロッパ人並みの乱暴さでいえば、その地は最初の200年で全てヨーロッパ人に征服されてしまった。もともとの先住民インディヘナたちは自らの土地を奪われただけでなく、ほとんどは殺されてしまったのである。それ以降彼らの土地はヨーロッパ人に支配されたまま今日まで来ている。インディヘナの末裔は(アメリカのインディアンの末裔も)隔離されたりして悲惨な生活を強いられ、今も細々と命脈は保っている。が、今や、南北アメリカは圧倒的な多数を誇るヨーロッパ系とその後に多数派となるメスチソ・ラディノと呼ばれるヨーロッパ人とインディへナの混血の支配する土地になってしまったのであった。

 さて、これもあまりによく知られた話だが、ではその新大陸(南北アメリカ)の先住民は最初からそこに住んでいたのかというと、- 最近では異説も出ているが - 我々が昔習ったところでは、数万年前アメリカ大陸とユーラシア大陸ベーリング陸橋によって繋がっていた時期があって、そのわずかなチャンス(確認しなければならないがせいぜい数千年?あるいは数百年の単位の間に?)に偶々ユーラシア大陸からアメリカ大陸に移動してしまった民族の末裔、という説が有力だった。その説の延長でインディヘナの先祖・ルーツはモンゴロイド、即ち東洋系というのも通説になっていて、それを裏付けるものにモンゴロイドの特徴として新生児の蒙古斑が今でも確認できるというものであったが、わたしはそれを確認してはいない。ただ、わたしが接した多くのインディヘナや映画などに描かれたインディヘナたちの特徴として、彼らの精神性や宗教性、及び伝統文化や習慣に確かにその面影が認められることは何度もあった。少なくともヨーロッパ文化との異質性は際だっており、我々との同質性・親和性を感ずるものは未だに多く残されているような気はする。そんなことから、また数十年前にその悲惨な歴史を知ってから、わたしは特別のシンパシーを彼らに感ずるようになっていた。

 アメリカン原住民をインディヘナとして一くくりにしてきたが、ルーツは数家族であったかもしれない最初の集団は数万年後に南米の末端まで行き渡った膨大な数の集団に分かれ、その部族数は測り知れない数になっているはずだ(この辺も文献があるかもしれないが専門家に任せたい)。さて、前置きが長くなったが、この辺から漸くグアテマラインディヘナの話に移れそうだ。数こそまちまちだが、南北アメリカ大陸の全ての国(といってもそれぞれの国が独立に至るのは18世紀以降)にインディヘナの末裔は生き残っていた。が、時の趨勢、権力の形もまちまちであったので、原インディヘナが混血せずに純血を保って集団を維持してこられた地域にもばらつきがあった。結果として純粋インディヘナが数多く集団を保ちえている国は以下の国しかない。すなわちグァテマラ、エクアドル、ペルー、ボリビアである。その中でも中米のグアテマラ、南米のボリヴィアは国の総人口あたりのインディヘナの比率が高い国である。わたしがグアテマラに魅力を感じている最大の理由はここにあったのである。

 どこまで信頼できるかは、心もとないかぎりだがグアテマラの純粋インディヘナの全人口あたりの比率は60%を超えるという統計もある。一方で信頼できる統計として未だに22の(インディヘナの末裔としての)言語集団が確認されている。実際にそれぞれの地域社会(コミュニティ?)ではそれぞれの部族集団が一定のエリアに居住し彼らの言語が地域言語として話されている。それぞれの部族は伝統的民族衣装によってアイデンティファイされ、その伝統文化は受け継がれ維持されている。多様な民族集団が暮らすグアテマラの、自らの衣装は自らの伝統技術でもってあつらえ、誇りをもって身につけている、そんな民族衣装が美しい村々を訪ねることは、また大いなる楽しみとなる。今までにそんな例を写真でたくさん掲載してきたのでここでは載せないが、このテーマを書き出した今日、まったくの偶然で、わたしが親しくしていたグアテマラ国内のインディヘナ集団として7番目に多い言語グループ<トゥトゥヒルTzutujil>の友人からmailが届いた。それに写真が添付されていて、ダンナのほうは現代風の服装だったが(男性で民族衣装を未だに常時身につけている集団は非常に限られてきている)、奥さんと子供はそれに近い服装だったので、その写真を無断で掲載してこの項の終わりとしたい、、

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