独歩の独り世界・旅世界

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Barcelona 4泊6日 その1,シエスタと、スリと、、

 出発したのは6月25日で帰国は6月30日だった。この旅の経緯についてはすでに述べたので、経過報告だけにとどめたい。前回述べたようにこのツアー(エアホ)料金はきわめて安かった。ちょっと考えられないくらい、つまり普通の個人旅行でticketとホテルを別々に予約していったとしたら、たぶん前年のヨーロッパで比較してみても、恐らくホテル代だけでそのくらいはかかってしまうという額だったので航空券分が丸々お徳、といった料金設定にびっくりさせられていた。なにかあるんではないか?という疑いは、ま、たいしたことではなかったが、行きの飛行機で見出されることになった。よく知られているように昔からヨーロッパへの格安フライトの代表格といえばモスクワ経由だったのだけれど、今やサービスその他に遜色がなくなっていることは聞いていた。だから、その点はアエロフロートだからといって文句をつけるつもりはなかった。が、やはり問題はあった。もっともそれは、例え他の航空会社であったとしてもよくあることで、わたしも他の路線他の格安ticketでしょっちゅう経験していることだから、ことさらこの航空会社だからということでもなかったが、バルセロナ着が深夜だったこと(23時)、ちょっと遅すぎる時間だった。そこからホテルまでは、20時ころまでに着いてくれればエアポートバス+地下鉄で、あるいは鉄道+地下鉄が可能で、その方法はわかっていたが、このときはエアポートバス+タクシー(またはタクシー)の選択しかできなくて、ま、それでもほんのわずかな出費で済んだけれども、思ったよりイミグレに時間がかかり(これはスペイン?当局に腹を立てる、なにしろブース3つしかオープンしておらず、1時間ほど並んだ)結局ホテル到着が午前1時過ぎになってしまったことだった。それでもまだ初めての地でなかったから、空港→ホテルをタクシーを使わずにすんで、タクシーを使った場合の半額くらいで納めることはできた。ちなみに二人分の費用としてエアポートバス×2+タクシーで16ユーロくらいだったが、たぶん空港→市内のホテルをタクシー利用だと深夜料金で40ユーロくらいしたと思う。ま、習い性になっているからタクシーを嫌うが、それは普通の日本人ならどうってことない額なのかもしれなかった。というのも、実は同じ飛行機にかなりの日本人を見かけていた。そして、このときイミグレに続いてエアポートバスも30分以上の長蛇の列となっていたが、そこに我々以外に一人の日本人も見ることがなかったからである‥。

モスクワの飛行場で<ただの証拠写真>008_640x427

 そういえば、これもわたし以外は怒ることも・起こることもないような些細な出来事がもうひとつあった。これはアエロフロートが故のハプニングともいえた。もちろんそんな規則があることを知らなかったのだけれど、わたしは最近渡航する際成田での搭乗待ちの間に缶ビール一本あけるのが、これも習慣になっていた。が、このとき缶ビールを買ったはいいが、そのあとすぐに搭乗開始となって、しかたなく機内で飲むことにして持ち込んだのだ(セキュリティは通ったあとなのでそれは問題なかった)。しかし、搭乗後に流れた日本語のテープによるアナウンス(日本人のCAは乗っていなかった)で、当機でのアルコール類の持ち込み・飲酒はロシア法により禁止されております、といってるではないか、耳を疑った。えっ?、ということは飲めない?、同時にアルコールのサービスもない、ということ?、ロシア法による.処罰ってどういうものかまでは問い質さなかった。なんかとても恐ろしく思えて、とうとうそれは口にできなかった。あわよくば乗り継ぎ待ちのときに、という儚い望みも、ま、これも通常どこでもあるのだが、乗り継ぎ用のセキュリティチェックで当然見つかってしまって、日本の缶ビールはモスクワの空港で没収となったのであった。たかが200円、されどのん兵衛の恨みは深いのである、、

 バルセロナの宿にチェックインし、床につけたのは2時近かったか?(日本との時差が7時間だったので、家をでてから24時間くらい経っていた)、浅い眠りだったがどういうわけかいつものように6時ころ(現地時間)には目覚め。ホテル付近を散策。朝食が7:30~、食事は去年ヨーロッパを廻ったときも宿はたいてい星二つか三つだったが、そのときのいずれと比べても遜色のないバリエーションで、あの値段でこんなリッチな朝食付きということにうれしい驚き。フロントの応対も含めてホテルは悪くはなかった、むしろ上等であった。

 さて、その日の予定は一ヶ所だけ予約を入れてあって10時半のグエル公園Park Güellだけ決まっていた。ベッドメイキングは不要とスペイン語でフロントに伝えると、かわいいセニョリータがスペイン語で返してくれた、アスタルエゴ、、しかし、このときまだわたしは、ここがカタルーニャ語の地だということがわかっていない、バカ丸出しである。8時半にホテルを出、地下鉄でカタルーニャ広場にでた。市内観光のBus Turisticのバスはカタルーニャ広場始発が9時からで、その一番バスの乗客となる。バスはどこでも降りられ、5~10分おきの走っていてどこからでも乗れた。まず、メインストリートのGracia通りを北上、カサバトリョ Casa Batlló、カサミラLa Pedreraを車上から見物。いずれも下車せず、次のサグラダファミリアSagrada Famíliaでいったん降りた。とりあえず明日のためのオリエンテーションとして、どこで並んでどこから入るのかをツレに説明しておいたが、それは思いがけず次の日に功を奏することになった。ま、それにしてもまだ朝一というのにもうこの人出。いやはやたいへんな人気スポット、間違いなくバルセロナ一、ガウディさんの貢献度たるや100年前に誰がいったい予測してたであろうか?恐らくガウティその人以外は一人もいなかったのでは‥??。

グエル公園;2枚040_640x427042_640x427

 それにしてもである。このバスはその効果をねらってか、Saldenya通りを北から来て、突然サグラダファミリアが出現するようなコース取りになっていた。果たしてこれはどんなものか?、2年前、わたしはその姿を拝むべく、実は宿のあったフランサ駅の近くから延々3~40分もかけて、まだかまだかと首を伸ばすようにして歩いて迫ったのだった。ようやくその姿を眼にしたのが、有名な大通りGran Via Corts CatalanesとMarina通りの交差点にあった旧闘牛場Plaça  de Toros Monumental跡地であった。もちろんそのときの感動は一入のものがあった。そこからさらに10分?その姿を仰ぎながら近づいていった。思うにいきなり出現より、遠景を楽しみながらのアプローチのほうがずっとよい。今回も次の日サンパウ病院への道Av Gaudiから振り返って見たときのほうがずっといいように思ったのだが‥??。そこで時間調整してグエル公園へ、ここもやはりたいへんな人で、入場制限せざるを得なくなったのがよくわかった。予約してあったので10:30ちょうどの入園で約1時間ほどいたか?写真でよく見ていたところだったので、それほど感動があったわけでない(恐らくサグラダファミリアもみんな写真でみてるからそんなに感動はないのでは?)それでも、公園の上のほうの広場とそこからの眺めがとてもよかった。あんな人ごみでなければ素晴らしい公園であることは間違いない。帰りがけに、ここのショップでタイルの土産を買ったが、同じものは他では手に入らなかった。昼近くになっていたが、バルセロナが相当暑いのに驚いていた。どうもその2~3日その地が特別気温が高かったらしいことをテレビで報じていたから、異常高温だったのかもしれない。そうなるともう歩く気がしない。逆に日射はきついが青空天井の車上からの眺めているのが気持ちよい。降りたら面白そうなポイントはいくつかあったが、赤バス(この社の観光バスは3ルートあって、それぞれ青・赤・緑に色分けされていた)への乗り換え地まで車窓(正確には車上からの眺めということだが日本語でなんていうんだろう?)を楽しむ。その間の目ぼしいポイントは以下‥Sarria(教会やマーケットがあって面白そうなところ)、Monestir de Pedralbes(ペドラルベス修道院)、Pavellons de la Finca Güell (グエル別邸、門扉が有名)、Futbol Club Barcelona(Camp-Nou カンプノウバルサの本拠地)、そして大通りAv Diagonal上のFrancesc Macià Diagonalがサグラダファミリアはじめ市内北部を廻る青バスと、モンジェイクの丘やバルセロナの港方面を廻る赤バスとの乗り換え地点になっており、そこで下車した。

<写真;上からペドラルベス修道院、グエル別邸の有名な門扉、カンプノウ2枚、いずれも車上から>090_640x427048_640x427

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 もちろん、赤バスに乗り換えて引き続き市内遊覧をするつもりだったが、その地にわたしは覚えがあった。ちょうど12時半ころで我々にとっては昼食タイムになっていた(後でわかったことだがやはり現地の人たちの昼食はもうすこし遅かった)。前回来たときに見かけて、ここのほうが安いかもしれないと思った‘東吉郎’という名の日本レストランがあったところだった。特にねらっていたわけではないし、バルセロナにきていきなり日本食には抵抗があったのだけれど、かといってその近くに適当なバルやレストランは見つけられなかったので値段を確かめて入ることにした。そう、確か2年前に食べ放題バイキングが10ユーロ以下だったのを覚えていて、どうやら価格は変わってないらしく一人9.8ユーロだったからだ(これは偶々平日の昼だったからその値段だったが、週末と夜はもうすこし高いかも?)。が、入って、これは失敗したかな?と思った。ひとつは客が全然いなかったこと、そして、従業員が全員中国人だったのである。で、いわゆる回転寿司方式で、ベルト上を各種つまみやサラダ、中華もの、和食類が廻ってくるのだが、客がいないからほとんど何も流れてきていなかった。急な客に(つまりその時間は昼食時間にはまだ早すぎたようだ)慌てていろいろなものを流し始めたが、お目当てのバルセロナの寿司は、だいぶあとになってからの登場となった。そして我々が来店してから30分以上経った1時過ぎになってようやく客が見え始め、ベルト上もいろんなもので埋まるようになったのであった。それでも海鮮あり中華あり和食ありで相当な数を食べてしまった。もちろん暑い昼下がりビールも数本飲んでしまって、満腹となり、それで33ユーロは決して高くなかったと思う。味も絶品とまではいかなかったが、かなり価値ありの部類には少なくとも我々は入れてしまうところだ。ある意味和食はネタ勝負のところがあるから、その点バルセロナは食材には恵まれたところだといえた。たぶんどこで何を食べても、この地ではうまくないということはありえないように思うのだ。それがバルセロナの魅力のひとつであることは(わたしが)いうまでもないことである‥、、

 満腹に昼のビールで、このまま観光を続けられる状態ではなくなっていた。ここはスペイン流でシエスタにするしかないようだった。が、ホテルまでの道を調べたが適当な交通機関がない。たぶんタクシーが一番手ごろだったかもしれない(バルセロナのタクシーは高くないと聞いていた)が、歩くのである。地図を見るとホテルまで10ブロックくらい?15~20分とみて歩きだす。ま、わたしの正確を知っているからツレは渋々ついてくる。足が悪いのにである。わたしは騙し騙しすぐ近くのようなことをいって先にたって歩く。意外と遠くて途中ミニスーパーに寄ったりしたから30分くらいかかったか、しかし適度な運動と睡眠不足もあって、まさにシエスタ、2~3時間のいい休息になった。で、夕方5時から第2ラウンドは始まった。

 夏のバルセロナの5時はまだ日は高く、もう一度街に出ることにしたが、結果論だけれど近くの市場でワインでも飲んでたほうがはるかに良かったと、あとから後悔することになった。そのときは朝使ったLineとは別の地下鉄でいくことにして、その駅(Line 3のFontana)に出るために細い路地をいったのだけれど、そこが前回記した素敵な小道でCarrer del Cigneだった。商店街で途中には地元客用の日用品・食料品・雑貨を扱うありとあらゆるお店が並んでいて、その通りの真ん中辺には小振りで小奇麗な市場もあった。そろそろ店じまい時間かどの店も暇そうにしていたが、一番悔やんだのはその一角に魚屋だったか、ワインを飲ませるカウンターが設えてあったのだ。おう、こんなところに、ここは必ず出直してこなければと思ってそのときはスルーしてしまったのが失敗であった。‘今度’とか‘いつか’出現しないものなのだ。思ったときが吉日なのである。その隣にパン屋があって、そこでもバルサをデザインしたクッキーが売ってあって土産に最高、今度必ず買いに来るとお店のおばさんに言い残したのだけれど、それも実現しなかった。ただ、そこではクロワッサンとフランスパンがおいしそうだったのでそれは買っておいた。そして地下鉄を5駅乗ってランブラスの南Drassanesまでいって、地上にでるとそこはランブラスLa Ramblaの終点あたりでコロンブスの塔のすぐそばだった。そこからぷらぷら北上した。よく知られているようにここはぷらぷらするのにもってこいの通りで、したがっていつもたいへんな通行人で賑わっているところである。真ん中の歩行者専用道路にはカフェ・レストラン・みやげ物や・キオスク・花屋が並び、絵描きさん・大道芸人・ちかころ流行の彫像人間?(今勝手にネーミングしたのだけれどほんとはなんというのかしら?)、そしてもちろんスリも横行するところのようだった。ツレはみやげ物探しに忙しい。わたしは前回何度も通っていたからどうでもよかったのだけれど、やはり案内者としてはここも連れてこなければならないところと認識していた。近くにはグエル邸Palau Güellもあったし、、そのグエル邸は、他のガウディ建築群からすると比較的入場料は安かったが、やはり迷ってしまうのだった。二人分の24ユーロ、次回そのことに触れると思うのだが、ま、世界遺産だからとしても、押しなべてバルセロナは入場料全般が高いのである。少なくとも貧乏旅行者のわたしはずっとそう思っていた(今でも)。で、ここはパスしてしまった。ひとつには時間があまりなかったといういいわけもあった。まだぶらつくに良いところがたくさん残っていたし、ツレは足を悪くしていたからそうそう早く歩けなかったからでもあった。で、その辺からそのまままっすぐ上にリセウ劇場Gran Teatre del Liceu、サンジョセップ市場Marcat de la Boqueria方面に行くか右に折れてレイアル広場Pl.Reialへいくかで迷う(前回はグエル邸の前の道をそのまままっすぐ突っ切ってサンパウダルカンプ教会へ行った)。もう二人とも老人だったので歩き疲れていた。ならレイアル広場にベンチでもないかといってみたが、広場を囲むカフェ、レストラン、バルの座席しかなく、腹たってそこは通り抜け、そのままFerran通りをゴシック地区に入っていった。ま、いずれにせよ楽しい界隈である。特にツレはいろんな店に出入りしていた。しかし、まぁ、疲れも頂点に達し、仕方なく市庁舎裏の広場Pl.St Miquelのオープンカフェに腰を下ろした。しばらく休憩。それにしてもヨーロッパの夏は、そのときすでに7時を回っていたと思うがいっこうに暮れる気配がないのだった。ビールとコーヒーだけで何時間粘ってもよさそうだったが、腰を上げサンジャウマ広場Pl.St Jaumeからカテドラル(バルセロナ大聖堂)、王の広場Pl.del Rei とごく簡単なゴシック地区案内を終える。そこで、今度はリベラ地区散策をするかどうかでまた迷う。もし夕食をどこかでとるなら、そのあたりが一番よさそうに思っていた。しかしどちらもほとんど空腹ではなかった。それよりやはり暑かったからか、ただただ疲れていた。もう、そろそろ帰るかということになって近くのバス停からBus Turisticのバスに乗り込み、わずかながら休息をとってカサミラで下車した。カサミラの隣に寄ってみたい雑貨屋があると聞いていたのと、そこからは地下鉄一本でホテルに戻れることもわかっていたからだった。が、その店はもう閉店近くで、ゆっくり見ることはできなかったようだ。わたしはその間歩道の椅子に座って待っていたが、そこから出てくる人をみているとみんなその店のショッピングバッグを持っていて、それも一枚ではなく数枚単位で持っており、どうやらそれを買ってきたらしいことがわかって、なるほどそれでこの店が有名なのかとたいへん興味を引かれたのだった。ツレは買ってこなかったが(たぶんそれは知らなかったようだ)、もしかしたらいい土産になったのかもしれなかった。

コロンブスの塔とランブラス通り
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レイアル広場とジャウマ広場からカテドラルに抜ける歴史ある小道062_640x427065_427x640

カテドラル(バルセロナ大聖堂);2枚067_427x640066_640x427

 すでにそのころにはもうBus Turisticのバスは走っていなかったから、8時を過ぎていたことがわかったが、まだ明るかった。しかしそろそろ潮時だった。地下鉄駅Diagonalの入り口がすぐで、Línea 3で来るときに乗ったFontanaまで一駅だった。そして、そのDiagonal駅で、前に‘我ながらなんと無様 !’と嘆くことになる、まさかのアクシデントに遭遇したのであった。その模様は省略するとして<またやってしまった、in Barcelona参照>Fontana駅に着いたときは半分虚脱状態だった。どうすればよいか判断つきかねていた。まず警察か?あるいは現金の持ち合わせがなくなってしまったのだからATMが先か?それとも何はともあれホテルに戻ったほうがいいのか?途方に暮れたままホテルへ向かって歩きだしたが、それでも来るときとは別の道をいった。その近くにはガウディの作品Casa Vicensがあるはずだったから、それを探していた。そして見つけるが、どうも中には入れそうになかった。写真を一枚撮ったが、そのときはもうだいぶ暗くなりかけていたのが、あとからその写真を見てわかった(たぶん9時は過ぎていたはずだ)。そのままその道を突っ切ると大きな通りに出た。ホテルは左とわかっていたが、右手に警察署のような建物があった。こんなところに警察署があるのか!?タイミングがよすぎると思いながら、そのまま建物の中に入って、受付の男性に1時間前に起こったことを話す。が、どうも反応が良くない。‥??‥どうやらわたしは気が動転していたからか、すでに暗くなりかけていたからか、よほど注意力が散漫になっていたようだ。それでもわずかに救われたのはそれが言葉が通じなかったからではなかった点だった。そこは警察ではなかったのである。まったく笑い話にしかならないが、そこはPoliciaではなくてPoliclinica(病院)だったのである。しかしその後が感心させられたのだ。わたしの話を最後まで聞いてくれたその受付のBarcelone(バルセロナの男性)は、すぐにしかるべくPoliciaの所在場所を調べてくれたのだった。そうしてわたしはそれがカタルーニャ広場の地下にあることを知ったのである。これにはほんとに感謝した。おかげでわたしはホテルに戻ってアクシデントを報告せずに済んだのだから‥、もし彼の好意がなければ、それはホテルマンに聞くしかなかったであろうし、そのためには自分の失態を晒し、なおかつホテルマンにも不快な思いをさせることになったであろうからだ。厚く礼と詫びを言ってそのクリニックをあとにした。まさに穴があったら入りたい心境、冷や汗ものであった。ホテルまで5分くらいのところだったが、途中ATMを探して多少の現金を下ろし、まだ開いていたCigne通りのミニスーパーで白ワインとチーズと生ハムを仕入れて、何食わぬ顔でホテルに戻った。それらはいずれも信じられないくらい安く、また美味だったのだけれど、いつものような心地よい酔いにはいたらなかったのだった‥、、

<いや、簡単に3日分の記録を記すだけにするつもりだったが、またどうでもよいことまで書き連ねてしまったから、長くなってしまって、2回に分けることにした。相変わらずこんな駄文しか書けないのが悲しいが、暇つぶしだから‥、、またいずれの写真も証拠写真以上のものではない、、>

Casa VicensとPoliciaと間違えたPoliclinicaの建物070_427x640118_640x427