独歩の独り世界・旅世界

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四国を歩く(区切りうち) 第3弾 4,四日目 76番~80番、&えびすや旅館

 この日の行程も悩ましかった。その前日、すでに一部鉄道を利用してしまったが、この日の76番から80番までは、ある意味すべてJR沿線沿いあって、もっといえば比較的駅に近いところにあるお寺ばかりだったからである。だから当初は逆に全区間鉄道利用でいこうかとも考えていた。たとえばJRには善通寺という駅があって(駅までは20分くらいか?)、そこから乗車して次の金倉寺駅からは5分くらいのところに76番金倉寺があって、その次の多度津駅からは10分くらいのところに77番道隆寺があった。78番郷照寺は更に三つ先の宇多津駅から20分くらいだったから、特にこの間77番~78番は距離からすれば(7kmくらいだったが2時間かかっている)やはり鉄道を利用すべきだったと後からは思う。更に79番白峰宮高照院は二つ先の八十場駅から5分、次の80番国分寺は八十場から三つ目の国分駅から5分のところにあった。この区間(ほとんどは予讃線)はだいたい一時間に2本の普通電車が走っていたから、恐らくそれらを利用すれば、それほど運賃をかけずに労力と時間の短縮が得られたことは明白だった。しかしこの日、ま、前日が多少の休養になっていたこともあったが、やはりわれらが仲間が皆歩いているのにわたし一人が‥との想いがあって、わたしもまた歩きだしたのであった、、

 それでもまだ最初の76番金倉寺までは3.8km、50分だったからペースとしては悪くはなかった。逆にSK氏がわたしより先に出たのにわたしが金倉寺に着いたときには見当たらず、しばらくしてから現われたので少し気になった。途中で追い越したわけではなかったからあるいは道を間違えたのかもしれなかったが、それは聞かなかった。もう一人のC氏は前日も独自のルートを歩いており、この日も74番から打つといっていたから、見えないのは当然だった。で、76番からはわたしが先行する形になった。道隆寺までの3.9kmにちょうど1時間かかっており、少し疲れが出始めていた。ともかく遠く感じたのだ。やっとのことで道隆寺という辺りで、ちょっとしたハプニングがあった。この日の行程はほとんど市街地で、大通りを行くこともあったが、このときは住宅街を歩いていた。そのとき民家の一軒から、オヘンロサーン、と声がかかった。ちょっと待ってください、といって主が飛びだしてきた。その後にその息子らしき青年?が一緒についてきた。何事かと思ってたたずんでいると、接待ですから持っていってくださいと、小さなお地蔵さんをくれるのである。傍らの青年が作ったのだという、通りかかるすべての歩きお遍路さんを呼び止めて差し上げている、とのことだった(実際その日再会した仲間たちは皆もらっていた)。この際、ありがたく頂くのが、お接待のお返しになるのではないかと、納札に住所氏名を書いて返礼した。つまりこれが代打ちというものかもしれない、この人たちに何か願掛けがあるのかもしれないと感じたのであった。そこから5分くらいで77番道隆寺に着いた。と今度はいきなり、どこかのおじさんがこれを持っていけといってスナック菓子をくれたのだ。正直言って、その類はあまり食べることがなかったが、それも頂戴した。ヤレヤレここは変なところだなぁ、と思いながら‥、、ま、たまたまそんなことが重なったのでそう思ったのだった。参拝を終えて、そろそろ今日の宿を探さなくてはと思っているところへSK氏が追いついてきた。が、どうも足の調子がよくなさそうだった。今日はどこを予定してますか?と聞いてみたがはっきりした返事はなかった。で、彼が参拝している間にわたしは、ま、80番辺りまではいけるのでは?と、その近くの宿にTELを入れ、その日の空きぐあいを聞いてみると大丈夫とのことだったので予約した。参拝を終えた彼にその旨伝え、いかがですか?まだ、泊まれそうですよ、といってみたが、まだわからないという答えだった。わたしはすでに出発態勢に入っていたが、彼は少し休みたそうだったので、また会いましょう、といって先にいかせてもらった。

76番金倉寺;3枚Img_1764_640x480
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77番道隆寺;2枚Img_1769_640x480Img_1770_640x480


 しかし既述したように、そこからは長くて辛い道のりだった。わたしも最初は具合いいかなと思った靴が、前回とは別のところ(今回は足指)に支障をきたして、相当歩くのが辛くなっていた。また市街地の舗道歩きは決して快適とはいえず、楽しい要素が欠けていた。丸亀駅近くに休憩所のマークを見つけ、そこまで3.1kmが50分、漸くといった感じでたどり着いて10分間休む。そこは78番までの道程のまだ半分にも至ってなかった。11:30意を決して再び歩きだす、、数ブロックいったところで右側に丸亀城が見えた。こんなのが市街地歩きの数少ない楽しみとなる。そして大きな川(土器川?)を渡る。渡った先にコンビニがあったので昼食用におにぎり二つを買い求め、また歩き続ける。宇多津という街に入ったようだ。街道沿いの公園で一休み。しばらく行くとへんろ道表示があって細い道に入る。もう近いのかと思ったが、そこからも結構あって78番郷照寺着は12:45だった。前述のように7kmちょっとに2時間、わたしの限界であった。それでもここでもハプニングあった。そこで参拝していたとき誰かから肩をたたかれたのだ。振り向いてびっくり、なんとその朝同宿だった、顔見知りになったツアー客のおじさんが、向うのほうがびっくりした顔で、早いですねぇ、といってきたのである。そういわれれば確かに驚くべきことだったかもしれない、、朝ほとんど同じ時刻に出発して、同じルートをきてるから15km、バスと歩きが一緒になるなんてことは考えられないことだった、、ま、しかし、冷静に考えれば、向こうはどこかで昼食をとったあとであったろうから、驚くには値しなかったのだ。もっともわたしはまともに返事ができないほど疲れていたから、ただ、疲れました、というのが精一杯だった、、だから参拝すらヨロヨロで、漸くのことで打ち終え、ご朱印をいただいてから、昼食を兼ねてしばらくの休みをとった。参拝と休憩に45分を費やし、そろそろ行かなくては、と思っているところにSK氏が到着した。足取りはむしろわたしより軽快そうだった。が、彼は足の調子が悪いから今日はこの辺で宿をとるといってきた。彼も相当疲れていたのだと思う。それが正解に思えた。しかしわたしはもう宿を決めていたから、たぶんこの先は電車を使うことになるかもしれないと彼に言って再び別れた。そう、まだ13時半だったから、時間はまだ十分ありそうだったが、そのまま歩いても17時前に80番に入れそうにないのが、その時点でほぼ明らかだったのだ。で、むしろそんな口実で電車を使う、それを見越しての80番近くのえびすや旅館予約でもあった。ま、それでも79番までは歩けるだろう、歩かなければ、という想いで再び歩きだしていた。その道のりが6km、出発が13:30だったからまともな状態なら15:00に着くところ、ま、15時半でもなんとかなると見込んでの最後の頑張りだった。

丸亀城Img_1774_640x480

78番郷照寺;5枚Img_1775_640x480Img_1777_640x480Img_1778_640x480
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 途中の坂出駅まで1時間かかる。そこで5分の休み。そこまではアーケードの商店街だったが、そこからは普通の商店街の道になって、途中で踏み切りを渡って細い道に入る。しばらくいくと八十場の水、というところにでた。ここも番外霊場のひとつであったが、ゆっくりしている暇がなく通り過ぎる。すぐに白峰宮という神社の境内にでたが、ここが79番高照院でもあった。たぶん神仏習合寺院のひとつであったと思われる。15時を少し回っていて、手っ取り早く参拝を済まし、ご朱印をいただく。大黒さんに駅の場所を聞くと、鳥居のある道を下ると保育園があって、そこを左に曲がれば駅で、5分もかからないと丁寧に教えてくれた。79番から80番までは7km、そのときの状態ではどうやったって7kmを2時間でもたどり着けないのは明らかだったから、ま、ここは電車も仕方ないところ、という口実(言い訳?)でわたしは駅に向った。八十場15:29発の電車は15:38国分着で220円だった。

郷照寺を出たあたりは、昔の街並みが再現?されていた、、Img_1782_640x480

上の道を少し行くと川があって、川べりに由緒ありそうな屋敷?(水門もちょっと珍しかった)ゆっくり歩いたら面白そうな街並みが残っていた、、Img_1783_640x480

番外霊場八十場の清水Img_1785_640x480

79番高照院;4枚Img_1786_640x480Img_1788_640x480Img_1787_640x480Img_1791_640x480



 80番国分寺駅から5分くらいのところだったが、そこまでいくのに10分くらいかかったかもしれない。どういうわけかこのお寺はけっこう混んでいた。一般の参詣客も多かったが外人さんが目立った。後でわかったことだが、そこの駐車場に停まっていた観光バスはどうやら外国人だけのツアーバスのようだった。その彼らも遍路の白衣を身につけていたから、もしかしたら外国人によるお遍路ツアー??、すごい時代になったもんだ ! ! 。もう一人(いや、正確には二人だから一組)珍しい人との出会いがあった。最後に眼にしたのが二日前の雲辺寺で、それ以来となった神奈川のご夫妻だった。わたしと同じ時間に、お二人はまったく電車などを使わずにここに着いているのだから、誠にご立派、凄いとしかいいようがなかった。聞けばSK氏とわたし以外の4名は、民宿岡田以降ほとんど同じ宿だったそうで(大津のK氏は観音寺では我々と同宿だったが)、なにやら今日も同じ宿になるようなことをいっている。で、それってどこと聞くと何とえびすや旅館とのこと。それはそれはうれしい情報であった。それなら後でまたゆっくり、ということになって、わたしは国分寺の参拝をはじめた。ここも大師堂が屋内にあるという珍しい様式になっていたが別に靴を脱いでということはなかった。が、弥谷寺の場合もそうだったが屋内のお大師様の撮影は禁止されていた。ご朱印をいただいて、ほとんどお寺の隣に位置していたえびすや旅館を訪れる。ここの女将さんも(どうやら繋がりはあるようだったが)民宿岡田の女将さんに負けないくらいの優しさで、疲れたお遍路を迎えてくれたのだった。

80番国分寺;5枚Img_1792_640x480Img_1793_640x480Img_1794_640x480Img_1795_640x480Img_1796_640x480


 ここの女将さんもできた人だった。配慮、采配、すべてに行き届いており、客目線であたりも柔らかだった。また、料理がよかった。ここでわたしは77歳の博識かつ頑健な体力の持ち主である学者?S氏、大津のジェントルマンK氏、神奈川のKご夫妻と再会し、そしてこの日の客は我々5名だけだったから、夕食は民宿岡田の同窓会になって多いに盛り上がってしまった。いや、もうお酒が入ってしまって何を話したかは覚えてないのだけれど、ともかく温和な女将さんから、明日朝早いので、と窘められるまで我々は時を忘れてしまったのだった。それだけある意味民宿岡田はインパクトが強く、そしてあそこが起点となって、そのあとのルート・日程はほとんど同一になるから、必然的に同行二人が形成されてしまうのだろう、、だからこのときSK氏は少し手前になったが、ほとんど一緒にここまできて、実はその二日後にもこの皆さんとあっているから、どうやら民宿岡田の6名はお遍路における運命共同体となっていたのかもしれなかった。女将さんの親切な忠告を受けて、そして何より凄いと思ったのは、明日朝は5時50分に朝食を用意しますという、この女将さんの意気込みにほれ込んで我々は早めに床についたのであった、、