独歩の独り世界・旅世界

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四国お遍路 第2弾 2,初日31番~34番、、

 10月2日が今回の遍路行の初日であったが、その前に9月30日の成田でのちょっとした出来事に触れておきたい。この飛行機は低料金が故のくぐらなければならない関門がいくつかあった。そのひとつは荷物制限である。最低価格の場合荷物は機内持ち込み手荷物のみで、その重さが7kgまでとされていた(+1350円で+10kgの受託手荷物を預けられる)。これまで海外への長期渡航の際は、50Lくらいのバックパックを使っていて、その重さは平均10~12kgくらいだったが、最近はこれでも重く感じるようになっていた。ただ、遠方へのフライトはほとんどノーマルな(?)格安ticketだったから荷物制限はまずなかった。それがこのLCCの場合前述のように+1350円で17kgまでOKになるのだけれど、それではせっかくのLCCのメリットに浴することができないと思い、また、遍路歩きにはそのくらいが最も適当な重さだったこともあって、極力その重量制限を守ることに勤めた。そうすると荷は軽くなったのだが、ほとんど着替え類が制限を受けることとなった(前にも述べているが、これについてはどこの宿にも洗濯機・乾燥機が備え付けられているので、それで対処するしかない)。また、手元に量りがなかったから、少しでもオーバーしたらまずいので神経をすり減らすことになった。もしオーバーした場合は追加料金を払うことになるのだが、その場合は事前申請した場合の1350円の倍の額がかかってしまう。前回の松山→成田の時1kg以上オーバーしてしまって、追加料金を払いたくなかったので、空港内のコンビニで宅配にしたら、そのオーバー分は1000円くらいで送ることができた。そんなことを経験していたので、今回ギリギリ7kgちょうどでパスしので一安心というところだった。

 ところがセキュリティチェックでまさかの展開が待っていた。上記の理由で1m以上ある金剛杖は別料金がかかることがわかっていたので、今回は登山・トレッキング用のストックを金剛杖の代わりに持参した。ところがまず、それが引っかかった。長さを測らせてくれ、とのことだった。まさか、そんなものに長さ制限があると思っていなかったので、何cmまでOKか?と聞くと60cmとのこと、わたしのストックは52cmで、そこもなんとかクリアしたが、普通そんな長さ制限のことなんか誰も知らないのでは?もし、それ以上の長さだったら、没収ということだったのであろうか?、いずれにしろ冷や冷やものであった。で、あとはもう何もないであろうと思っていると次にライターが引っかかった。??ライター一個は持ち込めるのではないかと抗議したら、ライターはOKだけれどチャッカマンはNGとのこと、‥??、わたしは前回の参詣時にロウソクや線香への点火に時に手間取ることがあった。で、今回わざわざ100均でノズルのついたライターを手に入れていた。まさか、それがチャッカマンだとは知らずに‥、そう、どうやらそれはチャッカマンで、少なくとも空港のセキュリティチェックでは決してパスさせてはいけないものだったらしい、、それで一度も使わなかった、わたしに言わせるとただの100円ライターはあえなく没収となってしまった。たかが100円、されど悔しさは残ったのだった‥。LCCのjetstarGk403便は松山行きだった。そのときの目的地は高知で、わたしの仲間たちは羽田から片道15000~20000円のJALANAで高知に飛んでいた。残念ながら成田~高知間を飛ぶLCCはなかった。で、わたしはまず松山に飛んで、そこから高速バスで高知までいった。バス代は3600円、トータルでも10000円以内だったから、その差額は大きいと思ったからだ。しかし、そのバスも14日前までの早割りだと980円だったことを後で知る。こちらのほうが悔しさとしては大きかった、、

 さて、二日後に第二回目のお遍路さんをはじめたが、前回と少し趣向を変えていた。今回はバス・電車を辞さない、つまり何が何でも歩くスタイルから、場合(場所)によっては公共交通機関を使うという方向性にシフトしたということであった。これは前回の足裏の痛み、それに伴う歩行困難を経験して、無理をしないことにしたのだった。そうと決めるといくつか選択肢が広がった。というか魅力的な商品を見つけていた。それを早速スタートの前日に手に入れた。①は高知市及びその近郊の観光スポットを巡る‘MY遊バス’ticket<1日券1000円>、②はJR四国のトクトク切符‘四万十・宇和海ふりーきっぷ’<4日間有効、4940円>というものだった。それによって初日のスタートは高知駅からとなり、観光客向けのバスでまず最初に向かったのは五台山展望台という高知市が一望の下に見渡せる観光スポットであった。そこまでは歩くと恐らく1時間半くらいかかりそうなところを9時発のMAY遊バス1便は25分で到着、そこは小高い山の上で、確かに見晴らしのいいところだった。せっかくだからそこで下車し写真を撮って、そこから10分くらい下ったところにあった31番の竹林寺まで歩いて下った。なかなかの古刹、苔むす庭園など非常に趣を感ずるいい寺だった。そこから次の32番禅師峰寺までは歩くとやはり1時間半の距離、ところがその間の2/3くらいは先のMY遊バスが使えて、1時間後2便がちょうどぴったりだった。そのバス停からは32番までは歩いて30分1便のバスには他にもお遍路さんが乗っていて、その同乗者も同じルートを辿っていたので、その間は一緒に歩いた。

高知駅前の三志士像、この後ろあたりにMY遊バスの乗り場があったImg_1296_640x480

五台山展望台から高知市を一望、、Img_1300_640x480

展望台から5分くらい下ると竹林寺の裏門にでた、、Img_1301_640x480

竹林寺本堂Img_1304_640x480

太師堂と五重塔Img_1303_640x480

これが正門の山門だが展望台から下って裏門から入ったので、ここから出た、、Img_1308_640x480


 1便のバスに同乗し、禅師峰寺まで同行したお遍路さんは40前後の、たぶんに独身ぽい美人女性だった。高知駅のバス停でこのMY遊バスを待っていたとき、最初に現われたお遍路さんはわたしと同世代の男性だった。住まいも埼玉とかいっていたから、同じ関東人で、前回区切り打ちで31番まで打っているので、今回はそこから歩くというようなことをいっていた。こちらの経緯も大雑把に話していると、そこに現われたのがこの美人女性だった。すると、わたしと話していた埼玉の男性は俄かに向き変えて、その女性に集中し始めた。わたしは耳が悪いのでその話の内容までは聞き取れてないのだが、同じ歩き遍路ということで(それでも彼らもこのバスは使い勝手がいいと思ったようだ)一通りお互いのこれまでの経過を話したあと次の宿はどこを予定しているのかといった方向に話が進んでいったようであった。わたしはこの先すべて歩くつもりでなかったから、その話には加わらなかった。そうして遍路姿の3人は同じバスに乗ったのだが、五台山の展望台でそのバスを降りたのはわたしとその女性だけだった。その後は勝手に展望台から竹林寺の参拝を済ませたあと次のバスでまたその女性と一緒になり、同じ行程を行くことがわかって、次のバス停から一緒に歩き始めたのだった。そのバスにはもう一人の男性が姿はなかった。わたしは差しさわりのない話をその女性としながら禅師峰寺まで歩いた。その間に彼女は1番からずっと歩いていること、東京の人で2ヶ月の休みを取ってやってきているので、今回一気に最後まで歩くつもりだ、というようなことを聞いていた。ところが禅師峰寺まであと5分くらいのところで、突然左の道から件の男性が現われた。彼は竹林寺から歩いてきたのだ。そこからは同行三人となり禅師峰寺を打つ。ここは少し高台にあり、そこから太平洋?土佐湾・桂浜方面の眺めが素晴らしかった。

禅師峰寺の山門、そこに写っている二人が同行三人の仲間Img_1312_640x480

禅師峰寺:2枚とそこから太平洋の眺めImg_1315_640x480Img_1316_640x480Img_1313_640x480


 この男性は、それまでに話がまとまってなかったからか、そこでも宿の選定の話をし続けていたから、わたしはこの男性をナンパ氏と決め付け、遍路しながらナンパというのは矛盾しないのかと、もてなさの腹いせにそんなことを思っていたが、それでもこの男性がえらかったのはそのあとも一人で歩き続けたことだった。わたしとその女性は先のバス停から1時間40分後の3便(禅師峰寺を歩いて往復してちょうどいい時間?)で桂浜に向かったのだが、歩けばその間は、やはり2時間はかかる距離であったからだ。高知の名所?桂浜着は12時半で、そこでわたしはその女性と別れた。桂浜に札所(お寺)があるわけではなかったが、高知といえば桂浜?でMY遊バスの折り返し点でもあったから、ま、寄り道をしてみたのだった。そこからはバスで33番雪蹊寺まで行けたのだが、そのバスは14時までなかった(この日は金曜日でMY遊バスも含めてすべて平日ダイヤだったが土・日はこの限りでない)。一通り桂浜、坂本竜馬像あたりを巡ってみたが、そのとき中国人の団体がいなければ、もう少し見え方が違ったかもしれなかった。つまり、彼らがその地をあまりにも俗っぽくさせてしまっていたことが残念だったということである。昼食の時間だったが、やはりそれなりのお土産屋・食堂・レストランしかなく(数的にはけっこうあったが)、そこでの昼食はパスして3~40分はバス停の待合室にいて、その間にその日の宿探しをしていた。

高知といえばはりまや橋と桂浜??Img_1288_640x480Img_1321_640x480

観光客の8~9割が中国人だったのに減滅‥(写真は龍王宮から桂浜、写っているのはすべて中国人)Img_1324_640x480


 それは、そこまできてやっとその日の見通しがたち、宿探しの時間ができたということでもあった。つまり、14時のバスに乗れば雪蹊寺を打って、34番種間寺までは歩くしかなかったが、16時~16時半に種間寺に入れそうだとわかったこと、そうするとその日はさらにそこから歩いて土佐市まで行かなければ宿がないことがわかったからであった。それで今回も持参のへんろみち保存協力会編の地図を頼りに、そこに載っている土佐市の宿を当たってみたが、なんと3軒しかない宿のうち2軒は廃業または休業のようで、残りの1軒も、他がやっていなかったからか、かなり高い部屋しか残ってないとのことだった。それでもルート上その日の宿はそこにとるしかなかったので渋々承知し、なんとか宿は確保できたが、前回の遍路でも経験した廃業または休業している宿がいくつかあることを改めて知り、それがわかっていれば、もう少し早くに連絡することによって安い部屋の確保も可能だったことを思い知らされた。

 14時のバスには件の女性も同乗していたので33番雪蹊寺も一緒に参詣することになった(彼女はその日は宿に荷を預けてあるので、そこからいったん高知市に戻るといっていたが、そこまでバス代1000円でこられたのだから、このMY遊バスticketは遍路にとっても使い勝手のいいお得切符といえた)。が、なんとそこでも32番禅師峰寺から歩いてきたナンパおじさんと鉢合わせとなったのだ。しかし何度もこういった偶然が重なれば彼女も多少動揺したのかもしれなかった。その後この二人がどうなったかは知らない。その日は二人とも別々の宿だったが、そこで(33番で)打ち止めということは聞いていたので、けっこう親しげに話している二人に、どこかで、また、と別れの挨拶をして、わたしは34番に向かって歩きだした。時刻は14:45くらいだった。ま、遍路も何があってもおかしくないが、美系女性は(それ自体少ないが)やはりどこでも目立つことに変わりはない。なかなか爽やかで清楚な女性だったので、その後が気にならないといえば嘘になろう‥、そろそろ彼女が歩き始めて一ヶ月は経つ、まだ歩いているのだろうか‥??

33番雪蹊寺;3枚Img_1329_640x480Img_1330_640x480Img_1331_640x480本堂;左と大師堂;右



 そこから本格的な歩き遍路になる。同行者はもちろんいなかったが、途中から小学一年生のひいろ君がわたしのお供というか先導役になった。33番から34番は6.3kmと例の本(へんろ道保存協力会の地図)にはあった。1時間半の距離である。ちょうど半分くらいいったところ辺りに小学校があって、その下校時間に重なったようで、その近くの新川川を渡るあたりから小学一年生の男の子と道が同じになる。その子の家は何とそこから約3kmの種間寺のすぐ手前にあったので、延々4~50分にもわたって我々は同行二人となったのである(それにしてもこの小学校の男の子は毎日その距離を歩いているのだろうか、それもわたしと変わらない足取りで‥??)。途中で彼のお母さんが車で迎えにきたが、ランドセルを預けただけでわたしに付き合ってくれ、そうやって二人で歩いているとジイサンと孫の二人で遍路をやっているのかと間違われたりもした。もちろんすべての話がかみ合ったわけではないが、この道中は心が洗われるものとなった。種間寺には16:05着。折から団体さんと鉢合わせになったが、16:20に参詣を終え朱印をいただく。そのとき納経所の女性から菓子をいただいたが、どうしてわたしにくれたのかはわからなかった。もちろんありがたく頂戴した‥、、で、そのときは雪蹊寺からたった6.3km、途中からはわが孫と同年齢の道連れができて気はまぎれていたものの、早くも前回と同じ箇所に足裏の異常(マメ?)を覚えていた。そこから土佐市の宿までは約7km、そうとう苦痛を伴うものとなった。その間を1h40mで歩ききって、やっとの思いでその日の宿に到着。ビジネスホテルだけあって設備等申し分なかったが、食事なしの6000円は高すぎた。ま、連絡が遅れたのだから仕方ないのだけれど、風呂に入って足裏の手当てをしてから、来るときに見つけてあったスーパーに出かける。案の定その時間は1パック600円の寿司が半額になっていたので、それと500ml缶ビール2本を仕入れ、そのスーパーの脇で店じまい間近の屋台の焼き鳥屋で3本ほどtake outして部屋食としたが、そんな夕食とビール代合わせても1000円少々で収まったから、ま、なんとか6500円2食付でビールを飲んだのと変わらない値段になったことに自らを納得させていた‥、、

へんろ道;2枚Img_1332_640x480Img_1334_640x480

34番種間寺;3枚Img_1336_640x480Img_1337_640x480Img_1338_640x480団体さんがいなくなったあとの本堂

種間寺から歩くこと一時間大きな川<仁淀川>を渡る。かなり苦痛を覚えていたが、宿までそこからさらに3~40分、夕暮れの景色が美しい、、Img_1341_640x480