2011-01-01から1年間の記事一覧
結局7時半発のはずであったバスがフローレスを出たのは8時に近かった、その朝7時前にはチェックアウトして、まだ朝方だったのでバスターミナルまで歩いた、ターミナル近くの昨日昼食をとったところで簡単な朝食をすまして、間に合ったバスがそれであった、今…
「雨季が始まるとジャングルはほとんど歩行困難になる。雨季が始まる前にはタヤサルに着かなければならない。スペイン人神父フエンサリーダとオルビータは、湿地や木々が立ちはだかる道を、イツァ族の居城タヤサルを目指して、南に進んでいた。途中カリブ海…
その前日の夜に、どこか魚を食わせるところはないかと聞いたら、カフェマヤというレストランがあるとその場所とあわせて教えてくれた人がいた、で、言われた辺りに行ってみたのだけど見つけられず、仕方なく例によって屋台でカルネデレスをテイクアウトして…
翌朝5時起きで、起きるとそのままチェックアウトした、前の日に予めチェックアウトの仕方を聞いておいた、というのも、いくら早く起きても誰もいなくてホテルから出られない、ということになりかねない恐れがあったからだ、聞いておいてよかったと思う、でな…
ティカルTikalを急いだのには理由があった、そもそも出国前のおおまかな予定では90日で滞在期限が切れたときの更新はティカル(フローレンス)からテノシケTenosique経由でメヒコに出て、サンクリストバルSan Cristbal de Las Casasからグアテマラに再入国をす…
来るとき55Qだったシャトルバスは何故か40Qで手に入った、前日日曜日の朝、シカゴのJohn氏を全員で送り出したあと、わたしもシャトルバスのticketを手に入れるため何軒かのトラベルエージェンシーを回ってみた、時間も価格もまちまちだったので歩いて5分くら…
ほとんどの日本人がグアテマラのことをよく知らないように、グアテマラ人も日本のことをほとんど知らなかった、理由は簡単でどちらの国も相手の国について報道することがほとんどなかったからだ、情報の行き来が(だから人の行き来も)ほとんどなかったといっ…
後半の一週間はまたカロリーナの授業が始まったので、生活はパターン化して大きな動きはなかった、だいたいその頃の生活は、テレビなどがあるわけでないから夜は少し酒を入れて早く床に就いたので朝が早かった、結構寒い日もあって夜中に目が覚めたりトイレ…
サンペドロの前半がホテルサンフランシスコだったとすると後半がカサアンドレアということになる、当初1週間の予定が最終的には3月の1日から14日まで2週間滞在したことになる、それも前半と後半に分けられ最初の1週間は:結構気ままに過ごしてた、後半はま…
自分で書いていてその矛盾に気がついてもよさそうなものの、昨日はまったくそれに気づかなかった、ここに改めて訂正をさせていただく、、即ち昨日記した、40年前にはもしかしたらタパチュラ、シウダヒダルゴ~グアテマラ・テクンウマンの間の国境はまだ開か…
メキシコの最果ての町タパチュラは日本人にとってゆかりのある街でもあった、ここは明治30年110年位前の榎本殖民の上陸地であった、榎本殖民とは榎本武揚(幕末から明治にかけて活躍したとてつもなくスケールが大きく、ものすごい才能を持ったわたしの大好き…
旅行者が陸路でGuatemalaからメヒコMexicoへ入る場合(逆も)一般的なゲート(国境)は5ヶ所あった、簡単にメキシコ側とグアテマラ側の起点のとなる町を記しておくと北から順に(メキシコ、グアテマラの順で記す)①テノシケTenosique~エル ナランホEl Naaranjo②パ…
そこはたぶんサンペドロでもっとも安い安宿?だったのではないか?ま、宿と呼べるならばの話だ、オーナーであるアンドレアおばさん(おばあさん)はもしかしたらそんなに貸す気はなかったのかも知れない、なぜならそこは泊まれる条件みたいなもの?部屋を貸すた…
結局hotel San Franciscoには2月25日まで(2月26日朝check out)、Spanish school Arco Iris(虹)には、その後延長して24日木曜日まで通った、その間のことを簡単に振り返ってみると、やはり学校に通うことによって生活が安定してきたというかパターン化して…
ホテルペネレウPeneleuはサンフランシスコの先20mくらいのところにあって、それほど有名ではなかったがホテルサンフランシスコがいっぱいのときサンフランシスコを訪ねてきた旅行者はたいていそこに落ち着いた、価格もそれほど変わらず(少し安かった?)部屋に…
どういうわけか、たまたまだけど次の日ホテルサンフランシスコにいた日本人は皆そこを去った、K君Cさんはパナハチェルへ行くと言っていた、オカアサンは妹さんを送ってからたぶんホテルペネレウに移ったんだと思う、わたしも支払いがその日までだったので、…
次の日(2月11日、金)、それまで一通りサンペドロの街を歩き回って右左がわかるようになっていたが、ひとつの道だけ不明で気になってたところがあって出かけてみることにした、サンペドロには他の町村とつながっている道は3本しかなかった、1本はすでに何回か…
前日の夜にわたしのホテルを確かめにカルロスはわざわざやってきたので、わたしはこの男は信用できそうだと思った、ほとんど浅い眠りしかできなかったので5時半には支度ができていて5時50分に約束どおりトゥクトゥクで迎えに来たとき彼を待たせることはなかっ…
次の日信じられない光景で目を覚ますことになる、というよりその日実は忘れたのかいい加減なのか知らないが、ベッドに毛布がなかった、で明け方近くに寒くて目を覚ましたのだけれどその時はまだ何も起こってはいない、外は闇の状態、だんだん東の空が明るく…
本当は地図で説明できれば一番いいのだけれど(ここだけでなくGuatemalaの全体図も載せたいのだけれど)、その地図の載せ方がわからない、なので、わかりづらいのを承知で言葉での説明になってしまうが、世界一美しいといわれる湖(たぶんに自画自賛的なプロパ…
家庭教師は午後4時間だったから、たいてい午前中が暇だった、食事の心配はいらないので、その時間に少々宿題とか復習をすることとなったが、それが済んでしまうと特にすることがなくなった、その頃一番の楽しみはすでに顔なじみになったインターネット屋さん…
下宿とホームスティはどう違うのかと聞かれても困るのだけれど、便宜的に以下のように分けてみたのでご理解いただけるだろうか?つまりこれはGuatemala(Guatemalaに限らないかもしれない?)で旅行者のとりうる宿泊形態ということになるかもしれない‥ 1)ホテル…
結局‘エル・ソル’には2泊してしまった、村岡さんご一家のその気持ちの良い人柄・もてなしに触れたらそこが気に入らないという人はいないだろう、そう、訪れたことのある人は皆そう言うと思う、しかしたまたまわたしが訪れたその日、日本人の宿泊客はその後も…
雨がぱらついていた、昨日からぽつぽつ降りはじめていたが、思えばグアテに来て初めての雨だった、今まで使うことのなかった100均の合羽を着てホテルをチェックアウトした、雨の中昨日は何もなかった路上に簡単な雨よけをしただけの露店が所狭しと店開きの準…
前にGuatemalaは常春の地と書いた、ま、それはグアテ市やアンティグアなどの高地1500m以上の地アルティプラノについては正しいと思う、それらの街で冷暖房器具を見ることはなかった、しかし、実際はわたしが滞在した12月から1月にかけてグアテ市でもアンテ…
新年を迎え1月3日(月)から授業は始まった、いわゆる正月休み・正月気分というものは何もなし、日本以外はだいたいどこもそんなもんだ、12月31日まで普通に学校はあったし、また新しい一週間が始まったというところ、ただわたしは1月2日の日曜に、すでに日本…
その姿が富士山そっくりなアンティグアのシンボル・守護神Volcan de Agua アグア火山は、その高さもほとんど富士山(3776m?)と変わらなかった、が、その高さは3760m,3765m,3770mと諸説ありどれが正しいのかは不明であった、一応わたしはINGUATでもらった地図…
人口5万人といわれるアンティグアの街は、実際住んでみるともっと大きな町(人口が多い)のような気がする、実際世界中から人が押し寄せる中米最大のお祭りセマナサンタ(これについての報告は後日)の時などは公称200万人に膨れ上がるというから、その時は例外…
わたしの住んでいたアンティグアの街の南にアグア火山が聳え、ちょうどその向こう側がEscuintlaエスクィントゥラ県になっていました、日本で言えばアンティグアが山梨県の富士吉田にあたりとすると富士山の向こう側静岡県がEscuintla県にあたります、その県…
サンタマリアデヘスス(いずれ宗教について書くが、この国は基本的にカトリックの国で、地名、村名、町名が聖書の聖人や使徒からとられているところが多い)はアンティグアの南、アグア火山の麓にある村である、アンティグアに来て初めてのエクスカーション(バ…