独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 生活 その6)fin de semana 国立考古学民俗学博物館、カミナルフユ遺跡

 家庭教師は午後4時間だったから、たいてい午前中が暇だった、食事の心配はいらないので、その時間に少々宿題とか復習をすることとなったが、それが済んでしまうと特にすることがなくなった、その頃一番の楽しみはすでに顔なじみになったインターネット屋さんに行くことだった、そこは何軒か回った中で一番安かったのと日本語入力はできなかったけど日本からのmailを日本語で読むことかできたからだったが、ま、少しの例外はあったがほとんどのところのPCは日本語の表示には問題がなかった、しかし店によって場所によって使用料金は違った、それこそこんなところにもと思うようなド田舎にもネット屋さんはあって、おおむね地方のほうが安かったと記憶している、だいたい1時間あたりの料金は安いところで4or5Q、高いところで10Qくらいであった、アンティグアは結構高いほうだったと思うが(だいたい8~10Q)、わたしが見つけたところは1時間6Q、30分3Qだった~

 3週間の下宿生活だったので2回ほどfin de semana(週末)があったことになる、そのころはあまり出かけずアンティグアかその周辺でぶらぶらしていることが多かったが一度だけGuate市に出かけたことがあった、1月も終わり頃になると朝冷えることがなくなった変わりに、それが当たり前だと思っていた、あの‘空あくまで高く青く’の青空が見られない日が時々あった、そんな1月の最終日曜日に例のバスに乗ってグアテ市に向かった(その日は快晴であったが)、目的は3つあった、と言ってもどうしてもその日でなければならない理由はなかったのだが、次の週にはサンペドロララグーナに移ろうかと考えていたから、グアテ市に近いアンティグアにいるときに、と思ったのと、あとは暇つぶし?ちょっと目先を変えてと思ってのことで、その3つの目的とは①グアテ市にある国立考古学民族学博物館に行ってみること②カミナル・フユ遺跡に行ってみること③グアテ市で営業されているという日本人経営の旅行会社を訪ねてみること、だった‥

 グアテ市に向かうに先立って、前日かその前日にグアテでのバスの乗り換えの仕方を聞いてみた、というのは前回の経験でアンティグアから出ているグアテ市行きのバスはすべて終着地が同じ所で、しかもそこは市の中心Zona1の下町からも、高級繁華街Zona10からも遠すぎてとても不便なところだったので、たぶんその両方、あるいは片方だけでもバスを乗り換えれば行けるはずだと思ってのこと、ところがスペイン語の家庭教師君も下宿のオーナー(若夫婦)も下宿の住民も誰もそれを知らなかった、そんなことってあるのだろうか、ここの人たちはグアテ市には行かないのか?行ったことないのか?とその時は呆れてしまったが、よく考えれば彼らはグアテマラ中産階級(あるいはそれ以上のクラス?)だったからマイカー所有者であった、バスなんか乗ったことがないということだったのだろう~??そんな中で一人だけ正確な情報をくれた人があった、それは行きつけのネット屋のお兄さんだった、その道沿いならどこでもいいのだけれど誰でも知っているでかいホテル、Hotel Grand Tikal Fturaあたりで降りるとR40のバスが来るから、それに乗ればZonnz10に行けるということであった、そしてその情報は正しかった‥例によって猛スピードで山越えしたバスは日曜だったので30分くらいでグアテ市に入り、40分くらいでホテルグランドティカルフトゥーラに着いた、初めてだったので言われたとおりそこで下車するとR40のバスはすぐに来た、オベリスコ、レフォルマ(Zona10の大きな通りと、目印になる塔)と連呼していたので間違いなさそうだった、すぐに飛び乗って1Q渡すと2Qだという、えっ?確か1Qだったはず、距離の問題なのか、それとも値上がりしたのか訝しく思ったが、ま10円のことだ、とやかく言わずに払った、あとでわかったことだったがそれは日曜料金とのことだった‥??

  国立考古学民族学博物館Museo Nacional de Arqueologia y Etonologiaは動物園の近くにあった、バスはそこを通らなかったが動物園の脇を通っていたので動物園の近くで降りて少し歩いた、広大な敷地の動物園の隣のこれまた緑多き広大な敷地に同じような建物が4つあって、国立考古学民族学博物館のほか国立近代美術館、国立自然・歴史博物館、国立子供博物館(美術館?)が隣接して建っていた、9時半から11時半ころまで見応えは十分あった、グアテマラ人5Qに比べて外国人60Qはちょっと高すぎるのではないかと最初躊躇ったが、ま、その価値はありであった、特にGuatemala各地のマヤ遺跡から出土した本物orレプリカの石碑、土器、副葬品等々の夥しい数の展示品、ティカル遺跡のミニチュア模型他、素晴らしい展示の数々には正直圧倒されてしまった、地元の若い人や学生たちが歴史の勉強・学習のためにたくさん来ていて、みんな熱心にノートをとっていた、、

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 博物館の人に聞いたらここを出てすぐの乗り場から63番のバスでZona10に行けると教えてくれた、また2Qとられたがそのバスで日本大使館が入ってるガラス張りのビルが建つオべりスコ広場まで行った、そこからはINGUATで貰った地図を頼りに歩いた、バスがありそうだったが何番だかわからなかったので、それも歩きながら確かめた、3,40分は歩いたであろうか予想されたことだったが、その日本の方がやっているという旅行会社のあるはずの建物は閉ざされていた、看板もなかったので不思議には思ったがたぶん日曜だからだろうと出直すことにした(そこへはその後一度電話して伺うことができた、電話したとき所在が変わったこと、でもどちらにしろ日曜は休みだったことを知る、わたしは特に急いでいたわけでないが、いずれ必要となるGuatema~日本の航空券の情報を知りたかったのだけれど、いつでもお引き受けできますといって、大変親切に応対してくれ、ticketの価格だけでなくいろいろな情報を教えてくれた、ここにもまた一人頑張っている日本人がいることをその時知った)、帰りは来たときに何本も行き交っていた82番か101番のバスに乗ってみることにした、どちらのバスに乗ったかは忘れたがどちらも(降りた場所に両方のバスとも走っていた)見覚えのあるところまで連れて行ってくれた、それはグアテ市に最初に着いたときに泊まったホテルのあるZona1のバリオス広場だった、そこでまでくればもう地図はいらなかった、下車しその辺をうろついて昼食場所を探す、グアテマラではどこへ行ってもフライドチキン&ポテト屋さんと同じくらいの数でホットドッグの屋台が出ていた、たまたま裁判所近くの路上でそれを見つけたので1個買ってその場でほおばる、そこは6Qだったが地方で食べたときはたいてい5Qで驚いたことにプラスティックのコップに飲み物(ファンタオレンジみたいなもの)がついてきた、小腹をすかしたときにちょうどよい、わたしにはそれが昼食となった、、

 さて、次にカミナルフユSitio Arqueologico de Kaminal Juyu、どうやって行くかが問題であった、前にINGUATで聞いたときはタクシーがベストだといっていたが、タクシー嫌いのわたしはガイドブックにあった32番か37番のバスで近くまで行けるという情報を信じた、そのINGUATの前あたりにそのバス停があるはずだった、何本かのバスを見送っていると37番が来た、行き先を聞かずに乗ってしまった、ダメもと、その時は2Qで市内見物ができた思えばそれはそれでOKだった、実際そのバスがどこを通っていくのかは興味があったのでINGUATでもらったかなり詳しい地図と首っ引きになった、30分くらい街中を走ってようやくカミナルフユの方向にバスが向かったので、やっと安心することができた、が、それもつかの間今度は降りるところがわからない、あの広大なカミナルフユの遺跡のどこが入り口でバス停がどの辺にあるかは地図を見てもわからなかったので車掌に聞くよりなかった、彼はそのバス停に着いたとき、ここだ、降りたら左回りに道沿いに行くと入り口がある、と教えてくれた、タクシーだったらおそらく100Qはとられたことだろう、2Qでともかくカミナルフユの入り口まではたどり着くことができた、しかしそこでもまたグアテマラ人5Q外国人50Qの入場料に躊躇ってしまうのであった、、、

 しかし、そこはそうとうお金をかけて整備したことが窺われる緑と芝生の公園となっていてとても気持ちの良い場所であった、市民の憩いの場といった感じで若い人のデートスポット、家族連れの子供たちの遊び場になっていた、小高く山になったところに登るとグアテマラ市が一望に見渡せた、今朝バスを降りたホテルグランドティカルフトゥーラの高層ビルがすぐそこだった、が、実はその丘がカミナルフユの未発掘の遺跡そのものだったのだ、カミナルフユ遺跡はグアテマラ市内にあって今では周りを住宅地に囲まれてしまっているが、マヤ遺跡史上いわゆる先古典期の重要な遺跡のひとつであることを学んでいた、日本の企業&日本人の考古学者がその一部を発掘して、さらにその一部を一般に公開しているが、その大部分は未だ土の中に埋もれている状態なのである、手がついてない、手がつけられない?確かに本格的な発掘、そしてその後の維持管理等を考えると莫大な費用が必要となってくる、そう考えるとここに眠らせておくほかはないのだろう、いや眠らせておいてあげたいようにも思った、、、それでもほんのわずかだが発掘されたところは屋根で覆い一般に公開されていてマヤ特有のアーチ構造や、巨大なアクロポリスの一部を見学することができた、遺跡好きには必見の場所だろう、約1時間ほどそこでのんびりしていた~

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 すぐ近くに見えたがそれでも歩くとHotel Grand Tikal Futuraまでは15分くらいかかった、そのあたりはバスでは何回も通っていたがマクドナルドをはじめ大型のショッピングモールなどが両側に並ぶいわゆ郊外型のアウトレットゾーン?だったから凄い人ごみ&各方面へ行くバスがひっきりなしに往来しているところだった、アンティグア行きのバスもほとんど待つこともなくすぐに来た、夕方5時頃にはアンティグアに戻ったいた、、、その日は日曜だったので下宿もホームスティと同じで食事の用意がない日であった、アンティグアに来て約2ヶ月にして初めて日本食の食べられるレストランに行ってみた、日本食が食べられるところは3,4軒はあると聞いていたが、日本人経営で評判のよいという店は2ヶ所しか知らなかった、しかし値段の見当がつかなかったのでそれまで敬遠していたが思ったほど高くなく、うどんと米の飯とビールで50Qくらいだった、賄いつきは手間がかからずしかも安いので、われわれ貧乏旅行者にとってはほんとにありがたいのだけれど、やはり食事に飽きがくる、日本食が恋しくなってくる、エルソル以来2週間ぶりくらいの日本食はやはりうまかった、久しぶりの満足な食事といえた、、入ったときは客はいなかったのだけど帰り際に若い日本人が続々やってきて、10人くらいしか席のないその店はいっぱいになってしまった、やはり需要はあるということ ? つまり、それまでほとんど会わなかったが日本人の旅行者もけっこうここアンティグアに滞在していることを知るのだった、、、が、わたしはそのアンティグアをそれから1週間後には去ることにしていた、ま、食事の問題もなくはなかったが、それだけではなく今度は少し自炊をしてみたくなっていた、その候補地としてサンペドロラグーナSan Pedro la Lagunaを考えていた、なので下宿の延長はしなかった、2月6日の日曜日世話になった若夫婦に礼を言って、迎えにきたシャトルバス(ワゴン車)に乗り込んだ~

 振返ってみると約半年のGuatemala滞在を3つの時期に分けることができる、最初(前期)がこの2月6日までの約2ケ月間のアンティグア、そのあと3月の中旬まで1ヵ月半サンペドロララグーナ(中期)、そのあと再びアンティグアに戻って5月中旬に帰国するまでの2ヶ月(後期)となる、よってここで前期終了ということになる~