独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala/San Pedro 5)再びエルソル、そしてサンペドロのスペイン語学校

 どういうわけか、たまたまだけど次の日ホテルサンフランシスコにいた日本人は皆そこを去った、K君Cさんはパナハチェルへ行くと言っていた、オカアサンは妹さんを送ってからたぶんホテルペネレウに移ったんだと思う、わたしも支払いがその日までだったので、パナハチェルに両替に行く予定を立てていてエルソルに一泊して帰ってくるつもりでいた、後から思えば一日分をケチってチェックアウトしてしまったけど25Q払ってそのまま部屋を確保しておいたほうが賢明だったようだ、いずれにしろその行き方としてサンチャゴアティトゥランを経由して行ってみようと思っていたので、K君Cさんとは別行動となった、明日戻ったときに部屋があいていたらまた借りるからと言って荷物を置かせてもらってホテルを出、サンチャゴドックからボートに乗った、、、

 その後何度か乗ることになったSan Pedro~Santiago Atitlan間のボート、というかLagoAtitlanでボートに乗った最初であった、かなり大きなボートで4~50人くらいは乗れそうな大きな船だった、だからかどうか、その後に乗ったときは小さなせいぜい20人くらいしか乗れない船だったからか15Qだったのだけれど、その時は25Qとられている、たぶん外国人料金(そんなものはないのだけれど)を請求されたのかもしれない、サンチャゴアティトゥランへ寄った理由は二つあった、湖畔第二の村(町?)サンチャゴアティトゥランはサンペドロの山の上からも眺めていたし昨日も結局そこまでは行けなかったけど、そこへ至る道を散策していたこと、もうひとつはサンシモンの教会と日曜市、ま、ともかく一度行ってみないと話しにならないと思っていたのだ、ホートを降りるともうその周辺から土産物屋さんが軒を連ね、パルケセントラルへ至る道沿いもほとんど両脇は土産物屋だった、サンペドロとはぜんぜん違う雰囲気、それだけ観光客が多いということか?たまたま日曜市の日でパルケセントラル周辺は生鮮食料品、日用雑貨、地元民のための衣装を売る店などのテント、簡易店舗、屋台で身動きがとれない状態、サンペドロの市の比ではない、ここもツトゥヒル先住民しかいない村だけれど皆ここのシンボルカラー?薄いピンクがかったブルーの素晴らしいウィピルを着ている、そんなところもサンペドロと違うところだった、まずパルケセントラルと教会と日曜市を見学した後サンシモンの教会探しにかかった、地図がないから人に聞くしかない、何人に聞いたか?しかし適切な説明、というか言ってることがよく理解できなかったということかもしれない、しかたない、歩き回ってみようと、それらしき方向(何人かに言われた方向)を目指す、歩いているとトゥクトゥクが声をかけてきた、5Qで連れてってあげるといっている、いや、そんな遠くではないはずだ、で、また歩く、が、結局見つけることができず諦めるしかなかった、一旦パルケセントラルに戻り今度はその近くから出ているはずのパナハチェル行きのバスを探す、そこにはグァテ市行きのバスが停まっていた、聞いてみるとパナハチェルは通らないという、どの道を通ってグァテまで行くのか興味があったがいずれにしろパナに行くにはどこかで乗り換えろと言っている、パナへ行く直通のバスはないとのことであった、えー?そんなはずはない、と思ってバスを一台見送ったが、誰に聞いても同じことを言っていた、サンルーカストリマンSan Lucus Tulimanで乗り換えてGodinesまで行ってまたそこで乗り換え、その先もバスがあるかどうかはっきりしなかった、何でボートで行かないんだと逆に聞かれてしまった、理由はあったが言っても無駄だと思って(そんな説明できなかったし)言わなかったが、バスがあればそれで行ってみたかっただけである、つまりバスだったら途中の村を通る、それはボートで湖面を行くより面白いだろうと思っただけのことであったが、結局はボートで行くよりなかったようだ、そうやって3時間くらい街をぶらぶらしていたが、今朝降りた桟橋に向かわざるを得なかった、、、

 Santiago Atitlan~Panajachelも約30分、25Q0であった、ボートで着いたので時間が結構あった、少しパナの商店街をぶらぶらする、とってもかわいい少女二人が路上で店開きしていた、写真を撮らせてくれと頼むとお土産を買ってくれたらとの条件がついた、そこで少し物色させてもらったがいいものがなかった、それと残りのケツァルが乏しくなっていたのが諦めざるをえなかった理由でもあった、またぶらぶらしていると今日パナに行くってといっていたCさんに会う、エルソル?って聞いてみたが、近くの安宿にしたと言っていた、またどこかできっと会うね、K君によろしく ! と言って別れる、と今度はサンフアンのS君が自転車に乗って通りかかる、今日エルソルに泊まっていて、これエルソルの自転車!と言っていた、OK!じゃ後で行くからと言ってその場は別れる、ならばビールを買っていこう、ティエンダ(tienda雑貨屋)でビールのでかいのとコーラを2本買って先ほどの少女のところへ戻った、コーラで釣れないか?彼女たちはOKしてくれた、ついでに少し話をする、二人は姉妹?いや友達だといった、どこから来ているの?サンタカタリーナパロポ、おー ! そうだったのか、どおりで衣装が素敵だった、その写真はわたしにとってかけがえのない1枚となった、、、

 不思議とその日もエルソルはわたしとS君と二人だけであった、またあいにく風呂が故障?していて楽しみだった温泉には入れなかったが、その日も日本食とビールの飲みあいてがいたので楽しい夕食となった、その時彼はどういう理由で来ていたのか聞きそびれたが(村岡さんに何か頼みごとでもあったか?)わたしはそこで3つの情報を得ることができた、前に来たときにそこにも富永省三さん作成の富永マップが貼ってあるのを知っていたが詳しく見ることはなかった、それを眺めていたときひとつ気になる情報が描かれているのを知る、Chuitinamit遺跡 !?、それはLago Atitlanを中心としたこれまた詳しすぎる情報が書き込まれた富永さん手製の情報マップであったが、ちょうどわたしが登ったボルカンアグアの山すそ、昨日諦めて戻った徒歩でしか行けない道をあと1時間くらい歩いたところにそれは位置していた、本当 ? そんな話はそれまで誰からも聞いたことがなかった、サンペドロに戻ったら誰かに聞いてみよう、もしありそうなら調査してみなくては‥??そのマップの隣には荷物を日本に送る場合の手続きの仕方、料金表が貼ってあってそれは後に大変参考になった、もうひとつ驚いた発見があった、エルソルに着いて暇つぶしに本棚の本を物色していたら地球の歩き方メキシコ編の比較的新しい年度のものがあった、まだ先の話であったが日本への帰り方としてメキシコ経由も一案としてあったし、いずれ滞在期限が切れるのでメキシコに出る必要があったので、ちょっと捲っていたら、国境の越え方のところで入国税として20ドル前後取られる(3日以上滞在の場合)と書かれているではないか ! ? 、その時初めて知ったのだ、わたしがメキシコ入国時に取られた20何ドルかは罰金ではなかったのだ、知らなかった、それまでずっと思い続けていた、というか、すでに忘れていたことの真実がこのとき初めて明らかになった !?それは変に嬉しい驚きであった ! !

  たいていのものはサンペドロで手に入ったが少々高いものもあった、たとえばわたしにとっては重要な酒・ビールの類、サンペドロにはスーパーがなかったので、翌日の午前中パナのスーパーで酒類の買出しをして、銀行で両替を済ませた、レートが少し悪くなっていた(後にサンペドロにも銀行があって両替できることを知る)、帰りのボートは直通もあったが急いでいなかったので各停(いくつかの桟橋に寄る)のボートに乗った、その時そのボートはSanta Cruz la Laguna、Tununa、 San Marcos la Lagunaに寄った(乗船者の希望するところは当然寄る、新しい乗船者は桟橋から合図しなければ船は寄らない)、料金は同じく25Qだった、サンペドロのパナハチェルドックでボートを降りたところで偶然フアン(ボルカンサンペドロの登山ガイド)に会った、簡単に挨拶のあとちょっとChuitinamitについて聞いてみた、はっきりしたことを言わなかったが知っているようにもとれた、ついでにスペイン語学校のことも聞いてみた、サンペドロにも結構たくさんスペイン語学校があったのだが、どこか知っているところはないか?と、彼は特に定職を持っていたわけでもなさそうで(ガイドは不定期仕事?)すぐにわたしを案内してくれた、最初に行ったところは誰もおらず、その近くにある別のところを案内してくれたが、料金的にわたしの希望は叶えられなかった、すると彼は持っていたケータイで誰かに電話を入れてくれて、少し待つように言った、しばらくして現われた男は最初に行って不在だったところの校長だった、彼はわれわれを案内して先の学校に戻った、しかしそこは学校といえる代物ではなかった、萱で囲っただけの机一つ椅子二つのオフィス、学校は庭の4隅に机が4つあるだけで先生も生徒もいなかった、おいおいおい、しかし彼はわたしの条件をのんでくれたので、その場で明日から来ることを約束してしまった、Antiguaで家庭教師を雇ったときと同じ条件1日3時間、1時間20Qで、とりあえず5日分300Qをその場で払った、それが、その後帰国したの今でも連絡を取り合うことになる、Sr.Manuelと先生Calorinaとの出会いのきっかけであった、学校とは名ばかりの校長先生はマヌエルといい、50代のオッサンだった、彼はフアンのお兄さんであったことを後に知る、そして次の日からわたしの先生となったSrtセニョリータ(正確にいうと結婚したばかりなのでセニョーラになるが、十分セニョリータで通じた)カロリーナはそのマヌエルの娘さんだったのだ、こうしてサンペドロでの学校生活が始まることになった~

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