独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 国内の旅 5)ペテン③フローレスFlores・ティカルTikal

 その前日の夜に、どこか魚を食わせるところはないかと聞いたら、カフェマヤというレストランがあるとその場所とあわせて教えてくれた人がいた、で、言われた辺りに行ってみたのだけど見つけられず、仕方なく例によって屋台でカルネデレスをテイクアウトしてホテルの部屋でビールを飲みながら食事をした、せっかく川のそばに来ているのだから川魚が食べられるのではないかと期待していたので、アグアテカから戻ったとき船頭にカフェマヤを知ってるかと聞いてみたら知っているとのことだった、ちょうどお昼ごろだったので、少し待っててもらってすぐに荷物をまとめホテルをチェックアウトし、そこへ連れて行ってもらった、500Qという大金を払ってなかったら彼も食事に誘いたいところだったが、いかにもそれはわたしにとって高額だったから、そう言い訳して詫びと礼を言って別れた、そこは昨日ぶらついた大通りから1本入ったところにあった、ちょっと高級感のあるレストランで給仕がいたし客もいわゆる金持ち風が多かった、メニュウを見せてもらう、今日の定食が25Qで、魚定食は40Qだった、ま、贅沢ついで?で、もちろん魚定食を頼んでみた、それとビール、魚料理といっても調理法はひとつしかなくペスカドフリト空揚げである、結構でかい川魚の素揚げにライムを絞って食べる、久しぶりの魚にまぁまぁの満足、これでサヤスチェで思い残すことはなくなった、あの大型トラックをいとも軽々乗せて渡す艀に便乗して対岸に渡った、1Q位はとられるのかと思っていたらなんと歩行者はタダであった、渡った先にはフローレスへ行くミニバス(ワゴン車)が待機していて、客が集まり次第出発した、フローレスまで1時間半、その間ほとんど眠ってしまった、、、(参考までにワゴン車の料金は、コバン~サヤスチェ4時間50Q、サヤスチェ~フローレス1時間半23Qだった)

 すでにサヤスチェで気づいていたことだが、ここ低地のペテンに入った辺りから気候風土が変わっただけでなく人々の顔かたち肌の色が違ってきた、このあたりはマヤ学上の区分で言うと中部低地マヤということになり、明らかにその発展段階や時代区分ともにひとつの特定エリア(いわゆる古典期マヤとしてマヤ世界がもっとも発達した時代とエリア)として位置づけされているが、実際グアテマラ高地で見慣れていたマヤ系先住民は姿を消していた、かわってもちろんその主流はミックスのラディーノであったが、ガリフナと呼ばれる黒人系カリブ系の血が混ざりだしていた、つまり肌の色に褐色が混じってきたということである、そんなところがこの中部熱帯低地のペテン、イサバルIzabal地帯のちょっと他のグアテマラ各地と異なった特色でもあった、当然暑かった、ワゴン車は街に入って大通りを行く、あるところで乗客のほとんどが降りた、が、そこはバスターミナルではなかった、たぶんフローレス島に行くにはそこで降りたほうが近かったのかもしれない、しかしそこがどこだかわからなかったわたしはそのまま乗り続けた、結果的に遠くまで来てしまったかもしれないがワゴン車はバスターミナルまで連れて行ってくれた、そこはかなり大きなターミナルで今までのような雑然としたごちゃごちゃのそれと違って、きちんと整っている感じであった、規模こそ小さいがメキシコ風というか、あるいは国際観光都フローレスにふさわしくそこは近代的というか洗練さが多少感じられた、それはそのままフローレスの町全体にもいえることだったかもしれない、、??そこで早速明日予定しているティカルへ行くバスを探したのだが、それはよくわからなかった、その先のワシャクトンまで行くバスはあるらしいことを聞いていたが、どうもティカルへはほとんど旅行社のシャトルバスでないと行けないようであった、ワシャクトンへも行くつもりでいたのでいったいどのようにプランニングするか?その回答はそこでは得られなかったが、いずれグアテ市あるいはキリグアに行く際は全てのバス(何社かあった)がそこから出ていることはわかった、さて、ではその日の宿をどうするか、、?安宿はフローレス島のほうが多そうだった、しかしそこまでは結構遠い、トゥクトゥクは5Qで連れて行ってくれるとのことだったが、それほど荷物が多いわけではない、街見物を兼ねて歩いていくことにした、が、そこは暑いところだった、途中で後悔したが、いまさらトゥクトゥクをつかまえるのも口惜しかったので、3,40分かけて歩いた、途中フローレス島にかかるレジェノ橋をわたりながら感じていた、こんな風景どこかで見たことがある‥??すぐに思い出していた、2年前に行ったスリランカ世界遺産都市ゴールだった、インド洋に突き出したゴール旧市街はペテンイツァ湖に突き出したフローレス島に街の規模といいその雰囲気、形状、そこが同じくツーリストゾーンになっていたこともあってなんとなく似ている感じがしたのであった、、、やっとのことでたどり着いたフローレス島を右回り(?時計回りとは逆)に回ってみることにして湖岸の道を歩き出す、湖を渡ってくる風がさわやかであった、湖に面したホテルらしいつくりの建物がある、が入り口はその通り沿いにはなかった、ちょっとあたってみることにして1本中の道に入って入り口を探す、空き部屋はあった、しかし予算をオーバーしている、眺めは良さそうだったが、、少し躊躇っていると眺めはないが安い部屋があるという、それは1本中に入った通り沿いに面していて一泊50Qとのことだった(湖に面している部屋は80Qだった)、ま、観光地フローレスでは仕方ないところか、バスと扇風機つきだった、少し歩き疲れていたのでそこに決めてしまった、そしたら早速明日はどうするんだと聞いてきた、どうやらそこのホテルも旅行社を併設しているようだった、もちろんそこでなくともフローレス島にある数多くの旅行代理店全てでティカルツアーは扱っていたし、ワシャクトンへ先に行くことも考えていたので即答は避け必要だったら頼むと答えて料金だけ聞いた、彼によるとティカルの日の出は素晴らしい、そのために4時半発のシャトルバスを用意している、料金は往復で60Qとのことであった、そんなやり取りでわかったのだがどうもここは観光客慣れ(ズレ)しすぎている、よくある欧米人のたくさん訪れる観光スポットと同じだ、なんか殿様商売しているなぁ‥??少々興ざめだなぁ‥!?、そういえばこのホテルも欧米人の観光客・ツーリストでいっぱいであった、、、

 その後フローレス島を歩いてみた、30分もあれば一通り回りきれるくらいの小さな島であったが、そこにはホテル・レストラン、あるいはカフェバー、土産物屋が軒を連ね、さすがグアテマラのドル箱・観光都市の趣を呈していた、もちろん旅行代理店、ネットカフェも、、、そのひとつの旅行代理店で情報を聞いてわかったことはティカルへ行く普通のバスはないこと、ティカルツアーのシャトルバスはだいたいどこのエイジェントでも60~70Qくらいだということであった、そこで迷ってしまった、わたしの予定は無理そうであった、当初の予定ではもしティカルへ行く普通のバスがあれば早朝それで行って午前中ティカル見学、そのあと13時発のこれは確実にあるというワシャクトン行きバスでワシャクトン(ティカルよりさらに奥地にある遺跡)へ、そこを見学してワシャクトン泊、次の朝にティカルへ戻るというものであった、しかしティカルへ行く普通のバスはない??もしそうするにはティカルツアーのシャトルバスの帰り分を放棄、無駄にするしかないのか??それでもそうすればよかった、あとからは思うのであったが、その時は、それを良しとしなかった、何かもったいない、ちょっと口惜しい、彼らに儲けさせたくない、といった想いが錯綜して結局殿様商売に屈してしまった、ホテルに戻ってそこのツアーticketを買ってしまったのだった、、、

 近くに日本人のやっているレストランがあることは聞いていた、が、そこがあのサンマルコスの聖子さんのお友達のお店であることはその時知らなかったのだ、それでも、もしかしたら魚でも食べられるかな?という思いもあって訪ねてみた、お客はいなかった、応対してくれたのは現地の女性で日本人のオーナーには会えなかった、魚料理のメニュウは見当たらなかったのでてんぷら定食にした、ちゃんとした日本で食べるてんぷらがでてきて感激し大いに満足させられた、セルベサ(ビール)とあわせて50Qはサンマルコス‘あじゃら’もそうであったがとても良心的に思えた、しかし後日そこが聖子さんのお友達の店であったことを知るのだけれど、そのあと訪れた日本人にそこが閉ざされていたことを聞いてさらに驚くことになった、今どうなっているのかはわからない‥??

 一応4時のモーニングコールを頼んでおいたけれど、そのころは夜消灯は早く、朝起きるのも早い習慣になっていてたので、それに(ケータイのアラームとかも)頼ることはなかった、が4時半に通りに出ても車の来る気配がなく、他の欧米人10名くらいと真っ暗な道端でただ待つしかなかった、なのでティカルに着いて入場料を払い1号神殿に急いだのだけれど、そこに着いたときすでに朝陽は昇っていた、もっとも間に合ったとしてもその朝はもやっていたのでティカル遺跡&日の出といった期待したショットをモノにすることはできなかったと思うが、、、それでも6時頃に着いたところに12時に戻るようにとの指示で約6時間の見学時間か与えられた、それは長すぎたか短すぎたか?人によってはさまざまだと思うが、わたしの場合一ヶ所を除いてその間に主だったところはほとんど回りきることは出来た、しかしそれはほとんど飲まず食わず、歩き通しでギリギリだった、やはり結構広いエリアであったし見応えのある建造物も多かった、ま、よく整備もされていたが、、、主だったところとはⅠ号神殿、Ⅱ号神殿、Ⅲ号神殿、Ⅳ号神殿、Ⅴ号神殿、グランプラザ、セントラルアクロポリス、ノースアクロポリス、サウスアクロポリス、7つの神殿の広場、失われた世界、こうもりの宮殿、グループG、グループH、各コンフレッポ群で、行けなかった一ヶ所はちょっと外れたところにあったⅥ号神殿である、このうち特に興味深かったor魅力的だったのは、やはり上まで登れたⅡⅣⅤ号神殿、グランプラザを囲むセントロアクロポリス、ノースアクロポリス、そしてこうもりの宮殿、素人の遺跡マニアにはたまらない空間といったところである、、、この世界遺産神殿都市Tikal遺跡公園の入り口付近には何件かの高そうなホテルがあった、そういうところに泊まってゆっくり見学するのが本当の遺跡フアンなのかもしれない、しかし貧乏人の遺跡愛好家はほとんどの観光客がそこでお茶やビールを飲みながら寛いでいだり、帰りのバス待ちをしているのを本当にうらやましく思いながら、そこでは一銭も使わずに帰りのバス客全員が集まるのを待つのであった、、、

 マヤ遺跡とその中心としてのTikalがどうしてそんなに有名なのかを簡単に素人解説すると、一般にマヤとは中米のメキシコ・グアテマラベリーズ、そして一部ホンデュラスとエルサンバドルにまたがる地域に紀元前1000年ころから紀元後スペイン人のアメリカ大陸発見時あたりまでに栄えた文明をさすのであるが、その特徴、地域、時代区分がいくつかあって、特に著しく発展した時期・エリアが、いわゆる古典期と称される時代(AD250~900)と、その地域グアテマラからメキシコ・ベリーズにまたがる熱帯雨林の低地、そこに何十(60くらい?)という都市国家が勃興した、その中でもっとも巨大・強力だったのがここTikalであった、他にもカルクムル、パレンケといった大国もあって、その間戦争や覇権争いが続くのだけど結局統一王朝は現れなかった、そしてそれらの都市国家は全て9世紀頃に突然姿を消してしまうという、いまだにはっきりその原因が解明されていない謎を残している、といったところが大雑把の解説で、一般的には熱帯ジャングルから頭の部分が飛び出しているピラミッド等の遺跡が写真などで特によく知られているのではないか(それがこのTikalのⅠ、Ⅱ号神殿だったりⅣ号神殿から見た写真、風景だったりする)、だから遺跡フアンにはたまらない場所なのである、もちろん遺跡フアンならずとも歴史愛好家やミステリーや世界の不思議愛好家、また世界遺産巡り愛好家にとっても見逃せない、そうグアテマラがもっとも力を入れる観光地なわけである、、、

 そういえば、帰り際公園入り口付近をぶらついていたとき、かなり高い塀に囲まれた工事現場を目にした、そこにはそのプロジェクト名が表示されていて、一部に日本語で‘ティカル国立公園文化遺産保存研究センター建設計画’と書かれていた、だから日本との関係も決して浅くないのである~

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