独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 国内の旅 5)ペテン④フローレス、タヤサルTayazal

「雨季が始まるとジャングルはほとんど歩行困難になる。雨季が始まる前にはタヤサルに着かなければならない。スペイン人神父フエンサリーダとオルビータは、湿地や木々が立ちはだかる道を、イツァ族の居城タヤサルを目指して、南に進んでいた。途中カリブ海側のバカラールに寄り、そこからは川をさかのぼって、ティプーに行く。そしてそこを拠点にして、タヤサルに向かう予定である。
  1618年3月末、最後までスペイン人に抵抗するイツァ族を、スペインの支配下におき、キリスト教に改宗させる苦難の役を、二人は自ら進んで引き受けたのであった。
 北ユカタンの征服は、1542年、メリダの建設で完了していた。南のグアテマラは、ペドロアルバラードにより1523年から1524年にかけて征服された。それ以後、何度もマヤ人たちによる反乱が起こったが、北と南は、一応スペイン人たちの支配下におかれていた。しかし、マヤ文明がかって一番栄えた真ん中のジャングル一帯は、イツァ族やラカンドン族などの好戦的なインディオが、17世紀になっても、スペイン人を寄せ付けないでいた。‥‥」

 今や日本のマヤ学の重鎮、八杉佳穂さんの20年前の著作‘マヤ興亡’<1990 福武書店>の冒頭の一説である、もっともここに掲載されている文章はタヤサル征服の歴史Means 1917 ‘History of the Spanish Conquest of Yucatan and of the Itzas’によると断り書きがあるが、たぶん訳者はご本人だと思われる、そして実際このあとタヤサルが征服されるのは17世紀の末1697年のことで、実にスペイン人が新大陸に到着してから2世紀後のことであった、このタヤサル攻略をもってスペイン人の征服は達成されたのであるが、では何故この物語を引用させていただいたか?そのわけはいたって簡単、わたしは20年前に読んだこの本でタヤサルという地名がインプットされていた、ということを言いたかっただけである、で、そのタヤサルとはここフローレスのことで、正確に言うとそこはわたしが宿泊したホテルから歩いて2,3分のところにあった船着場からボートに乗って渡った対岸のサンミゲルという街の丘の上にその廃址はあったのである、、、(よくわからないのだが、しかしそこは島ではなく、ぐるっと回るがフローレス、サンタエレナとは陸続きのようであった‥??)

 が、そんなこと一般のツーリストはほとんど知らない、観光省INGUATのオフィスに行っても詳しい情報は教えてくれなかった(知らないようであった)、だからパンフレットとかガイドブックにもそんな話は触れられていない、つまりわたしももしその本を読んでいなかったら、そんなことは露知らず通り過ぎてしまったであろう、と思われたのである、その日ティカルから戻ったとき、フローレス島には戻らず橋のたもとで降ろしてもらい、そのままバスターミナルへ向かった、ワシャクトン行きを諦めたわたしは次の日にキリグアへ向かうことにしバスの時間を調べるためにバスターミナルまで歩いた、途中安そうな飯屋を探しながら、、、適当なところはバスターミナルの前で見つかった、カフェテリア形式で今まで目にすることのなかった料理(洋風やメキシコ風)が並んでいて、しかも安かった、こういうお店は他であまり目にしていなかったからやはりフローレスの国際性?といったところか、久しぶりに満足・納得の昼食だった、キリグア(&グアテ)へ行くのバス会社はいくつかあって、その中で毎時1本の割で運行しているところが1社だけあった、Fuentes del Norte 社で毎時30分発キリグアまで85Q、時間は6時間かかる、ticketは明日バスで買うようにとせっかくターミナルのオフィスにまで行ったのに、そう言われてしまった、ならば明日7時半か8時半頃のバスに乗れるように来ればいいのか、ということでフローレス島に戻ることにしたが昨日のことを思い出して、少し疲れてもいたしちょうど暑い時間だったのでトゥクトゥクを探す、どうしたものかそういう時、聞く奴聞く奴みんな10Qと言ってくるから皆パス、正直に5QでOKと言ってくれた車に乗る、よく覚えていないのだけれどそいつに聞いてタヤサルは対岸にあることを知ったのかもしれない、その時わたしはタヤサルの場所をあちこちで聞いたのだけれど確証ある情報をほとんどもらえなかったのだ、彼はわたしをボート乗り場まで運んでくれた、そのボートは対岸のサンミゲルの街との間を15分くらいで行き来していた、目と鼻の先である、しかしそれには地元の人しか乗っておらず、観光客の姿を見ることはなかった、半信半疑のまま対岸に渡る、サンミゲルには桟橋もなくいつも乗り降りしているような岩?石?伝いに上陸し、しかしそこはお店もなく、ただ民家があるばかりで人通りもなかった、だからほんとにそこがタヤサルの廃址があるところなのかどうか聞きようもなく、もちろん案内板なども何もなかった、そのまま大通りを、といっても商店等があるわけでない、一本しかない道をぶらぶら登っていくとはじめて案内看板のようなものがでてきた、そこには確かにタヤサルの文字があった、しかもそこへはその分岐点を左方向へ行くように示されていた、そこから指示に従ってグランドの脇を通りしばらく行くと初めて正式な看板が現れ、同時に民家もなくなり山の中となった、そこから歩くこと10分くらい、船着場から30分はかかったと思う、なんとそこにはタヤサルのグランプラザという標識が立っていた、しかしその周りには確かに昔砦があったであろう小山上の遺跡あとは残っているものの目ぼしいものは何もない、もしそこに標識がなかったらまったくそれとはわからない、廃址の面影さえ見当たらないところであった、これでは観光客を呼ぶどころではない、しかしわたしのようなものがいないとは限らない‥わたしは一人で感激していた、やっぱりタヤサルはここだったんだ、今その地にいる、しかも午前中の喧騒とは裏腹に人っ子一人いない廃址だ、芭蕉のツワモノどもが夢のアトであった、、、しばらくそのあたりをうろついてみた、少し登ったところに湖を見渡せるところがあって、それはそれは眺めの美しいところであった、そこで初めて地元の人に出会う、若者二人そこで何をしていたのかわからなかったが、その一人がわたしに土器の破片を見せて、この辺一帯でいくらでも出てくるよ、と教えてくれ、持っていってもいいとひとつくれたのだが、嵩張るので断ってしまった、アレはいいお土産になったかもしれない、とあとから思うのであった、、、

 帰りも5Qのボートで戻った、この10~15分のボートものんびりとしてなんとも快適な舟遊びといった風であったが、なぜか旅行者が利用している形跡がないのは不思議であった、ボートから降りて少し登ってそこのパルケセントラル、教会のある公園にいってみた、その島の一番高いところにあって、そこからの眺めは素晴らしく、湖越しに先ほどまでいたタヤサルの丘がすぐ近くに見える、周りには庶民的なレストランやタコス・トルータスなど食べものや飲み物を売っている売店もあった、おりしも落日が近かった、ちょっとレストランは気が引けたので売店でトルータス(タコスの具が入ったパン)とセルベサ(いつも缶だったがそこはビンしかおいてなかった)を買って一人ベンチで夕陽を見ながら飲むビールのうまさよ ! !、タヤサルもそうであったが、観光客がいないのがよい、結局ビールは一本ではたらなくなった‥~??

(写真 ; 1枚目 : フローレスから見た対岸、右丘の上辺りがタヤサル廃址のあった辺り、2枚目 ; 対岸から見たフローレス、3枚目以下 : タヤサル廃址、最後がフローレス島からの夕陽、湖はペテンイツァ湖 Lago de Peten Itza)

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