独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala/San Pedro 3)ボルカンサンペドロVolcan San Pedro 登山

 前日の夜にわたしのホテルを確かめにカルロスはわざわざやってきたので、わたしはこの男は信用できそうだと思った、ほとんど浅い眠りしかできなかったので5時半には支度ができていて5時50分に約束どおりトゥクトゥクで迎えに来たとき彼を待たせることはなかった、てっきりそのまま公園事務所に向かうのかと思ったら坂を登ったパルケセントラルのそばでもう一人男が乗り込んできた、まだ暗闇だったからどんな人なのか皆目見当がつかなかった、湖水面の標高が1560mといわれているからサンペドロの中央公園あたりは1600m位の高さであったか、そこからさらに200mくらい登ったところにボルカンサンペドロの公園事務所はあった、トゥクトゥクで15分。言われるまま10Q払った(トゥクトゥクは街中-だいたい20分以内くらい-だったら一人5Q、昨日の時点で2人分10Qはわたしが支払うことになっていた)、ようやく東の空が明るくなり始めた頃で、そこに来るまでは闇の世界であたりの様子はまったくわからなかった、それでも公園事務所には灯りがついていて、そこの職員に100Q支払わされ名前を書かされた、で、手続きは終了、いざ出発となったとき初めて途中から乗ってきた男がわたしのガイドであることを知らされた、え?どうなっているんだ?では、ここまで連れてきてくれたカルロスという男はなんだったんだ?それは今もって不明である‥ひとつだけ確かなことはわたしのガイドと紹介された男(彼の名はフアンといった)とカルロス氏は知り合いもしくは友人のようであった~

 ま、わたしとしてはどちらでもよかったのだが、ちょっとそんな疑念を抱いての出発となった、しかし少しづつうちとけて話していくうちに、このフアン氏がまた素晴らしく人柄のいい人物だということがわかってきた、年はわたしよりも10歳くらい若かったが見た目的にはわたしと替わらないくらいに見えた、実際すでに孫もいるとのことだった、がその体力的な若さは抜群であった、もちろんガイドをするためには資格を必要とする、山や動植物の知識もさることながら山歩きに必要な体力的な負い目は微塵も感じられなかった、だから常にわたしのペースにあわせてくれ、またどんな体力の人にもあわせることができそうだった、、ま、これは100Q払っただけのことはありそうだった、そして、もうひとつ100Qの意味を痛感したことがある、この山はきれいであった、ゴミが落ちていない、今でこそ日本の山もほんとにゴミがなくなってきたが、そのレベルをいっている、ということはやはりしっかり管理されているということなのだろう、というのはついついその前に登ったボルカンアグアと比較してしまうからなのだが、あそこの山はゴミの山だったのである、それについては記さなかったがその時登りながらずっとそのことを考えていたのだ、何でゴミが散乱しているのか?と、わたしはこのように解釈していた、正確に覚えてはいないがculture complex文化複合という概念で説明できるのではないかと、どういうことかというと、ゴミ問題もその国の文化(の程度・レベル?)の一部であって、トータル的な経済・文化・インフラ度などのレベル・相に応じて、すべてのことは一体的な水準を示すということで、つまりグアテマラの現在の経済・文化・インフラ度からすると仕方のないことなのかもしれない(そのレベル段階)、つまりそういう見方をすると同レベル(発展段階)の国においてはだいたい同じ現象が現れている(起こっている)のではないかということ、われわれにもそんな時代があった記憶がわたしの中にはあった‥その概念の提唱者が誰だったか忘れたがそういう見方をするとここグアテマラだけでなく多くの国で、いわゆる文化・経済現象をがうまく説明できるように思っていた、だからそういう意味ではここボルカンサンペドロは公園一帯を管理化有料化することでグアテマラにあっては例外的な特例として注目に値するのではないかとと思ったのである‥??

  その延長としてこうも考えていた、問題はモラルの問題ではなく無節操な資本主義経済の発展と科学技術の進歩とやらにあって、大量に工場生産されているプラスティック製品の氾濫がゴミ問題の素因かもしれないということ、それまでの有機物のゴミはポイ捨てでもかまわなかったのだ、それは時と共に自然にかえっていくものがほとんどであったのだから、しかし現在のゴミはその大半が元に戻らなくなった、目立つゴミはペットボトルや菓子類の包装紙などすべてプラスチィック製品だ、誰かが拾わなければそれはそこにずっとゴミとして存在し続ける、捨てたものの責任(モラル)を問う前にそういう製品を作っている人の責任のほうが先で重いのではないか?われわれを含めて普通の人は教育されないとそんなことすら気づかない、消費者はそこまで教えてもらっていない、ゴミの質が変わったことを知らないのだ、(無意識のままor無意識であるがゆえに)当分グアテマラのゴミは減ることがなさそうだった、彼らの罪ではない、何とかしなくては‥??

 標高差1200mはやはりわたしにとってはきつかった、というべきか?しかし、それでも最初の2時間くらいは何とか持ちこたえる、最初の1時間でミラドールと呼ばれる展望台まで行けた、2100m地点、眺めがいい、そこから上は樹林帯で簡単そうに見えたこの山も結構きつい登りだった、途中ドイツ人の若者?いや中年オヤジに抜かれる、もちろんガイド付きで登っていく、休み休みであったが登り始めて2時間15分で2800m地点にある山小屋(無人)に着く、疲れてはいたが順調に来た、そこから頂上までは20分一息(ワンピッチ)だった、8時55分頂上着、普通3時間といわれているコースだったのでそれよりは好タイムであった、危険ヶ所、技術的難易度の高いところまったくなし、道に迷う恐れもないほど整備されている登山道だったのでガイド不要だったのかもしれないが、精神的な支えと同時にガイドたちはその登山道の維持管理、ゴミ収集等にやはりそれなりに尽力していることが窺えた、展望は実は南側にもう少し高いピークがあって、そこが本来の頂上らしかったがそこまでの道はなく、したがって南側は展望なし、しかし反対側つまりLago Atitlan ははるか真下にあって、もちろん対岸までずっと開けていたが少々霞んでいた、向こうのサンチャゴアティトゥランとその後ろの山ボルカントリマン(3058m)ボルカンアティトゥラン(3537m)も目の前なのだが少々逆光気味だった、それでもそこからの眺めは素晴らしかった、達成感・満足感があった、しばし休憩してその眺望を楽しんでから下り始める、行きに寄ったミラドールの手前で何か山仕事をしているカルロスに出会う、いったい彼の仕事はなんだったんだろう?わたしは先に行ってミラドールで休憩している間、カルロスとフアンは何か話しこんでいた、トータルタイムは登り2時間45分(休憩含む)下り2時間(休憩含まず)だった、11時40分には公園事務所に帰り着いた、そこでまたしばし休憩しているとき朝方は気づかなかったのだが、面白いものが張っているのを見つける、‘2010年度国別登山者一覧’とあった、やはりきちんと公園管理しているということはこういう統計がとれるということでもある、それによるとアメリカ人がダントツの1位で570人、つづいてフランス297、イギリス213、カナダ197、ドイツ136、スペイン127と以上が100人以上の国だった、なお地元グアテマラが100で7番目、そのあとヨーロッパ諸国(オーストラリアもその中にあり)が15番目くらいまで並んでいた、当然日本の位置が気になった、後ろのほう30番目くらいにあってその数4となっていた、ふーん、そんなもんなんだ、これはそのままグアテマラという国への来訪者数に比例しているようにも思えた、とても興味深いデーであった~

 昼には(フアンが途中から電話を入れて待たせてあった)トゥクトゥクで街に戻っていた、ホテルの隣の店でパンとビールを買い込んで、部屋に戻ってシャワーを浴びて簡単な食事、そして食後はしばしの昼寝‥、心地よい疲れ?いやとんでもなく疲れてはいたが、なんとも満ち足りた気分だった~

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