独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala/San Pedro 7)Hotel San FranciscoとArco Iris

 結局hotel San Franciscoには2月25日まで(2月26日朝check out)、Spanish school Arco Iris(虹)には、その後延長して24日木曜日まで通った、その間のことを簡単に振り返ってみると、やはり学校に通うことによって生活が安定してきたというかパターン化してきたことがわかる、サンフランシスコからの日の出は流石にすばらしく、だいたい日の出とともにおきてインスタントコーヒーとパンで朝食、学校が8時半から11時半で、帰りに市場で昼飯や食材を買って戻って昼食、午後はネットやさんに行ったり昼寝したり宿題したリボケーとしてたり、夜は同宿のものとかち合わないようにしてキッチンで基本的には飯を炊いて適当なおかず(簡単に調理したりあるいは昼に市場仕入れてたもの)をつまみに部屋の前に机と椅子を出して湖の夜景を見ながら酒を飲む、ま、これが理想的なパターンであった、、、だから皆と食事をしたのはTetchi君のlast dayにオカアサンの招待で朝食をともにしたのが最後だったのではないか、たぶんその日は2月18日で、彼はその午後サンペドロを発って行った~

 その酒、特にビールの問題(他にも用事はあったが)でその間何回かサンフアンに行っている、わたしがいつも飲んでいたのは主にコーラ割のロン(サトウキビの酒、われわれが普通ラム酒といっているもの)、こちらではクバリブレ(cuba libre)と呼ばれている飲み物でたとえばレストランでもカフェバーでもライブハウスでももっとも廉価なドリンクである、店にもよるがhappy hour(time)でだいたい10Qくらいから飲める、そのロンの安いのが1ビン(720ml)40QくらいからあってコーラはPepsi、Cocaは5~6Q国産の安いのは3Qくらいから普通の店で買うことができた、ま、それでも1週間は持たなかったが、、、あとはビール、国産ビールはGalloとBravhaの2種類あって断然Gallo(ガヨ、黒い雄鶏マーク)のほうが人気・シェアともリードしていた、ビールといえばGalloといった感じで、当然Galloのほうが高かった、350m缶がこれも店によって違うがだいたい11~13Q、500ml缶が15~17Qだった、味の違いがそれほどあるとは思わなかったし、わたしとしてはどっちでもよかったというか安いほうがよかったので、もっぱら安いBravhaを飲んでいた、こちらだと350ml、9~11Q、500mlが11~13Qくらいで買えた(アンティグアなどのスーパーではもっと安かった、たとえばBravha350ml12缶入りが60Q、1缶5Q?)、前にも書いたがサンペドロにはスーパーがなく安いBravhaでも350mlで10か11Qだった、ところがたまたま最初にサンフアンに行ったときS君宅へ行くときにビールを買いたいといって連れてってもらったサンフアンで一番大きい雑貨屋(といっても普通のtiendaを少し大きくしたくらい)でBravhaの500mlを買ったところ、どういうわけか一缶が9Qだったのだ、異常に安い、理由はともかく安いにこしたことはない、で、それを覚えていてピックアップ代往復4Qかけても元がとれたので、ビール問題、即ちビールの買出しのためにわざわざサンフアンまで出かけたことがあった、ということだったのである(そういう時は行きか帰りに歩いたけれど‥)~

 最初は2月19日の土曜日であった、その週は火曜日から学校に通い始めていて一応土曜日までの5日間分を払っていた、授業を始めて拙いながらもいろいろ会話してお互いのことを知ることになる、わたしのレベルはすぐにばれたと思うがそこは先生、わたしに合わせてくれてなるべく会話を重点的に指導してくれた、というか会話がスペイン語の学習そのものであった、文法については一応どこどこまでは学習したといっておいたが、新しいことはせずむしろ復習の形になった、期間も短かったので現在形の活用変化の復習にとどまった、そうして学んだことは多くなかったが、その成果はそれほど期待していなかった、わたしにとって重要だったことは彼女がTz'ujil先住民のインディヘナだったことである、しかしせっかくの機会だったが、そういう意味では今だ至らずの語学力だったため貴重な情報を十分聞き取るまでにいたっていない、それは次回に持ち越しとなった、それでも会って話しているだけでも楽しいセニョリータであった、しかし何かの話のときに(たぶんお互いの家族の話になったときに)彼女は結婚したばかりであるといった、そして彼の住まいがサンフアンだったので今はそちらに住んでいるとのことだった、だから正確にはセニョリータではなかったのだけれど、そんなことはどうでもよかった、で、ダンナは何をしているのか聞いたら、pintor絵描きだといった、前にサンフアンのS君のところへ行ったときサンフアンには絵描きさんが多いと聞いていたからすぐに納得した、わたしは余計なことだと思ったが、その時その余計なことを言っていた、どんな絵を描いているの?いいのがあれば買ってもいいが‥??、ま、彼女の気を引きたいがためにいった言葉ではあったが、値段によっては、という思いもあった、で、そのために、と同時に彼女の住まいも見てみたかったので、貴方の家で授業はできないかと聞いていた、はっきりいってスペイン語の学校、スペイン語の授業といっても、何回も言うように学校とは名ばかりで、屋根が2ケ所あって机が二つ、これならどこで授業をしても同じこと、家庭教師だと思えばむしろわたしが行ってあげた方が助かるのではないかという思いもあってのことだった、案の定すぐにOKしてくれて、その日を19日の土曜日に決めていたのだ、、

 わたしはすでに一度サンフアンに行っていたから大まかには街を理解していた、教会があってそのそばに立派な黄色い建物でビブリオテカ(図書館)があった、それを言うと彼女はその前で待っててくれるという、8時半着、細い路地を入って彼女の家へ案内してくれた、そこは彼の実家で彼の両親や兄弟とその子供たち、かなり大きな家、大人数の所帯いわゆる昔の大家族のような感じであった、彼と彼のお母さんを紹介してくれた(当然のことながら彼は若くて男前であった)、そしてかなり大きな居間?つまり彼らの部屋でその日の授業は行なわれた、その部屋には彼が描いた作品も少し飾ってあったが彼のアトリエは別のところにあった、休憩時間に彼女のアルバムを見せてくれた、彼女は比較的恵まれた家庭で育ったことがわかる、大学もでていた、結婚式の写真に校長のManuel氏が写っていて、まだその時彼が実の父親だと知らないからどういう間柄か聞いたらGod Father名付け親だ、といったのでその後ずっとそう思い続けてしまった、ま、そんなことがあって、その後きちんとその日の授業を済ませてから(その時何を習ったかはすっかり忘れている)今度は彼の作品を見せてもらった、ほとんどはその近くのギャラリーやサンペドロのギャラリーで見かけたことのある土産用のLago Atitlan を描いたパターン化した風景画であった、オリジナリティには欠けている、しかし色彩感覚は流石に鋭い、何点か見せてもらったがこれはというものはなかった、彼もしつこく買ってくれといってくるようなことはなかった、そのまま帰るわけにも行かず今度はお母さんの作品である織物を見せてもらう、ま、それらもあまりぱっとしなかった、どうも彼らは店を持っているわけでないので絵も織物も下請けでやっているという感じであった、買うかどうかは少し考えさせて欲しいといって参考までに値段だけ聞いてその場を去った、帰りにS君ところと路地ひとつの近さであったので寄ってみた、たまたま彼はいたので飯を食いに行こうと誘ってみた、あまり外食はしないようであったが、食べるんだったらここという店があって定食が15だったか17Qだったか、結構混んでいる店だけあってうまかった、そのあと少し一人でぶらぶらしてBravha グランデ(500ml缶)3本買ってサンペドロに戻った~

 で、その時にbarberia(床屋)を見つけていた、その頃どこかに床屋はないかと気にかけていたのだが、たまたまサンペドロでは目にしていなかった、思えばその時行っておけばよかったのだけれど、この次に来たときにでもと思って記憶にとどめただけだったが、いよいよ頭が気になりだしたときビールの件もあったのでまたまたサンフアン行ってみることにした、それは次の水曜日23日のことだった、ところがどういうわけかその日その床屋は閉まっていた、こちらの床屋はたぶん定休日なんかは定まっているわけでなく店主の気分次第なのではないかと思う‥?? ま、運が悪かったと思ってビールだけ買って帰る、ただしその日は歩いて帰った、そんなに遠いわけでもないし時間はあったし、、、で歩きついでにサンペドロの街で探してみた、一軒見つけたがそこも閉まっていた、グァテマラの床屋は水曜が休み?そんなことはあるまいと思いながらぶらぶらしているとあるではないか、そこは開いていた、店主一人客一人椅子ひとつ、ということは少し待てばやってもらえそうであった、床屋なんてだいたい万国共通だろうと思って店内のベンチのような椅子に腰掛けて待つ、10分ほどで前の客は終わりわたしの番になった、わたしのスペイン語で十分説明できる自信がなかったのでたまたま持っていた自分の写真を見せる、それはたまたま床屋へ行ったすぐ後くらいに撮ったものだったのでそれで十分であった、ものの15分でほとんどわたしの希望通りに仕上げてくれた、それはちょうど最近日本で多くなってきた10分1000円の床屋さんの感じであった、それで25Qであった、その時は安いなぁと思ったがその後もう一回アンティグアで行くことになった、その時は15Qだった‥??

 それより前、20日の日曜日の朝、パナハチェルドック近くで顔なじみになった路上の土産物屋を冷やかしていたとき、若い日本人が二人でやってきた、話してみるとアンティグアでスペイン語学校に通っているとか、土日の休みを利用して一泊の旅行できて昨日はここサンペドロに泊まったといっていた、一人はわたしの通ってたラウニオンに行っているとか、で二人は同じファミリアにホームステイしているとの話しであった、きちんと挨拶のできるしっかりした若者たちという印象で旅をしている風ではなかった、サンペドロ一日の長であるわたしはちょっと見所を案内して別れ際にアンティグアでまた会おうと伝えた、そのうちの一人と実際その1ヶ月あとくらいにアンティグアで再会することになった、そしてしばらくお付き合いすることになる、というか彼の世話になった、ま、よくある話だが縁は不思議なものである‥その話はいずれ書くとして、その翌日に郵便局に行った、アンティグアやシェラでもそうであったがどこにも郵便局はあったがひとつの街にひとつしかない、まして局員はアンティグアでは二人、ここサンペドロでは一人しかいなかった、そのときも今配達中という張り紙が貼ってあって用のある方は15時半に来てくれと書かれてあった、仕方なく出直してその時間に行くもそれでもしばらく待つことになった、オートバイに乗った局員が戻ってきてシャッターを開けてくれた、その時は切手を何枚か買って荷物を送る相談を持ちかけた、料金表があってそれはエルソルで調べたものと同じであったが(エルソル、パナでは郵便局のほかに私設の宅配業者があった、もちろん郵便局よりは高かったが早いとのことであった)もし郵便局から送るのならこれを使ったらいいと、専用のダンボールの箱が何種類か用意されていた、それは有料だったが、いちいち箱を探すことを考えたらその方が便利そうだったので一番大きなサイズを30Qで買った、送料は4gまでの500Q、6kgまで700kgくらいであった(もちろんもっとたくさん送ることは可、それなりに高くつくが、また葉書は8Qで送れたが郵便事情については後述)、それまでに増えた荷物を送ってしまおうとずっと考えていたので郵送の準備は整ったのだけれど果たしてそれをサンペドロから送ったのが正解だったかどうかはわからない、実際荷物を持ち込んだのは24日の木曜日であった‥

  いずれにしろ全ての荷物を持っての移動は困難になっていたので旅に必要のないもの、たとえば土産物だとか、その時はもうだいぶ暖かくなっていたので防寒衣料とか、たまった資料とかをとりあえずパッキングしてみた、それほど高価でない衣料はもらってくれる人がいれば上げるようにはしていたが、それでも一番大きな段ボール箱はいっぱいになった、まだ入れたいものもあったがまた考えることにしてそれを持って郵便局へ15時半頃行ってみたがやはり少し待たされた、しばらくするとすでに顔なじみとなっていた局員が戻ってきてわたしの荷物を計ってくれた、だいたい針は5kgあたりを指した、ということはあと1kg入れられる、しかしスペースはない、では1kg減らす、、?? ま、そうするしかなかった、できるだけぴったりになるようにいろんな物を出したり入れたりしてちょうど4kgにした、代金は480Qプラス保険料?とかで8Qとられた、高い !、しかし仕方なかった、、一件落着、その局員は透明のテープで箱を隅から隅まで几帳面に止めてくれた、なぜかそれを見て少し安心した、彼は約3週間かかる、もし着かなければここへ連絡するようにと日本の会社のネットのアドレスを教えてくれるのだった、しかし実際それは1ヶ月かかっても届かなかった、最終的に日本から届いたとの知らせを受け取ったのは40日を過ぎていた、でも諦めかけていたものが届いたので、そこでやっと胸の閊えが取れるのであった、ちなみに手紙・絵葉書の場合はそれまでトータル50通くらい(回数でいうと10回くらい?)送っていたが届いたものは全て2週間で着いていた、が届かなかったことが一回だけあった、たぶんそれはグアテマラ国内での問題だと思われる、、、

 こうしてその日までにサンペドロを発つ準備は終えていた、余裕はまだ10日くらいあったのだけれどいずれビザ(滞在許可)延長のためどこかへ一旦出なければならなかった、もちろん国内にて延長手続きもグアテ市のイミグレーションでできたのだけれど、ちょっと面倒だとも聞いていたし、ま、その機会にちょっとメキシコへ行ってみるのも悪くはなかった、*注 ; 中米のグアテマラエルサルバドルホンデュラスニカラグアは4ヵ国間の協定でトータル90日間はノービザで滞在できる(その4ヵ国内なら)、なのでそれらの国へグアテマラから出たとしても滞在期間の延長にはならない、、(だから他に行くとしたらベリーズコスタリカパナマで可能なのだが、その場合は交通費やベリーズへの入国ビザ代を考えると結構高くつく) その後のことまでは決めていなかったが、一旦はここサンペドロに戻ることにしていた、そうすれば多少は減ったといえまだまだ持ち歩くには重すぎる荷物を置いていける、ではどこに預けるか?‥そういう話を事前にとりつけて出発の前日Casa Andreaにその荷物を運んだ‥

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