独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 国内の旅 5)ペテンPeten②サヤスチェSayaxche・セイバルCeibal・アグアテカAguateca

 翌朝5時起きで、起きるとそのままチェックアウトした、前の日に予めチェックアウトの仕方を聞いておいた、というのも、いくら早く起きても誰もいなくてホテルから出られない、ということになりかねない恐れがあったからだ、聞いておいてよかったと思う、でなければ間違いなくそうなっていたと思われた、特に言葉が通じず慣習も違うところではなおさらだ、で、こう教えてくれたのだ、そのホテルには中庭があってそこは駐車場を兼ねていた、車の出入りのために扉を開け閉めするおっさんが管理していて、そのおっさんの仮眠する小屋があった、何時でもかまわないからそのおっさんを起こして扉を開けてもらえ、ということであった、で、その晩におっさんに挨拶して明日5時に起こすよ、と言っておいたのだ、なのでとりあえずそこは突破できたのだけど、もし聞いてなければ、、どうなっていたかわからない‥??

 6時のバスに乗らなければという思いが強かったので早起きしたのだけれど、もしそれに乗れなかった場合はたぶん途中の街々で乗り継いで行けば可能だったかもしれない、がそれはそれでまた大変だったと思う、いずれにしろコバンからサヤスチェ経由でフローレスに入る旅行者はほとんどいなかったようだ、ま、一般的なルートではなかったのだから、、、それにしても、コバンに限らずグアテマラ全体で感じたことだが意外にも朝がそれほど早くなかった、バスターミナルへ行く間の商店街で開いてる店はなく人通りはまったくなかった、まだ夜があけておらず街灯はついていたが少し気味が悪いくらいであった、その先の市場でさえ、そろそろ人が動き出したかな、といった感じで、人の気配はまばらであった、そして30分くらい歩いて着いたバスターミナルには、昨日下見に行ったときの賑わいはまったくなかったどころか人っこ一人おらず、人影がまったくなかったのだ、、そんなはずはないだろう、と疑ってみたが、それからしばらくして漸くバスターミナルで食べ物屋を営むオヤジがやってきて店開きの準備をしだすまで、わたしはそこにたった一人で佇むことになった、、10分前になってもワゴン車一台来ていなかったのだから(そこは各方面へ行くミニバスの発着場であったにもかかわらず)心配になってきた、人に聞くにも人がいないのだからどうしようもない、仕方なくその食べ物屋のオヤジに聞いてみた、わたしはてっきりフローレス行きのミニバス(ワゴン車)は、この場から出るものだと思っていたら、どうやらそれは間違いのようであった、そのバスは6時にこの前の通りを通るからここではなく前の通りで待てと言っている、えっ?そうなの?どうなってるんだ??そろそろ6時に近かったので言われるまま場所を移動した、確かにそこにはバス待ちしているような人が何人かいたのでそこで待ってみることにした、6時を少し回った頃そのワゴン車はやってきてわれわれの前あたりで停まって助手がフローレスかと聞いてきた、サヤスチェというとすぐに乗れという、しかしすでにあいている座席はわずかしかなかった、、ということは、いったいこのワゴン車はどこが始発だったのであろう?? それは未だにわからない‥

 しかし、ま、とりあえず何とか座れた、といっても普通3人掛けのシートに4人が座って身動きのとれない状態、そしてまもなく降り出した雨の山道を車は北に向かった、途中いくつかの村・街を過ぎ次第に山道を下って、いつしか雨もやみ地形も山地から平地に変わっていった、単調な直線道路に入った頃いつのまにか少し眠ってしまったようだ、だいぶ暑くなってきて目覚めたときどこかの街に入っていた、そこがもうサヤスチェだとは思いもしなかったのだが、周りの人からここがサヤスチェだと教えてられ慌ててそこで降りた、すでに4時間がたっていたが思ったより早かったように感じていた、右も左もわからないまま歩き出して少し行くと川が見えてきたので漸くそこで納得するのであった、、、サヤスチェはコバン~フローレスを結ぶ街道にあってパシオン川Rio de la Pasionを艀で渡す交通要衝の街であった、その艀が今乗ってきたワゴン車を向こう岸に渡して行った、そこにはそのくらいのワゴン車だったら10台くらい?大型のトラックも2,3台は軽く乗せてしまう艀が両岸を行き来していた、そう橋はなかったのだ、わたしがここで降りた理由はこの街がマヤ遺跡のなかでもかなり重要(規模、その遺跡の歴史的位置において)な遺跡であるセイバルCeibalおよびアグアテカAguatecaに行く場合の基地であったからだ、しかしそののどかに行き来する艀を眺めながらわたしは迷っていた、そこは車だけでなく人のためのボートもたくさん行き来していたのでちょっとした船着場になっていた、その人たちをあてこんで屋台がいくつか店開きしていた、しかし相変わらず商っているものといえばどこへ行って同じフライドチキンとフライドポテト、そのフライドポテトを朝飯代わりに食べながらその屋台のおばさんに聞いた、もしセイバルかアグアテカに行くとしたらボートで行くしかないがその船頭はどこにいるんだ?と、そしたらすぐ探してきてやる、と言って店をほったらかしてどこかへ消えた、、まもなく一人の男を連れて戻ってきた、中年のオヤジでサングラスをかけていた、が気の良さそうな感じであった、まずセイバル・アグアテカに行ったことがあるか?と聞いたら、こいつなに言ってるんだ、当たり前だろ(何度も行っている)という答え、後は料金交渉となった、だいたいの相場はわかっていた1ヶ所約65ドル?500Q、両方行けば130ドル1000Qになる、今まで50Qの入場料でさえどうするか迷ってしぶしぶ払っていたわたしにとってその10倍20倍がいかに高額であったことか ! ! しかしもし行こうとしたらそれしか方法はないのであった(注あり)、だからこの場合最も自分を納得させる方法はただひとつ、誰か一緒に行く奴を探すことであった、つまり一台のボートには4~5人は乗れたのだから、が、そんな仲間がすぐに現れるはずもなかった、どうするか!?せっかくだから行ってみたい‥、船頭はガソリン代が上がってるし、と交渉は難儀したが両方行くのなら900QでOKということで話はまとまった、その時すでに11時に近かったのでその日に2ヶ所回るのは不可能に近かった、なので2ヶ所行くとしたら今日の午後と明日の午前ということになった、ならばホテルを探さないと、もしかしたらそのホテルにそんな仲間がいるかもしれない‥??結論はこうなった、30分後にここで会おう、今日の午後にセイバル、明日午前中がアグアテカ、でガソリンを買わなければというので半分前払いで渡した、わたしはホテル探しを始めた、時間があまりなかったのでその二人が勧めてくれたすぐ後ろにあったホテルをあたってみた、そこはどうもサヤスチェでは最もいいホテルであったようだ、だから高かった、そこのオーナーはその町の顔役のようなオヤジで手広く事業をやっているらしく結構渋かった、シングルバスつき75Qを値切ってみたが70Qにしかならなかった、近くにあった安宿にもあたってみたがたまたま満室だったので仕方なくそこにするしかなかった(時間があれば安宿は他にもあったのだが)、そして都合よく仲間が見つかるわけもなく、急いでパンと飲み物だけ買って岸辺に戻った、彼の船は小さかった、無蓋で雨でも降られたらひとたまりもない、が、その時天気は何とかもちそうだったのだが‥

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 ボートはパシオン川をさらに上流に向かった、方角は東、行き交う船はなく川の進行方向右岸は開拓地らしく何軒かfinca農場を目にした、あのホテルのオーナーはそんな農場を含めた大土地所有者らしく地方の豪族の一人のようであった、だからあとで戻ったとき彼は世界中を旅したことがあって日本にも行ったことがあるとわたしに話した、わたしは日本に行ったことがあるグアテマラ人をこのとき初めて知って驚いたのだが、地方にこのての地域のボスがいることは日本に帰ってから知ることとなった、昔からこの国を支配していた封建地主のような存在がまだ健在だったようだ、、、、エンジンの音に消されて船頭のおっさんとはほとんど話ができなかった、だからわたしは川面を飛び跳ねる水鳥とか周りのジャングルに目をやるしかなかった、初めてならばきっとスリリングなジャングルツアーのようでもあったかもしれないが、その昔アマゾンを下ったものにとっては見慣れた風景でもあった、しかし行けども行けどもその風景は変わることなくおよそ1時間にして漸くセイバルの船着場に着いた、そこには一台のボートも舫っていなかった、それはその時そこを訪れている人はいないということを語っていた、建物はあったが人もおらず上陸してしっかりとつけられている道を登っていく、こんなジャングルの中に遺跡があったのかとその立地を思う、しかしその遺跡(都市)にとってはこの川はひとつの生命線であったことは容易に想像のつくことであった、ジャングルの道をだいぶ登ると少し平らになって川からそれでも20分くらいあったであろうか、やっとセイバル遺跡のひとつにたどり着いた、この船頭は当然ガイドも兼ねていたからそこから効率よくセイバル遺跡を案内してくれた、グランプラザ周辺の未だ未発掘の遺跡はどこかの調査グループによってちょうど発掘中であった、そんな発掘現場を目の当たりにできたのはたまたまであったが幸運だった、確かにその周辺には明らかに遺跡が埋まっていると思われる小山がまだたくさんあった、ここが全て発掘し終わるのはいつのことだろう??しかしそれは発掘者や考古学者、マヤ学者たちにとってはとてつもないロマンなんだと思う、わたしのような元探検モドキやさんにはそれはよーくわかる、というか、うらやましく思うのであった、、、しかしこんな環境での発掘作業は決して楽ではないことも十分すぎるほどわっていた、そこからしばらく行ったところに事務棟があってそこにすべて発掘が終わったあとに出現するであろうこの都市の復元模型が展示してあった、その規模たるや想像をはるかに超えたものであった、と同時にその日がまだ遠いことを知るのであった、、、ざっと一回りするのに2時間はかかった、まさに熱帯ジャングルの遺跡を堪能?何しろ見学者はわれわれだけ、その2日後に訪れたTikalのような観光客で溢れているというようなところではなかったのだから‥ちょうどボートに戻ったとき雨が降り出した、まだボートを出す前で、たまたま放置されているようなコンクリートの建物(入り口の事務所として建てられた?)があったのでそこに避難して雨宿りした、が止みそうもなかったのでしばらくして小降りになったときに行くしかないと決断した、はじめのうちはたいした降りではなかったのでどうってことがなかったが、そのうち本降りになって屋根のないボートではなす術がなかった、途中で雨宿りできそうなところもなく1時間濡れるにまかせるしかなかった、幸い折りたたみのカサを一本持っていたのでそれで正面からたたきつけてくる雨を防ぐことは出来た、また気温はそれほど下がらなかったので風邪をひくこともなかった、ただやっとのことでたどり着いてそのままホテルに戻り、着ていた物は全て洗濯して乾かしたが、アンティグアやサンペドロでは1日で乾いたものがそこは湿気が多かったからかほとんど乾かず、持っていた替え着にも限りがあって着るものに苦労することになった、それでも次の日洗濯物を部屋に干したまま待ち合わせの7時少し前に昨日ボートを降りたところへ行った、彼もすでに来ていてすぐにボートを出してくれた、その日の天気は快晴ではなかったが晴れ間も少し見えていた、ボートは昨日と反対方向に向かって進みだした‥

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 この川はおそらくマヤを調査している人々にとっては最も重要な川であったと思う、このパシオン川をしばらく下るとメキシコとグアテマラの国境線となっているRio Salinas(他にもRio ChixoyとかRio Negroという名称あり)サリナス川と合わさってウスマシンタ川Rio Usumasintaとなる、その合流地点までの間だけでもEl Caribe、La Aelia 、有名な Altar de los Sacrifisios、少し離れるがアグアテカと関係の深いこれも名の通ったドスピラス Dos Pilas、といった遺跡があって、ウスマシンタ川となってからはItzan、そのあとはもう超有名な遺跡ばかりピエドラスネグラスPiedras Negras、メキシコに入ってボナンパックBonampak、ヤシュチランYaxchilan、そしてそれらと関係の深い、川からは離れているがパレンケPalenqueと続いていく、古典期の主だった遺跡都市がずらりと並んでいるのである、まさにマヤ時代のもっとも重要な交易路、主動脈であったことがわかる、その支流の一端にあったもうひとつの遺跡アグアテカへはそのパシオン川を昨日と逆に進んだがすぐに左の支流へ入っていった、昨日より水鳥は多く天気も良くなってきたのでそれは楽しいジャングルツアー、大自然を独り占めという気分になってきた、しかもその距離は昨日よりも長くアグアテカの上陸地点まで途中大きな湖のようなところを横切り最後は迷路のような水路を進むこと片道1時間15分の船旅?であった、アグアテカもマヤ遺跡の中でも有名で規模も大きく昨日のセイバルに優るとも劣らない重要な遺跡であった、そこを一巡りするのにやはり2時間半を要した、ここは隣の都市ドスピラスとの関係で語られることが多く、その間の攻防を物語る防護壁や隘路の工夫等興味をそそる都市づくりをしている、ドスピラスとの戦いで焼かれた跡とか貴族の館?書記の家、鏡の家と呼ばれる住居跡等の数多くの遺構が比較的良好な保存状態で残されていた、いずれにしろここもまだ全て発掘されたわけではなく、何人かが住み込んで継続的に調査をしているようで管理棟や住居棟などのいくつかの建物と数名の居住者がいた、その建物のひとつが事務所兼ビジターセンターのようになっていてその一室にやはりミニチアの模型で遺跡の全容が作られて展示されてあった、その規模たるややはり想像を絶するものであった、昨日といい今日といい訪れる人のいないジャングル遺跡はそれはそれは見ごたえ十分なところであった、帰りに何人かが乗り込んだチャーター船とすれ違った、昨日のセイバルもそうであったが、交通の不便さもあってせいぜい一日に1組か2組、あるいはまったくいないというときが多いとのことであった、120ドル近い金を払った価値はあったかもしれないと、自らを納得させるのであった、、

(注 《後日談 》 セイバル遺跡へは陸路があるらしかった、それを教えてくれたのはカナダ人だったかヨーロッパ人であったか、いずれにしろ一人ではなく何人かで歩いて行ったとか?数時間かかったようであったがタクシーでも行けそうなことを言っていた、その場合の料金がいくらくらいなのかはわからなかったが、いずれにしろ一人の場合は高くつくし一人で歩いていくのは難しいのではないかと思われる、、!?)

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