独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala/San Pedro la Laguna 2)サンペドロにて(サンフアンへ)

 次の日信じられない光景で目を覚ますことになる、というよりその日実は忘れたのかいい加減なのか知らないが、ベッドに毛布がなかった、で明け方近くに寒くて目を覚ましたのだけれどその時はまだ何も起こってはいない、外は闇の状態、だんだん東の空が明るくなってきて周囲の輪郭がはっきりしてくる、6時頃には真っ赤に燃えてきて6時半頃一条の光が射してくる、湖の向こうの山の上からの日の出、右手のサンチャゴアティトゥランの後ろのボルカントリマン(Volcan Tliman3158m)がアクセントになっている、そういうことか、そういうことだったのか、ここの部屋の価値が改めてわかった、、しばらく湖を囲んでいる山々の移りゆく色合いの変化を楽しんでからキッチンに湯を沸かしに行った~

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 ここサンペドロララグーナSan Pedro la LagunaにはINGUAT(ツーリストインフォメーションセンター、観光案内所)はなかった、そのかわり小さな旅行代理店・エージェントがたくさんあって、シャトルバスの手配から各種アクティビダ、登山・ハイキング・コーヒー園ツアー・乗馬・カヌー・ボート・パラグライダー等の手配、斡旋、スパニッシュスクールの紹介等々何でも引き受けていた、金のかかることはやらないことにしていたのでほとんど縁はなかったのだけれど情報だけでもと思って、パナハッチェル側から眺めると右側の山、ここサンペドロにあってはまさに裏山、ボルカンサンペドロの登山情報を聞いてみた、アンティグアでもそうだったように登山は一人で行くなら金はかからないと思っていたのだけれど、どこで聞いても答えは同じで入場料・ガイドつきで100Qと言ってきた、宿泊していたホテルでもそこは旅行代理店を兼ねていたわけではないが、盛んに馬に乗らないかとか釣りはどうかと誘ってくる、ま、彼らもいくらでもそんな手配ができたのだと思うが、登山の話をしたら140Qだと言っていた、アンティグアのときと同じでここのボルカンサンペドロ(3020m)もほんとににすぐに登れそうな感じ、ルートさえわかればとても簡単そうに見えた、しかし話からするとどうもここは国か地域でか知らないが公園として管理しているようであった、100Qか、どうしたもんかと思いながら数日が過ぎる、月曜と火曜は街中をぶらぶらし、どこに何があるのかキョロキョロしながら歩き回り、市場で買い物と弁当屋で弁当を買って食事(その後何度も利用することになるこの市場のお弁当屋さんは、毎日昼ごろに調理済みのおかずの類-ご飯や、焼きそばもあった-10種類くらい並べて店頭販売していた、そんな店が3軒あり内容は似たようなものだが、味・値段に多少違いはあるようだった、好きなものを好きな分量だけ注文し持ち帰ることもその場で食すこともできた、だいたい10Qで3~4種のおかず・ご飯の昼食がとれた、その後ここで日本人とよく会うことになる)、ネット屋で日本からのmailチェックならびにサンファンのS君にmailを送ったりして過ごす、なんといっても部屋の前で椅子に座ってラゴアティトゥランをボケーっと眺めているだけでも一日が過ごせそうだった、、で、自炊生活はどうだったか??ここホテルサンフランシスコは前にも記したが欧米人旅行者にはつとに知られており、建物も4棟からなっていて(各フロアは1部屋か2部屋しかなかったが)全部で十数人の欧米系長期滞在者が逗留していた、ここのウリは①全ての部屋からではないが湖の眺めがよいこと、②その割には宿泊代が安いこと、③キッチンがついていること、であった、それだけでなくその後知ることになったもうひとつの良かった点として、ここは飲料水・浄水がタダだったことがある(それは当たり前のことではなかったのだ、その後に滞在したキッチンつきホテルでは水は自前だった)、ただひとつの問題点はそれだけの人たちが利用するにもかかわらずキッチンがせまく、もちろん冷蔵庫は使えたがガス台が1台しかなかったことである、だから早いもん勝ちでキッチンが占領されてしまう、ということは自炊も思うようにはいかなかったのである、それでもわたしは朝が早かったから朝食用のコーヒーは、インスタントであったが毎日欠かさず用意できたし、夕食のためのご飯は炊飯器ではなく普通のナへ(最初の日に市場の隣の雑貨屋で30Qで購入したもの)で水加減がわからず何回も失敗したが、おこげでも食うには食えた(食った)、醤油は手に入ったので卵かけご飯やラーメンライスにして(しばらく日本から持参したラーメンがあったが、その後は現地調達のまずいインスタントラーメンとなる)少しでも日本風食事ができた、そして昼食は前述した市場の総菜屋で何品かをtake out持ち帰って、部屋の前に机を出して湖を眺めながらビールを飲みながら食べることが多かった、、そんなときのカナダ人のオッサンがAre you vegitarian? などといってくるから No , I'm just drunkerなどと冗談をいいながら一人で食事をしていた(そういえば彼と一緒に飯を食うチャンスがなかった)~

 9日の水曜日、旅行者ゾーンにあったMuseo Tz'nun  Ya'というところへ行ってみた、小さな博物館?それでも入館料35Qとのことであった、ちょっと迷う、訪問者はその時誰もいそうもなかった、ちょっと覗いてみたいだけなのに、少々高くない?と応対してくれた若い女性に言ってみたが無駄だった、ここサンペドロはマヤ・ツトゥヒルTz'utujilの村だとは聞いていたが、その実態は何も知らなかったし、マヤ少数民族に少し興味を持っていたので35Q払った、入ってすぐの左の部屋でそのマヤの歴史、ラゴアティトゥランの地勢などを紹介するビデオを一人で見る、そのあと何部屋かに分けてTz'utujilの文化・伝統芸能・生活・歴史を紹介しており、近年(1900年初頭だったか?)の写真なども展示されていたかと記憶している(よく覚えていないが)、一回りして退館する際、先の女性がマヤの占いをしてくれるといってきた、生年月日を教えるとマヤ暦に換算してわたしの性格や将来がわかるという、そしてわたしの運勢をきちんと説明してくれたのだがよくわからなかったし今では何を言われたかほとんど忘れてしまった(その時教えてもらったわたしの情報としてorigen ; 2 Ajmaq、nacimient ; 10K'at、futuro ; 5Eということであったが、誰かわかる人はいないであろうか?,)、しかしなかなかサービス満点だったことだけ覚えている、ところが後から思うと、その時そこへ行ったことが実はその後のわたしの行動にひとつの流れを作っていることがわかる、ひとつのきっかけ・縁であったのだ、わたしは占いをしてもらったついでに、ま、そこはひとつの情報センターみたいなところだと思ったのでボルカンサンペドロの登山について聞いてみた、そしたらやはり100Qが必要と、同じ答えが帰ってきた、一人で勝手に登れないのかと重ねて聞いてみたがやはり無理そうだった、が、その時彼女はガイドを紹介するから一緒に行って入り口で100Q払えばいいと言ってきた、そしてその場にいた庭の手入れや掃除などをしていたそこの職員だか手伝いだかのオッサン(名前をカルロスといった)を紹介してくれるのだった、そして彼と話して明日の朝6時にホテルに迎えに来るということで話がまとまってしまった、その時点でわたしは単独行を諦めていた、たぶんきちんと管理されている山だということを悟ったのだった、ならば斡旋手数料など一切なしでガイドを紹介してくれたことはありがたいことだった、で次の日にボルカンサンペドロに登ることになった、それはわたしにとってボルカンアグア(アンティグア)のリターンマッチでもあったのだ~

 その日の午後わたしはサンファンララグーナSan Juan la Lagunaに行ってみることにしていた、パナハッチェルのエルソルで会ったS君からサンファンにいるからいつでもどうぞという返信をもらっていたのだ、サンファンはここへ来るときに通っていたが訪れるのは初めてで、そこへ行くにはパルケセントラルの脇からピックアップが出ているとのことだった、距離にしてサンペドロからサンファンは2,3km?歩いて3,40分0ピックアップで15分の距離であった、料金は途中どこでも乗り降りでき、どこで乗っても降りても一律2Qだった、小型トラックの荷台はパナハッチェル~サンタカタリーナパロポ間で乗ったのと同じで12,3人は楽に乗れた、サンペドロからサンファンに向かうときは右側に湖を見るようにして行く、その景色はどこから見ても美しかった、サンファンは規模からいうとサンペドロよりずっと小さな村だったが住民はやはり同じTz'utujil100%の村だった、小さい分静かな落ち着きがありホテルも1軒くらいしかなく観光客をほとんど目にすることはなかったが、知る人は知るでここは他のマヤ地域の染色・織物とは違った色合いの独特な織物に人気があり、それを目当てに来るtouristは少なからずいた、で前にも紹介したS君はその染色技術(草木染)を指導している日本人のお手伝いをするjicaが派遣している日本人のそのまたお手伝いのようなことをしながら、彼もまたその染色を学んでいたのであった、たまたまわたしがサンファンに行ったその日、jica派遣のKさんとS君は日本人数名を含むアメリカ人おばさんの織物買出しツアーグループを案内しているところであった、わたしが乗ったピックアップがサンフアンのとある土産物屋というか織物専門の店の前を通りかかったとき、偶然S君がわたしを見つけてくれてあわてて車を止めて彼と再会することができた、同時にjicaのKさん、ツアーグループの日本人女性を紹介してもらうことになった、あとから聞いたところによるとそのアメリカ人一行をまとめて連れてきているのは実はそこにいたI子さんという日本人の女性で、わたしは知らなかったがその方は織物・染色の世界では知らない人はいないという超大物・有名人とのことであった、が、その時はそんな人とは露知らず、若々しくて元気なおばさんだった、で、その一行についてわたしも一緒にサンフアンの村巡りをさせてもらったことになる、その彼らを見送ってS君が借りているという家に行く、サンフアンというところは芸術家の村でもあって織物・染色のお店のほか絵描きさんが多く住んでいてギャラリーがいくつかあった、その中でも有名な絵描きさんの所有する空き家だということだった、しばし雑談と情報交換しているところに同居人のH君が帰ってきた、やはりエルソルで偶然会って話したところ同郷同年代同士ということがわかり、この家をシェアすることになったのだとか、S君と同じく実に気のいい青年であった、で彼はその時サンペドロのスペイン語学校に通っていて帰ってきたところだったのだ、こうしてその日、日本人の知り合いがいっきに増えた、しかも皆この地に長期滞在している人ばかりであった、こちらもそのつもりで来ていたとはいえサンペドロに少し長居するのもいいかな、と思うようになっていた、夕方また来るからと言って彼らと別れピックアップでサンペドロに戻った、その後不思議な縁がもうひとつサンフアンにでき、そのピックアップに何度も乗ることになる~

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