独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 国内の旅 5)ペテン ⑤キリグア Quirigua

 結局7時半発のはずであったバスがフローレスを出たのは8時に近かった、その朝7時前にはチェックアウトして、まだ朝方だったのでバスターミナルまで歩いた、ターミナル近くの昨日昼食をとったところで簡単な朝食をすまして、間に合ったバスがそれであった、今までのチキンバスより少しデラックスだったがそれでも3社の中では一番旧式で、だからたぶん料金も一番安かったと思う、途中地図にあったSanta Ana、Dolores、Poptun、San Luisといった町で長く停車したが、逆にいうとそれ以外に町はなく、途中最大の町Rio Dulceにはちょうど昼ごろに着いた、フローレスはうす曇りの蒸し暑い天気であったが、リオドゥルセは土砂降りであった、ここも観光スポットでサンフェリペ要塞とか、ドゥルセ川を下ってカリブ海の港町リビングストンへ出る基点でもあったので、結構欧米系ツーリストを見かけた、ドゥルセ川にかかる大きな橋を渡ってしばらく行くとバスはCA9にぶつかる、左はカリブ海商業都市プエルトバリオスPuerto Barriosへ、右がグアテマラ市へ向かう幹道であった、右に折れそのままグアテ市方向にまい進するのかと思いきや、近くのドライブインで昼食休憩し、CA9をどちらへも曲がらずに突っ切る形でモラレスMoralesという町に向かった、要するにこのバスはフローレス~グアテ市を結ぶローカルバス(各停)であったのだ、キリグアの町がどの程度の大きさか(バスターミナルがあったりする街かどうか)わからなかったので、予めキリグアで降りたいということは車掌に言っておいた、結果的にそれは2ヶ所あったようで、先に通過したところはキリグア遺跡入り口で、親切にここで降りたほうがよいといってくれたところはキリグアの街(村?)の入り口であった、どちららにしろ皆目見当のつかなかったわたしには、どちらで降りても同じこと、途方にくれるしかなかったのだが、、??

 さて、キリグアにはポサダデキリグアPosada de Qiriguaという日本人が経営されている宿があることは知っていた、正月に行こうかと迷ったところだ、が、その場所およびキリグアの地図は持っていなかったのでどう行けばいいのかまったくわからなかった、こういうときケータイでもあれば便利なのだが(普通は事前に連絡していくものかもしれないが)今回の旅に国際ケータイは持ってきていなかった、カンを働かすしかないか?ミニバスが行き来していたので、そのドライバーに聞く手はあったのだが、躊躇している間にバスは行ってしまった、次のバスをを待っているときにトゥクトゥクがやってきた、ポサダデキリグアは知っているという、料金交渉となった、わたしはそれほど遠いわけはないと思っていたので3Qなら乗るというと、5Qでなら連れて行ってあげるといってきた、こういう場合場所を知らないというのは不利でこちらの主張に根拠がない、結局5Qで連れていってもらうことになった、が、結果的には歩ける距離だったのだが、まったく地理がわからないところではトゥクトゥクは仕方ない選択というよりむしろ正しい選択だったかもしれなかった、庭先まで乗りつけてくれたそこは決して初めてのものが歩いて訪ねられるようなところではなかったのだから、、、(ミニバスもその近くは通っていなかった)

 よくいえば植物に覆われた庭園、見方をかえればジャングルの中といっても通りそうなところに平屋の素敵なつくりの宿はあった、現れたのは妙齢なおとしの知的な日本人女性だった、とっさに思ったことは、何でまた若くて綺麗な女性がこんなところにいるんだ!?ま、誰もが思うことであったかもしれない、宿泊者の全てから同じ質問を受けていたかもしれない、ま、それはともかく、一通りの挨拶のあとたまたまその日は他にもお客の予定があるが、もちろん部屋は空いてます、ということであった、問題は宿泊代であった、もちろん承知で行ったのだが一泊130Qというのは、それまで20Qから高くとも80Qのところにしか泊まったことのないわたしにとって、どう自分で自分に納得させるかにあった、その洒落た繊細なつくり、静かな環境、もちろん一流ホテル並みの設備・調度を備えているのだからそれは決して高すぎるとは思われなかった、ただわたしには特別な言い訳が必要だった、例えば日本人が一人でこんなところで頑張っているんだからとか、、実際それは大きな理由付けになった、また、一晩だけだから、というのもすぐに思いついた、でも一番にはやはりその初対面の印象、さわやかで知的で、大変そうだけど、それを表に出すでもなく極自然体で生きられているその姿、おおー !、というオーラを感じたからかもしれなかった、、、

 それにしてもキリグアは小さな村であった、世界遺産に登録されているにしてはホテルもポサダデキリグアの他に2軒くらいしかなかったし、適当な(わたし向きの)食べ物や・レストランがない、村の中心としての教会はあったが公園はなく、隣の敷地はただ広場になっているだけ、道を隔ててサッカー場があって、その一画がメインストリートのようであったが数件の商店とネット屋があるだけ、一番高級そうなホテルもそこにあったが、どうみてもそこはただの田舎の村でしかなくツーリストに出会うこともなかった、、、ポサダデキリグアに着いて宿泊は決めたもののその日の夕食は遠慮した、ま、不相応な夕食になりそうだったこともあったが、たまたまその日の相客が大使館のおえらいさんご一家だと知ったからだった、またキリグアの遺跡もすでにその日に訪れるには時間も遅かったし天気も危うかったので明日の朝ということにし、村の情報をいろいろ教えてもらって村の散策と食べものや探しに出かけたのだった、、、もっとも興味を抱いたのはポサダデキリグアに貼ってあった村の地図に鉄道が描かれていたこと、と同時に近くに駅があるらしかったのだ、で聞いてみるとそれは昔の話、といっても彼女が来たころはまだ汽車は走っていたとのことであった、が、まだ駅舎跡と廃線が残っているということだったので、早速地図を頭に入れてまずその駅舎跡に行ってみて、そして村の中をぶらついてみたというわけであった、、、

 ここキリグアの世界遺産の遺跡の周囲はアメリカ資本の広大なバナナ農園になっていた、もうだいぶ昔からのようで、当時そこで収穫されたバナナは鉄道で港町プエルトバリオスに運ばれ、そこから船で米国に運ばれた、おそらくだからこの鉄道もアメリカ資本によって敷設されたのではなかったか(それは1930年代頃からの話であったようだ、当時及びその後何十年奇妙なことに鉄道は存在したがプエルトバリオスに通ずる道路はなかったらしい)、で、あるときはお客も運んでいたようで、おそらくグァテ市とプエルトバリオスを結んでいたものと思われる(ということはメキシコとも鉄道でつながっていたことになる)、そう言えばキリグアに来るときに寄ったプエルトバリオスの手前の街モラレスMoralesでも軌道跡があった、往時はバス路線もなく唯一の交通の手段として貴重な存在てあったのではなかろうか?その駅舎跡がそのかすかな面影を残していた、複数の線路も残っていた、が今はゴミの散らかる廃虚でしかなかった、、、で、その付近にも若干の民家があったが、商店もなく人の行き来もまったくなかった、ここの住民はどれくらいの数だったか聞きそびれたが、いずれにしろ街と呼ぶには無理がありそうだった、10分くらい歩いて村の中心に戻る、サッカー場ではちゃんとそろいのユニフォームを着たチーム同士がおそらく公式ゲームを戦わせているようであった、スタンドには多数の観客が応援に来ていた、その脇の広場では地元の青少年たちがやはりサッカーに興じている、ちょうどその日は週末でサッカーはあまり娯楽のない彼らにとってはもっとも楽しみなイベントのようであった、サッカーについては詳しくないのだが、それでも中南米は一方の王国であることくらいは知っていた、が、そのなかでグアテマラの名前を聞くことはまずなかった、しかしそれでも中米の一員としての彼らの熱狂振りはテレビを見ればよくわかったし実際プロリーグもあるとのことであった、もしかしたらその日スタジアムで行なわれていた試合はそんな下部リーグの一戦であったのかもしれなかった、その夜、再びその辺をうろついたときスタジアムの隣の広場で繰り広げられていた地元の青少年たちのゲームは照明をつけてまだ続けられていたのだった、、、

 夕食は困ってしまった、適当なところがない、たいして大きくない村のセントロ?を行ったりきたりして、Antojuntos?Antojitos?(どう訳していいかわからない、結構そこら中にあった)というテイクアウト専門のスナックショップ?飲みもの&軽食やさんといったところで、食事になりそうなものとしてハンバーガーとフライドポテト?そして別の店でビールを買って結局ホテルの部屋での食事となった、そのバーガーが安くてうまかったこともさることながら、そこのおねぇさんがあまりにもキュートで感じがよかったので、夕食後に明日の分をまた買いにいってしまった、足元は暗かったが街角に灯りはあった、ただここの闇は濃かった、、

 翌朝は土砂降りであった、朝食は付いていてその時大使館員のご家族と挨拶を交わした、まだお若い方であった、今日はRio Dulceのほうへ行かれるとの話であった、朝食後雨は小降りになったので、一応雨具持参で出かける、いろんな行き方があるようであったが流石に歩いていくには遠そうだったので、昨日通過した街道沿いの遺跡入り口まで歩いてみることにした、15分くらいでそこに着き待っていたワゴン車に乗る、客は一人もいなかった、たぶんそのワゴン車は遺跡に隣接するフルーツカンパニーの従業員用で、その時間帯に乗るものがいなかったものと思われた、そこから遺跡までの両側は延々バナナ畑が続いていた、遺跡には8時半頃にはついたが、ついたとたんにまた雨が振り出し30分くらい雨宿りをさせられた、キリグアの遺跡は中米最大の石碑や獣形神で有名で特にホンデュラス・コパンとの関係で語られることが多い、というのは今では国境をはさんでいるがその実際の直線距離は50kmくらいしか隔たっていない、マヤの諸王国は主従関係で結ばれていることが多く、当初その地域の覇者であったコパンはキリグアを従属国としていたようだが、約300年続いたその関係が738年の事件によって覆される、、??その物語(実際の歴史)は中村誠一先生の著書に詳しい、そのコパン・キリグアをメインフィールドにされている先生はよくポサダデキリグアにも宿泊されているとのことであった、、、小雨振る中、雨宿りもいれて1時間半くらいかけて一通り回ってみた、世界遺産遺跡だけあってよく整備され公園化されていたがそこを訪れる人なく、帰り際に漸く地元の(?グアテマラ人の)学生のグループを見たきりであった、帰りはトゥクトゥクを使って宿まで戻った、、

 少しセニョリータM女史と話ができた、当初はプエルトバリオスの日本の会社で働いていたこと、そしてキリグアでも日本の会社で働いていたこと(同じ会社であったかどうかは不明)、いずれにしろかなり長い年月こちらで仕事をしていて、知り合いもできこの土地に愛着を持つようになった、そのままここに住み着いてしまったことはごく自然ななり行きだったと淡々と語ってくれた、わたしにはすんなりそれが理解できた、そういう魅力がグアテマラにあることは知っているつもりだったから、しかしそれを実践されているのはやはりすごい、そんなに容易いことではない、たぶんいろいろご苦労がおありであろうとは思われた(しかしNHKテレビのキリグア紹介番組にでられたり、有名な方も結構泊まりにこられているようだから、それはそれで楽しんでおられるようでもあった、またチョコレートつくりの体験ができるところとしても有名)、帰りにポサダデキリグアの敷地で見つけたという黒曜石の破片をお土産にもらった、黒曜石は鉄器・金属器の使用が認められなかったマヤ世界においては切断利器として特に重要な石器であった、それがそこら中から出てくるとのことであった、もちろん石器だけでなく土器等の多くの発掘品(埋蔵品?)がでてくるので、もしかしたら今建っているところはキリグアの貴族の館跡であったかもしれない、と笑いながら語ってくれるのであった、もっとたくさん面白い話を聞いたが控えておらず、忘れてしまった、しかし気さくなほんとに素敵な女性であったことはたぶん忘れることはないであろう、、、

 昼前においとました、ミニバス(ワゴン車)で近くの町ロスアマテスLos Amatesまで行ってそこからLiteguaのバスに乗るほうが確実だと教えてくれた、確かにロスアマテスは町という感じであった、またLiteguaはこの辺いったいをテリトリーとするバス会社でロスアマテス、モラレス、リオドゥルセ、プエルトバリオスへの便が最も多く独自のオフィスを構えていた、で、そこに12時頃に着いたのだけれど一番早いバスは13時発ということであった(ランクがあって安いバスだったから)、それでも一応コンピューター管理している会社でticketも立派なものを発券してくれていた、昨夜仕入れておいたハンバーガーを昼飯にして待合室でバスを待つ、やはりこのラインは他と違う、、、??

  ロスアマテス~グアテ市間は48Q、4時間とのことであった(もう少し高いが早いバスあり)13時10分に発車したバスは17時10分にグアテ市Zona1に着いた、沿線も30分くらい走ったRio Hondoからは馴染みの道だったし、グアテ市のバスターミナルは前に泊まっていたところのすぐ近くであったから、そのままその馴染みのホテルに向かった、3ヶ月ぶりに訪れたそこはもちろん覚えてくれてはいなかったが、わたしにとっては居心地が悪くなかったのだ、荷を置いてすぐにネットやさんを探した(前回宿泊したときはネットやさんには行っていなかった)、無理すればその日のうちにアンティグアへ帰りつくこともできなくはなかった、しかしひとつだけ気がかりがあったのだ、それはフローレスからもキリグアからも一応mailで日本の状況を確認していて、あまりにその後の混乱が大きそうであったので最悪帰国せねば ! ?、とずっと考えていて自宅からの回答を待っていたのだ、で、もしその場合は明日月曜なので前回伺ったグアテ市の五十嵐さんのところでticketを手配しよう、そのためにグアテ一泊ははじめから予定していたことであった、幸いにして?即帰れ、の知らせはなかった、その夜は宿近くの中華屋で久しぶりに麺類を食べることができた、前にも同じ経験をしたことがあったがここで麺類を頼むと、ご飯でなくパンがついてくるのであった、、、??

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