独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 国内の旅 3)シェラ、パナ、チチ その4)‘エル・ソル’、コマラバ

 結局‘エル・ソル’には2泊してしまった、村岡さんご一家のその気持ちの良い人柄・もてなしに触れたらそこが気に入らないという人はいないだろう、そう、訪れたことのある人は皆そう言うと思う、しかしたまたまわたしが訪れたその日、日本人の宿泊客はその後も何回か会うことになるS君一人きりであった、だからかどうか、お陰でというか、夕刻若旦那の一臣氏はわたしの話し相手になってくれた、そしてたくさんのアドバイスを頂くことになる、、、それを語る前にもう少しエルソルの魅力について話しておこうかと思う、、

 帰りのピックアップで乗りつけたエルソルはパナハッチェルの街の中心からだと歩いて15分くらいかかるが、トゥクトゥクだとどこからでも5Qで来られると村岡さんは言っていた、だから街からは少し外れているが、その分静かな環境にあった(前は街中にあったそうだが、そこから移ってきた経緯等は聞かなかった)、そのまだ新しい建物はとてもきれいで清潔感があってドミトリーでさえ床がピカピカ(&ベッドカバーがカラフルで美しかった)土足のままでよいとのことだったけれど靴を脱いだほうがよい(脱がないといけない)のではないかと思ったくらいだ、1階は事務室とラウンジと2つの食堂、キッチンからなっており、宿泊ではなくレストランだけ利用される欧米人も多いとか、そういうグループだか家族だかを何回か見た、つまりジャパニーズレストランとしての認知度も高いことを窺わせた、ラウンジには飲み放題のteaとcoffeeが用意されていてバーも兼ねていた、そこから庭に出て芝生を突っ切っていった別棟にはなんと日本の湯船が、そしてそこには近くから引いてきているという温泉の湯がたたえられていたのだ ! ! ま、わたしにはそれだけで十分であった、1ヶ月半?ぶりに湯船にからだを伸ばす、日本人にとっての贅沢がそこにはあったのだ、風呂から出ると屋上のベランダでアティトゥラン湖の西に沈み行く夕日を眺め、夜は何ヶ月ぶりかで食べるカツ丼 ! ! 村岡ご夫妻、お父さんお母さんが作ってくれる日本食はその後何回か食べることになるが、まったく全て旨かった、欧米人に人気があるのも頷ける話だった、それで宿代も食事代もわれわれが躊躇うほどの高額ではなかったのだ(因みに最初に泊まったとき、確かドミトリー50Qで食事代も50Qだったかと記憶している)、わたしとしては、記憶が定かでないのだが当初たぶん初日は他で泊まって2日目にここにくるつもりだったと思う、だからたまたま初日からお世話になることになって、もう一日泊まることになったのはまったく自然な成り行きだった、いや、しばらくそこに滞在しているというS君を本当にうらやましく思ったくらいであった~

 その日の夕方ドミトリーのある2階のラウンジのソファで寛いでいると息子さんの一臣さんがやってきていろいろな話をする機会がもてた、彼の経緯もいろいろ聞いた、全てはっきり記憶しているわけではないが、元々は確か青年海外協力隊でこちらへ来られたとか?そのあとそのままグアテマラに残ってしばらく大使館で仕事をされていたように記憶しているが間違っていたらゴメンナサイ??その後ご両親がリタイアされてこちらで一緒に住むことになりエルソルを始められたらしいが、それがご両親の発案なのか彼の考えだったのか、また何時からこの地パナハッチェルに住まわれているのかは聞かなかった、あるいは聞いたけど忘れてしまったか?とりあえず定かではない、いずれにしろこちらに住まわれて20年くらい?になるとのことだった、住んでしまえばそれほど毎日感激・感動しているわけではないだろうが、この気候温暖・風光明媚な地に居を構え、毎日温泉にはいって食材を手に入れるのは大変だろうけど毎日日本食が食べられるならは、旅行者の目から見れば、特にそれを求めてやってきたわたしから見れば、すでにそういう生活をされているご一家が理想的に映らないはずはなかった、まさに極楽ではないか ! ?

  で、できればこちらに住めないであろうか?住むとしたらどこが良さそうか探していると今回の旅の目的を話すと意外にも彼はこんな風に言った、それは決して難しくはない、現に自分たちの両親がそうしているように、もし永住権が欲しければ年金の証明書等の必要書類をそろえれば簡単にそれは取れる、必要ならお手伝いしますよ、とまで言ってくれた、すでに彼のサポートでそれを取得された日本の方が近くに住んでいるとのことだった、貸家・アパートも安く結構たくさんあるようだったし永住権をとってこちらに住み移ってきている欧米人はもっと多そうだった、うーん、少しわかってきた、先も見えてきた、可能性ありだ、そうだろうな、同じように考えている人はたくさんいて、皆そうしてこの理想郷に移り住んでいるんだ、すでに実践しているんだ、‥ そんな直接的な情報を聞くことができた、もし実際に動くならいつでもお手伝いしてくれるとのことだった、わたしはそれを聞いて今回グアテマラに来た目的がほとんど達成してしまったようにさえ思った、それはまことに貴重な情報であった、来た甲斐があった、ここに泊まった甲斐があったというものだ~

 8人部屋のドミトリーにわたしと若いS君、彼は30才前後くらいだろうか?、それぞれお互いの経緯を話した、彼は愛知県の人だと言った、仕事をやめてアメリカ経由でグアテマラに来て今はパナハッチェルの対岸にあるサン・フアン・ラ・ラグーナ(San Juan la Laguna、ラゴアティトゥランの湖岸にある11の村のうちのひとつ)で家を借りて住んでいるとか?その時わたしはそのサンフアンララグーナというところがどんなところか知らなかったので聞いてみると、なんでも草木染で染色した織物で有名だとか言っていた、また、草木染についてはこちらではその知識がないので日本の高名な篤志家(K先生、その後一度お会いした)の方がその指導に尽力されていること、それをサポートしているJICAの方の、またそのお手伝いをさせてもらいながら自身草木染を学んでいるというようなことを言っていた、サンフアンには銀行がなく、両替だかキャッシュカードでの引き出しのためかで今エルソルに滞在中とのことであった、やはり、いろんな形で、いろんな日本人がここGuatemalaに来て、いろんなことをやっていることを知って、改めて面白く嬉しく心強く思った‥、そういう人たちに会える場でもあった~

 翌日の行動は特に決めていなかった、が、行ってみたいところはいくつかあった、ひとつは対岸のどこかの村へボートで渡ってみる、もうひとつはバスで少し戻って高いところから湖の写真を撮る、ま、もう一泊することにしていたから両方やろうと思えばできないことではなかった、で、まずソロラから昨日バスで下って来るときにその道沿いにあった展望台まで行ってみることにした、バスに乗る前に昨日見つけられなかったINGUAT(観光案内所)の場所を近くにたむろしていたトゥクトゥクのドライバーに聞いてみた、すぐ近くとのこと、言われた所へ行ってみたが見つけることができなかった、が、それはやはりわたしのヒアリング力に問題があったようだ、しかしソロラへのバス乗り場はそのINGUATのあるはずの場所に近かったから、バスにはすぐに乗れた、サン・ホルヘ・ラ・ラグーナ(San Jorge la Laguna)という村の入り口で降りる、そこはもうだいぶ高いところにあって(バスで10分、2Qとられた)、実際の村ははるか下にあった、そこからちょっと下ったところに小さな展望台(ミラドールmiradorという、もうひとつ先のバス停近くにもうひとつあり)があって、通りすがりの車がちょっと寄ってしばし休憩している、確かに眺め美しいところであった、この湖はどこから見ても絵になるのだけれど個人的には、やはり少し高いところから眺めたほうが素晴らしいと思っている、そんなところがそこを含めて数ヶ所あった、もちろんそこで何枚かカメラに収めたがちょっと物足りなくなってもっといいアングルはないものかと少し歩き出す、戻る形で上へ向かって少し歩いてみたがいまひとつ、と真下にあるサンホルヘララグーナの村を囲むようにこの先の道の方から尾根が一本延びているのが見える、あの尾根の先辺りはきっと絶好のViewポイントではないか?行けないかしら?行ってみよう、ということになった、どうやらそこへの道は先ほどのミラドールあたりからありそうだったので戻ってみる、ちょうどそこには子供たちがいて遊んでいたので、あそこまで行けるかと拙いスペイン語で聞いてみると、この道を行けばいいと数メートル先から延びている細い道を教えてくれた、人一人がやっと通れる砂道で最初少し下って平坦な道となった、地元の人しか通らない細い尾根道だった、しばらく行くと何軒かの家があり店もあったがほとんど人の気配はしなかった、その道沿いからの眺めも素晴らしかったが、とりあえず突端までと思ってどんどん進んでいくと何しに来たとばかり一匹の犬に睨まれてしまった、が、どうも老犬のようで吠えかかってくるということはなかったので、静かに静かにやり過ごして、そう展望台から10分か15分くらいかかったか、突端の露岩の上に立った、もちろん誰もいない一人の世界、足を滑らせたらそのまままっさかさまにま湖まで、ちょっと目の眩むところでもあった、目の前に何にも邪魔されない光景が広がっている、展望台のところよりはるかに眺めはよい、しかしスリル満点の怖いところでもあった(&逆光が玉に瑕)、が、そこまではまだよかったのだ、帰り道に予期せぬ出来事に遭遇する、犬が一匹増えていた、しかもまだ勢いのある獰猛そうな奴だった、吠えかかってきた、わたしは何も持っていなかった、‒ これを教訓に学んだことだけど、こういう道を歩くときは必ず何か武器になるもの(棒や木の切れ端や石など)を持って歩きなさいとその後忠告を受けることになる ‒ 先ほどの老犬も加わってきた、2匹の犬と対峙した、何も持っていないからこちらも大声を出して威嚇する、そうやって何とか回り込んでふさがれていた道を突破、で何とかやり過ごしたかとちょっと油断して背を向けた瞬間、見事にその若い方の奴に足首のあたりを咬まれてしまった、おーこいつ、やるなぁと思ったが時すでに遅し、振り向いて更なる大声を出してようやく追い払う、ズホンの上からだったので傷は浅かったが受けたショックは大きかった、このときこちらの犬は侮れないことを知る、いや、野犬(かどうかわからないが)が多いな、とは前から思っていた、一般市民もそれを危惧していること、その対策に関係機関が頭を痛めていることはあとになって知ることになる、その時傷は浅かったが、やはりちょっと心配になった、こういう場合どうすればよいのだろう?もちろん歩くに不自由はなかったので、とりあえず展望台まで戻る、街まで戻るしかないな、ちょうどその時一般の商業車が休憩を終えて出るところだった、下に行くのか?乗せていってくれないか?と聞いてみた、もちろん犬に咬まれたことなど恥ずかしくて言えないというか、そんな話ができるほどこちらのスペイン語は達者ではなかったが、それでもすぐにOKしてくれたのでラッキーと礼を言って乗り込み多少の世間話はすることとなった、10分間の乗車だったが精一杯グアテマラのよさ、この湖の美しさを称えるくらいしかお礼の気持ちを伝えることができなかった、しかし、それはグアテマラで最初で最後のヒッチ経験となった、もっともここはバス網が発達していたこととバス代が安かったから、ほとんどその必要性がなかったのだが(実はその前に一度だけヒッチを試みたことはあった、それは例のトイレのためにバスを降りたときだった)‥

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 街まで戻ってさてどうしたものか?このままボートで対岸の村に行くのはやめたほうがいいか?思案しながら歩いていたら、目の前に朝方探して見つからなかったINGUATがあるではないか、何だこんなところにあったのか、それは確かに朝トゥクトゥクのオヤジが言っていた場所、パナハッチェルの2本の大通りが交差する、パナハッチェルの中心といえるところに建つビルの2階にあった、どうもその時は見えなかったようだったが、早速外階段を上がって訪問してみた、もちろん英語が通じたので職員の男性に犬に咬まれた経緯を話し何かアドバイスがあればと聞いてみた、彼は理解してくれ、念のため医者に見てもらったほうがいいと言ってすぐ先にあるというCentro de Salud中央保健所に行くよう勧めてくれた、的確なアドバイスに感心し言われたところに行ってみた、やはりこういう場合言葉が大事になる、たまたま患者は誰もおらず、どこの国にもあるお役所仕事だったが、それでも少々待たされただけでドクターだか看護婦だかか現われ何回か同じことを説明させられた(英語でだったかスペイン語でだったか?)、そして別室に行ってたぶんドクター(?いわれなければ普通の職員のようでもあった)にもう一回同じ話をして、また診察室みたいなところに戻された、そこで看護婦らしき女性が注射を一本打ってくれたのだった、その間3,40分、特に予定があったわけではないからなんか貴重な体験をさせてもらったな、という思いであった、料金はかからなかった、まず一安心であったが、一旦ホテルに戻ることにして昨日乗ったピックアップの乗り場のところのスーパーで昼飯とビールを買い込んで歩いて戻った、帰ってもちろんその報告はしたが、野犬については結構捕まえて注射を打ったりしているから、ま、大丈夫だろうと親父さんは言ってくれた‥この親父さんはわたしよりはるかに大先輩なのだが、いやー若々しくて、何でも知ってて何にでも好奇心一杯の元気オヤジだった、話好きで日本の情報もわたしよりずっと詳しく知っていた、政治の話なんかはじめたら止まらなくなった、若いS君がよくその相手をさせられていた、ちょうどその日の夕食をわたしは餃子定食、S君はカツ定食だったか?それを肴にわたしが持ち込んだビールを彼と飲み交わしていた、たまたま、別の宿に泊まっているという、とても上品な感じの年配のご夫婦が食事に見えていて同席となり食後の団らんとなった、その席には村岡ご夫妻も加わり、たいへんな盛り上がりとなった、何を話したかは忘れたがいつも場を盛り上げ話題を提供してくれるのが村岡の親父さんだった(たぶん日本とグアテマラの比較を面白おかしく話してくれたように記憶している)、忘れがたい晩となった~

 ほとんどここで目的が達成できたわたしは、あくる日、また寄らせてもらいます、と礼を言って早めにエルソルを出る、今度来たときのためにボート乗り場の確認と再度写真を撮りるために一旦浜辺に出る、そしてメインストリートのサンタンデール通りを通って昨日サンホルヘ行くとき乗ったバス停まで歩いた、グアテ行きの直通バスもあるはずであったが本数が少なくソロラ行きがすぐに出発した、ソロラでもグアテ行き直通を探したがなさそうだったので、またロスエンクエントロスまで出た、ロスエンクエントロスではグアテ行きが何台も来る、別の会社のバスが同時に待機していて呼び込み合戦を繰り広げていたりする、どこまで行くのか?と聞いてくるからチマルと答えると、すぐに乗れといってくる、それにつられて値段を聞かずに乗ってしまったのが失敗だった、前に書いたかもしれないが途中乗車・途中下車の場合その料金は決まっていない、相場はあるが全て車掌しだいといったところ、すでにその頃にはその相場をつかんでいたから、たぶんロスエンクエントロス~チマルはせいぜい15Qくらいなものだろうと踏んでいた、何故ならそこはちょうどチマル~シェラの中間地点あたりだったのでチマル~シェラ25Qから換算してみてのことであった、ところがその車掌20Qと言ってきた、耳を疑う、何度か聞き返したが同じことを言っている、ふざけんな高すぎると、こちらも言える範囲で抗議するが無駄な抵抗であった、ま、運しだい、たまたま性質の悪い車掌に巡りあってしまったということで諦めるしかなかった、その後同じ失敗を繰り返さないためのよい教訓となった‥

 チマルには11時頃に着いてしまった、このままアンティグアに帰るには少々早すぎるように思えたので、どこか寄り道することを考えた、事前にそのつもりでいたなら格好の寄り道先はあった、チマルの手前30分くらいのところにあるテクパンTecpanという街からその昔カクチケル族の都があったとされるイシムチェ遺跡(ruinas de Iximuche)に行けた、しかしそれでなくとも5Qも多くぼられてしまったという想いのあったわたしは、そこよりはるか手前のテクパンで降りる気にはなれなかったのだ、そうなると行き先は1ヶ所しかなかった、特にどうしても行ってみたいというところではなかったが、サン・フアン・コマラパSan Juan Comalapaという絵画・芸術の村へ行くバスが確かこのチマルから出ているはずだった、たぶんこの機会を逃したら行くことはないであろうと思って、チマルで下車したあとバスを探してみた、ちょうど先日アンティグアからのバスが着いたあたりにコマラバ行きのバスは停っていて車掌が呼び込みをしていた、渡りに船、すぐに乗り込んだ、昼時で乗客は少なかった、そのバスは今日通ってきた道を少し戻って右に折れた、田園風景の中を行くことに40分コマラバの村に着く、結構暑いところであった、どこも同じ構造の街づくりだから地図も何もなかったがまずはパルケセントラルへ、教会は何か工事中のようで中には入れなかった、向かいの公園の屋台で昼食をとる、例によって焼肉・ライス・フリホーレス・トルティヤで10Qはリーズナブル、安い、そこのおばさんに美術館の場所を聞くと何ヶ所かあるといって教えてくれたのだが、その説明を正確に聞き取るレベルにはなかった、仕方ない、歩いて探すしかなかった、小さな村だったので3,40分で一通り歩き回れたが、それらしい建物は見つけられなかった、もしかしたら何軒か絵画を扱っているお店のようなところはあったがそこだったのかもしれない‥、あまりの暑さと疲れで探すのを諦める、村の入り口付近の教会のそばに墓地があった、バスでこの村に入ったときに目にしたその墓地の囲いの壁に描かれた壁画が素晴らしかったので、その写真だけ収めてチマルへ戻ることにした、チマルでアンティグア行きのバスに乗り換えて3時にはアンティグアに帰り着いた、4日ぶりにホームスティ先のM氏宅に戻ったのだが、たまたまその時M氏ご夫妻は不在であった‥

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