独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 生活 その6)下宿

 下宿とホームスティはどう違うのかと聞かれても困るのだけれど、便宜的に以下のように分けてみたのでご理解いただけるだろうか?つまりこれはGuatemala(Guatemalaに限らないかもしれない?)で旅行者のとりうる宿泊形態ということになるかもしれない‥

1)ホテル・ペンション ; ホテルは一般的に考えられているもの、ただしそれこそピン~キリで、ピンのほうは知る由もないがキリのほうでは、わたしが泊まった中では20Q(約200円)からあった、やはりペンションのほうが価格設定は安め?、いずれにもキッチンつきあり、基本的に食事はなし、または別

2)下宿・ホームスティ ; わたしの区分けでは食事つきの間借りをこのカテゴリーとした、意味的には、外国人の語学習得のため特別に語学学校などで紹介してくれるところをホームスティとしグァテマラ人のためのまかない付きを下宿とした

3)貸家・アパート ; 一般に言われる貸家・アパート、基本的にグァテマラ人のためのものだが、貸し手は特にこだわってはいない場合が多い、長期滞在を希望する場合選択可能

 上記のようなわけ方をした場合いわゆる下宿は旅行者の選択肢には入らないかもしれないがそれでも選択は可能だ、ただ見つけ方は難しいもしれない、わたしも実際そこに住むまでそういった存在については知らなかったのだから‥

 たまたまわたしのホームスティ先だったM氏宅に戻った時、M氏ご夫妻は不在でそのご子息夫妻が留守番をされていた、彼らは近くに住んでおりそれまでにも何度も会っていたから顔なじみではあった、すぐにわたしが戻ったことをM氏にケータイで連絡を取ってくれとりあえず空いてる部屋をあてがってくれた、そしてこの先どうする予定かと聞いてきた、わたしも実はどうしたものかと帰り道ずっと考えていたことだった、そのための偵察旅行だったわけだから~

 わたしがその時考えていたのは、とりあえずもうしばらくアンティグアに住む、できればアパートを探す、そしてSpanishの個人教授を探してみる、ということだった、なのでその旨ご子息に伝え明日アパートを探してみると答えた、彼らのことはお子さんが二人いて近くに住んでいるらしいこと、長男をここのご両親に預かってもらうために時々、いや今思うと毎日だったか?連れて来ていたことぐらいしか知らなかったのだが、彼は突然こんなことを言い出した、実は自分たちはこの近く(そこは歩いて5分もかからなかった)に住んでいて明日部屋がひとつ空く、何ならそこを使ってくれて構わない、ということだった、言ってることがすぐには理解できなかったのだけれどこういうことだったらしい、つまり彼はわたしのことを両親から聞いていた、また彼はGuatemala人のための部屋をいくつか持っていた、M氏は学校と契約しているので学校に通っていないものに部屋を提供するのは、いつ大勢の学生がやってくるかわからないので好ましくない、たまたま彼らのところの間借り人が明日一人出るので部屋がひとつ空く、だから必要なら貸しますよ、ということだったのだ、悪い話ではなかった、おまけにめちゃめちゃ安かったのだ、3食付で月1500Q、ということは一日50Q?食事つきで500円は安すぎる ! !

 とりあえず部屋を見てからと言ったものの、ま、それもいいか、と半分はその時決めていた、そして次の日の午後にはM氏に礼を言って息子の家に移っていた、そこにはあと二人の下宿人がいた、一人は高校生らしき男の子で、息子の奥さんをtia(叔母さん)と言っていたから彼らの甥っ子?もう一人はその美人の奥さんと同じくらいの年で美人度でもまけていないOLのお嬢さんであった、彼女はマイカーまで持っていた‥その時初めてそこがGuatemala人のための下宿であること、またそういう需要と供給がGuatemalaにも、というか後で聞いて知ることになるのだが地方から出てきている学生の多い(つまり有名な大学、高校があったので)ここアンティグアに特に多いことを知るのであった、、

  ま、そんなんで下宿生活も悪くなかった、食事もよかった、これでもっとわたしがしゃべれたらもっと楽しかったことであろう、しかしそれでなくても無口&内気・シャイ?なわたしは美人たちを前にすると話ができなくなるタチなので、もったいない時を過ごしてしまったことになる、せっかく雇ったプライベートの教師もあまり役に立たなかったようだ、そこでの生活は3週間続いた(何時までにするか悩んだが、ゆくゆくはLago Atitlanにもう一度戻ってそこの湖岸の村へ行ってみたいとの想いもあったので、20日間1000Qで話をまとめていた)‥で、部屋は決めたがさてどうするか?どこか別の学校を探すか?もし家庭教師でも見つかればそのほうが安そうだったので、ここに移るにあたってM氏に、誰か適当な人がいたら紹介してくれと頼んではいた、2日後くらいに一人のオッサン(30代はじめくらいだったか?)がやってきた、彼は1時間当たり22Qと言った、約3ドル、ということは1日12ドル1週5日として週60ドルか、かなり安い、しかしわたしは1日10ドル週50ドルくらいを考えていた、それでいくと1時間当たり20Qとなる、が、彼はわたしの希望をあっさり承諾してくれて次の日の午後から来てくれることになった、思惑通りことが運んでいく‥まず部屋代が食事つきで週75ドルから45ドルに、学習費が90ドルから50ドルになったわけだ、トータルすると100ドルを割っている、シェラの120ドルよりも安いではないか(日本円にすると食事つき、家庭教師つきで1週約8000円?、ドルが安くなっているから一日1100~1200円くらい?)‥ ! !

 ということでその時は有頂天だった、が、公平にあとから思い返してみれば、やはりそれはそれ、安ければ安いなり、高ければ高いなり、というものである、いや、あったと言うべきか!?ま、その辺のところは詳しくは記さないが、たとえば先に述べたようにそれは教師の熱意に現われ、わたしのスペイン語の上達にもかかわってくるということでもあったのだ‥、しかし、だからというわけではないが、わたしがいつも気にかかっていたことはその物価の安さもさることながら、彼らの給与水準・生活水準はどうなっているのだろうかということであった、いったい彼らはいくらくらいの給料をもらって、いくらくらいで生活しているのであろうか?それは聞きにくい質問であったので直接聞いたことはなかったが、おそらく驚くほどの薄給で想像よりはるかに厳しい生活なのではなかったか‥??、たとえばわたしの家庭教師となったR氏、実は彼はわたしが最初に通ってた学校の先生でもあったのだが、生徒が少ないときは当然仕事はなくなる、おそらく月給制ではないであろう、だから授業のない午後(午後は生徒が少なくなる、よって教師は仕事にあぶれる)、彼はアルバイトができるし、たぶんそれをやらないと食っていけない、アルバイト代は全部自分のものになるのでわたしの授業料一日10ドルは彼の小遣いになったと思うが、午前中の本業でもわれわれが払う(週)90ドルのうち、半分の45ドルの手取りがあればいいほうなのではないか?とするとやはり日給10ドル時給2.5ドル200円の世界?たぶん月20000円くらいの稼ぎにしかならないのではないか?それでもこの国ではまだいいほうなのかもしれない、仕事のないインディヘナたちはどうやって暮らしているのだろうか?みやげ物屋の上がりもタカが知れているだろう、一日100Q、1000円も稼げたら上等ではないか?農産物の商いにおいても50Qを越えることはまずないであろう、とすると一日の生活費は?そう、単純に旅行者として物価が安い、安いといって喜んでいるわけにはいかなくなる ! 、、、かといって、それを気をとらわれてしまっては旅は続けられなくなる‥?? (現実の彼らの稼ぎはもっと厳しいかもしれない、ちなみにi実感としての物価はモノによってバラつきがあるが平均すると日本の1/3~1/4くらいではないかと思われた)

(写真 ; 上 : 下宿の前の家、門構えが立派だったので道、中 : 下宿先の前の道、左手の家、右側が前の家、下 : 下宿先から2,3分のところにあるサンタクララ修道院前の公園)

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